第2話

はっきり言って、

私は自身の育成、セルフプロデュースに失敗している。




・・・・。





世の中には誰かの能力や素質を引き出し、育成する仕事がある。


野球のコーチなどがそれに当たる。教師も該当すると思っている。


また、誰か能力を最大限に活かせるように、本人や舞台をプロデュースする仕事もある。


「プロデュースする」と書いたように、プロデューサーのことをイメージしている。


このように、能力を伸ばす人物と、能力を活かす人物が存在する訳だ。


個人的には、これらの人物による育成・プロデュースはあくまでも補助的なものに過ぎないと考えている。


どういうことか。つまり、自分を育成・プロデュースしているのは他でもない自分自身であると私は考えているのだ。


例えば学校の授業では教師が様々なことを教えてくれる。それを聞いて勉強することで学力が伸びる訳だが、


この時、教師が何を教えてくれても自分が勉強する気にならなければ聞く意味が無い。自分が勉強しなければ学力は伸びないのである。


一方、自分が勉強する気になれば授業を受けずとも、独学で勉強しても多少は学力が伸びる筈だ。


例えばその人のイメージに合った曲やドラマの役を用意しても、本人が気に入らずやる気になければ台無しになることだろう。

元々そういうキャラクターで売っているとかでなければ。


本人が気に入らない役よりは、気に入ってやる気になった役を演じた方が魅力ある作品に仕上がるのではないだろうか。


「結局は自分次第」ということになる。


何をするにも最後は自分の意思で決めることになる訳だ。それだけの話である。


さて、そんな大した話でもないのに何故私は「自分を育成するのは自分自身だ」などと言い出したのか。


それは、私の人生を振り返ってみると実際に自分で自分を育成し、プロデュースしていたなと思う場面がいくつもあったからだ。


小学校時代。私は学校で好成績を残し先生によく褒められた。


しかし、それによって私は「更に上を目指そう」ではなく

「もう学校に行って勉強する必要はないだろう」と判断したのだった。中学校は引きこもりのまま3年間が終わった。


早くも育成もプロデュースも放棄している。冒頭で言った「自身の育成、セルフプロデュースの失敗」である。


しかし、やらなかったから失敗したと言っている訳ではない。他にも数々の失敗を犯したから言っているのだ。話を進めよう。


中学と高校の間の1年間は自分の将来をプロデュースするのに費やした。


「将来自分に合った人生を送る為、まずは高校で勉強しよう」と考えたのだ。


そして高校に入学してからは自身の育成を行った。


学力だけでなく、コミュニケーション能力や表現力なども磨いた。いずれも普通に中学校に通っていればそれなりに身に付けていたであろう能力ばかりである。


この3年間の中で私は次の進路をプロデュースした。


高校に入学する時には「卒業したら就職しよう」と考えていたが、


在学中に「高校卒業して就職するより、更に専門的な知識を学んでから就職した方が良い」と判断したのだ。


私は専門学校に進学し、簿記系、情報系の知識を学んだ。


そして専門学校を卒業後に就職した。就職もセルフプロデュースの1つである。


つまり自分の能力を発揮出来る環境、企業を選ぶ訳だ。就職活動は比較的「セルフプロデュース」のイメージがしやすいのではないだろうか。


で、現在に至る。さてこの間、私は何を失敗したのだろうか。


その一部を挙げると以下の通り。


・自分から人に話しかけなかった

・文学や小説をほとんど読まなかった

・情報系メインの学科を選択しなかった


解説をすると、1つ目は数年間の引きこもり生活が影響してか引っ込み思案な性格になり、他人から話しかけることは何度かあったが私から話しかけることは皆無であった。


話しかけられた時も、ほとんどしどろもどろな返事になっていた。いわゆる「コミュ障」になったのである。


2つ目。聞いたことのない言葉を使うことは出来ない。見たことのない物を描くことは出来る人も居るかもしれないが、恐らく私には不可能だろう。


数年間馬しか見ていなかった私に生じた2つ目の問題が「表現力・語彙力の欠如」である。


それがどの程度のものかはこの文章を最初から読めばおわかりいただけるだろう。


3つ目は専門学校で情報系の知識を学んだと書いていたが、メインは簿記系の学科であり、情報系は息抜き程度の勉強量に過ぎなかった。


最も息抜き程度だったからこそ楽しめたのかもしれないが、その勉強量でそれなりのスキルを獲得でき、それが現在の仕事にもそれなりに活かされていることから、更に上のスキルを獲得していればより今に活かせていたのではと考えてしまう。


最初から情報系をメインにしていれば。

もっと本を読んでいれば。

高校からもっと積極的に人と話していれば。

そもそも中学校にちゃんと通っていれば。


人生を振り返るとついついこのようなことを思ってしまう。

私は自身を育成するのが下手くそだ。

私は自身をプロデュースするのが下手くそだ。

そう思ってしまう。


しかし一方で、これらは全て結果論に過ぎないと考えている自分も居る。


最初から、つまり幼少時などから「こういう人物になりたい」と具体的なイメージを持っていれば、その為にはどんなことを学ぶべきか、どんな環境が必要かを考え、それらを実行することが出来ただろう。


だが、幼少時の私はそんなことを考えたことは1度もなかった。今となってはそのような生き方は私には向いていないと思う。


その時の自分に合った道はどの道か、その道を進むのに必要な能力は何か。と都度考える生き方の方が向いている気がする。


それを繰り返した結果が今の私だ。


先生に褒められていた小学生の私も、引きこもっていた中学生の私も、学力を磨こうと必死になっていた高校生の私も、今の私を具体的な将来像として考えてはいなかっただろう。


自分に合っていると思う方法で生きてきたのだから、そういう意味では全く失敗ではないのかもしれない。


それに私が失敗したと感じていることは今からでも出来ることばかりだ。


今からでも人に話しかけることは出来る。

本を読むことだって出来る。

勉強だって出来る。


幸い、私はまだ社会人になってから数年しか経過していない。私はまだまだ若い。


世の中には70,80という年になってから新しいことを始めたという人が沢山居る。


ならば、私が今から勉強を始めても、本を読んでも全く遅くないだろう。


私は引き続き自身を育成する。セルフプロデュースをする。


次に振り返った時に、「成功している」と言えるように。



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