第12話(最終回) おにぎり屋ケンちゃんリターン

すべてを悟った俺は、夜の山手線高架沿いをゆっくり歩いていた。


何故ゆっくり歩いているのかって? 会社には辞表を出したからだ。


もうループはない。させはしない。だから俺は今後も晴れて無職だ。


だが俺は、過去の栄光を取り戻すと決意し、筋肉屋を目指していた。


そう、俺は、筋肉屋の初代店主だ。すぐにタカトに引き継いでしまったから、ほんの少しの時間でしかなかったが、確かにこの店は俺が開いたものだ。


それだけではない。俺の青春のほとんどを、俺は忘却していた。くっ、仕事とは、社会とは、こうも残酷なものだったのか。今ならわかる。俺は、働かされていた。自分の事を見失って日常にそれとなく生かされていたのだ、と。


そうして、遂に筋肉屋へとたどり着いた。

看板には、『筋肉おにぎりケンちゃん』の文字。

そして先客がいた。メガネをかけた細身の男だ。何度か、この筋肉屋でのループで会った記憶がある。


丁度良い。俺の復帰戦に付き合ってもらおう。


「来たぞタカト!」

「……あにき。ようこそいらっしゃいました」

「ああ。今日は俺にも作らせてくれ。久方ぶりの筋肉ショーだ。ふたりで――ぐべえっ!?」


悠々と話していた俺は、突如訪れた腹直筋への痛烈な打撃で素っ頓狂な声を上げた。肺から酸素がすべて吐き出され、一体何が起きたか判断できなくなるが、突き飛ばされたわけではなく直立したままで身体が宙に浮いていた。


「あっ、あっ、あっ、あにきのあにきが、ついに、全部思い出したって。うぅ、うああああああああっ」


俺の腰回りで、タカトの弟子が泣きじゃくっていた。どうやら体当たりをかましてくれたらしい。そのままがっしりと腕で俺の身体を支えていたので俺は地に足が付いていない状態となったのだろう。

確か、名前は……


「なあタカヒロ。とりあえず、下ろしてくれないか?」

「うおおおおんっ、俺の事も思い出したんすね!? その節は、その節は、ありがとうございましたっすうおおおおおおおおおおおおんっ!」


おいおい、嬉しいのはわかったが、そんなわめかれても困る。

後、もっと手加減して当たってきて欲しかった。今の俺は大分ひょろい。筋肉という鎧がほとんど無いに等しいのだ。骨が簡単に砕けるぞ。


「ほら、タカヒロ、あにきを下ろしてやれ」

「うっ、うぅっ、了解っす」


ようやく俺はタカヒロから解放された。腹直筋を軽くさすったり身体をねじるが、特に問題は無かった。


「随分と賑やかじゃないか、筋肉屋」


俺が振り返ると、声の主であるメガネの男が不敵な笑みを浮かべていた。

そうだ、先客がいたのを失念していた。


「この筋肉の聖地で、一体どんなパフォーマンスが見られるのか……本当に、楽しみだ」


このメガネの男は、期待している。筋肉に。俺たちのボディビル精神に。

ああ、全霊を以って応えてやろう。


「そうだな、今から行われるのは聖戦だ。タカト、タカヒロ、握るぞ、俺たちの、筋肉おにぎりを!」

「「おっす!」」


タカトがカウンターに大きい桶を置く。温かな湯気がもくもくと上がっていた。

俺たちは互いに目を合わせ頷き合い、


「「「筋肉おにぎりケンちゃんのボディビルショーを、是非とも堪能してください!」」」


同時に桶の中の新潟県産のお米に触れた。

白い光が拡散し、すべてが覆いつくされていく。

そうして、俺たち4人は宇宙のような空間――マッスルワールドへと、たどり着いた。

筋肉に通じ、筋肉に寄り添い、愛し愛されたものが到達できるかの地で、俺、タカト、タカヒロは、褌一丁に変化していた。


「やりますぜ、あにき!」


タカトがはしゃぐように俺に声をかけるが、


「ちょっちょっちょまっちょ」


一旦制止させ、目をつぶった。


正直俺の恥ずべきぜい肉だらけの肉体は、現役は当然として、タカトやタカヒロにも程遠くなってしまった。


だが、覚えているはずだ。身体が、魂が。


思い出せ、マッスルメモリー!


「はああああああああああああああああっ」


俺が全身に力を籠めると、全身の筋肉が息を吹き返すかのように肥大化した。

現役からは遥かに遠いものの、見栄を張った細まっちょにはなったろうか。マッスルワールドだから、俺だからこそ出来る、現実にはあり得ない筋肉の超覚醒を行ったのだった。


「さあいくぞ。ふたりとも、合わせろよ」

「「おす!」」


そして、筋肉握りが始まった。

三者三様の技で、手にしたお米を凝縮していく。

タカトはいつか披露した時のように、突き出した片腕でこれでもかと力いっぱい握りつぶしては、新たなお米をコーティングしていく。


「おおっ、突き出した腕の上腕二頭筋が張り裂けようにミチミチだ。素早く動くもう片腕も。正確無比な荒業。筋肉が暴れている!」


一点を見つめて笑みを浮かべるタカト。みるみるうちに丸薬のようなおにぎりが出来上がっていく。


一方でタカヒロは、


「ほいっ、ほいっ、ほいっ」

「あれは俵型のおにぎりを作っているのか! お米を何度も転がす指先に程よい力が込められている! 支えて側面から圧力を加える左腕がブレず、その上を右腕が踊っている。腕が、筋肉が、舞っている!」

「これが、俺の実力っすよ!」


角の無い丸みを帯びた俵型のおにぎりを完成させていく。


ならば、俺は――


「オーソドックスな握りか!? 綺麗な三角形を描く指が見事。前腕筋群が些細な力具合でお米に圧力をかけている! 両腕のバランスが絶妙だ、美しい」


ありったけのお米を両手で包み込んで、三角のおにぎりを作り上げていった。


「さあ、タカト、タカヒロ、フィニッシュだ」

「「おす」」


俺たちはそれぞれ、握っていた構えからやや身体をひねり、右腕を外腹斜筋の前へ。

左腕は右手の下に重なるように添え、前に出た右足のかかとをくっと上げ、全身に力を込めて、


「「「どおおおおおおおおおおおん!!!」」」


これ以上無い出来の――


「サイドチェストだっ! なんだこの筋肉のインベーダーゲームは!? 雄々しい腕の太さが圧巻! 掴もうにも握り込みきれないはちきれんばかりの筋肉! 手羽先の究極完全体だな! 

その横の大胸筋よ。大きい、いや、広すぎる。絶大な量のタンパク質が詰まっている!

上を見れば僧帽筋と三角筋が! 下を見れば前腕筋群と腹筋が! 艶やかにテカり輝いているっ! ナイスセパレーション! プロポーションおばけだ。

だがまだある! 強靭な大腿四頭筋のストリエーションは完璧だ。大腿二頭筋と融合したそのふくらみはあまりにパワフル。ヤバすぎだろハムストリング。全私が告げている。カニカマの、千倍! 

ささやかながらも大殿筋も小盛に窺える。ああ、キレろ、キレろ、キレろ、キレろ! キレろ! ハムケツ!

そして最後に、ふくらはぎ、子持ちししゃも! なんだあの塊、筋。こんな末端まで完璧じゃないか。仕上がっているっ! 

もうありえん。からあげ! からあげ! からあげ! 筋肉、国宝……」


筆舌の限りを尽くすかのようなメガネのにいちゃんの興奮を、俺たちは全力の笑顔を浮かべて受け取った。


そうだ、この筋肉パレードこそ我らの理想郷。

そして、俺――ケンジの、完全復活だ!


「「「「ナイス、バルク!!!!」」」」


全員で声を合わせた最上の賛辞がマッスルワールドに轟いたのだった。



世界が弾け、俺たちは元居た筋肉屋台へと戻ってきた。

各々の手やテーブルには、様々な形をしたおにぎりがあった。


「さあ、みんなで食べよう。いただきます」

「「「いただきます」」」


俺たちはおにぎりを口にした。

口内を踊り、噛みしめる度に味わいを増す歯ごたえあるお米。

そこから湧き出て身体中に巡るマッスルエネルギー。

極上だ。

そして、


「美味い! 流石だ筋肉屋!」


メガネのにいちゃんも感嘆の息を漏らした。


「笑ってますよ、あにき」

「ああ……嬉しいもんだ」


俺は、筋肉屋を創設した時を思い出していた。

俺の筋肉で作り出した料理に美味しいと言ってもらえた時。

それは、俺が会社に就職する前のわずかな間だけだったけど。

とても、温かな時間のひとつだった。


「今回は、興奮を禁じえなかった。ありがとう。次は、更に超常的な筋肉を、待っている」

「ありがとうございましたー」


タカトの挨拶を背にし、メガネのにいちゃんは去っていった。


「あにき、それで……」

「ああ、検討はついてる。カンジは、あっちについちまったか」

「はい……」

「あいつのことはタカトに任せる。俺はこれから鍛え直さないといけないからな」


失ったものは大きい。だが、取り返せないことはない。


「カンジを取り返して、あいつらに勝つぞ!」


俺は改めて覚悟を決めた。


「「おす!」」


ふたりも、威勢の良い返事だ。


「あにき、これからもよろしくお願いします」

「任せろタカト」


弟子とこぶしをコツンと合わせる。


「それからタカヒロも、ビシバシしごいてやるからな」

「へへっ……うっすがんばるっす!」


孫弟子と笑顔を交わし合った。


「俺が、筋肉革命を巻き起こしてやるよ」


再び、俺が、俺たちが、世界を変える。

夜のとばりの降りていく中、筋肉屋で、俺たちの滾る熱いココロと身体が、希望のともし火としてのろしを上げたのだった。


fin

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筋肉屋ケンちゃん しんげきのケンちゃん @shingekikentyan

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