罪深き小説

ニシマ アキト

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 高校生はみんな嘘つきだ。

 たとえばあそこの教卓付近で雑談している女子だって、さっきからずっと愛想笑いしかしていない。彼氏の惚気話なんて聞かされても、ストレスが溜まるだけで笑える要素などなにもないのだろう。なにもおもしろくないのに、彼女たちは笑っている。笑わないと変な奴だと思われるから。グループの中心にいるあのあほそうな女子にはその嘘は隠し通せるのだろうけれど、私から見れば愛想笑いの裏にものすごく冷めた表情を隠し持っているのがばればれだ。

 あっちの窓のサッシに座っている爽やか系を気取った男子連中だって、そんな大学のサークルレベルのクソみたいなロックバンドの曲なんて好きではないだろうに、そのグループのなかで一番声がでかくて筋肉のある男子がそのバンドが好きだと言ったから、ほかの男子たちは話を合わせて無理矢理語り合っている。その男子連中は、毎晩自分の好きなことをする時間を削って、その特に好きでもないバンドの最新の曲をチェックしているのだろう。私からすればただの馬鹿にしか見えない。まあ、男子高校生は往々にして馬鹿だけれど。

 こっちの、眼鏡か低身長かの属性のどちらかひとつ、あるいは両方を持っている男子だけで構成された一団も、さっきから化かし合いをしている。一人の太った眼鏡の男子が、ずっと早口で日曜朝の女児向けアニメの話をしている。この男子連中がオタクとはいえ、さすがに男子高校生で女児向けアニメを観賞している人は少ないだろう。それでも、男子たちは太った男子の話を話半分に聞いている、ふりをしている。一定間隔で適当に相槌をうちながら、目線は明後日の方向に向いている。これでは太った男は虚空に向かって話しているようなものだ。あまりに不毛。

 ……と、こんな風に、私のいるこの教室の昼休みの風景を突発的に切り取ってみても、これだけの嘘つき高校生が見て取れる。自分を殺すことで生きながらえている矛盾の存在がこんなにも確認できる。

 それもそのはず、世の高校生たちは、朝に家を出てから夕方に帰宅するまで、ずっとずっと嘘をつき続けて生活しているのだから。

 なぜそんなことをするのか。何のために本物の自分を嘘で隠すというしちめんどうくさいことを皆がこぞってやっているのか。それはおそらく、高校生たちは、自分の本当の姿は地獄の住人のように醜く劣悪なものなのだと思い込んでいるからだろう。自分という人間は、虚飾で塗り固めなければ学校という社会の箱庭のなかで見放されて迫害されてしまうほどに醜い存在なのだと、思い込んでいるのだろう。そして実際にその思い込みは間違いではない。だから必死に自身を嘘で隠して、嘘で染まりきった関係を壊さないように細心の注意を払い、その関係に浸って自分が変人ではなく一般に属しているという安心感を得ている。高校生は日々、虚飾に浸っては安心しているのだ。なんて滑稽なのだろう。

 そんなことをしていて、彼らは幸せなのだろうか。多分、嘘つきたちに「あなたは幸福ですか?」と問えば、「はい、幸福です」と彼らは笑顔で答えるだろう。その答えも笑顔も嘘なのだろうけれど。

 なぜそんな嘘をつくのかといえば、自分は不幸だと言っていまうと、嘘の関係が壊れてしまうからだ。

「私といるとあんたは不幸になるんだ。じゃあもういいや」

 と、何の感情もなくきっぱりと言われてしまうのだろう。嘘で築いた関係というのはあまりにも儚く脆い。

 高校生たちは、そんなハリボテの関係に縋って、安息を得ている。果たしてその生き方に何か意味はあるのか?

 そんなことを、昼休みの教室の後方の席に座ってスマホをいじるふりをしながら、私は考えている。あの雑談している女子たちとは違って笑顔ではなく眠そうな顔で、誰と嘘を語り合うでもなく、私のありのままの姿を教室の衆目に晒しながら、思考している。

 私は嘘が嫌いだ。だから私は、嘘をついて馴れ合っている高校生たちが大嫌いだし、この世で一番醜悪な生物だとも思っている。

 私は高校生だけれど、嘘をついて生活しているわけではない。私は他の高校生たちとは違って、自分を虚飾で塗り固めていない。ありのままの姿と心を晒して生活している。嘘をついていないから、私には友達が一人もいない。でも私はそのことを嘆いたことはない。

 嘘をついて偽物の関係を手にして甘えるのなら、はなから独りでいた方がましだ。

 その私なりの哲学に従って、私は無理に嫌いな嘘を使って寂しさを埋めようとはしない。

 私は私のこの生き方に、誇りすら持っている。ばればれの嘘で化かし合っている高校生たちを滑稽に思い、そして嘘をつくことなく本物であり続ける私のことを、特別な存在であると、上位の存在であると、信じている。

 たとえそれが妄信であったとしても、私はこの哲学を曲げる気はない。



 今日も誰にも嘘をつくことなく、時間割が終了した。担任がホームルームの終わりを告げると、嘘つき高校生たちは夜を迎えた虫のようにやんややんやと騒ぎ始める。

 私はその喧騒のなかでも、顔色一つ変えずに淡々と必要な教科書や参考書を鞄につめる。そして耳栓代わりのイヤホンを装着してから、席を立つ。高校生たちの品のない騒ぎ声はできるだけ聞いていたくない。

 今日も帰って、早く寝てしまおう。最も醜悪な生物が集う室内で一日を過ごしていると、精神にかかるストレスの量が半端ではなく、それゆえに体にのしかかる疲労も半端ではない。だから私は毎日、家に帰るとまずベッドにダイブして、それから二時間は起き上がれなくなってしまう。

 廊下に出ても人が多く、かしましい状況なのだろうけれど、私はイヤホンから音楽を流しているので気にならない。

 階段を下りる途中、体育教師と笑顔で談笑している女子生徒が見えた。あの笑顔は確実に絶対に嘘だろう。あの気色悪い風体の男性体育教師に対して、心からの笑顔を向けることのできる女子高生はこの世に存在しない。よってあの女子生徒も、私からすれば体育教師と同じくらい気色悪い。素直にナメクジでも見るような目を向ければいいのに。

 それから、なぜか自販機を蹴っている男子生徒の横を通り抜けて、ジャージ姿の同級生たちの陰に隠れて靴を履き替えて、校舎を出た。

 九月なんだから秋らしく肌寒くなってくれと気温に対して不平不満を並べながら校門まで歩いていたところ、ぽん、と後ろから軽く肩を叩かれた。軽く叩かれたのだけれど、普段人肌が触れる機会が極端に少ない私は、それだけで身体がびくっと跳ねてしまった。

「……あー、びっくりさせちゃった、かな?」

 おそるおそる振り返ると、そこには女子生徒がいた。こいつは、私のクラスの学級委員長の吉川よしかわだ。私より成績が悪いくせに学級委員長を務めていて、妙にはきはきしたしゃべり方で、クラスメイト全員に嘘をつきまくっているおかげで人望がある、そういう不気味な女だ。

「……何?」

 私はイヤホンを外しながら、訊いた。

「なはは。そんな目で睨まないでよー。ものすごく怖いからさ」

 と言って、委員長は笑いながら両手を上げた。

 私みたいな虚弱そうな女から睨まれたって、子猫の威嚇くらいにしか思わないくせに。

「そういうのいいから。用件は?」

「えらくドライだなー。冗談じゃん」

 冗談じゃんとか言って何かを誤魔化す人間も、私は嫌いだ。

「そういうのうざいから。用件は?」

「なはは、辛辣だなー。……えーと、その用件なんだけどさ」

 委員長は私の目を真っすぐに見つめた。私は睨み返してやった。

「あたしと一緒に遊びに行かない?」

「やだ」

 私は委員長に背を向けて歩き出した。初めて話しかけてきたかと思えば、そんなことか。やはりあの委員長は成績通りの馬鹿だ。私が醜悪な生物の散歩に付き合ってやるわけがない。

「ちょ、ちょっと、待ってって」

 手首をすごい力で掴まれた。ついでに引っ張られて、足がもつれた。

「一旦止まってよ」

 振り返ると、引きつった笑顔の委員長がいた。

「……手、痛いんだけど」

「あ、ああ、ごめん」

 大げさにしゅばっと委員長は手を離した。それから、気まずそうに頭を掻いた。

「あー……もう少しだけ話を聞いてよ」

「何の話?」

「うーんとねー……」

 委員長は目を泳がせ始めた。何か考え事をしているのか。何の考えもなしに私に話しかけたのか。そもそもこの女は一体何がしたいのだろうか。

「……その、柏木かしわぎさんにも人のすばらしさを知ってもらおうと思って」

「は?」

 自信なさげに委員長が放った言葉は、全くの意味不明だった。

 人のすばらしさを知る? じゃあお前はすばらしい人間なのか?

「おお、目がより一層怖くなっちゃったね。ごめんごめん。冗談だよ」 

 委員長は両手を振って私をとりなそうとしている。そんな努力も虚しく、私はこの女の腹を蹴り飛ばして帰りたくなっている。

「……あー、じゃあわかった。交換条件を出そう」

「交換条件?」

「柏木さんってさ、ネットで小説書いてるよね?」

 だらり、と私の額に汗が流れ落ちた。

 そのたった一言だけで、私の脳内はめまぐるしく激変する。

「………………いや、書いてないけど」

 ――なぜこの女が、そのことを知っている?

「あれ、嘘は嫌いなんじゃなかったっけ? 柏井かしわいサキ先生?」

「…………なんで知ってんの?」

 柏井サキ。紛れもない私のペンネームだった。

 ――ばれた。私の唯一の嘘が。

「文章見ればなんとなくわかるよ。あんなひねくれた文章を書く女子高生なんて、柏木さんくらいしかいないでしょ」

 そんな弱い根拠だけで、柏井サキ=私という式を完成させたのか、この女は。

 学校の作文くらい適当にいい子ちゃんぶったことを書けばよかった。嘘が嫌いだからって、全部正直に書き散らさなくてもよかったのに。

「別にそんなことは……」

「そんなことあるよ。あんな穿った見方で高校生を描写する女子高生作家は、全世界で柏木さんただひとりだけだよ」

 委員長はにやにやと不敵な笑みを浮かべているが、私にはそんなことを気にしていられるほど余裕がない。自分の小説を読んだ人間と初めて面と向かったことで、私は羞恥心でおかしくなりそうだった。

「……そ、そんな変、かな?」

「なはは、どしたの急にしおらしくなっちゃって、かわいいじゃん」

 と言って、委員長は気安く私の頭を撫でてきた。頭を撫でられたのは何年ぶりのことだろうかと今は考える必要のないことを考えた。

「まあ今は柏木さんの小説の内容なんてどうでもいいんだよ。ほら、交換条件」

「交換条件」

 あほみたいに委員長の言葉を反復する私。

 あー、あの欲にまみれた恋愛小説も読まれたのかな。あー、どうしよう。

「私が柏木さんが小説書いてることを黙っておく代わりに、柏木さんはあたしと遊ぶってことで、どう?」

「うわ、ずっるぅ……」

 そんなこと、私が断れるはずがない。

 高校生が醜悪な要因の一つとして、人の欠点や他者との相違点をひたすら揶揄するというものがある。そんな高校生たちからすれば、小説を書いているという変人極まりない人間は恰好の的なのだ。

 小説を書いていることをクラスメイトに言いふらされたら、いよいよ私は学校に行けなくなってしまう。中卒確定。そんなのは嫌だ。

「そんなの嫌だよね?」

 一片の曇りもない笑顔で委員長が首を傾げた。

「……い、いやだ……」

「よーし、じゃ、あたしと遊びに行こうか!」

 委員長は高らかにそう言うと、私の手を握って大股で歩き出した。

「ちょ、ちょっと、歩くの早い」

 私の抗議は全く聞き入れてもらえない。ずんずんと私を引っ張るようにして委員長は私の一歩先を歩いていく。

 久しぶりに握る人の手は、少しだけ温かかった。  

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