2:やり直される世界

「ふう、ギリギリだったな!」


 夕日が沈みかけた頃、俺達は最寄り街のアルトンへとたどり着いた。


「あ、足痛い……。もう限界だ……。」


 俺は街の入口でへたり込んだ。


「体弱っ……」


 モニカが困惑した表情で俺を見ている。

 これが漫画だったらきっと汗マークが浮かんでいることだろう。


「がっはっは! なんだもうへばったのか。ほらもう少しだ、いくぞ!」


「うへぇーい……。」


 俺は棒になった足を引きずっておっさんの後ろを歩いた。


「仕方ないな、肩貸すよ」


 エルネストが俺の右側から肩を貸してくれた。


 ……案外いい奴だ。

 これがイケメンの余裕というやつだろうか?


「あ、ありがとう。」


 俺はもちろんお礼を言った。

 元の世界じゃ模範的な高校生だったから当然さ!


「はあ……」


 モニカも溜息をつきながら肩を貸してくれた。

 エルネストが肩を貸すので渋々といった様子が容易に見てとれる。


 やっぱりあれか?

 モニカはやっぱりエルネストのあれな感じなのか?


 ……泣きたくなってきたわ。


 俺は二人の助けを借りながらおっさんの後をついていった。

 モニカの綺麗な髪が至近距離で揺れるたびに女の子のいい匂いがする。


 クンカクンカ。

 ……なんか変態っぽいな。


 まあいいか。

 男なんてどうせみんな変態みたいなもんだし。


 二人のおかげで少し余裕ができたので、俺は歩きながら街の様子を観察することにした。


 酒場、武器屋、道具屋、道の左右には中世ファンタジーに出てきそうな店が並んでいる。

 くたびれ具合なんかが、俺を騙すために作られた舞台というにはあまりにも生々しい。


 すれ違う人々もみんなそれっぽい格好だ。

 いよいよここが異世界だと認めるしかないらしい。


(これで魔法があったら確定か。)


 戻る方法はあるんだろうか?

 無ければこの世界で一生を過ごす覚悟を決めることになる。


(この手の話は帰れないのがお約束だからなぁ……。)


 仮にこの世界で生きていくとして、どうやって生計を立てようか?

 元の世界の知識を活用してチート?


(俺、そんな知識ねえよ……。)


 ある程度大人になってから異世界転移したならともかく、俺はまだ十七歳だ。

 勉強熱心なわけでも特別優秀なわけでもない平凡な高校生が自分の知っている知識と経験を頭の中で並べてみても、この世界で役に立ちそうなものは見つけられない。 


「もっと勉強しておけばよかった……。」


「どうしたの?」


 急にがっくりとうなだれた俺に、横のモニカが怪訝な表情を浮かべた。


「いや、勉強の大事さって後になってからわかるもんだと思って。」


「ふーん……?」


 まさかこの年齢でこんな年寄り臭いセリフを吐くことになるとは思わなかった。

 モニカはピンとこなかったのか返事が曖昧だ。


 そんな俺達の前を歩くおっさんが立ち止まった。


「着いたぞ」


「ここは……、教会?」


 案内されたのは教会のような建物だった。

 屋根の上には十字架の代わりに紋章のようなものが立っている。


 少なくともキリスト教ではなさそうだ。

 俺は疲れていたので、教会の入口近くにあった椅子に早速座らせてもらった。


「それじゃあ僕たちは別に宿を取ってるから、この辺で」


「ああ、ありがとう。」


「じゃあね」


 エルネストとモニカが教会の外に出ていく。

 モニカが手を振ってくれたので俺も手を振り返した。


 女の子に手を振ってもらうなんて何年振りだろうか?

 しかも美少女だ。


 ――が、しかし。


(別に宿ってことはあれか? 邪魔が入らない空間で美男美女が二人でそういうことか? キャッキャッウフフであんなこととかこんなこととか大人の階段昇り放題な感じなのか? そうなのか? そういうことなのか? そういうことなんだな?)


「――しゃ様?」


 俺の中で再び嫉妬の炎が燃え上がる。


 やはりイケメンは存在自体が悪だ。

 これはもうイケメンの名前を書くと殺せるノートとかを手に入れて昼夜を問わず名前を書きまくらなければなるまい。


 そうだ!

 俺はきっとそのためにこの世界に来たんだ!


「――うしゃ様、勇者様?」


 イケメンでも非リアだったならまだ許そう。

 だが彼女持ちだと?


(……許せん。)


 ガチャ。


「……ん?」


 唐突な手首の感覚に、俺は意識を現実に引き戻された。

 見てみると、いつの間にか俺の両手に手錠がはめられている。


「……は?」


 俺はわけもわからず顔を上げた。

 目の前には知らないお姉さんが笑顔で立っている。


 おっさん達と同系統の服を着ているが、白と青だけで金色は入っていない。

 つまりモニカとかイケメンと同じだ。


 多分この教会の人なんだろう。

 視線を合わせ続けるのが恥ずかしかったので、俺は目線を下げた。


 お姉さんの凶悪な胸を見たのは一瞬だけだ、一瞬だけ。


「えーと、すいません、この手錠は……?」


 俺は目を白黒させてお姉さんと、その後ろにいるおっさんを見た。


「……今、私の胸を見ていましたね?」


 お姉さんが貼り付いたような笑顔のままで俺を問い詰めた。


「え? いや、別に……。」


 内心でドキリとしながら、俺は慌てて目線を横に逸らす。


「見ていましたね?」


 お姉さんの声は冷たい色を帯びている。

 俺は様子を伺うように上目遣いで顔色を窺った。


 お姉さんは先ほどとは別人かと思うほどに侮蔑を込めた目で俺を見ていた。


「そんな……、誤解ですって。」


 突然の事態に混乱しながら、俺はこの名前も知らないお姉さんの誤解を解こうとした。


 なんだこの状況は? 冤罪か? 冤罪だよな?

 いや、確かに胸はちょっと見てたけど。


「黙れ! 汚らわしい異教徒が!」


「ええ!?」


 お姉さんが吐き捨てた。

 取りつく島が無いとはこういうことか。


 というかいきなり豹変しすぎだろ、このお姉さん。


「モンドさん。もう我慢できません! この罪人を早速牢屋にぶちこんでください!」


「了解だ」


 おっさんが楽しそうに笑いながら答える。


「ちょっと待った! 牢屋ってどういうことだよ?!」


 それどころか痴漢すらしていない。

 いくら異世界とはいえ、胸を見ただけで犯罪になるなんてことはないはずだ。


「ほらっ、こい!」


 だがおっさんはここまでとは打って変わって乱暴な態度で俺を椅子の上から引きずり下ろすと、そのまま肩に担いだ。


「イタッ! ちょっと待って! 待ってくれって! くそっ! この!」


 手足をバタつかせて抵抗するも、おっさんの怪力の前には無力。

 俺はそのままわけもわからず教会の地下にある牢屋に投入されてしまった。



 牢屋にぶち込まれて箱入り息子になってしまった次の日の昼頃。

 俺は朝食として出されたパサパサのパンの残りを食べながら、これからのことを考えていた。


 この後いったいどうなるのか。

 食事を持って来た女の子に聞いても何も答えてくれなかったので、仕方無くパンと水だけという食事内容の改善を要望しておいたけど、やったことといえばそれぐらいだ。


(さて、どうするかな。)


 そもそもどうしてこうなったのか、正直まったく理解できない。

 迎えに来たと言ってここまで連れてきておいて、冤罪で牢屋に入れる?


(マジ意味わかんねぇ……。)


 あのお姉さんが異教徒がどうのと言っていたことから推測するに、たぶん過激派とか狂信者の類なんだろう。

 正直言って厄介そうな連中に捕まった。


 有無を言わせずに強引に牢屋に入れたことから見ても、正攻法で身の潔白を証明して解放して貰うのは多分無理だ。

 強引に断罪されることは目に見えている。


 魔女裁判ならぬ非リア裁判だ。

 汚い、やはりリア充汚い。


(とにかく、手遅れになる前にここから逃げ出さないと!)


 俺はパンの最後のひとかけらを口に放り込むと、通路に見張りがいないことを確認してから牢屋の鉄格子に手で力を加えてみた。


(駄目だ……。)


 鉄格子はびくともしない。

 天井近くに一つだけある窓の鉄格子も試してみたが結果は同じだった。


 窓の向こうには地面が広がっている。

 ちょうど窓の高さが地表らしい。


 早くも手詰まりだ。

 俺は肩を落とした。


 鉄格子の根本では、止まっていた金色の蝶がのんびりと羽をバタつかせている。

 ……なんとなくバカにされている気がするのは気のせいか?


 昨日の疲れがまだ残っているせいか、体がだるい。


(せめてあの剣があればなぁ……。)


 俺がいつの間にか持っていた剣はあのおっさんに預けたままだ。

 スプーンで穴を掘って脱獄したという話もあるくらいだから、あの剣があればどうにかなったかもしれない。


 実際、地面は土だから可能性はある。

 ちなみに食事にはスプーンもフォークもついてこなかった。


 手掴みでパンを食べるんだからお手拭きぐらいは付けて欲しい、なんて思考が横道がそれ始めたところで、俺は扉が開く音を聞いた。


 (ん?)


 次は扉が開く音。

 そして誰かの足音が近づいてくる。


(やっべ!)


 俺は慌てて地面に横になり、やることが無くて時間を持て余している振りをした。


 やってきたのはこの教会のシスターらしき食事係の子だった。

 昨日の晩と今日の朝に続いて昼食を持ってきたらしい。


 鉄格子の下の隙間から無言で食事が差し入れられた。

 ちなみに会話に応じる気がこの子に無いのは既に確認済みだ。


 イケメンならどうにかなったかもしれないが、少なくとも俺には無理だ。

 

「お、スープがついてる!」


 女の子が去った後で確認してみると、今まで通りのパンと水に加えて具無しのスープがついていた。

 ……まあ、それでも微妙だけど。


 とはいえ、まさか要望が通るとは思ってなかったから、これは嬉しい誤算だ。

 案外話せば聞いてもらえるのかもしれない。


 俺は早速スープを飲んでみた。

 ささやかな希望と共に飲むコンソメスープはどういうわけか少し苦かった。


 その理由がわかったのはそれから数十分後のことだ。


(さ、寒い……。)


 俺は強烈な悪寒に体を震わせていた。

 一枚しかない毛布にくるまり、摩擦熱を得ようと必死に手を擦ったが、気休めにもならない。


 だんだんと手足に力が入らなくなって痺れてきた。


「はぁ、はぁ……、はぁ……。」


 徐々に体中が痺れ始めて呼吸も苦しくなってきた。


(苦しい……。やっぱり、さっきのスープか?)


 その可能性が一番高い。

 

 最初に少し苦いと感じた時点でやめておくべきだった。

 せっかくの食料がもったいないと思って全部飲み干してしまった。


(死ぬのか? こんなところで?)


 悪寒と痺れ、そこに恐怖が加わって体の震えが一層大きくなった気がした。


 とにかく体中がガタガタと震えて言うことを聞かない。

 俺は既に血の気が失せた自分の両手を見た。


 死の実感が湧き上がってくる。


(嫌だ、死にたくない……。)


 俺は楽な体勢を求め、うつぶせになって体を丸めた。

 本能的に、少しでも表面積を小さくして熱を蓄えようと試みた結果だ。

 

「はぁ、はぁ……。」


 自分の呼吸音だけが時間の経過を告げ、それと共に徐々に死が俺を蝕んでいく。

 そして最後の一瞬を自覚することも許されないまま、俺の意識は闇の中へと沈んでいった。



(暖かい……。)


 意識が再浮上した後、最初に感じたのはそれだった。

 仰向けになった体に降り注ぐ光が俺の全身に心地よい熱を与えてくれている。


 意識を失う直前まで自分に起こっていたことを思い出し、俺はハッと目を開いた。


 視界に入ってきたのは青空。

 俺は体を起こして周囲を確認した。


「ここは……。」


 一方には平野、もう一方には森、そして俺の傍には剣が無造作に横たわっている。

 この世界に来た直後と同じ光景だ。


「さっきまでのは……、まさか夢か?」


 だが俺は自分の独り言を脳内で即座に否定した。


 いや、さっきまでのは夢なんかじゃない。

 あんなはっきりした夢は見たことが無い。


 いったい自分の身に何が起こったのか、それを考えようとおもむろに立ち上がった瞬間、閃いた。


「ループ……。」


 俺の頭の中に浮かんだのは自分の好きなラノ――、小説ジャンルのことだ。


 所謂ループもの。

 トリップものともいうか。


 どちらの呼び方が正解なのかはよくわからないが、俺はループと呼ぶ方がオサレな感じがして好きだ。

 どういうものかと言うと、つまりは時間を過去に遡ってやり直すというやつだ。


 自分にもそれが起こったんじゃないか思ったわけだ。


「冗談だろ……。」


 俺は自分の考えを口に出して否定した。


 冷静に考えればバカげた話だ。

 元の世界なら頭のおかしい人間だと認定されるのはまず間違いない。


 もう精神病院の白い部屋に投入されてプレアデス方面からの電波を受信しまくる生活になるだろう。


 が、しかし。

 ここはどうやら異世界だ。


 寝て起きたらいつの間にか異世界に来ているなんて現象が本当に起こるのだとすれば、ループ現象だって起こっても不思議はない。


 俺は何もない平野を見た。

 ここが本当に異世界であれ、そうでないのであれ、俺がここで当面の生活手段を確保しないといけない事実は変わらない。


 そうだ、覚悟を決めなければならない。


 その時、背後の森の奥で金色の蝶が飛び立ち、日光を受けて輝いた。

 反射的に俺は自分の背筋が凍りついたのを実感した。


 ……誰かが俺を見ている気がする。


 根拠はないがそんな気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る