第6話 先生と生徒の話 前編
金曜日の夕方。
第三セクターの鉄道の終点の一つ前の駅は『高校前』という駅であり、そんな駅名だから当然、駅前に県立高校がある。
ホームルームが終わり、大半の生徒たちはそれぞれの部活へむかい、一部の生徒は自宅へむかう。
そんな光景のなか、男性の声で放送が鳴る。
『一年三組、長尾さん。今すぐ職員室へ来なさい』
機嫌の悪さを隠す気が全くない口調だった。
廊下を歩いていた一人の女子生徒は足を止め、一瞬なにかを考えるようなそぶりを見せたが、すぐにそれまでと同じ歩調であるきはじめた。
日曜日の午前。
サナは朝食と自室の掃除を終えると、漫画を描くための道具をショルダーバックに入れて家を出た。
ここ数日の晴天で、積もっていた雪は解けて水となって路肩を流れている。
駅さしかかる。
ここの駅には、蒸気機関車が置いてある。たしか、サナが小学校にあがる頃にどこからか運ばれてきて、ずっとそのままだった。以前、サナの姉があれについて解説してくれた気がするけど、聞き流していたのでよく覚えていない。
蒸気機関車をカメラで一心不乱に撮影する人がいた。中年の男性だった。
サナは気がついた。駅にポスターが貼ってある。
『SL C12 復活運転!!』
ずいぶん長いこと置いたままだったから、壊れているのだと思い込んでいた。
「あれ、動くんだ」
姉に教えてあげようか。そう思ったが、すぐに考え直した。いや、姉ならすでに知っているはずだ、と。
サナにはそれ以上の興味が持てず、その場を後にした。
いつも通り鍵を開け『和食処 若櫻』に入った。
今日はお客さんは来ていないようで、店内にはコンとイクだけがいた。
「あ、いあらっしゃい」
コンはいつも通りの笑顔で迎えてくれた。
「おはよう」
コンはそういいながら、いつものカウンター席に座った。
「今日はヒマですね。なんにもないです」
イクがあくびをしながら、テーブルに伏せる。
「みんな幸せに生きて、穏やかに死んでいく。いいことやな」
コンはたまにそんなことをいうが、サナにはいま一つ共感できない。死んだことがないらからだ。まあ、のんびり漫画を描いていられるのは気楽でいい。
サナはカウンターの上に、漫画の原稿用紙を広げた。
「私もしばらくここにいるなら、趣味をつくろうかな?」
イクが小さな声でいった。
そのとき、店の扉が開いた。
サナ、コン、イクの三人が一斉に目をむける。
そこにいたのは、中年の男性だった。
「あー。さっきの」
サナは思わず声をあげた。
その男性は、さっき駅で蒸気機関車の写真を撮っていた男性だった。
カラン。
店の扉につけたベルが鳴った。
「サナちゃん、知り合い?」
コンはサナがいきなり大声を出したことに驚いているようだった。
「ここに来る途中、見かけたヒトだ。蒸気機関車の写真撮ってた」
「確かに僕は、さっきまで駅で写真を撮っていて……駄目だ、その先が上手く思い出せない」
男性は眉間をおさえる。
「あの、驚くかもしれませんが、ここは死んだヒトが来るお店なんです。どういった経緯かはわかりませんが、あなたはついさっき……」
「待って、コン」
コンの言葉を、サナが遮る。
「このヒト、まだ死んでない。体と魂が切れてない。たぶん、なにかの拍子に体から魂が抜けてしまった、生霊だよ」
コンとイクはじっと男性を見つめる。サナの感じているものを、二人は感じていないようだ。
「よかった。まだ生きてらっしゃるんですね」
コンが、嬉しそうにいった。
「うん。体に帰ろ。あんまり長く幽体離脱してると、だんだん体が弱っていって、そのうち本当に死んじゃうしね」
サナも、ニコニコと笑顔を浮かべる。駅の辺りで聞き込みをすれば、男性の体のありかもわかるだろう。
「君たちは、いったい……」
「私はサナ。長尾サナ。キツネなの。こっちはコンとイク。幽霊だよ」
男性は小さく「長尾……」とつぶやくと、サナに顔を近付ける。
「サナちゃん……だっけ、親戚に長尾テナという人はいないかな?」
「お姉ちゃんがテナだけど……おじさん、知ってるの?」
長尾テナ。それは、高校に通う、サナの六歳年上の姉の名前だった。
「なるほど、長尾の妹か。そっくりだ。ちょうどよかった。あいつは今、どこだ」
男性は早口でまくしたてる。
「えっと、お姉ちゃんは今、旅行に」
「いつ帰る」
「今日の夜って、いってた」
「じゃあ、それまでは帰らない」
男性はきっぱりといいきった。
「長尾に用がある。これはチャンスだ。あいつに会える機会を逃す訳にはいかない」
「でも、長いこと体から離れてると……」
「本当に幽霊になるんだろ。だからいいんじゃないか。これは、ハンストだ」
イクは「ハンストってなんですか?」と小さな声で尋ねた。
「ハンガーストライキ。自分の意見がきいてもらえないときに、ご飯を食べないで抗議すること」
コンが小さな声でこたえると、イクは数回うなずく。
「なるほど。きいてくれなきゃ死んじゃうぞってことですか。で、おじさんはサナさんのお姉さんどういう関係なんですか?」
イクは視線をコンから男性に移した。
「僕は高校で教師をしてるんだ」
「あ、なんかわかった気がする。お姉ちゃんだし」
サナは、呆れたような顔をしていた。
「あいつは、宿題はやってこないし、授業中には居眠りするし、一言いってやろうとおもって職員室に呼び出しても、絶対に来ない」
男性は拳を振り上げ、ギリギリと震わせる。
「やっと捕まえたと思ったら、目を離した一瞬の隙にいなくなってて、かわりに折り紙のキツネが置いてあるし」
「それ、神獣の術の一つです。折り紙を自分の分身にするんです」
「しかも、その折り紙を開くとなんて書いてあったと思う。『すんませーん。用事があるのでかえりまーす』だと。バカにしてるのか‼」
「なんか……ごめんなさい」
サナは頭を下げた。
男性は「あー」と叫びながら拳を振り下ろす。それは、なににもあたることはなく風を切る音だけがなった。
「次の試験の成績次第では留年させざるを得ない。なにかおかしいとは思っていたが、まさかキツネだったとはな。だが、キツネだったとしても、オレの生徒である以上はきっちり進級して、卒業してもらう。分身でも残像でもなんちゃら能力でもない、長尾テナ本人をここに連れてこい。じゃなきゃ、オレは死ぬ」
男性ははっきりと言い切った。
サナ、コン、イク。三人は顔を見合わせた。
そのあと、いろいろと話を重ねたが、男性は断固として折れず、やがて夕方になり、サナは家に帰った。
「ただいま」
「おかえり」
リビングにいたのは兄の、フウだった。ソファーに腰掛け、雑誌を読んでいた。
フウはテナと双子で、同じ高校に通っている。
「なあ、お兄ちゃん」
「ん?」
「実はね――」
サナは先程の男性との出来事を簡単に話した。当然といえば当然だけど、フウも男性のことを知っていた。
「お姉ちゃん、なんであんなに自由気ままなんだろう」
「サナには、そう見えるか?」
「うん。お兄ちゃんは違う感じ感じ方してるの?」
「不器用、かな。ああ見えて、自分が周囲にどう思われてるかってところにすごく敏感なんだよ。お前みたいに」
フウは雑誌をテーブルの上に置く。
「私、みたいに?」
フウの手が、サナの頭をなでる。サナは気持ちよさそうに目を細めた。
いつも通り、サナは一人だけメニューの違う、白米と野菜だけの夕食の後、風呂に入って、パジャマに着替えた。
普段ならここから眠るだけだし、実際眠気を感じていた。しかし、今日は眠るわけにはいかない。二階にある自室で漫画を描いて、眠気を紛らわせた。
二十三時すぎ、最終列車が駅に到着する音が聞こえた。
それから十分ほどして、玄関のドアが開く音がした。姉のテナが旅行から帰ってきたのだ。
テナはリビングでしばらく母親と言葉を交わしたあと、サナの部屋の隣にある自室に入った。
サナは姉の部屋へむかった。
広さ自体はサナの部屋と変わりがないはずなのだが、大きなスチールラックが置かれており、そこに沢山の鉄道模型が飾ってあるせいで非常に狭く感じる。
「あー、サナぁ、たっだいまー」
サナの姿を見るなり、テナは飛びついてきた。いつものことだ。
「おかえり。どこいってたの?」
実はサナはこうして姉に抱きつかれるのが嫌いではない。自然に声が優しくなる。
「ほっかいどー」
テナはサナから離れると、その場でクルクルと回る。
「また、鉄道の写真撮りにいってたの?」
どうやら『電車』と『汽車』は違うものらしく、昔は何度もテナに訂正された。今でもサナには違いがわからない。とりあえず『鉄道』という言葉を使っておけばいいということだけ覚えた。
「うん。道南いさりび鉄道。キハ40の写真撮りにいってたんだ」
テナはリュックサックの中からノートパソコンを取り出すと、電源を入れて画面に写真を出す。
雪の降り積もる海辺を、一両で走るオレンジ色の鉄道が写されていた。
「首都圏色を雪の中で撮りたくってさ、いくなら今しかないかなって、思って」
「お姉ちゃん、この写真を撮りにいってたの?」
「うん。かっこいいよね。キハ40」
サナは首をかしげる。
ここに写っているオレンジ色の車両は、この前、地元の駅に停まっているのを見た気がする。
なんでテナがわざわざ北海道までいったのか理解できない。
「これ、この前駅で見た気がするけど、違うの?」
「この辺で走ってるのはキハ47。撮りにいったのは両運転台のキハ40。それに、いさりび鉄道のは、西日本更新車と違って北海道仕様で、窓とかが違うの。水タンクが撤去されてたりはするけど、原型の外見に近いのは道南いさりび鉄道の方かな」
嬉しそうにテナは語るが、サナにはなにをいっているのか、さっぱりわからない。
サナの表情に気付いたのか、テナは話を止めた。
「って、ごめんね。サナちゃんには興味ない話だよね」
寂しい。テナの表情はそういっていた。
「……ごめん」
「謝らないで。趣味の話しできる知り合いがいなくてさ、今回だけじゃなくて、いつも旅行は一人旅だし、話し聞いてくれるかなって思ったらついつい話しすぎちゃって」
「学校に、いないの? 鉄道の話が出来るヒト」
「探したらいるかもしれないけど、秘密にしてるから。ほら、女の子で鉄道好きなコって珍しいでしょ。だから、いい出しにくくって」
テナはサナの頭をなでる。
「ありがと、私のことを考えてくれて」
サナは思い出した。今日、店に来たあの男性は駅で写真を撮っていた。もしかしたら。
「お姉ちゃん、明日の放課後、お店に来て。会ってほしいヒトがいるの。鉄道が大好きなヒト」
一方その頃『和食処 若櫻』では。
カウンター席に座るイクは大きなあくびをした。
「眠いので寝ます。おやすみなさい」
イクは立ち上がって、二階にある自室へ引き上げていった。
「うん。おやすみ」
厨房にたつコンは、鍋をかき混ぜながらいった。
「幽霊も、眠るのか」
カウンター席に座っている男性は、驚いたようにコンを見た。
「生きていたときの習慣がのこっているんです。寝ても寝なくても、どっちでも問題ないですよ。私もたまに徹夜してしまいます」
コンははにかむ。
男性はなにかをいうかいわないか迷っているように口を動かしてから、ゆっくりといった。
「ごめんね」
「なんで謝らはるんですか? ここはいろんなヒトが来るためにあるお店ですよ」
「そうじゃないんだ。キミの前で命を粗末にするようなことをしてしまって、申し訳なく思っている」
コンは鍋の中から蕎麦を引き上げると、どんぶりによそい、ネギとつゆを入れた。掛け蕎麦だ。
「私の前じゃなくても、命を大切にしてくださいね。はい、ハンスト先生、夜食です」
コンはそういいながら、掛け蕎麦を男性の前においた。
「ハンスト先生って……」
男性は微かに笑う。
確かに、男性の言動には若干の不快感があったが、男性の方がそれに気付いていたのが予想外だった。
「八重垣コンさんだよね」
「あれ? 私苗字までいってましたっけ?」
男性は首を横に振る。
「新聞で見たんだよ。キミの事件」
ああ、そうなんだ。まあ、あれだけの事件なら、新聞報道されて当然だ。
「やっぱり、仕事上無視できない事件だったし、君の顔写真も新聞に載っていた」
コンは頬にある火傷の跡を指先でなぞる。
「目立つ顔をしてますからね」
「その火傷も、お母さんに?」
コンは首を横に振る。
「ママは原因ですが、あれは、ただの事故でした。でも、周りの人たちは信じてくれなくて、結局、これがママとのお別れの原因になりました」
「そうか。新聞やテレビの報道では、君がどれほどかわいそうな人生を送ったかを報道していたし、それを見た多くの人は、感化され、同情していた」
コンは無言でうなずく。死んでから、新聞もテレビもほとんど見ていないから、そんなことになっているとは知らなかった。
「母親から虐待を受け、児童相談所に保護され、里親に殺される。コン、君の人生は幸せだったのか?」
コンは一度男性から目をそらして、考える。
今まで、自分が幸せかどうか考えたことなんてなかったけれど、考える。
そして、ゆっくりと男性に目をむけた。
「確かに、私が手に入れることが出来なかった幸せは沢山あると思います。ママが、夕食に食べたいものがないか尋ねてくれる幸せ。パパが、雨の日に学校まで車で送ってくれる幸せ。私が、泣いたり怒ったりしたときには、なぐさめて、時には叱ってくれる人がいつもそばにいる幸せ、それから……生きている幸せ」
コンは穏やかな表情で「でも」と言葉をつなぐ。
「私がなんの幸せも感じていなかったということではないんです。この手の中には、沢山の幸せがあった。ううん。今でも、沢山あります。例えば、サナちゃんやイクちゃんに出会えたこと」
男性は目の前に掛け蕎麦を、一口すする。
「……おいしい」
思わず口から出たようなその言葉を聞くと、コンは微笑んだ。
「私のつくった料理で、誰かが喜んでくれることも、私の手の中にある幸せです」
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