格納庫

 トラックは学園東大通りを抜け、大学の敷地に入った。レンは大学構内を格納庫に向けて最短距離で進むルートをとった。舗装された道を外れたトラックは、デコボコ道や木々の隙間、車両進入禁止の原っぱを進んでいく。地面の状態は悪く、大きく車体が振動した。


 3人は格納庫の前でトラックを乗り捨て、一直線に走った。そして、あと50mほどの距離まで来た時だった。まばゆい閃光が見え、衝撃音が響いた。


 コースケは思わず目を見開く。


 格納庫正面のシャッターを突き破って、真っ赤な炎が吹き上がった。建物の周囲が明るくなったかと思うと、一瞬で炎の塊は格納庫を覆い隠すほどの大きさに膨らみ、灰色の煙へと変わっていった。トタンの破片が空中に吹き飛び、辺りに雨のように降り注ぐ。外壁の一部は火がついて激しく燃え上がっている。爆発の衝撃で散らばった建物の残骸があちこちに転がり、壁には大穴が開いた。


「嘘……」

 声にもならないような悲痛な息を漏らして、エリは膝から崩れ落ちた。


「ロケットが……ロケットが!」

 レンが喉の奥から絞り出すように叫ぶ。


 コースケは呆然とその場に立ち尽くしていた。2人の声は確かに聞こえていたが、脳がその処理を拒んでいるようだった。視界がぼんやりとして目の焦点が合わない。ここまで積み上げてきたものが、一瞬で水の泡と化した事実を認めたくなかった。

 

 格納庫がロケットもろとも炎上している。3人の目に映る景色は、あまりに無残だった。


「……!」

 コースケは目を疑った。燃え盛る炎のすぐ側、格納庫の右横に4人の人影が見えた。


 コースケは、目を凝らしてもう一度見る。人影は見間違いではなかった。格納庫から出てきた4人が、小さな箱のようなものを運び出している。向かう先にはSUVのような車両が見える。


「ハル!」

 コースケは咄嗟に声を張り上げた。


「・・・---・・・」

 返事をするように、HALはビープ音を鳴らす。


 すると、HALの胸元で電撃のような青白い光が見えた。不審な人物は、抱えていたHALを思わず手放し、腕を庇った。


 HALが飛び跳ねながら全速力でこちらに来る。コースケも急いで駆け寄った。


「一体なにが……」

 コースケはHALを抱きかかえる。


「来るぞ!」

 コースケの後ろでレンが叫んだ。


 コースケが前方を見る。4人の片手には銃が握られていた。そして、乾いた音が鳴り、光の筋がこちらに向かって飛んでくる。


 咄嗟にコースケたちは、爆風で吹き飛んできたL字型の大きなトタンの陰に飛び込んだ。体を屈めて身を隠す。トタンのすぐ裏では青白い火花が激しく散った。


「ここ日本だよな?」

 レンは動揺を隠せない様子だった。


 コースケはHALを抱きかかえたまま、トタンからほんの少し顔を出した。4人が発砲を続けながらゆっくりと向かってくる。そして、コースケの顔のすぐ傍に光線が直撃した。ここではまずい、と必死に辺りを見回すが、逃げ場はなかった。


 そのとき、後方から車のエンジン音が聞こえた。コースケは、音の方を思わず振り向く。猛スピードで滑り込んでくる灰色のクラシックカーが見えた。追っ手とコースケたちの間に割り込むようにして、車は急停車した。


「乗れ!」

 運転席の男が助手席の窓を開けて叫ぶ。この男も片手に銃を持っていた。


 突然の出来事に足がすくみ、コースケはトタンの陰から動き出せなかった。固まったコースケを横目に、男はすぐさま運転席のドアを半開きにさせると、それを盾にして銃で応戦した。


 銃撃戦が始まり、炎上する格納庫の前で光の筋が飛び交う。4人の追っ手たちは、それを避けようと近くのトタンやSUVの陰に散りじりに身を隠す。車のボディやトタンの残骸に光の筋がぶつかると、衝撃音とともに火花が激しく舞い上がった。


「早く!」

 男は急かすように声を荒げる。コースケに選択の余地はなかった。無理やり目をぱっちりと開けて、覚悟を決める。


「歩ける?」

 コースケはトタンを背にしてうずくまるエリに歩み寄った。意思に反して涙が止まらなくなっている様子だった。


「……大丈夫」

 エリは低い声でそう言うと腕で涙を拭った。


「レン、エリを」


「わかった」


 3人は頭を低くしてトタンの陰から車へと移動する。銃撃戦はまだ続いていて、周囲のあちこちでフラッシュのような眩い光が弾けていた。レンはエリをかばいながら、車の後部座席に乗る。


 コースケはHALを助手席に押し込むと叫んだ。

「ラップトップがトラックに!」


「コースケ!あのバカ!」

 レンが大声で言った。


 コースケはその声を無視して、後方にある乗り捨てたトラックへと走る。今までの研究成果が詰まったラップトップPCを置いていくことはできなかった。


 4人の追っ手の射線をクラシックカーや大きなトタンの破片が塞いでいたため、直撃は辛うじて避けられていた。しかし、それでも辺りを流れ弾が飛び交っている。コースケは息を切らしながらトラックにたどり着いた。


 運転席のドアを開けて内部を確認する。トラックが被弾したのか、メーターパネルの表示は帯電したように不規則に点滅していた。これではエンジンがかかるはずもない。コースケは3人の荷物を引っ張り出し、すぐさま来た道を戻る。


 男は怯まずに発砲を続けていた。少しずつ4人の追っ手がクラシックカーとの距離を詰めていくが、なんとか持ちこたえていた。すると、男の打ち込んだ弾が、追っ手の一人の肩に直撃した。肩で青白い火花が破裂したと思うと、追っ手の一人は後方に軽く吹き飛ばされた。


 コースケは、助手席に飛び込むように乗った。そして、荷物を後部座席のレンに預ける。銃撃が後部座席横の窓枠に直撃し、勢いよく光が炸裂する。エリは身を屈めて俯いていた。


 男はコースケが乗ったことを確認し、すぐにアクセルを踏み込んだ。車が動き出したところで、男はハンドルを勢いよく回す。ぐるりと後輪を滑らせるようにして車の向きを変えると、格納庫を背に大学の外を目指した。


 コースケは振り返って、後ろの窓から格納庫を見る。次の瞬間、格納庫で小さな爆発が起きた。その衝撃で追っ手の行く手が阻まれたのが幸いだった。車は加速し、格納庫と人影がどんどんと小さくなっていく。


「HALは無事だな?」

 ハンドルを握る男が言った。


 コースケは男の顔を見る。40代ぐらいの精悍な顔つきをした男性だった。そして、抱きかかえたHALに視線を移す。

「ここに」


「さっきのは?」

 レンの声は微かに震えていた。


「エクストラクターだ。科学技術を狙う盗人だよ」


「あなたは?」

 コースケが質問した。

 

「島本だ。島本聡」


「島本ってあのシマモト!?」

 レンは驚きの声をあげた。


「---・」

 HALも驚いたようなビープ音を鳴らし、ディスプレイの目を瞬かせた。すると、車の中央モニターにノイズの混じった不鮮明な映像が映し出された。


 コースケは前かがみになって画面に注目した。レンとエリも画面を見る。


 映像には、宇宙服を着た男がこちらを見下ろすように映っていた。男の顔は暗く見えない。宇宙服はひどく損傷していて、男の背後では垂れ下がった電源ケーブルがあちこちでスパークを放っている。崩壊していく宇宙基地内部の映像だった。


 スパークの強い光が男の顔を照らす。ヘルメットの奥に見えたその表情は、底なしに明るかった。そしてそのまま、男はハッチに手をかける。


 雑音が混じり、音声は断続的に途切れている。

『島本によろしく伝えてくれ。頼んだぞ……ハル』

 目の前のハッチがゆっくりと閉まり、男の姿は見えなくなった。映像はそこで終わっていた。


 車内には沈黙が流れる。島本はまっすぐ車の進む先を見つめていた。コースケには、彼が涙を堪えているようにも見えた。


 コースケはその男の顔に覚えがあった。意を決して島本に尋ねる。

「これって10年前の……」


「そうだ」


 宇宙開発史において、物理学者ハリー・フラックスが月面で消息を絶ったことは教科書的事実だった。HALの送り主はそのフラックス博士であり、HALを追って謎の集団が格納庫を襲撃した。コースケは自分たちが想像もつかない大きな出来事の渦中に巻き込まれたことを悟った。

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