12:森の迷宮

「なんで……、なんでだよっ!!!」


 俺は握った両手で地面を力一杯叩いた。

 折角あそこまで上手くいっていたのに。


 ダーザイン達と出会った。

 必要な装備を買ってもらった。


 ステラ達と出会った。

 仕事をもらった。


 この世界で生きていくための生活基盤を手に入れたと思った。

 この世界でも生きていける、希望が見えた。


(それなのに!)


 振り出しに戻った。

 全てリセットされた。


 理由はわからない。

 でも間違いなく戻った。


「くそっ!!」


 とにかくもう一度だ、もう一度ダーザイン達と合流しないと。

 そう思って顔を上げた時、俺はそれが既にできないことを悟った。


 いつの間にか、あの三人が見える位置まで近づいて来ている。

 今からじゃあダーザイン達との合流地点まで逃げ切ることは不可能だ。


 怒りを地面にぶつけていた時間を悔やんでももう遅い。

 三人組の一人、モンドがこちらに向けて笑顔で手を振っているのが見えた。


(どうする、どうする?)


 俺は地面の剣を拾って立ち上がりながら背後の森の様子を伺った。

 あまり光が差し込んでいないせいで奥の方は真っ暗だ。


 前に大木の後ろに隠れた時は簡単に奴らに見つかった。

 となると――。


(奥に行くしかない!)


 俺は剣を掴んだまま背後の森に向かって走りだした。

 森の暗闇の中なら視界が悪いから、逃げ切れる可能性はまだ残っているはずだ。


 俺は内心の躊躇いを振り切って森の闇の中へと飛び込んだ。



「ちっ、森の奥の方へ行きやがったか」


 モンドが舌打ちしたのを見たエルネストは、やれやれと内心で溜息をついた。


 本職の戦士であるモンドやモニカとは異なり、エルネストの本業は考古学者だ。

 人を捕まえるのは彼本来の仕事ではない。


 もっとも、それに関してはエルネストの秘書兼護衛が役目であるモニカにも言えるのだが。


 ユウを捕まえる任務を直接受けたのはモンドだけ。

 彼がこの辺の地理に疎いということとエルネストの能力が人探しに向いているということで、二人は半ば強制的に駆り出されたのだ。


 あくまでもサポートメンバーであるエルネストとモニカにはこの任務の詳細は知らされていない。

 聞いているのはこの世界に来たばかりの異世界人を保護するのだということだけ。


 しかしモンドは女神教の中でも過激派の実力者達が集められた実行部隊、ホーリーウインドのメンバーである。

 彼が受けた任務ということは決して穏やかな内容ではないだろう、とエルネストは推測していた。


(……)


 エルネスト自身はもちろん、モニカもホーリーウインドのメンバーではない。

 彼は正直、厄介事には関わりたくないと思っていた。


 横目で見る限り、モニカも乗り気ではなさそうだ。


「おい、行くぞ。逃げたのはどっちだ?」


「わからないよ」


「何だと?!」


 ユウを追いかけて森に入ろうとするモンドの問いに、エルネストはそっけなく答えた。


「この森の名前を知ってるかい? 森の迷宮って言うんだ。この辺の人たちの話じゃ、入って出てきたヤツはいないってさ」


 エルネストが両手でお手上げ状態だと表現した。


「お前が精霊に聞けばいいだろう!」


 大事な任務が失敗しかかっていると気が付いて、モンドは声を荒げた。


 ホーリーウインド。

 彼らは場合によっては同じ女神教徒でも手に掛ける武闘派の狂信者集団だ。


 剣呑な雰囲気に傾いたことを感じ取ったモニカが腰の剣にそっと手をそえた。

 エルネストはそれに気が付かない振りをした。

 

 女神教内においてモンドとエルネストの立場は同等だが、彼女の立場はそれよりも下だ。

 ここで下手に対立すれば彼女の身が危ない。


 エルネストはモンドの注意が彼女に向くのを極力避けようとしていた。


「魔法トラップの影響で中が迷宮化していて精霊達にもわからないんだ。正直、こんなところに踏み込むのは御免だよ。それに精霊達が言ってる」


「……何をだ?」


 モンドが不機嫌に聞き返した。

 感情的になりながらも、エルネストの協力無しではユウを捕らえることはできないということは彼にも理解できていた。


「何かとんでもなくヤバいのが森の中にいるってさ」


 エルネストは『もうお手上げだ』と言う代わりに両手を上げる仕草をして見せた。



 晴れる気配のない霧。

 その霧の影響で、陽の光が直接森の中に差し込むことはなく、許される光は周囲の限られた視界だけだ。


「はぁ、はぁ、どうしよう……。」


 あの三人から逃げられたのは良かったとはいえ、今度は出口のわからない森の中だ。

 俺は今まで森に入るのを避けてきたのが正解だったと納得した。


「次の死因は森で遭難か。」


 このまま当てもなく彷徨って朽ち果てる未来が容易に想像できる。


(復活したら速攻でダーザインの所へ走ろう。)


 俺は早くも死んだ後のことを考え始めていた。

 剣は重いので鞘に入った状態で肩に担いでいる。


 この剣で自殺すればすぐに森の外でリスタートできるんだろうけど、そんなことをするだけの勇気はない。


 空腹に苦しみながら餓死するとか猛獣に遭遇して食い殺されるとかに比べればずっとマシな死に方だと自分に言い聞かせてみる。

 ……それでも勇気は沸いてこなかった。


 俺はとりあえず気晴らしに歩くことにした。

 霧のせいで視界は限られているから方向は適当だ。


 ……これはもう遭難確定パターンだな。


(……ん?)


 密林と呼ぶにふさわしい森の中をしばらく歩いていると、霧の奥から洞窟が姿を現した。

 そしてその直後、頬に何かが当たった。


 それが何かは左手の甲で拭ったらすぐにわかった。


(雨か。)


 ポツポツと雨が降り始めたらしい。

 目の前の洞窟が雨宿りしていけと言っているかのように口を開いている。


(熊とかいないだろうな……。)


 俺は恐る恐る洞窟の中へと入った。

 奥の方が暗くてわからないけど、猛獣の類はいないみたいだ。


 雨はどんどん強くなってきている。

 俺は濡れないように洞窟の奥に入ってから地面に腰を下ろした。


(全力で走ったから疲れた。)


 だんだんと眠くなってきた。

他にやることもないので、俺は腕枕をして寝ることにした。


(……。)


――それからどれぐらい経っただろうか?


 夢と現実の狭間に委ねてられていた俺の意識は、何か陶器か金属の当たるような音で現実の世界に引き戻された。

 いつの間にか仰向けになっていた俺はゆっくりと目を開くと――。


「――うわっ!!」


 心臓が止まりそうになる、という表現はこういうときに使うべきなんだろう。

 なんと骸骨の顔、スケルトンが俺の顔を覗き込んでいた。


 直後、俺が驚いたことに驚いた、といった様子で向こうも両手を上げて一歩後ろに下がった。


(おいおい、いきなりアンデッドかよ……。)


 まさか心の準備も無しにスケルトンと対峙することになるとは思わなかった。

 できるだけ刺激しないように俺はゆっくりと上体を起こしてチラリと剣の位置を確認した。


 このスケルトン、かなり強そうだ。

 メタリックに輝く真っ赤な鎧で顔以外の全身を包み、腰には装飾の入った剣が長短一本ずつ、背中には大きな盾を背負っている。


 それに対して俺の装備はというと、胴体を隠すだけの皮の鎧と地面に転がっている剣のみ。

 ……このスケルトンに殺されるという選択肢が新たに増えた。


(……どうする?)


 俺達は互いに目線で相手の動きを牽制し合った。

 この場を生きて切り抜けるにはどうするのがいいだろう?


 ……走って逃げるのが一番可能性がありそうな気がする。


 隙があれば全力で逃げ出す、そう決めてタイミングを伺い始めた矢先、スケルトンが右腕をゆっくりと上げてこちらに手の平を向けた。


(なんだ? 魔法か?)


 俺は牢屋から逃げ出そうとして背後から少女の魔法で貫かれたのを思い出した。


 何かの魔法が飛んでくる。

 俺はそう思って身構えたが、しばらくしても何も起こらない。


 代わりにスケルトンが左手で腰の剣をガチャガチャと触り出した。


(……?)


 何を思ったのか、スケルトンは腰に付けていた二本の剣を外して地面に落とし、右手をこちらに差し出した。


「……握手?」


 俺の言葉にスケルトンの顔が上下に動いた。

 そうだ、と言いたいらしい。


「もしかして、俺の言葉がわかるのか?」


 再びスケルトンの顔が上下に動いた。

 それを見て俺も恐る恐る手を差し出し、ゆっくりと握手をした。


 うーむ、まさかアンデッドと握手することになるとは。

 流石は異世界。


 握手が終わると、スケルトンはしゃがんでから指で地面に何か書き始めた。


「お、ど、ろ、か、せ、て、わ、る、い……。驚かせて悪い?」


 スケルトンがこちらを向いて頷いた。

 地面にさらに文字を書いていく。


「ア、ル、フ、レッ、ド。アルフレッド?」


 どんな意味なのか理解できずに俺は首を傾げた。


『名前』


「……あ! もしかしてアルフレッドさん?」


 スケルトンが満足そうに頷く。

 自己紹介だったわけだ。


 ていうか今になって気づいたけど、骨格的にたぶん年上だこの人。

 いや、人じゃなくてスケルトンか。

 

「俺はユウって言います。」


 アルフレッドさんは俺の名前を聞いて頷くと、再び地面に字を書き始めた。


『驚かせてすまない。人間は久しぶりでどう接するべきか迷っていた。ユウはどうしてこんなところにいるんだ? 俺が言うのもなんだが、ここは普通の人間が来るようなところじゃない』


「やばそうな連中に追いかけられてて、ここまで逃げて来たんです。」


 俺の言葉を聞いたアルフレッドさんは少し考える素振りをしてから再び手を動かした。


『外の世界は荒れているのか?』


「うーん。」


 なんと答えたらいいものか。


 日本に比べればこっちの治安は間違いなく悪いだろう。

 それにあいつらに狙われた以上、俺の生活に関しても平穏とは言い難い。


 ただ、ダーザイン達に連れて行ってもらった街、アルトバの雰囲気はそう悪いものでもなかった。

 少なくとも世紀末な状態じゃない。


「世の中的には平和、かな? 俺はちょっとやばいけど。」


『それはよかった。ユウは災難だったな』


 まさかスケルトンに慰められるとは思わなかった。

 ラノベ――、もとい小説でもこういう展開はあんまりなさそうだ。


「あ、そうだ! この森の出口がどっちかってわかりませんか? この霧で迷ってしまって。」


 俺がそういうと、アルフレッドさんは左手で洞窟の外を躊躇わず指差した。

 その体勢のまま右手で地面に文字を書いていく。


『この方向にまっすぐ行けば森から出られるはずだ。魔法で迷宮化してるから寄り道したり後戻りすると出られなくなるぞ』


「え……。それは怖いですね。」


『本当は森の外まで案内してやりたいが、俺はこの洞窟から出られないんだ。悪いな』


「いえいえ、道を教えて貰えるだけでも十分ですよ。」


 アルフレッドさんは見かけによらず良い人だ。

 いや、良いスケルトンか。


 話をしている間にいつの間にか雨も止んでいる。

 今からなら、急げばまだダーザイン達と合流できるかもしれない。


「よし。雨も止んだし、俺行きます。道を教えて貰ってありがとうございました。」


 俺はアルフレッドさんに頭を下げた。


『大したことはしていない。気を付けてな』


 手を振るアルフレッドさんに見送られながら、俺は洞窟を後にした。



 ユウと名乗った少年を見送った後、アルフレッドはその場で少し余韻に浸っていた。


 久しぶりに出会った人間。

 彼個人の事情はともかくとして、全体で見れば外の世界は概ね平和らしい。


 アルフレッドは洞窟の中に転がっていた板状の石を拾うと、別の石でガリガリと文字を刻み始めた。

 作業が終わると、その石を持って真っ暗な洞窟の奥へと進んでいく。


 道に光は全く入り込まずいくつにも枝分かれしているが、彼が迷う様子は一切ない。


 しばらく歩くと地底にできた大きな空間に出た。

 その中心にはまるでできたばかりのように綺麗な神殿が立っている。


 アルフレッドが入口を塞ぐ石に触れると、重そうな石の扉に魔法陣が浮かび上がり、ゆっくりと開いた。

 扉を潜った彼を迎えたのは、同様に赤い鎧で身を包んだスケルトン二人だ。


 如何にも門番と言った様子で立っている彼らに、アルフレッドは先ほどの石板を見せた。


『迷い人に聞いた。外の世界は平和』


 それを読んだ二人は少し驚いた反応をしてから軽くハイタッチをした。


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