君の歌声は誰の為に

紅狐(べにきつね)

神様のくれた一つの奇跡


 この春、なんとか就職をした俺はいきなり地方に飛ばされた。

新人は研修の為に三年間は地方で勤務するらしい。


 そんな重要なことは事前に説明してほしいものだ。

引越しも終わり、出勤初日。

新しい部門の人が歓迎会をしてくれた。

右も左も居酒屋や夜のお店で埋め尽くされている繁華街。


「じゃ、今日はここまで! 解散!」


 やっとお開きになった。俺は一人で駅に向かう。

明日は土曜日、家でゆっくりと休むことにしよう。


 一人で駅にむかい歩き始める。

駅まではアーケードになっており、歩行者天国のように人しか歩いていない。

ほとんどの店がシャッターを下ろしているが、行き交う人は多い。


 そんなかな、耳に入ってきた歌声。

男の子三人でギターを弾きながら歌っている。

地面にはギターケースが置いてあり、少なからず小銭が入っていた。


 きっと、夢を追うかけているんだろうなと思い、駅に向かう。

しばらくするとまた歌声が耳に入ってきた。

今度は女の子の声だ。


 黒い帽子に黒いパンツ。

そして、白のシャツ。見た感じ若い。

帽子からは長い髪が揺れており、ギター片手に歌っている。

この子も夢があるのか。いいね、若いって。


 声が気になり、しばらく目の前で聞いてみる。

そんなにうまくない、でも聞いていて心地のいい声だ。


 俺以外に聞いている人はいない。

この子は人気が無いのだろうか。


 しばらく歌を聞き、おひねりを入れて帰路につく。

この街はなんとなく居心地がいいような気がした。


 そして翌週。

また歓迎会という名の飲み会。


「じゃ、今日はここまで! 解散!」


 また同じ店だったが、今日も前回と同じ時間にお開きになった。

俺はまた一人で駅に向かう。

明日は土曜日、家でゆっくりと休むことにしよう。

先週は一日寝てしまったけど、少し出かけてもいいかもしれない。


 帰る途中、また彼女が歌っていた。

前回と同じ歌。同じ格好、同じメロディ。

また、俺は途中まで聞いて帰路につく。


 あの子は毎週いるのだろうか。


 翌週は飲み会がなかった。

真っすぐに帰ろうかと思ったが、なんとなくあの子が気になる。

帰る途中、少し時間は早いけどあの子はいるのだろうか。

ちょっとだけ様子を見に行く。


 が、いなかった。

毎週金曜にいるわけでもなさそうだ。

時間もあったので、少し買い物でもしていくか。

近くの百貨店に入りスーツを物色。

そういえばベルトも一本ほしかったな。


 買い物を終え、帰路につく。

するとあの子の歌声が聞こえてきた。

なんだ、やっぱり毎週いるんじゃないか。


 自然と足が向いていた。

また、あの子の前で歌を聞く。

そんな日が続いていった。


 春から夏へ季節が変わる。

もし、あの子が学生だったら夏休み期間はこないだろう。

そう思いながら金曜の夜にアーケードに向かう。

今日は一日暑かった。


 遠目からいつもいるあの子の指定席を眺める。

そろそろあの子が来る時間だ。

近くのベンチに座り、来るのを待つ。


 予定通り、いつもと同じ時間にあの子がやってきた。

ケースからギターを取り出し、音を調整している。


 俺は立ち上がり、彼女の元に向かう。


「ほら、これ良かったら飲んで」


 差し出したペットボトル。

今夜もこの子はずっと歌っているんだろう。


「……」


 彼女は無言でこっちを見ている。

流石に怪しかったかな?


「まだ開けてないし、買ったばかりだよ」


 無言で彼女は差し出したペットボトルを受け取った。


「いつもここで歌っているね。将来は歌手になりたいの?」


 彼女はボトルを開け、少しだけ飲む。


「歌手にはならない」

「そっか。音楽の道に?」


 ボトルにふたをして、再び音を調整している。


「音楽の道? 行かないですよ」


 不思議な子だ。

歌手にも音楽の道にも行かないとは。

だったらなんで歌っている?


「そう。今日もここで?」


 彼女は無言でうなずく。

俺は歌い始める彼女の歌を聞き、帰路に就く。

毎週金曜のちょっとしたイベントになっている。


 夏から秋。

彼女はほとんど毎週金曜の夜に歌っている。

俺も毎週彼女の歌を聞きに毎週通っている一人のファンになったようだ。


 歌い始めて半年くらいなのか。

歌もギターも上手くなってきた。

そして、初めは俺一人だったのが少し人が集まるくらいには人気も出てきた。


 今日も彼女は歌っている。

なんの為に、どうして歌っているのか知らずに、俺は毎週通っている。


 秋から冬になり、すっかりと寒くなった。

彼女も俺の事を顔を見てわかるようになり、世間話も少しするようになった。


「今日は冷えますね」

「関東と違ってこっちは寒いね」


 俺はホットレモンを取り出し、彼女に渡す。


「はい、差し入れ。いる?」

「いつもありがとうございます。いただきますね」


 初めは無表情だった彼女も、最近は少しだけ微笑むようになった。


「聞いていいかわからないけど、なんで歌っているの?」

「歌うのが、好きだから……」

「動画配信とかしないの? もっと沢山の人に聞いてもらえるよ?」


 彼女は立ち上がり、ギターを手に持つ。


「配信はしません。人が好きだから。私の歌を直接聞いて欲しいから、かな」


 彼女は何を求めているのだろうか。

有名になりたいわけではない。でも、好きだから歌っている。


「そうか。だったら俺が毎週聞きに来るよ」

「ありがとうございます。もしかして、私のファンになってもらえましたか?」


 仕事で嫌なことがあったとき。

お世話になった先生が死んだとき。

祖父が倒れたとき。たった数ヶ月で色々とあった。


 でも、ここに来て、彼女の歌を聞く。

それだけで、なんとなく癒される気がした。


「そうだな、ファンかもな」

「ありがとう。あなたにも私の声が届いてくれているんですね」


 初めて見た彼女の笑顔。

俺はもしかしたらこの子に恋をしているのかもしれない。

そんな錯覚に陥る。


 ある日、上司の紹介でお見合いをすることになった。

俺はまだ結婚なんて考えていない。

ただ、上司の顔を立てるだけ。そう思って断ることが前提でお見合いをした。


 話は進み、お見合いをする。

そして、今日は金曜の夜。お見合い相手と一緒にいつもの駅まで行くことになった。


「今日はありがとうございました。良いお返事をお待ちしておりますね」


 俺と同じ年の彼女。

会長の娘さんらしく、社内結婚を考えているらしい。

結婚すればきっと出世コースに入れるだろう。


「お返事は近いうちに……」


 話を濁してしまった。

二人で帰る途中、いつもの声が響いてきた。

今日も彼女は歌っているらしい。


 今日はそのまま帰ろう。

そう思い、彼女の前を通り過ぎる。


「あっ……」


 彼女の演奏が止まり、歌も止まった。

ふと、彼女の方に視線を送る。


 目が合った。

ほんの数秒訪れる空白の時間。

再び時間は流れ、ギターの音色と共に歌声が戻る。


「あの子、歌がうまいですね」

「そうですね。いつもここで歌っていますから」


 翌週、いつもの時間にいつもの場所。

歌う彼女は来なかった。


 そして翌週の金曜。

俺は彼女の歌を聞きにいつもの時間に同じ場所に向かう。

お見合いは断った。初めから断るつもりでいたし、じつは彼女も断る予定だったらしい。

上の人たちは何を考えているのだろうか。


 いつもの時間に彼女はやってきた。


「先週来なかったね。具合でも悪かったの?」


 普通に声をかける。


「いえ、そんなことはないんですけど。ちょっと気分が……」


 いつもより少し元気がない。

具合が悪いのだろうか。


「調子が悪そうだね大丈夫?」


 ケースからギターを取り出し、両手で握る彼女。


「あの、今日はいいんですか? 彼女さん一人にして……」


 あの時の事か。


「あ、彼女はいないよ。無理やりお見合いさせられてね。でも、断った」

「断ったんですか? きれいな方でしたよね?」


 音を調整しながら彼女は話しかける。


「ま、俺にはまだ結婚とか早いと思うし。今はちょっとだけやりたいこともあるしね」

「そうですか……。また、毎週聞きに来てくれるのですか?」


 彼女の目に少しだけ涙が見えた。


「もちろん。毎週金曜は君の歌を聞くって決めているからね。よっぽどのことがない限り聞きに来るよ」

「ありがとう……。そんな風に言ってもらえると嬉しいですね」


 彼女がコードを弾き始めた。

いつより軽く感じるコード。でも、なんだか心が温かくなるような音色。


「そっか? 君だったらもっと他にもファンがいるだろうし、沢山声ももらっているだろ?」

「声は、良くかけてもらっていますね。特に若い男性の方から……」

「モテモテじゃないか」

「でも、私は歌いたいだけなんです。みんなに届けたい……」

 

 そういいながら彼女は立ち上がりいつものように歌い始める。

心地よい音色に歌声。俺はこの子に何を求めているんだろうか。


「今日もいい声だね」

「はい。少しだけ良いことがあったので」


 こうして毎週金曜は俺の癒しの場になっていく。


――


 あれから何年たったのか。

五年? 十年? ずいぶん昔の夢を見ていた。


「お父さん、そんなところで寝ていると風邪ひくよ?」


 ソファーで寝ていた俺を起こすのは小学生の娘。

うとうとしていたら眠ってしまったようだ。


「あぁ、起こしてくれてありがとう。今日は金曜か……」


 身支度を整え、娘の手を引き外に出る。


「今日も行くの?」

「あぁ。毎週金曜はいつものところに行くよ」 



 娘の手を引き、いつもの場所に向かう。

今日もギターの音色と歌声が響いている。


「今日もいい声だな」


 いつもの時間にいつもの場所。


「今日も来てくれたんだね」


 すっかり大人になった君。

あの頃の面影を残しながら、今日も君は誰かのために歌うのだろう。

昔は黒帽子と長い髪の印象が強かった君も、白いワンピースがよく似合うようになった。


「お母さん、今日もいい声だね」

「ありがとう。一緒に歌ってみる?」


 娘と妻の声を聞きながら、俺は今の幸せを感じる。


 昔、ここで出会った事はきっと奇跡だったと思う。

君の声に癒されて、君に恋をして、君と結ばれて。


 きっと、君に出会ったのは神様のくれた一つの奇跡。

彼女と娘の歌を聞きながら、俺はまた癒されていく。


 きっとこの声に癒される街の人も多くいるのだろう。

そのうちの一人が俺なのだから。

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君の歌声は誰の為に 紅狐(べにきつね) @Deep_redfox

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