11:異世界生活の始まり

「じゃあな、ユウ。何かあったら俺達の所へ来い、ひと月ぐらいはこの街に、うっ……」


 食堂の前。

 鎧を脱いだ状態でエニグマの背中に乗せられたダーザインは青い顔をしながら慌てて口を押えた。


 あの特大のチキンを全て収めきった腹はまるで妊婦のように膨らんでいる。

 他にもステーキやライスなんかも全部食べきったわけだから、何もしなくても苦しいはずだ。


「ダーザインが限界みたいだからそろそろいくよ。ボク達は一か月ぐらいこの街にいる予定だから、何かあったらあの宿に来るといいよ」


「ああ。色々ありがとう。」


「じゃあな、ユ――、うぅっ……」


 ダーザインが再び口を押えて、今度こそ完全に沈黙した。

 俺が顎をモフモフしたのを合図にエニグマはゆっくりと宿の方向へ歩いて去っていった。


 乗っているダーザインに余計な振動を与えない、やはり優秀な猫様だ。


「さて、私達も行くか」


「ああ。」


 既に陽は落ちている。

 俺達四人も別の方向へ向けて歩き出した。


 道がわからない俺は後ろをついていくことにした。

 フォーメーションはリアの後ろにラプラス、ステラちゃんの後ろに俺が続く形で落ち着いた。


 美少女二人の後ろ姿を見ながら歩くのは悪くない。


「……」


 ……前を歩くステラちゃんがチラチラとこちらを伺ってくる。

 俺は内心で『これはステラルート確定か?』などと浮かれつつも表面上は平静を取り繕った。


 油断はできない。

 非リアである俺が勝手に勘違いしている可能性はまだ残ってるんだ。


 もしかしたらステラちゃんが子供の頃に飼っていたペットが俺にそっくりだったとか、そんなオチは十分に考えられる。


「……。」


 そんな感じで歩き始めてから二十分ぐらい経っただろうか?

 時計が無いから正確な時間はわからなかったけど、体感ではそれくらい歩いたところで街の中心から少し離れたところにある屋敷の所まで来た。


 高い塀と柵で囲まれていて予想以上にゴツイ。

 正門の両脇に立っていた門番がこちらに気が付いて門を開けた後、敬礼してきた。


(す、すげぇ……。)


 俺は予想以上の金持ち感に内心ビビりまくっていた。

 え、俺、ここで働くのか?


「おかえりなさいませ、リア様、ステラ様。……そちらの方は?」


「今度新たに雇うことになったユウだ。仲良くしてやってくれ」


「はっ! 失礼しました」


 ここで働くということは、つまりこの人達も同僚ということになる。

 俺はとりあえず会釈だけしておいた。


 門番との会話はそれで終わりで、俺は三人の後ろに続いて敷地内へと足を踏み入れた。


「うわー、でかいな……。」


 門を通った先で俺達を待っていたのは、元の世界でも西洋の貴族とか超大金持ちが住んでいるような大きな屋敷だ。

 流石は伯爵家、と言ったところか。


「すごいよね。ここは別邸で、別の街にある本邸はもっと大きいんだよ?」


 驚いている俺にステラが笑顔で教えてくれた。


 畜生、かわいい。

 これだけでもここに来たかいがあったぜ。


 ステラちゃん自身はそんなに驚いた感じじゃないってことは、きっと俺に合わせてくれてるんだろう。

 たぶんステラちゃんも貴族だったはずだし。


 ……なんていい子なんだ!


「俺、こんなところ初めてだよ。やっていけるかな?」


「きっと大丈夫だよ、私もできるだけのことはするから。ねっ? ユ――、トオタケくん」


 ステラが俺の顔を覗き込むようにして励ましてくれた。

 やっぱりかわいい。


「うん、ありがとう。えと、ハートさん? でいいのかな?」


「ステラでいいよ」


「じゃ、じゃあよろしくステラ。俺もユウでいいよ。」


「よろしくね、ユウ……、くん」


 ステラもぎこちなく俺の名前を呼んでくれた。

 へっへっへ! 好きな女の子といきなり名前で呼び合う関係になったぜ!


 ここまでに何回か殺されたりしたけど、この世界に来てよかったと心から思えた瞬間だった。


 よろしくリア充ライフ! 異世界バンザイ!



 レッドノート家の屋敷、つまりは俺の職場に到着した後、ステラ達と別れた俺はラプラスに使用人の部屋があるエリアまで案内された。


「ここが今日からお前の部屋だ。急だったから何も用意してないけど、寝るぐらいは問題ないはずだ」


 そう言いながらラプラスが俺に洗面用具なんかの生活用品が入った箱を渡してきた。

 聞いた話だとラプラスの部屋もここにあるらしい。


 案内された部屋の広さは元の世界の自分の部屋と同じぐらいだった。

 家具はシンプルなベッドと机、椅子が一つずつあるだけだ。


 ラノベ――、もとい小説の影響でもっと酷い部屋が用意されている展開も想像していたから少し拍子抜けした。


「ありがとう。えーと、ラプラス先輩?」


 一応、仕事の先輩ということになるからこれで合っているはずだ。


「……ユウって年いくつだ?」


「十七。」


「なんだ、同い年か。じゃあ呼び捨てでいい。お嬢様がお前に何の仕事を与えるつもりかわからないけど、よろしくな」


「こちらこそよろしくラプラス。……なあ、俺もやっぱりリアのことお嬢様って呼んだ方が良かったりする?」


「俺達みたいな普通の使用人の立場だったらな。お前は客分扱いだからたぶん大丈夫だよ。お前はまだわかってないみたいだけど、他の貴族から借りたわけでもないのに客分の使用人なんて普通ありえないぜ? あいつらに感謝するんだな」


 あいつら、というのは間違いなくダーザインとエニグマのことだろう。

 つまり俺に変わって有利な雇用条件を引き出してくれたってわけだ。


 ダーザインが駆け引きの一部としてあのでかい肉を注文したのも、結局は俺のためだったのかもしれない。

 そう考えると、あのとき肉を食うのを手伝わなかったことが悔やまれる。


(……今度、何かお礼をしに行こう。)


「明日は七時に迎えに来る。俺の部屋は二つ隣だから何かあったら来てくれ。この辺は使用人しかいないけど、他のみんなはまだお前のことを知らないからあんまりうろつくなよ?」


「わかった。」


 そこまで言うとラプラスは部屋を出て行ったので、俺は机の上にある時計を確認した。


 時間はちょうど二十時。

 元の世界と違って、この世界は二十四時間で短針が一周する時計が一般的みたいだ。


 窓の外では金色の蝶が眠そうに羽を休めている。


「さてと……。」


 ラプラスが来るまで残り十一時間。

 俺はさっさと寝ることにした。


 何かパジャマ的なものが欲しかったけど、部屋には見当たらない。

 ラプラスにはうろつくなって言われたし、今日は我慢することにした。


 部屋の明かりを消してベッドに倒れ込むと、ふかふかの布団の感触が俺を包み込んでくれた。


(……エニグマには負けるな。)


 でも今日はステラとも出会えたし、十分幸せだ。

 今度あったらまた猫様に抱きつこうと心に決めて、俺は眠りに落ちた。


 その夜に見たのは天頂に出た”白い”月の夢だった。



(まぶしい……。)


 まぶたを通して入り込んでくる強い光で俺は意識を取り戻した。


 この光は人工のものじゃあない。

 掛け布団の感触も無かった。


 きっと寝ている間に投げ飛ばしたんだろう。

 俺は朝が来たのだと思って体を起こすと同時に目を開けた。


 背中の感触も固いし、ベッドから落ちたのかな、なんて考えながら。


「……は?」


 目の前には平野が広がっていた。


「……は?」


 俺は慌てて周囲を確認した。


 前には平野、後ろには生い茂った森。

 そう、最近になって何度か目にした光景だ。


 具体的にはこの世界で最初に目覚めた時、そして”死んで時間が巻き戻った時”に。


「はぁ?! 嘘だろ?!」


 驚愕の声を出さずにはいられなかった。

 俺は脱いだはずの鎧を身に着けていて、横には例の三人組から逃げるときに置いてきた剣が転がっている。


 ダーザインに買ってもらった剣も魔法袋も無い。


「戻って……、きた?」


 俺は理解した。

 証拠なんてないが確信した。


 そう、また最初の時点に戻ってきたんだ。

 ダーザイン達と出会う前、ステラ達と出会う前に。


 ……全てが振り出しに戻っていた。

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