第6話 神様って、今どの辺にいるんだろう?

(真面目に信じて活動されてる方にとっては、不快な内容が含まれている可能性があります)



 神様にお願いする時ってちょいちょいあるけど、神頼みって考えてみると不思議。


 世界には神様の種類がたくさんあって、大まかには一神教と多神教にカテゴライズされてるよね。

 世界中の人がそれぞれ好きな神様を信じてるんだけど、調べてみるとわりと内容は被ってたりする。歴史を遡ると、今となってはオリジナルのふりしながら古来既存の宗教行事を拝借しちゃってたり。(典型例:クリスマス)


 まぁ、なんていうか、昔って今より確実に人々が生きにくかったはずで、食べ物もあまりいいのがなかったり、スーパーもないしコンビニもないし。

 どこかの国から物を輸入してくるにはラクダに運んでもらって高価なうえ効率悪いことこの上ない時代、一つ一つの集団内のみんなのおなかをどうにか満たしたり子孫を残して絶滅を避ける方法は、近隣の集団と争ったり、盗んだりしないとだめなわけで。


 わたしたち現代人が縄文とか弥生なんて括って原始人イメージに落とし込んでるあの時代の人たちだって、案外今の人々とあまり変わらない感覚で生きてたりする。

 そう考えるとわずか二千年前なんて昨日の話ってくらいの感じだし、二千五百年くらい前に割と有名どころの宗教が生まれて、その後もっと有名な、現在世界中に信者さんが散らばってる宗教ってのができたりするんだけど、実際の宗教の役割は円滑な富の再配分機関って考えると、ものすごく納得する。


 もし人間にも長い爪や牙や身に纏える毛皮が生えていたなら、もっとそれぞれ好き勝手に生きていけるはずなんだけど、人間って社会性の高い生き物だから肉食獣のように単独で繁栄するってほぼ無理。

 だから人類として生き残っていくためにある程度の集団で群れて獲った食べ物を分け合わないと遠からず絶滅しちゃう。

 でもそんな事情が理解できる人たちばかりじゃないだろうから、集団でみんなをまとめる役に就いた人はなんとかしておとなしく分け合う概念を植え付ける必要があったと思う。そこで便利なツールとして機能したのが宗教らしい。

 キリスト教は裕福な人が教会に寄付をするし、イスラム教はラマダーンって行事がある。で、既得権益にありついた一部の人、盗らないと死んじゃう切羽詰まった人みんながとりあえずおとなしく従うように、特典が色々考えだされたって話らしい。

 その特典ていうのが、アレだ。


 信じる者は救われる

 善い行いをすれば死んだら天国にいける、悪いことをすると地獄に落ちる 


 っていう、信じようが信じまいが実際にはどんな仕組みなのか生きてる限り絶対にわからない、ゆえに理論破綻の心配が一切ないあの話である。


 一方、多神教ってそういう概念があまり見受けられない。

 反論を恐れずに言えば、例えば日本の神道なんて、八百万やおよろずも神様がいて、トイレにはそれはそれは綺麗な女神さまがいるっていうし、どこもかしこも神様だらけ。

 でも、我々下々の者に何か(いいこと)してくれるって話は実際はあまりない。神様同士が喧嘩したりいじけたり、ちょっと怒りっぽいとか人間臭い。

 願いを聞いてもらうために神社に行ったりするんだけど、良いことがありますように。って願うんじゃなくて、災いがありませんように。って願う系。

 日本の神様は施すんじゃなくって、人間の行いが悪いかどうかは関係なくバチしか当ててこない。お供えしたりお祭りしたりはそういうのを回避する意味合いが強い。


 この違いは、過酷な住環境に関係があるとわたしは勝手に思っている。

 あの一神教(たち)が生まれた国は、社会性が高い人間たちですら生きにくい地だ。ちょっとでも大きな川や海から離れると砂漠ばかり。昼はめっちゃ暑く夜は冷えるオプション付き。過酷がゆえの戦い続きで男女比のバランスがどうしても崩れるから、何人かの女性を男が一人で養う必要すらでてくる。生き残ってる少人数の男が手分けしてそうしないと、職業選択もままならない女性たちはすぐに路頭に迷っちゃう。待っているのは死か、自らの身を落として稼ぐくらいしかない。


 そんな場所でみんなが死なないように生きていくなら、かなり厳しめに、していいこと、いけないことを叩きこむしかない。

 結婚に恋愛なんて概念はない。就職と同じだ。財産を(この場合は家畜)たくさん持ってる人のところに行けば生きていける。それだけの話だ。


 日本は砂漠の国に比べればまだ、水は豊富だし気候は温暖だし、そこまですぐに死んじゃいそうではない。弥生時代に覚えた米を作ってればあとは魚獲ったりどんぐり拾えば何とか生きていけそうな感じ。だから男たちがあえて、命を落とすかもしれない戦いに行く必要が減る。ただ、日照ったり、大雨来たりちょいちょい地道に積み上げたものを壊されちゃう。だから神様にお供えする。日本の神様はすぐ怒っちゃうからね。



 と、なると、

 神様にお願いって、日本ではお門違い感が出てくる。

 自分に都合のよいお願いをしたって施されはしない。


 もし何かを期待して願うなら、あの世に行っちゃったけど親しかった人に個別に叶えてもらうしか方法はないと思う。

 例えばじいちゃんばあちゃんとか。生前に面識があるあの人たちだ。もしもきちんとお盆の行事をしていれば、過去に向かってずらっと並んでいる遠いご先祖様にも、コネができてるかもしれない。

 日本には、死んだ後にその人たちが祭られる神社がある。ってことはやっぱり、鬼籍に入ったうちの親戚の人たちだってもしかしたら今は神様の末席に昇格してるかもしれない。

 例えば、うちの父とか。


 だからお願いします。

 お父さん、みんなが幸せになりますように。重ねてお願いいたします。














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