第2話 『風陣』

 沙漠さばくける一団が一騎の逃走者とうそうしゃを追っていた。

男の名は羅仲らちゅうといい、今は敵から追われている身だ。


 彼は故郷である陽江ようこうの危機を救うべく、今は南方の同盟都市へ

救援を要請するために沙漠さばくを横断中、故郷を包囲している

西方イスラームの軍勢ぐんぜいよりはなたれた追撃隊からのがれんとしていた。


回教徒ムスリムどもめ、意地でものがさぬつもりらしい・・・」

すでにして矢筒の矢も尽き、後は腰間ようかんびた剣のみで戦うほかないであろう。

追っ手は最早もはや数十歩の距離にまで迫っていた・・・。


----------------------------------------------------------------------------------------------------


 沙漠さばくのオアシス都市「陽江ようこう」は大陸中央部に位置し、

元は北ベルク河が蛇行する流域に生まれた中継都市であったが

水流の枯渇こかつによって流れが変わり、徐々に衰退すいたいしていった。


 本来であればこのまま沙漠さばくに埋もれてしまう運命にあったが、

この都市にはごく稀に颶風ぐふうと呼ばれる台風が到来するため、

これによってかろうじてオアシスの水源は確保されている。

しかも南部の肥沃な土壌も台風に巻き上げられ、砂漠さばくをこえて

この地に降り注ぐため、台風が来る年は豊作に恵まれる。


 さらには周辺で発生し、田畑を食い荒らすイナゴの群れも

台風によってさらに北へ連れ去られてしまうため、

この災害が都市の農耕に一役買っている。


 ナイル川の氾濫によって肥沃ひよく土壌どじょうを得ていたエジプト文明を

評して『エジプトはナイルの賜物たまもの』と言われたりもするが、

この陽江ようこうはまさに『台風の賜物たまもの』と言える。

沙漠さばく真珠しんじゅ』とまで呼ばれたその豊かな都市を欲するものが

数多あまたいるであろう事は想像にかたくない。


 『陽江ようこうおとろえたり』といえど、大陸公路たいりくこうろの重要な

中継都市としての価値は変わっておらず、その為

ここを橋頭堡きょうとうほとして東方への進出を目論もくろむ、西方さいほうの大国アッバース朝が

2万の軍勢を編成し、いよいよこの都市を包囲したのであった。


 陽江ようこうの長官である馬宗ばそうは急報を受け取ると

すぐさま城壁を守らせつつ、配下の羅仲らちゅうに命じて

急ぎ南方の諸都市への援軍を要請しようと一計を案じた。


 夜半過ぎ、南の城門より騎影きえいが走り出たが、

それを追撃した追っ手がまず見つけたのは空馬であった。

城側は南門から馬だけを走らせて注意をそらしておいて

羅仲らちゅうは西門より一歩遅れて進発しんぱつしていた。


 陽動ようどうだと気付いた敵は怒りに打ち震えて急ぎ羅仲らちゅう猛追もうついする。

イスラムの将軍は悪名高あくめいたかいクダイバである。


 追撃隊がもし羅仲らちゅうを取り逃がした場合は、彼らが首を撥ねられる事になるのだ。

自分たちの命惜しさに何としても羅仲を捕らえようと追いすがるため、

追撃は長時間に及んだ。


 沙漠さばくの荒野をひた走るうちに、東より朝日が昇る。

此奴きゃつら、しつこいな。まだあきらめないか・・・」

 羅仲らちゅうはこれまで三十騎の追っ手のうち、7人までは弓矢で討ち取っていた。

しかし遂に矢もつき、弓を投げ捨てた羅仲らちゅうは賭けに出る事にした。

一気に高台にまで駆け上がり、沙漠さばくの渓谷を馬で飛び越えようというのである。


「ままよ、どうせ捕まれば活かしておく事はあるまい・・・」

剣を引き抜いて馬の尻を打ち、一気に渓谷に向かって馬を走らせ崖を跳躍ちょうやくする。

だが、今一歩のところで馬が着地に失敗し、羅仲らちゅうもろとも崖下に消えた。


 高い渓谷を覗き見た追っ手は、羅仲らちゅうはすでに命を落としたであろうと確信し、

自陣へと戻る事にした。追撃隊より報告を受けたクダイバは満足気に髭をしごいた。

これでひとまず援軍はこないであろう。


----------------------------------------------------------------------------------------------------


 陽江ようこう籠城戦ろうじょうせんはすでに八日間に及んでいた。

城側も必死の抵抗を続けており、連日の攻勢に加え3度の全面攻撃にも耐えていた。

しかし城側の守備兵は二千、すでに三割の死傷者を出しており、

劣勢は明らかであった。

 

 クダイバは焦っていた。陽江ようこうを十日で陥とし、さらに東へ進出してセリカ

攻略せよとの厳命をスルタンより受けていたためである。

そんな中、包囲を潜り抜け、城に入ろうとしていた怪しい男を捉えたとの

知らせを受け、クダイバは謁見に及んだ。


 男は羅仲らちゅうであった。あの転落の後、馬を失いながらも沙漠さばくを夜間に踏破とうはし、

城に戻るところであった。


 クダイバは羅仲らちゅうが生きていた事に驚く一方、難局なんきょくを打開する策を思いついた。

「貴様、なぜ城に戻ろうとした。まさか援軍がくるというのか」

「いや、援軍は来ぬ。それを城方に伝えようと戻ったのだ」

それはクダイバにとって好都合であった。


「よろしい。貴様命は惜しくないか。もしその事をお前が城方に呼びかければ、

城は降伏するだろう。うまくいけば命を助けてやる上に、

陽江ようこうの長官としてやろう」

「こうなっては仕方がない。その役買って出ましょう」

こうして羅仲らちゅうは縛られたまま城壁の近くにまで引きすえられて行った。


 城方でも羅仲らちゅうの姿を見つけてどよめきが走り、

長官の馬宗ばそうも城壁の上に現れて羅仲らちゅうの姿を確認した。


「城方の皆様にお伝えしたき話がございます。お聞きあれ」

羅仲らちゅうの呼びかけに馬宗ばそうが「おう」と返事し、

城方が静まり返って羅仲らちゅうの言葉を待った。


「これより三日の後、十万の援軍が参ります。絶対に降伏なさらぬように」


突然の羅仲らちゅうの言葉に城方は歓喜の声を上げ、

怒り狂ったクダイバは羅仲らちゅう車裂くるまざきにした。


 怒りに燃えたクダイバであったが、そもそも羅仲らちゅう

南方諸都市に行ったのであれば帰ってくるのがあまりに早すぎるため、

城方の士気を上げるための方便ほうべんであろうと考えた。

いずれにしてもこの事が原因で落城はさらに困難となった。


 こうなれば坑道こうどうを掘って地下より城壁を破壊せしめようと

工兵こうへいに命じて隧道トンネル工事を進めていた矢先、

突然南より黒い雲が現れ、暴風雨がイスラム軍の陣営を襲った。

さえぎるもののない沙漠さばくで、人も食料もことごとく風にぎ倒され、

2万のイスラム軍は壊滅した。


翌日、イスラム軍の陣営跡を見聞した馬宗ばそう

「十万の援軍とは颶風ぐふうであったか。羅仲らちゅうよくぞ知らせてくれたものだ。

恐らくあの者は途中で颶風ぐふう兆候ちょうこう

見つけて知らせようと戻ったのだろう」

と手を合わせた。かくして馬宗ばそう

羅仲らちゅうと守備兵数百人の犠牲を払いながらも

見事みごと陽江ようこうを守り通したのである。


----------------------------------------------------------------------------------------------------


やがて時は過ぎ、南方で噴火した火山の隆起りゅうきにより台風の進路が変わり、

沙漠さばく化が進行した陽江ようこうは打ち捨てられ、砂の中に埋没した。

さらには大陸公路たいりくこうろもはるか南側を通るルートが開かれ、

最早もはやその所在しょざいを知る人はいない。(終)





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

颶風 あん @josuian

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る