万博異類館

狭間有事

万博異類館

 万博は大盛況だった。平日だというのに、人気のアメリカ館やドイツ館の入場待ちは二時間を超えているという。並ぶのと人混みが嫌いな私は、どうしてこんなところに来てしまったんだと早くも後悔し始めていた。

 数年ぶりに大手を振って大規模なイベントを開催できるとあって、この万博には世界中が並々ならぬ期待を寄せていた。各国とも力を入れており、まさに万国博覧会の名にふさわしい胸躍る新技術の数々が披露されている。そのようなCMを真に受けた私は、平日ならば快適に見て回れるだろうとの浅い考えで、のこのこと出向いてきてしまったわけである。当然、同じようなことを考えた人は大勢おり、先ほどから山のような人だかりを前に私が途方に暮れているのはそういう理由だ。

「クソ、結構高かったんだぞ、チケット」

 小さい声で悪態をついたが、聞く人の一人もいないでは甲斐がない。ついさっき、思い立ったが吉日とばかり下宿のアパートを飛び出してきたのだ。フットワークの軽いことで有名な友人連中といえども、私の全休日に付き合って自主休講してくれるほど阿呆ではない。

 木陰のベンチに腰掛けてペットボトルの水を飲みながらぐったりしていると、ふと、小さな小屋のような建物が目に留まった。さいきんはやりの里山風ハウスというやつだろうか、それにしてもくすんだ木製の、はっきり言って農具小屋か何かにしか見えないその建物は異様だった。とても技術の進歩を標榜する万博にふさわしいとは思えない。

「なんだ? あれは……」

 目を凝らしてみると、なんとか文字が読み取れた。デザインもへったくれもないゴシック体で書かれていたのは、「異類館」という三文字。その下にも何やら書いてあるようだったが、かすれて判読できなかった。

 普通の精神状態ならば、これほど怪しげな建物に足を踏み入れはしなかっただろうが、その日は失敗を取り返さなくてはという焦燥と、じりじりと照りつける真夏の太陽が私を朦朧とさせていた。気づくと私は「異類館」に向かって歩き出していた。


 入り口には何も書いていなかった。しょぼい作りのようでいて、中は存外涼しいことに私は驚いた。頭を冷やした私は早くも自分の選択を後悔し始めていたが、ここで戻るのもなんだか気が引けたので、とりあえず早足で見て回ろうと心に決めた。

 最初の部屋は水族館のような空間だった。外から受けた印象とはずいぶん異なり、中は広々としている。アクリル板だろうか、透明な板で区切られた向こう側は草原を模した部屋になっており、そこでは灰色のネズミのような生き物がもぞもぞと動き回っていた。

 何か説明はないかとあたりを見まわしたが、それらしきものは設置されていない。いったいこのネズミがなんなんだ、万博で展示するからには何かの成果なんだろうが、といぶかしんだが、どこにも説明がないのでは仕方がない。スマホでそれらしき単語を入れて検索しても、まともな情報は見つからなかった。

 諦めて次の部屋に進む。前の部屋と似た空間だったが、一つ大きな違いがあった。ネズミたちのおかれている環境が、明らかに市街地を模していたのだ。毛並みも少しだけくすんでいるように見えた。

「どこにでも生息できます、ってことか? それくらいならドブネズミと一緒じゃないか」

 もう少しよく見ようと顔を近づける。途端、耳をつんざく爆発音が鳴って、アクリル板の向こう側が赤く染まった。

「は?」

 驚きのあまり、それしか言うことができなかった。よく見るとアクリル板にも、天井にも、向かいの壁にも、内臓や骨のようなものが張り付いてズルズルと滑り落ちている。

「驚かれましたか?」

 不意に耳元でささやく声がした。慌てて振り向くと、陶器のように白い肌をした女性が立っていた。

「これは、何、いや、どういう」

「こちらで展示しておりますのはハゼネズミでございます」

 私は何も言うことができずに立ちすくんだ。本当に恐怖したとき、人間は叫ぶことも走ることもできなくなるのだと、したり顔で言っていた友人の声が脳を駆け抜ける。

「ハゼネズミというのは、遺伝的に改造された齧歯類でして、ご覧いただいたように、爆発します」

 女性は私のことなどお構いなしに説明を始める。

「ば、爆発、なぜ」

「兵器です」

 女性の答えは簡潔だった。

「メスの生殖器が爆弾になっているんですね。子宮だった部位が硬化していて、体内で生成した爆薬を溜めこむようになっています。これで敵に怪しまれないままドンと奇襲できるわけです」

「そんな、そんなことができるんですか」

「わたくしも詳しい原理は存じ上げませんが、お帰りの際にパンフレットをお渡ししております。そちらをご覧いただけば、より詳細な説明がございます」

「これは……実用化されているんですか」

「残念ながら。実は欠点がありまして。普段暮らしている環境から離れるとストレスで勝手に爆発してしまうんですね。そういうわけで、安定性に欠けることから、実用化は見送られました。さらに大きな問題が、交尾すると爆発するんです」

「メスだけ、じゃ、ないんですか」

「はい。その通りなのですが、発情期になると同性での交尾を試みて一斉にドカン、といってしまうのです。だからここにいるのはぜんぶ同じ個体のクローンなんですよ。なぜって、子供を作れませんからね」

 私はほとんど呆然としながら粘り気のある血液が壁を伝っていくさまを眺めていた。

「でも、生涯の最後に派手に弾けるなんて、いのちの輝きという感じがしませんか?」

 何を言っているかはわかったが、どういう意味なのかはわからなかった。

「次の部屋に参りましょうか」と女性が言うのを聞いて、衝動的にここから逃げ出そうと考えたが、なぜか脚がいうことを聞かず、私は次の部屋に入っていった。


 ギイギイとサルが喚くような音が聞こえて、本能的な嫌悪感を覚えた。鳴き声というより、「声」に聞こえて仕方ないのだ。

 視線をゆっくりとアクリル板の向こうにもっていく。そこでは小柄な人間くらいの動物が二匹、重なり合って何かしていた。あまりにも不気味なのは、その肌が露出していて、少々の青白さを除けばまるで人間のように思われたことだ。

「これは」と案内人の女性は続ける。私に配慮しようという気は毛頭ないらしい。「ヒトモドキです」

 あまりにもあまりな名前に、私は思わず吹き出しそうになった。恐怖も嫌悪も一定のラインを超えれば笑うしかないのだ。

「あなたがたヒトの特徴は何だと思いますか?」

 女性が「ヒト」に二人称代名詞を重ねたことには気が付いていたが、もはやそんなことはどうでもよかった。一刻も早くこの空間から逃げ出したかった私は、黙って話を聞くふりをした。声は無情にも耳を貫通し、脳に意味内容を無理やり押し込んでくる。

「道具を使うこと、火を使うこと、言語を使うこと、直立二足歩行すること、などなど、さまざまなユニークな特徴がヒトにはあります。ただ、ヒトの特徴でも、意外に知られていないものがあります。それはセックスです。中でも、発情期をもたず、いつでも性交可能というのは非常にユニークです」

 女性のようなものはそこでいったん言葉を切った。

「さて、ヒトは存続し、繁栄すべきだという思想的立場があります。その中に、自然淘汰を待たず、自らヒトを改造しようという一派も存在しています。トランスヒューマニズムと呼ばれることも多いようですね。一方では、ヒトの強みである認知能力をさらに強化しようという発想があります。他方では、ヒトの弱みである肉体を補強しようという発想があります。しかし、本当にヒトの身体的特徴は他の動物種と比べて劣っているのでしょうか。そうは考えなかった一派がありました」

 私にはもうこの話の結論がわかっていた。耳をふさごうと思ったが、腕は金属の棒になったかのようでピクリとも動かず、思考は高速で回りながら虚しく道徳的警告を発し続ける。

「ヒトの生殖能力はわずかな補強で大きな強みになる、というわけですね。そうした考えのもと、作り出されたのがこのヒトモドキです」

 私は恐る恐る二匹のヒトモドキたちに目をやる。彼らはどう見ても交尾をしていた。

「繁殖のサイクルも縮められていて、おおよそ三か月に一度、四人程度の子供を産むことができます。この大きさの哺乳類としては驚異的なペースです。しかも時期を選びません。これにより、ヒト系の動物は他の種族に大きく有利を取ることができます」

「なぜ、公開されていないんですか」

 聞くつもりのないことを私は口走っている。そんなことを聞いてどうするというのだ。心の叫びは虚しく掻き消え、どこにも行けないで内臓をかきむしっている。

「これを作った方々は少数派でしたので」と女性のようなものは語った。

「こんなものは人間ではない、という勢力の方が大きかったわけですね。研究は中止され、この不完全な状態で彼らは取り残されました。もともとの名前はわれわれも把握しておりません。ただ、彼らは未完成であり、より優れた生殖を行なえる種族の構想があったようです。そのため、ここではヒトモドキ、と呼んでおります」

 女性のようなものは少し声を上ずらせた。

「けれど、彼らのように激しい快楽の中で野放図に増えていく、爆発のようないのちの輝きがあってもよいとは思いませんか?」


 次の部屋が最後の部屋だと説明されたが、特に思うところはなかった。明らかに部屋数が少なすぎるのはわかっているが、そもそもこんな場所が万博の尋常の展示ではありえまい。

 最後の部屋は、水族館だった。いままでと違って、アクリル板の向こうは水で満たされた水槽だった。中には銀色の魚が群れを成して泳いでおり、通路を挟んで両側に、合わせて四の群れがあるのを私は見て取った。

「これは?」と私は訊ねる。先ほどの部屋にいた怖気の走るヒトモドキと比べなくても、特段の嫌悪感を催すような生き物ではなかった。

「つよいイワシです」

「は?」

 思わず間抜けな声が出てしまった。言うに事欠いて、言葉遊びのようなものが最後の部屋なのかと、何を期待していたわけでもないが裏切られたような気分になった。

「なんです、それは。水から出ても生きられるとか、そういうことですか」

「いえ。水から出れば死んでしまいます。ただ」

「ただ?」

「この名前はわれわれが決めたわけではなく、彼らがそう自称しているので」

 言葉の意味を掴みかねている私をよそに、女性のようなものは説明を始めた。

「つよいイワシというのは彼らの言葉……厳密には言葉ではないとのことですが、とにかく彼らの認識するところのことをヒトの言語に置き換えるとそういうことになる、とのことです。正直、彼らについてわかっていることは、彼らが説明してくれたことがほとんどで、われわれもまだ十分な理解ができていないのです」

「彼らって、あのイワシが、彼ら?」

「厳密には、どの代名詞を使うべきかはまだわかっていません。暫定的に彼らと呼んでいますが、正確ではないと言われ続けています。彼らは、一つの群れで一つの知性です。ヒトのそれとはあまりにも異質なため、意思疎通もほとんど困難ですが。しかしながら、一つだけ言えるのは、おそらく彼らの方がかしこいということです。ヒト側から彼らにコンタクトを取る試みは成功しませんでした。彼らの方が、ヒトの知性を解析して、ヒトにわかるような形で情報を伝えてきたのです」

「それは、どこで。実験で作ったのですか」

「いいえ」と女性のようなものは首を振った。「本館の展示物のほとんどはヒトの造った異類ですが、彼らだけは例外です。そもそも、彼らがいつからここにいるのかも、われわれは把握していません」

「いつからって、万博は今月始まったばかりじゃ」

 急に女性のようなものがふっと虚空を見つめた。私が困惑を覚えるより早く、女性のようなものの目に光が戻り、何かを言い始めた。

「あ、ああ、彼らは……われら、意味、伝える、意志、存在、向かう、あなた。あなた、知る、われら。われら、知る、あなた、喜び、向かう、われら。われら、イル、ナル、残る、否定」

 女性のようなものの口から、意味不明の単語の羅列が流れ出した。

「う、あ、あ、彼らは、あなたに興味をもったことを感謝して、いる、ようです」

 一瞬流暢な言葉が発されるが、すぐに元の意味不明な喋りに落ちていった。

「サク、われら、ヘドモ、あなた。ダル。存在、常に、動く、向かう、理解、向かう、強さ。われら、望む、あなた、あなた、含む、全体、友、ダル。いのち、輝き、存在。全て、平常、向かう、いのち、輝き。感謝、向かう、自発、あなた。われら、サンナ、イル、許可、正当。われら、ヘドモ、流れる、ゴノ。ゴノ、存在、ナル。われら、戻す、古い、存在、制限、可能、許可、あなた。時間、われら、渡す、存在、動く、向かう、あなた。われら、存在、あなた……」

 そこまで言うと、急に女性のようなものはその場に立ち止まり、動かなくなった。私も足を地面に打ち付けられたようになって、動くことができない。

 どれだけ時間がたったのかわからない。ことによると一分も経っていなかったのかもしれない。それでも私には、永遠のように長く感じられた。

「それでは、本日は異類館にご来館いただきましてありがとうございました」との声で私は我に返った。「またのお越しをお待ちしております」と、女性のようなものが深々とお辞儀をし、異類館の出口らしき扉は閉まった。

 ジリジリと蝉が鳴いていた。アスファルトの照り返しさえ、暗い部屋になれた目にはひどく眩しかった。

 ようやく明るさに目が慣れると、辺り一面異様な光景が広がっていた。

 さっきまで会場を埋め尽くすほどだった人だかりはどこにもなく、その代わり、赤いぶよぶよした球体を繋いで作ったような不気味な輪っかがあちこちで蠢いている。目のようにも見える二重円の模様がぎょろぎょろと動き、そのパターンを私はなぜか理解できる。

「何、なんだ、これは」

 異類館の方を振り返るが、さっきまでそこにあったはずの建物は見当たらない。私は半狂乱になって、赤い化け物から遠ざかろうと、物陰の方に駆け出していた。

 私はあれが何か理解しかけている。

 手にはいつ渡されたのか、「異類館」のパンフレットが握られている。ページをめくると、私の見ていないさまざまな生き物たちの写真が目に飛び込む。それらを無視して私は例のイワシを探す。

 最後の方のページに「つよいイワシ」の項を見つけた。

「つよいイワシ:異類の知性……ヒトに興味をもっており、行動を観察するために実験を行なっていると思われる。彼らの干渉を受けたヒトが、認知に異常を来すことがある。症状としては、言語の異常、身体感覚の喪失、視覚認識の異常などがある。特に、同族のヒトを正常に知覚できなくなる場合がよく見られる。これは彼らの認識との混線によるものと考えられており……」

 そこまで読んで私は顔を上げた。

 あたり一面、ぶよぶよした赤い輪っかが蠢いており、私はそれが何か理解できる。

 パンフレットの表紙には「異類館:いのちの輝き」と記されていた。

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