転(2)

 スグルは満足そうに微笑み、ガラス玉を大事そうに缶に収めた。

「しょうがないなあ」

 顔は見えないけれど、隣でサエコが苦笑いしているのがわかった。



 床板をはめて、念入りにとんとんと踏みしめてから、スグルはふと顔を上げた。



 ウッドデッキから望むはるかな山並みの向こうに、とてつもなく美しい夕焼けの景色が広がる。

 ログハウスの屋根を振り返ると、入道雲が見えていた辺りの空を埋め尽くすように、ゆっくりとゆっくりと、いくつもの赤い筋雲が動いていく。



その雲の群れを背景にして、そそりたつ柱のような、大きな大きな虹ができていた。

 こんなに巨大な虹を見るのは初めてだ。

 しばらくの間、スグルは呆然として見つめていた。



「この時間の、この場所から見る景色」

 先に言葉を発したのは、スグルではなくサエコの方だった。

「もしかしたら、宝物はこっちの方なのかもしれないね」

 サエコの口調が急に成長したように感じた。

「綺麗ね……」



 スグルは、何だかくすぐったくなって、もぞもぞ身体を動かした。

 初めて、サエコがどんな顔でこの景色を眺めているのか、見たくなった。

 ヒグラシの鳴き声だけが近く遠くに響き続けた。

 いつか夕陽は沈んで、山影が辺りを覆いはじめていた。



 と、唐突にサエコのものとはまったく違う無機質な声が、後ろから聞こえてきた。

「バッテリーの残量が低下しています」

 続いて、今度はサエコの声がした。

「もうそろそろ時間よ、うちに帰りましょう」

 でも、さっきまでの声とは違う。低くて優し気だ。



 うち? うちって……。

 そうだ、うちに帰ろう。

 スグルは思い出した。

 どうしていままで忘れていたんだろう。



 どこかからぴっぴっとブザー音が流れ、再び、無機質な、サエコのものではない声が聞こえてきた。

「バッテリーの残量が5%以下になりました。充電してください」



 声が無性にスグルを焦らせ、混乱させる。

 帰らなきゃ、帰らなきゃ……。

 わずかばかりの残光がさす山並みに向かって、スグルはとぼとぼ暗い坂道を下っていった。



 スグルの家は、丸太小屋からそれほど遠くない一角に何十軒も並んでいる、古ぼけた平屋のひとつだ。薄茶色の壁に囲まれ、小さな窓が数か所に開いている。

 がたがたと音をたてて、鍵がかかっていない格子戸を開き、そのまま進んで、居間に通じる引き戸をあける。

 直前まで、部屋の中の景色を思いだせなかった。

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