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「ねぇ。夜ご飯も食べたし、もう九時だし、今日は金曜日だし、このままどっかに泊まっていかない?」

 駅前のファミレスを出て、腹ごなしになんとなくあてもなく歩いていたところ、一歩先を歩いていた委員長が急に足を止めて振り返って、突拍子もないことを言いだした。

「……いや、なんで?」

「なんとなーくまだ家に帰りたくないからさー」

 片足だけでくるくると踊るように回りながら委員長が言った。そういうことを歩道のど真ん中でやっている人と私が仲間だと思われると恥ずかしいからやめてほしい。

「その、親、とかは?」

「そんなの大丈夫だよ。一日くらい帰ってこなくても」

 委員長の家庭は放任主義らしい。いや、それにしたって異常だと思うけれど。

「でも私は、親が許してくれるかわかんないし……」

 言いながら、私はスマホを操作してメッセージアプリを開く。

「許してくれるでしょ。多分柏木さんの親は我が子に友達がいなくて悩んでるだろうから、友達の家に泊まるって言ったらよろこんで許してくれるんじゃないかな」

 私は委員長の耳が痛い話を聞き流しながら、親にメッセージを送った。すると、なかなか帰ってこない私を心配していたのか、すぐに返信があった。

「……あ、別にいいよって」

「やったー! じゃあホテル行こっか」

 と言って、夕方学校でやったのと同じように委員長は私の手を握って、半ば強引に私を引っ張って早歩きをする。

 そのまま、夜の街を歩く大学生やスーツ姿の会社員の奇異な視線を浴びながら、委員長と私は駅の中に入って行った。

 と、改札や券売機の前まで来たころ、不意に急に何の前触れもなく委員長が急停止した。「うおっと」と私は足を踏み外しそうになった。

 委員長は私の手を離して私に身体を向けて「ちょっと待ってて」と言うが早いかどこかへ走り去っていってしまった。

「えぇ……」

 私は呆然として、その場に立ち尽くした。全くわけがわからない。なぜ私は一人取り残されてしまったのだろうか。

 九時に制服姿の女子高生が駅で一人で待ち合わせをしているのが珍しいのか、道行く人たちは皆私を不躾に二度見していく。かなり恥ずかしい。一体委員長はどこに消えたのだろう。

 早く戻ってきてくれ。

 と、念じながら、私は俯いていた。

 そうして、私は何時間も何時間も待っていた、ような気がする。実際にどれほど時間が経っていたのかはわからない。もう委員長なんかほっといて一人で帰ろうかと思い始めていたころ、ぽん、と頭の上に手のひらがのっかる感触があった。

「ごめんごめん、急に一人にしたりして」

 顔を上げると、笑顔の委員長が私を見下ろしていた。

「ん、涙目になってるじゃん。そんなにあたしのことが恋しかったの?」

「は? なってないし。どうせそれも嘘なんでしょ」

「なはは、信用ないな~」

 言いながら、委員長がなにやら鞄を漁り始めたので、その隙に私はさっと目元を拭った。指先に雫が付いた。

 ――なぜ私は、柄にもなく泣いていたのだろう。

「これを買ってきたんだよ」

 委員長が私に茶色いコートを手渡した。冬物のコートだ。九月の残暑のなかこんなコートを着る人間は、よほど酷い風邪を患っている人くらいだと思うのだけれど。

「なんでコート?」

「制服でホテルに入ったら即刻追い返されるからね。コートでカモフラージュするんだよ」

「はあ……」

 そういえばそうだ。高校生だけでホテルに泊まるのは社会的にはやってはいけないことなのだ。委員長があまりに当然のことのように言うから、てっきりそのことを失念してしまっていた。

「じゃ、行こっか」

 そう言って、委員長は再び私の手を握った。だけれど、先程のように大股で早歩きすることはなかった。



 エントランスには、ピンク色の妖しげな光を放つ照明と、不気味に煌々と光る液晶画面のみで、圧倒的に光量が足りていなく薄暗い。加えてコートに身を包んでいるせいで熱気が内側に溜まり、気分は最悪だった。

「おっけー。チェックインできたよ」

 委員長が人差し指と中指で挟んだカードキーを私に見せて、言った。

「ねぇ、もうコート脱いでいい?」

「だめだよ、まだ見られてるんだから」

 委員長はそう言うが、このホテルの受付には誰もいない。無人で受付を済ませるホテルなんて私は初めて見た。

「見られてるって、誰もいないじゃん」

「違うよ。意外と管理人室とかから見てたりするんだから」

 監視カメラがあるのかと天井を見回すが、薄暗くてよくわからなかった。

「ほら、行くよ」

 言われるがまま、私は委員長に続いてエレベーターに乗った。しばらくエレベーターに揺られる。密室になると余計にあつい。早くコートを脱ぎたい。

 それからエレベーターの扉が開き、降りるとそこは、妖しげなピンクの照明ばかりの薄暗い廊下だった。廊下の奥まで見通すことができないほど暗く、かろうじて足元だけはしっかりと確認できるくらいだった。

 委員長はカード―キーの部屋番号といくつもある扉に刻まれている番号と照らし合わせるように首を上下に動かして、歩く。私もそれについていく。ああ、あつい。

「あった。ここだ」

 委員長が扉にカードキーを差し込むと、挿入口のランプは緑に光った。そして委員長はドアノブを押して中に入って行った。私も後に続く。

 部屋の中は廊下と違って白くて明くて、まるで廊下とは違う建物に入ったようだった。雰囲気がまるで違う。

 私は荷物をベッドの上に放り投げて、それからコートを脱いでそれも放り投げた。まるで重い鎧を脱ぎ捨てたような解放感があった。

 委員長も私と同じように荷物とコートを放り投げ、そして自分の身体もベッドに放り投げた。

「ふー。やっと一休みだね」

 と、そこで私は部屋にベッドが一つしかないことに気付いた。今夜は委員長と同じベッドで眠らなければならないのか、少し憂鬱。

「なんでベッドが一つしかないの?」

「んー? ここはそういうホテルだからだよ」

「そういうホテル?」

「あー、いや、なんでもない。単にこの部屋しか空いてなかっただけだよ」

 まあ、そういうことなら仕方ないか。同性同士の同級生なのだし、私もなんとなく嫌だというだけで何か事情があるわけではないし。

「それよりさ、どーする? お風呂一緒に入る?」

 委員長は顎を両手の上にのせて足をぱたぱたと上下に揺らしながら言った。

「やだよ、気持ち悪い」

「なはは、つれないな~。じゃ、先入っていいよ」

 委員長に譲られたのでシャワー室に入ろうとしたところで、はたと気づいた。

「あ、下着どうしよう」

 上の制服はまだしも、下着を変えずに寝るのは少し抵抗がある。かといってもう一度コートを着て下まで降りてコンビニに買いに行くのも、それはそれで抵抗がある。

「別にいいじゃん、一日くらい使いまわしても」

 ベッドに寝っ転がってスマホを弄っていた委員長が言った。

 まあ、今日に限っては仕方ないか。下着を変えなければ死ぬというわけでもないし。

 私はシャワー室に入って、服を脱いでそれをかごにつめてシャワーを捻って、頭上から水を降らせた。

 水を浴びていると、なんとなく落ち着く。心と身体の無駄な不純物が洗い流されていく感覚。そしてそこから、理知的な自分が浮かび上がってくる。その冷静な自分が、私に問いかけてくる。

 なぜ、私は今日初めて話した同級生と同じホテルの同じ部屋に泊まっているのか。

 なぜ、私は最も醜悪な生物と共に同じ部屋で一夜を明かそうとしているのか。

 この宿泊に関しては、私は何も交換条件を持ち出されたわけではない。それなのに、私は真っ先に親に連絡をとったし、そして突然委員長がどこかへ走り去ったときも、これを好機にと勝手に一人で帰ったりすることなく、律義に委員長が戻ってくるのを待っていた。私は一体何をしているのだろう。

 今日の私はおかしい。いや、委員長におかしくされている。

 そもそも、委員長は私を連れまわして何がしたいのかという謎も、一日が終わろうとしている今も未解決のままだ。

 あれか、漫画喫茶でのあの話を、同じ哲学を有しているであろう私に聞かせたかっただけなのだろうか。でもそれだと、私をホテルに連れた来た意味がわからない。

 考えても仕方ない。きっとこれも、人の事情を勝手に決めつけるという私の悪い癖がでてしまっているのだろう。

 私は髪と身体を洗って、それから脱衣所で身体をよく拭いて、下着をつけてバスローブを羽織って、制服を手に持ってシャワー室を出た。

「は?」

 なんだ、あれ。

 私は目を疑った。

 委員長が、窓枠に片足をのせて、外に向かって身を乗り出していた。確かこの部屋は五階だったはずだ。ここから落ちれば確実に命を落とす。死ぬ。危ない。

 なぜ、そんなことをしているのだろう。いや、今はどうでもいい。

 死ぬ。

「ちょっと! なにしてんの!」

 私は本当に久しぶりに声を荒げた。急いで委員長に駆け寄って、その身体を手前側に引っ張る。

「ん。ああ、もう終わったの」

 委員長は私の顔を見るなり、涼しい顔でそう言って、窓枠から足を下ろした。両足を地につけた。

「……なに、してたの?」

 私は少し息が上がっていた。それくらいに本気で焦ったのだ。

 ――私は委員長を本気で心配した。

「ちょっと夜景を眺めてただけだよ。どしたのそんなに怖い顔して」

 委員長はにやにやと笑って、至って落ち着いた様子だった。本気で焦った私を小ばかにするような態度だった。

「嘘だよね?」

「そんな嘘ばっかりつかないよ。ほんとに夜景を見てただけだって」

 あんなに身を乗り出して夜景を眺める人がはたして存在するだろうか。

「じゃ、あたしはシャワー浴びてくるから」

 と言って、委員長はそそくさとシャワー室に消えていった。私は最後まで呆然とその委員長の姿を目で追っていた。

 それから私は、ベッドにぼふっと派手に飛び込んだ。そして、脱力。ついでに嘆息。

 ――委員長は、自殺しようとしていたのだろうか。

 窓枠から身を乗り出すなんて、よっぽどのことがない限りそんなことはしない。それこそ自殺をしようとするときくらいしか。

 なぜ、委員長は自殺しようとしたのだろう。

 ……誰も信じられないから? 

 そのせいで、生きる意味を見失ったから?

 ……また、人の事情を勝手に決めつけてしまっている。いやでも、これは決めつけてもいいのではないか。

 あれは完全に自殺しようとしていたのだから、それを目撃した私がその理由を推察して阻止してやらなければならないのではないか。

 ――最も醜悪な生物を助けるのか?

 助けてもいいじゃないか。

 とそんなことを思考していると、いつの間にか意識の糸が切れて、私は夢の世界に溺れていった。





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