毒の口づけ

椿叶

毒の口づけ

 静かなバーで、真っ赤なワインのグラスを傾ける。豊かな香りが鼻腔に広がり、疲れた頭をゆっくりと落ち着かせていった。さほど舌が肥えているわけではないのであれこれ評価はできないが、おいしいとは思う。最も、仕事中でなければの話だが。

 隣の国に出向き、あれこれと情報を集めてくる。それが主人に任せられた仕事であった。暗殺と諜報活動を得意とする家で育てられた彼は、主人に言われるがままこのガーネット国に赴き、こうして酒場を中心に情報を集めているのだ。

 酒場ではいろいろな話がされる上に、口も軽くなる。諜報活動にはもってこいの場所である。とはいえ、こんな厳かな雰囲気のバーよりも騒がしい居酒屋のほうが彼の求めている情報を得るにはもってこいだ。それを知ってもなお彼がここにいるのは、怠慢でもなんでもなく、単にここが彼にとってはふさわしいからである。

「ねえ、あなた一人なの?」

 先ほどからこちらをちらちらと見ていた女性が、するりと寄ってきた。「お隣いいかしら?」

 どうぞ、と微笑むと女性はゆったりとした動作で席についた。体のラインがよくわかるワンピースを身に着けた彼女が、上目遣いに尋ねてくる。

「お名前、教えてくださる?」

「アレンと申します」

「私はリズよ」

 彼女は随分と酔っているようだった。ならばちょうどいい、と口の中でつぶやく。

「さっきからあなたのこと見てたのよ。あんまりにも美しいんだもの、驚いちゃったわ」

「いえ、あなたの方がよっぽど。実は僕も、先ほどからあなたのことが気になっていたのですよ」

 ただ、勇気がなくて声をかけられずにいました。

 そう伏し目がちに告げれば、リズはかぁと頬を赤らめた。それから誤魔化すように、早口で話しはじめた。

「私ね、ちょっと有名なパーティーで、ヒーラーやってるの。最近魔術が上達してきてね、褒められるようになってきたわ」

 パーティーが勇者以外全員女性で、ハーレムのようになっていること。勇者が他の女にかまけてばかりいるのでつまらないということ。この前弓使いの女と喧嘩をしたこと。時系列もめちゃめちゃで、どれも興味のある内容ではなかった。だがアレンは微笑を浮かべ、時折相打ちを打ちながら話を聞いた。そのうち重大なことを話し出すような気がしたからだ。

「勇者ってば、――コウタっていうんだけれど、異世界からやってきたって言ってるのよ。会う人会う人に言っていくの。しかも会う女の子みんなコウタに惚れちゃうし。何なのかしら」

 異世界から来た勇者。つまらない話の中で、ようやく気になる情報がでてきた。その話を聞きだせるように少しずつ誘導していくと、彼女はあっさりとすべてを話した。

「それでね、いずれは隣国の『魔王』を倒すのよ」

 得意げな顔をして、魔王の非道さについても語りだす。いかにも自分たちが正義であると主張しているようだった。

 それを聞き流しながら、アレンは静かにワインを喉に流した。そうか、ならば抹殺対象だ。パーティーもろとも、さようなら。

「ねえ、聞きそびれちゃったけど、あなたもパーティー組んでるの?」

「いえ、ソロです」

「仲間はほしくないの? あなたも魔王を倒すのでしょう」

 それが当然だと言わんばかりに、腰にさした剣に手を伸ばしてくる。

「僕には集団行動など合わないのですよ」

「それだけ美しいのに。もったいないわ」

 何がもったいないのかさっぱり分からないが、不快に思われない程度に謙遜してみる。するとリズは小さく唇をとがらせた。

「あなた本当に、コウタとは全然違って素敵だわ。威張らないし、驕らないし。いっそあなたとパーティー組みたいくらいよ」

「ご冗談を」

「冗談なんかじゃないわ」

 リズがぷうと膨れる。面倒だな、と一瞬思ったが顔に出さないように努めた。こういうとき、何て言うのが正解か。

「あなたのような可憐なお方が常に傍にいると考えたら、とても正気ではいられない」

「じゃあ狂ってよ。私、あなたのことが好きになったわ」

 ここから予想通り。

 店から出て、だれもいない路地に入って。

 薄暗い街灯の下で口づけを交わした。

「私、このまま一緒にいたいわ」

「それはできません」

 どうして、という声は最後まで聞こえなかった。先ほどまで幸福そうだった表情が苦悶に歪み、がくりと膝をついた。声にならない悲鳴がその細い喉からあふれている。

 こちらに助けを求めるように、震える手を伸ばしてくるのが滑稽で、不意に口の端から笑いが漏れた。殺そうとしているのはアレン自身だというのに。とはいえ、口づけで毒を盛られるなんて思いもしなかっただろうから、こうなるのも当然といえばそうなのだが。

 崩れ落ちた体をすんでのところで捕まえる。ほとんど声も出させずに済んだし、倒れる音も最小限にとどめた。周囲の人間に気が付かれることもないはずだ。

 呼吸が止まっていることを確認して、重くなった体を抱える。雑な運び方をしてもいいのだが、これからのことを考えると、所謂お姫様抱っことやらがいいのだろう。

 あっさり終わってくれたな、とリズの口元から垂れている血を眺めた。本番はこれからなのだけれども。

 ああそうだ。こいつの仲間を殺す前に、目だけは閉じさせておこう。




 この世界には、魔法があふれている。ドラゴンや精霊たちが人と同じように生きているここには、悪の国と、悪の王を打ち滅ぼさんとする勇者がいる。

 そしてアレンは、悪の国を支配する一族に使える騎士なのである。

 アレンの一族は、幼少より子どもに少しずつ毒を飲ませるのが決まりだ。その体は成長するにつれ毒を覚えてゆき、やがては触れるだけで手がしびれ、口づけを交わせば相手に死をもたらすようになる。アレンはその例にもれずに作られた青年であり、王家に仇なす者を排除することを定められているのであった。

 彼はその類まれな美貌を生かして情報を集め、着々と勇者と呼ばれる存在を消していった。命がけの役目であるが、決して苦ではない。それは、ひとえに彼が仕える姫の存在があるからであった。




 服が汚れた。返り血はあまり浴びたくなかったが仕方がない。ひとまず剣を収め、魔術で通信をとった。

『マーガレット様。聞こえますか』

『ええ。聞こえるわ』

『一度城に戻ります。私を転送していただきたいのです』

『わかったわ』

 足元に魔法陣が現れたかと思うと、もうそこはすでに城の中だった。ふう、と一息ついて血のついた服に手をかける。マーガレットに再び通信をとろうとして、ふと気が付いた。ここは自室ではない。

「アレン。おかえりなさい」

「ま、マーガレット様」

 腰よりも長い黒髪に赤い瞳、雪のように白い肌、やわらかく色づいた頬――。見間違えるはずかない、王国の姫君だ。

 アレンの顔が固まる。まさか姫の自室に飛ばされるなんて思ってもいなかった。

「姫様。転送していただいたことにはとても感謝をしているのですが、今私は大変見苦しく――」

「あら。わたくしったら間違えてしまったのね」

 くすりと彼女は笑った。「それよりアレン、ケガしてるわね」

「いえ、そんなことは」

「隠しても無駄よ。わたくしにはお見通しなんだから」

 黒いドレスの裾を優雅にひらめかせ、マーガレットがこちらに歩み寄る。

「さ、みせてごらんさない」

 こうも詰め寄られては敵わない。しぶしぶ袖をまくってみせると、マーガレットは苦い顔をした。

「魔法で施した鎧が貫かれるなんて。誰と戦ってきたの」

 アレンは一見すると鎧を身に着けていないように見えるが、実はマーガレットが作り上げた魔法によってその身を守られている。今回、それが剣撃と共に破られたのである。剣技自体はこちらの方が上手だったが、無傷では済まされなかった。

「魔術師であり剣士でもある勇者で、痛っ」

「魔法の無効化かしら。治療するわ、少し我慢して」

 マーガレットが呪文を唱えると、傷口が淡い光に包まれた。ひと際強く光ったかと思うと、傷口はきれいにふさがっていた。

「感謝します」

「今日はよく休むことね。治すのにはあなたの魔力と体力を使ってるんだから」

「はい」

「これからお父様のところへ行くの?」

「はい。本日のことについて報告に。その前に一度着替えますが」

 マーガレットは、それくらいわたくしが綺麗にしてあげるのに、とぼやきながらもアレンの自室に転送してくれた。

 さすがに、それ以上してもらうわけにはいかないのです、と心の中でつぶやく。あなたが私のことを特別に思ってくださっていることが、誰かに知られてはいけないのですから。

 王国の姫君と騎士。その騎士はただの騎士ではなく、暗殺者となるべく育てられたもので、本来姫君の近くにいることすら叶わないような存在だ。騎士としてお仕えできているのも、たまたまアレンが剣技の才に恵まれたからにすぎない。そんな二人が想い合っていて、ましては恋人にまでなっているだなんて、知られたらどうなることか。

 私は、あなたを不幸になどしたくないのですよ。あなたに想われているだけでも十分なのです。これ以上をあなたに求めたら、それこそ天罰が下りそうだ。

 服を脱ぎ、綺麗なものに着替える。身支度を整えてからアレンは部屋を出て、玉座の間に向かった。


 屋敷の人間が寝静まった頃だった。自室でぼんやりとしていると、突然足元に魔法陣が現れた。転送に使われるものである。

「ふふ。アレン、びっくりした?」

 アレンは苦笑した。飛ばされたのは予想通りマーガレットの自室。いたずらっ子のような笑みを浮かべていた彼女は、ゆったりとソファーに腰かけていた。

「五度目となると、あまり」

「なら、次は別の方法で驚かせるわ」

「お手柔らかに」

「いつまで跪いているの。いいから座りなさい」

 ぽんぽん、とソファーを叩く。促されるままアレンは隣に座った。

「アレン、今日は何をしてたの」

 城に返ってきたときに会っているから、彼女は今日のアレンの動きを知っている。アレンが得てきた情報は別の臣下を通して伝わっているから、あえてアレンから伝えることもない。しかし彼女があえて問うのは、それが単なる習慣だからである。

 こうして二人で夜に会うとき、きまってその日の出来事を言い合うことから始める。特にそう決めたわけではない。いつの間にか、そんな風になっていただけである。だが不思議と、それがないと他の話ができないような気になるのであった。

「私は隣国で――」

 集めてきた情報について、勇者たちのパーティーを全滅させたこと。手短に、しかし一つ残らず話した。その間マーガレットはアレンに寄り掛かるようにして聞いていた。

「今日も帰ってきてくれてありがとう」

「とんでもない。あなた様のご加護がなければ、今頃私はここにいないでしょう」

「それにしても、魔法の無効化ができる剣士がいるなんて驚きだわ。高度な魔術なのに」

「ええ。元々魔法使いを勧められていたようです。しかし、勇者たるもの剣士でなければ、と譲らなかったとか」

 ふうん、と何か考え込むようにマーガレットはつぶやいた。

「魔法の無効化ができる者が増えてきたら、わたくしたちもいつか殺されるわね」

「何をおっしゃるのです」

「でも、そうでしょう」

 この国が悪の国であるのは、マーガレットの一族が強力な黒魔法を有しているが故だ。それが無効化できるようになれば、征服されるのも時間の問題である。魔術に頼り切りであったこの国は、兵力らしい兵力をほとんど持っていないのだ。耐えきれるはずがない。

「きっとお父様は早いうちに隣国を攻めるつもりだわ。きっと明日にでもわたくしに何か命令するはずよ」

 マーガレットは王国建国以来、最も優秀な魔法の使い手だと言われている。それは、今が王国の力が最も強い時ということだ。無効化できる者が増える前に攻めに行くというのは間違えないだろう。

「私もそのような者は必ず見つけて処分します。ですから、どうかそんな顔をなさらないでください」

 マーガレットはくしゃりと顔をゆがめて、悲しそうに笑っていた。それは普段の明るい様子とかけ離れていて、アレンはきゅっと胸をつかまれたような気がした。

 ガラス細工のようだ、と思う。見ている分には美しくて、ただあるだけで満足するようなものなのに、触れれば壊れてしまいそうなほど繊細。それは二人きりの夜、不意に弱気になる彼女そのものだった。

「ごめんなさい。アレンも悲しそうな顔してる」

「いえ、私は……」

 彼女は穏やかで慈悲深い。それこそ、悪の国の姫君が似つかわしくないほどに。隣国の者たちを殺さねばならないことがどうしようもなく重荷で、かといって自国の者を捨てることもできない。仕方のないことだと割り切ることもできない。そんな優しい姫君を支えることができるのは自分しかいないのに、どうしてか言葉がでてこない。

「いいの。アレンの言いたいこと、なんとなくわかるから」

 マーガレットはアレンの手に触れた。つぶれた豆でやらでごつごつした手のひらをつつきながら、小さく微笑んだ。

「あの、くすぐったいです」

「あらごめんなさい。でも、立派な手なんだもの。わたくしも誇らしくなっちゃう」

 自分の顔が赤くなっていくことを自覚しながら、「マーガレット様は何をしていたのですか」と話を変えた。

「わたくしはね、今日は魔法の特訓をしたわ。氷の魔法のね。明日、裏庭に出てみるといいわ。溶けてなければ氷の山が残っているはずよ」

 マーガレットは手いたずらをやめない。

「それからね、向こうの平原にいた勇者のパーティーを殺したわ。特訓の最後に、凍らせたの」

 ほとんど泣きそうな顔だった。ガラス細工が壊れた、そう思った。

「ねえ、アレン」

 気が付けば彼女を抱きよせていた。割れて散らばった破片をかき集めるように、丁寧に、そっと。

「キスしてほしい」

「なりません」

「どうして」

「いくらあなたといえど、私との口づけはただでは済みますまい」

 それでもいい、としばらくマーガレットはごねていたが、やがて静かに泣き始めた。

「心臓の音を聞かせて」

「はい」

「アレンだって同じように殺しているのにね。わたくしばっかり、ごめんなさい」

「お気になさらず」

 心の持ちようがなんであれ、彼女は生まれ持った宿命には抗えない。悪の国の姫君である以上は、毎晩毎晩こうして苦しまなければならないのだ。救って差し上げたいのに、どうして自分にはこんなにも無力なのだろうか。

「悪は正義に倒されるのが決まりなら、わたくしは遠くない未来殺されるわ」

「姫様」

 咎めるようなことを言ってみるも、本当はアレンも分かっていた。世界はそういう風に回っていて、所詮自分たちは消えて祝福されるような存在なのだと。

「お願い、そのときまで傍にいて」

「勿論」

「死ぬ間際になったらキスしてくれる?」

「はい」

 死なせる気はさらさらないのだけれど。ただ、今は彼女が求めている答えを告げた。

 自分が毒など持っていなければいいのに、と何度思ったことか。そうすれば彼女にすべてを差し出してあげられるというのに。とはいえ、自分が毒の一族でなければ王家に仕えることもなかったのだ。皮肉なものである。

 随分と前に考えたことがある。彼女を本当に幸せにできるのは、自分ではないのではないかと。しかし、マーガレットが恋人として想っているのはアレンただ一人であり、そこから逃げることのほうが彼女を不幸せにするように思えた。何より、アレン自身が彼女のことを心から想っているのだ。赤の他人に譲る気など到底起きなかった。

 だからせめて、彼女が安らげるようにしようと決めた。話を聞き、寄り添い、ガラスがこれ以上壊れないように抱きしめる。自分にはそれしかできないのだから。

「お慕いしております」

「わたくしも、大好きよ」

 マーガレットは多少落ち着いたのか、黙ってアレンの胸の音に耳をすませていた。これで元の調子に戻るといいのだが。

 ソファーに流れるつややかな黒髪を梳いていると、やがてマーガレットがアレンから離れた。

「もう良いのですか」

「……だいぶ落ち着いたわ。ありがとう」

「いえ。お役に立てて何よりです」

 それからは、他愛のない話をした。底の見えない沼のような、どこまでも暗い現実から逃げるように、明るい話を。

 また明日来ると約束して、その日は別れた。穏やかな充実感と、足元を這いあがってくるような不安が、胸の内を占めていた。




 それからさほど経たないうちに、魔法の無効化ができる魔法使いや剣士が増えてきた。それも恐るべき速さで。当然彼らは勇者たちのパーティーに招き入れられ、悪の国への侵攻を始めた。

「どこかで、だれでも出来るような術式が開発されたのね」

 砕けた水晶玉を魔法で元に戻しながら、マーガレットはつぶやいた。魔法の無効化の方法は多岐にわたるようで、魔法の効果そのものを消してしまうものもあれば、魔法自体を跳ね返すものもある。今回は後者で、跳ね返ったエネルギーで水晶玉が割れた。魔法で食い止めなければマーガレットも危うかったという。

「姫様、それよりお怪我はありませんか」

「ええ。平気よ」

 術式自体や、その開発者についての情報を集めてはいたが、尻尾をつかみそうだと思ったらすり抜けられる、というのを何度も繰り返した。結局得られた情報は、術式を組み込んだ兵器と、勇者を筆頭とした軍勢が押し寄せてくるということだけだった。

「せめてその術式を知るものを捕えられればよかったのですが」

「あなたのせいではないわ。きっと、こんな運命だったのよ」

 マーガレットは悲しむわけでもなく淡々と呟いた。元々そんな未来を見ていたかのような、落ち着きのある言い方だった。

 悪は正義に倒される、か。分かってはいたけれども、こうもその時が近づくと何とも言えない焦燥感に駆られる。このお方にはもっと生きていてほしいのに。

「お願いがあるの」

「私にできることでしたら、何でも」

 ふにゃり、とマーガレットは笑った。

「城門はすぐに陥落するわ。もうお父様の命令なんて聞かないでいい。ずっとここにいて」

 騒がしくなってきた外をよそに恭しく膝をついて、マーガレットの手をとった。口づける代わりに、その手の甲を額に押し付ける。

「承知いたしました。ここで、あなた様をお守りいたします」



「悪は全て滅べ!」

「父さんの仇だ! 死ね!」

「もうやめとけ、こいつらはもう放っといても死ぬ。魔力は温存しておけ」

「チッ」

 意識がもうろうとしていた。どうやら血を流しすぎたらしい。まだ生きているのが不思議なくらいだ。床を這うようにして進みながら、「ひめさま」とどうにか呼びかけた。

 勇者の一団たちが乗り込んできて、応戦するも耐えきれなくて。何度も斬りつけられて、刺されて、それから。

「アレン……」

 仰向けに倒れこんだ彼女が薄く目を開ける。細い身体から流れ出した血が、カーペットをじわじわと染め上げていた。

 助からない。その一言が妙に鮮明に浮かび上がった。

 魔法を封じられ、戦う術を失った彼女を、彼らはここまでいたぶり傷つけたのだ。これではどちらが正義か分からない。なぜそんなやつらに彼女の命が奪われなければならないのだろう。そして、ただひたすらに自分の無力さを恨んだ。

 苦痛に顔をゆがめたマーガレットが無理やり笑う。

「あなたも、傷、だらけね。治して、あげたいのだけれど、もう、魔力が……」

「私のことはいいのです。それよりも……」

 ようやく傍にまで来られた。青白くなった手を掴むと、弱い力で握り返してくる。

「私は、ただ、あなたに、生きてほしいのです」

「ふふ、わたくしだって、あなたに、そう――」

 ああそうだ、とマーガレットが呟く。

「ねえ、約束、守って」

 段々とマーガレットの手から力が抜けていく。支える自分の力も弱くなっていくことを自覚しながらも、アレンは子どものように首を振った。

「そんな、私は」

「お願い」

 アレンの思いも分かった上で、マーガレットはこう頼んでいるのだ。残酷だ、と思わずにはいられなかった。

「わたくしを恨む?」

「いえ。いえ。――お慕いしております。愛しています」

「わたくしも、愛しています。しあわせ、でした」

 あふれる涙を拭い、色を失った唇にそっと口づけた。

「あり、が、とう」

 マーガレットは満足そうに笑い、静かに目を閉じた。

「姫様。マーガレット様……」

 あいしています。その言葉を聞き届けるものは、もういなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

毒の口づけ 椿叶 @kanaukanaudream

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ