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 拝啓 柏井サキ先生へ。

 まず、手紙という一方的で対話から逃げている卑怯な連絡手段を使うことを許してください。

 今から書くようなことを柏井先生に直接言ったら、また昨日みたいに止められると思うから、こんな形になってしまいました。私が卑怯な人間なことくらい、柏井先生も知ってますよね?

 さて、前置きはこのくらいにしておきます。

 てか、敬語じゃなくてもいいよね。

 私が今、深夜三時にこうして手紙を書いているのは、もちろん私が柏木先生に伝えたいことがあるからで、そして私はもう二度と柏井先生の前に現れることはないから。

 驚愕の事実だよ。ちゃんと驚いた?

 私と柏井先生が顔を合わせて会うことはもう金輪際二度とない。つまり私は消えるってこと。

 私はこの世から消えるんだよ。

 この世から消える前に、一番私の本物を知っている柏井先生に思い出の品を残してあげようと思って、手紙を書くことにした。メールとかでも良かったけど、画面の中じゃ味気ないでしょ?

 消える方法について具体的に説明するとそれだけで紙がなくなっちゃうから割愛するね。それに、こういうときは希望がない方がかえって気が楽だと思うから。

 それで、私が消える理由ついて。

 これは同時に、私が柏井先生に伝えたいことでもあるんだけど。

 私の人間不信はついに最後まで治ることはなかった。正直者を自称している柏井先生でさえ私には信じられなかったよ。

 柏井先生は私のことを信じてくれてるかな? いや、ごめん。信じるわけないよね。

 柏井先生なら、あんな小説を書く人なら私は信頼することができるかと思ったけど、それも無理だった。嘘が含まれない関係もそこにはなかった。私が嘘をつかずにはいられないから。

 柏井先生は最後の希望だったんだ。

 私が嘘も裏切りも欺瞞も詭弁もない真っ白な関係を築けそうな人は、柏井先生だけだった。

 でもだめだった。

 柏井先生は何も悪くない。私が人を信じないのが悪い。

 結局、私が悪いんだよ。私がもうこういう人間になっちゃったから、私が望むものを手に入れることは一生できないんだよ。

 こういう人間になってしまった私には、もうこの世に希望はない。

 この世に私の安息の地はない。居場所はどこにもない。

 だから私はこの世界に見切りをつけることにした。賢明な判断だね。

 まあ、そういうこと。

 私は文章が下手くそだからうまく伝わったかわからないけど、これが私が伝えたいことの全部。

 こんなことに柏井先生を巻き込むことになったのは、本当に申し訳ない。

 そのお詫びといったら何だけど、私のことは小説のネタに使ってもいいよ。

                           敬具 吉川よしかわ真美まなみ

 

 

「は……?」

 朝起きると、ホテルのベッドの脇にルーズリーフが三枚あった。丁寧な文字の羅列は二枚目の途中で終わっていて、三枚目は白紙だった。

 委員長が書いたであろう、手紙だった。

 そして、その手紙に書かれている通り、委員長がホテルから消えていた。制服もコートも鞄も、委員長のものは全て消えていた。

 消えた。

 この世から消える方法くらい具体的に説明されなくてもわかる。そんな方法はたった一つしかない。

 私は部屋の窓を開けて、身を乗り出して下を覗いた。

 何もない。

 そもそも、窓が閉まっていた時点でその可能性はゼロだ。冷静さを欠いている。いや、落ち着いていられるわけがない。

「消えるなんて、そんなの……」

 嫌だ。

 私は制服に着替えてコートを羽織って、階段を駆け下りて、ホテルを出た。

 消えるってなんだよ。勝手すぎるよ。

 私は駅周辺を走り回った。目につくコンビニや書店や百貨店は全部見て回った。およそ一般の人が立ち入れる場所は全て確認した。土曜日の早朝で、人はまばらだったから奇行に走っている私はいやに目立った。でもそんなこと気にしている場合じゃない。

 ……駄目だ、いない。

 汗が頬を伝って、そこで初めて自分の体温と拍動の高まりに気が付く。

 ……あ、れ。

 視界の端が白んできた。

 日頃の運動不足が祟ったのだ。

 足元がふらついて、やっとのことで近くにあったベンチに辿り着く。そのまま、錨が落ちるように私の身体はベンチに横たわった。

 瞼の裏に委員長の姿が浮かんで、そこで気が緩んでしまったのか、私は意識を失った。



 あれから、本当に委員長が私の前に現れることはなかった。

 月曜日になればひょっこり学校に登校してくるかと思ったけれど、そんなことはなかった。委員長は教室に現れなかった。次の日も、その次の日も、そのまた次の日も。委員長の席はずっと空席のままだった。

 教室内で委員長のことを本気で心配しているのは私くらいのものだった。他は皆、心配している振り。人の不幸をダシにして自分の株を上げようとしているクズばかりだった。

 あの出来事から、私の日常に変化があったわけではない。でも、心情における変化は、思春期を一日で終わらせたかの如き変貌ぶりだった。

 ――つまるところ、私は委員長を救うことができなかったのだ。

 私が委員長を救えなかったから、委員長は消えるという選択を取ってしまった。

 あれから数日間、私はその罪の意識に胃を掴まれ、ぐにぐにと握られ続けた。痛くて痛くて仕方がなかった。

 でも、それも今日、ここで終わる。

 私は罪との決別の方法を思いついた。

 この、長いこと私を締め付けている罪を封印する方法を、思いついた。

 ひどくずるい方法だとは思う。それに、これでは私が委員長に嘘をついたことになってしまう。でも、私にはこの方法しか思いつかなかった。

 その方法とは、彼女を、委員長を、吉川真美を、小説の中の世界に生かす。つまりは、小説のネタにしてしまう。

 人間不信の少女が、一人の正直者の少女と出会い、関わり、触れ合うことで人を信じることを覚え、嘘のない真実のみの関係を手にして、幸せになる物語を書く。

 委員長を、小説の中で幸せにする。面白いか面白くないかはどうでもいい。ただ、委員長が幸せになれる世界を目指す。

 本来現実にあらねばならなかった物語を、私が紡ぐ。

 だから、どうか、どうか許してほしい。

 委員長の深淵の如く深い闇から目を背けてしまったこと。本物の関係を築くことができなかったこと。委員長を止めることができなかったこと。

 全部小説の中でやり直すから。今度は委員長が幸せになれる道を探し当ててみせるから。

 委員長を世界一幸福で美しい少女にしてみせるから。

 だから、許してほしい。

 絶望的に気難しくて、劣悪なまでに偏屈な柏井サキが書くこの罪深き小説を、どうか、許してほしい。

 



 

  

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罪深き小説 ニシマ アキト @hinadori11

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