2.7月

「なぁ、先週出た新曲、聞いた?」


「あ、まだ聞いてない。どんな感じ?」


「聞いてないのかよ! めっちゃ格好いいから聞いてみ」


「それより今月末のライブどうする? セトリ、まだ決めてなくない?」


「いつだっけ」


「7月25、26! カケは何度言ったら覚えるの」


「覚える気がない。アキが覚えてれば俺はダイジョーブ」


 サークル棟1階一番奥、自己主張が強すぎて全部同じに見えるステッカーがベタベタと貼られまくった扉の向こうが、私の自由を表現する場だった。


「ひとまずセトリだけ決めちゃおうよ」


「そうだね。今日は私、バイトあるからそこだけ決めたら帰るよ」


「はぁ? お前またバイトかよ。最近付き合い悪いぞ」


「ごめんて」


「しょうがないでしょ。引っ越し資金貯めなきゃならないんだから。カケが出してくれるなら別だけど?」


「アキはカケに厳しいな。まぁでも確かに最近合わせられてないから、来月ライブもあることだし、もう少しバンドの方にも時間割いてくれよ」


「うん……、分かった。なんとかする。でもひとまず今日のところはごめんね?」


「じゃ、さっさとセトリ決めちゃおっか」


 アキの主導でサクサクと曲を決めた。今回は3曲。どの曲も自分たちの持ち曲だから、練習という練習は必要なさそうだった。けど、カケの言う通り、登志子おばさんのところへ引っ越してからはバイトを入れまくり、みんなとの時間が減ってしまったのも事実だ。仕方ない、バイトのシフトは減らしてもらおう。


「それじゃあまた!」


 バタバタと部室を後にして、バイト先へと急いだ。


 駅から少し離れた路地の入口にある、親しみやすい店構え。居酒屋兼定食屋のこの店には、学生もサラリーマンも多くやってくる。値段は流石にチェーンには負けるけど、それを補って余りある美味しくてボリューミーな料理を提供していた。


「店長、ちょっとシフトの相談なんですけど」


 ピークが過ぎたところで店長にそう切り出した。ごま塩頭にタオルを巻いた、自分の父より年上の店長。ブルドッグのような強面だが、表情は豊かで、特に笑った顔が可愛くて私は好きだった。くしゃっと笑う顔は、ブルドッグがパグになるくらいの変化がある。


「もっと入れてくれってのは厳しい相談だぞ」


 風貌に反して少しだけ高い、よく通る声で私の言葉を引き継ぐ。


「あの、逆で。引っ越し資金貯めるためにシフト増やしてもらってたんですけど、実は来月サークルの方で予定が入ってしまって。それで、本当に申し訳ないんですけど、シフトを少し減らしてもらいたいんです」


「お前は気が散りやすいな。親戚の家に居候しているのが居心地悪いから引っ越し資金を貯めたいって言ってみたり、かと思えばサークルが忙しいからバイト減らしたいって言ってみたり。中途半端に色々手を付けてないか? もっと一つのことに集中した方がいいんじゃないか?」


 365日、毎日店を開けている店長から言われた言葉は重かった。


「う……」


「ま、そういうことできるのも学生のうちだけだからな。お前は仕事ができるから、俺もシフト減らしたくはないが、仕方ない。しっかりライブやれよ」


 店長も若い頃は音楽をやっていた。店のあちこちには、アンプやスピーカー、レコードなんかが乱雑に置かれている。気まぐれで、アコースティックの弾き語りライブなんかもお店でやっていた。店長はもう弾かないらしいけど、やっぱり音楽が好きなんだなと思う。


 だから、特に説明しなくてもライブの熱量を分かってもらえるのはありがたかった。


「ありがとうございます。本当に助かります」


「今日はもう混まないだろうから、大丈夫だ。上がっていいぞ」


 もう一度、ありがとうございますと言って奥に引っ込んだ。キャップを取って、エプロンを外す。適当に髪を梳いて、リュックを掴んで店をあとにした。


 夜になってもジメジメと昼の暑さが残っている。室外機の生暖かい風に吹かれて、夜道を歩いていると、このままどこか知らない場所へと行ってしまいたくなる。ナニモノにも縛られず、自由だけを追い求めてこの地面を踏みしめ歩いて行くんだ。


 そんな夢のようなことを考えたりする。そして実行しそうになるのが、夏の夜の不思議な魔力だ。


 いかんいかんと頭を振って、登志子おばさんの家までの道をしっかりと歩いた。


「ただいま」


 鍵を開け、そっと声をかける。リビングからはテレビの音声が結構大きな音で漏れている。どうやら今日は起きているみたいだ。


「あら、今日は早いのね。おかえりなさい」


 ワイングラスを片手に、ソファに足を組んで座っている登志子おばさんがこちらを見上げていた。グラスには若いレモンを空気に溶かしたような色の液体が入っている。


 普段は赤なのに珍しいな。


「この映画、大好きなのよ。あなたもどう?」


 派手に車が発進して、数字が動いている。加速と共に派手な音を立てて流れていく画面の中の車。誰もが知っているSFヒューマンドラマだ。


「ああ、タイトルだけは知ってますよ」


「私も過去に戻ってみたいわ」


「何かやり直してみたいこととかあるんですか?」


「そんなのありまくりよ。あれやこれや、いちいち戻ってやり直したいことだらけよ」


 鼻息も荒く登志子おばさんが声を上げる。どうやら地雷を踏んでしまったようだ。


「そういうこと、ありますよね。私もあります。じゃ、お風呂いただきますね」


 さらっとかわして、リビングをあとにしようとした。が、腕を掴まれた。


「せっかくだから、あなたも一緒に見ましょうよ」


「いや、えっと、その……。明日も早いので、すみません。また今度ご一緒させてください」


 やんわりと腕を振りほどいて、そそくさとリビングから離れた。


 最近、登志子おばさんにこんなふうに絡まれることが増えた気がする。今日は映画だったけれど、なんでもない写真集だったり、新しく買ったアクセサリーの話だったり、一つ一つは取るに足らないことなのに、その話題を断るのにいつも苦労する。


 でも、住まわせてもらっているし、少しは付き合ってあげないと悪い気もする。次回こそはちゃんと聞いてあげようと考えながら、お風呂に入った。

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