今度は適応障害

今度は適応障害と診断された。


看護師として働き始めて4年目、25歳の時。私はステップアップのため、それまで働いていた私立病院から県立病院へと職場を移った。

最初の私立病院では、3年間働き、一通りの業務はこなせていたし、まわりから仕事を任されて信頼もされていた。新人指導にもあたった。職場を移ってもやっていける自信があった。

今度の県立病院では、今まで働いていた脳外科整形外科病棟から、消化器内科病棟で働くことになった。科が移ると、病気について、一から勉強し直す。毎日仕事が終わると、次の日に受け持つ患者さんの病気や検査についての勉強をした。緊張しながらも、初めは新鮮で楽しかった。


だが、新卒の同期は一から丁寧に先輩がつきっきりで教えてくれるのに対し、中途の私は「わからなかったら聞いて」と先輩に言われるのだった。教えてもらってもいないことを、「なんでやってないの?」といきなり責められることもあった。

一番辛かったのは、同じシフトで働く先輩たちが、時間になると、入って間もない私を1人残して「お疲れさま」と言って先に帰ってしまうことだった。前の新卒で入った職場では、「あと何が終わってないの?」と同じシフトの仲間同士が、声をかけあって仕事を終わらせて、一緒に帰るのが当たり前だった。とても孤独で職場の誰とも馴染めなかった。


「職場に馴染めないな」という感覚は、入職して5ヶ月経ってからも続いていた。次第に、出勤前の吐き気、夜眠れない、憂うつ感といった症状が現れた。職場の上司に相談して、職場の医師から眠剤を処方され、いくらか眠れるようになったが、激しい憂うつ感は変わらない。生きているのが辛いとまで思うようになった。

母に相談すると、「20代なんて何をやっても楽しい時。生きているのが辛いなんて、病院を受診したほうがいい。」と言われた。前回、うつ状態が回復してから心療内科には通っていなかったが、再度受診したところ、適応障害と診断され休職することになった。


適応障害という診断のとおり、職場というはっきりとしたストレスから解放されると、すぐにわたしの症状は回復した。休職中に、職場の上司と何度か電話で面談したが、私には復帰してやっていける自信がなかった。迷ったあげく、4ヶ月の休職の末に退職することとなった。


何がいけなかったのだろう。私は最初の職場で、たった3年間看護師の仕事をしただけで、変な自信をつけてしまった。若かった。そのため、今の職場で毎日怒られながら仕事している自分に自信をなくしてしまった。職場が変わればすべてが変わる。理不尽なことにも耐えなければいけない。先輩方に教えて頂くという姿勢も足りなかった。

また、私は仕事のすべてを把握して、人に頼らずこなしていかないといけないと思っていた。入ったばかりの物品の場所もわからない新人が、そんなことをできるわけがない。自分が求められているより、はるかに上のことを自分に求めていた。

「何事も、人に頼らず完璧にこなさなくてはいけない」

この完璧主義の考えは、自分を追い詰める、私の悪い癖だ。

このような私の仕事ぶりが、先輩方からしたら可愛くなかったのかもしれない。石の上にも三年、そして人に相談したり頼ることが大切だと思った。



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双極性障害のママと知的障害のたっくんの日常 新井ひより @ta-ku-mi

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