第29話 抗えない歴史の力

 *慎一郎 side*


 お梅さんが芹沢さんのめかけとして屯所へやって来たのは、明仁さんと共に型の稽古を終え、縁側に座り込み、休憩をしていた時だった。

 荷車を引いて中へと入って来る男性の後方で、悠々と風呂敷包みを抱えて歩いて来るお梅さんは、いつもよりも楽し気に見える。

 見送って、僕は胡座をかいて軽くストレッチし続けている明仁さんに小声で話しかけた。

「いよいよ、越して来ましたね」

「……おう」

「なんか、どうでもいいって感じに見えますけど」

「俺達には関係ないだろ」

「まぁ、それはそうだけど……」

 と、その時、祇園から戻って来た土方副長たちを迎え入れた。

「また稽古していたのか。これ以上腕を上げてどうするつもりだ」

 開口一番、藤堂さんに言われ、

「平助の言う通りだ。頼もしい限りだが、あまり根を詰め過ぎるなよ」

 と、土方副長からも念を押される。

「先程は、申し訳ありませんでした」

 頭を下げる僕に、藤堂さんは照れたように伏し目がちに呟く。

「いつだったか、俺もお前と同じような状態になったことがある。だから、気持ちは分からないでもないが、次はもう逃げ出すなよ」

「はい。それで、新見さんは……」

 躊躇いながらも尋ねると、土方副長と藤堂さんが顔を見合わせるなか、少し離れた後方で斎藤さんがポツリと呟いた。

「光縁寺だ。会津藩らによって手厚く埋葬されることになった」

「会津藩が?」

 思わず、首を捻りながら明仁さんの方を見ると、複雑な視線と目が合う。


(わざわざ、あの会津藩が動くとは。それも新見さんの為に……)


 縁側に腰掛けながら草履を脱いで部屋へと戻って行く藤堂さんと共に、土方副長と斎藤さんもその後に続いた。

「本当に、史実通りに事が運んでいきますね」

「そうだな」

「というか、どうしていつもそんなふうに冷静でいられるんですか?」

 こちらに向けられた明仁さんの鋭い眼差し。イラついた時によく見せていたそれと同じで、すぐに後悔するも後の祭りだった。

「常に冷静でなけりゃ、自分の身はおろか、大切な人を守ることもできねぇだろうが」

「すみません。愚問でした……」

 誰かに相談することも出来ないという精神的ストレスを抱えたまま。特に、明仁さんは近藤局長から厚い信頼を受けている為、そのプレッシャーは計り知れないはず。

「ずっと考えていたことがあるんだが、どんなに足掻いても、抗えない歴史の力が働いているとしたら」

 そういうと、明仁さんは足を崩し、胡座をかいて腰掛け直しながら、また静かに口を開いた。

「あの日、見知らぬ女と関わっていなければ、力士乱闘事件は防げたはずだった」

 大和屋焼き討ち事件の時も、機嫌よく独りで晩酌していた芹沢さんに油断してしまったことにより、未然に防ぐ事は叶わなかった。

 歴史を変えようとする度に、何か見えない力によって抑圧されているのではないかという明仁さんに、僕は困惑しながら返答する。

「そんなの、ただの偶然じゃ……」

「何となく、深入りするなと言われているような気がするのは俺だけか」

 明仁さんは、一瞬、俯くと明後日の方向を見遣りながら溜息をついた。その、らしくない言動に戸惑いながら、僕もまた視線のやり場を探す。

「と、いうことは、僕らがいくら歴史を変えようと努力しても無駄だってこと、なのかな」

「そうだとしたら、どうする」

「どうするって。そんなこと急に言われても」

 歴史を変えようなんて無謀すぎたのかもしれない。そう思いつつも、ふと、力士乱闘事件を思い出し、僕はどんよりとした雰囲気を和ませようと明るく振る舞った。

「斬られて亡くなるはずだった力士を助けることが出来たじゃないですか。だから、きっと」

「聞いていなかったか」

「え?」

「あの後、何者かに斬られ亡くなったらしい」

「そんな……」

「結局は、何も変わっちゃいないってことだ」

 定められた運命は変えられないのだろうか?

 もしも、何らかの歴史の力によって抑圧され続けるのだとしたら、これから僕らがしようとしていることの全てが無駄に終わるということになる。

 信じたくはないけれど、そうだとすると、僕らはどうすれば良いのだろうか。

 自問自答するなか、後方から涼やかな声がして、僕は明仁さんと共にゆっくりと振り返った。やって来ていたのは沖田さんで、これから捕物に行くのか、例の羽織を纏っている。

「どうしたんですか? 二人ともげんなりとした顔して。そういえば、私に話しっていうのは?」

 沖田さんが柔和に微笑む。と、明仁さんは、京香さんの誕生祝いのことは伏せたまま。何事もなければ、共に非番を利用して寺田屋へ行って貰いたい旨を伝えた。

「承知しました。私も、京香さんに会いに行きたいと思っていたので」

 満面の笑顔で言う沖田さんと、ニヤリとした不敵な笑みを見せる明仁さんを交互に見ながら、僕はまた苦笑するしかなかった。そして、僕が新見さんの切腹に立ち会って来たことを伝えると、沖田さんは冷やかに言い放った。

「我らの前に立ちはだかる者は、全て排除されるべきだ。しかも、新見さんは、自ら同意した禁令に背き、武士としてあるまじき行為に及んだのだから」

 微かに怒りを滲ませながらその場を後にする沖田さんを見送り、誰も居ないことを確認すると、明仁さんは微かな吐息を零した。

「総司には、新選組の為なら何でもやってのける強い意志がある。総司あいつのそういうところ、お前に似ているよな」

「そうかなぁ。それをいうなら、明仁さんの方こそ “ 策士 ” なところが土方副長と重なるって、みんな言ってますよ」

「なんだそれ」

 顔を見合わせ、互いに逸らしながら鼻で笑う明仁さんにつられて、思わず自分も笑ってしまう。

「幕末の英雄たちと似ているなんて、光栄ですよね」

「まぁな」

「話しは戻りますけど、さっき言っていた通りだとしたら……。僕らはただ、傍観者として見守ることしか出来ないということになりますよね」

「そうだとしても、最後まで刃向ってやる」

 どんなことがあっても、未来へと進んで行かなければならない。


『お前は、己の道を見誤るなよ』


 僕は、改めて新見さんの死を見つめ、明仁さんに着いて行く覚悟を決めたのだった。


 *

 *

 *


 近藤の部屋


 *明仁 side*


 時刻は、午前0時を過ぎた頃だろうか。

 一難去ってまた一難。

 予てから警戒していた、芹沢鴨暗殺計画の話し合いが近藤さんの部屋で行われた。

 先月の「大和屋焼き討ち事件」以降、いよいよ痺れを切らせた会津藩から、芹沢の処分を命ぜられていたらしい。

 声を掛けられた隊士は、俺を含めた山南、沖田、井上、永倉、原田、藤堂、斎藤の八名で。近いうちに花街・島原で贔屓にしている『角屋』にて祝宴を開く。それが、土方さんと山南さんが考えた一案だった。

 主にその二人が進行していくなか、近藤さんは黙り込んだまま。

「と、いう手筈でいこうと思うのですが。異論は?」

「無い。話し合いで決着がつかなかったとなりゃあ、るしかねぇからな」

 それぞれを見遣りながら言う山南さんの隣、左之が両指を鳴らしながら返答した。

 その計画というのは、史実通り『角屋』で酔わせきって帰宅した芹沢一派の寝込みを襲うというものであり、満場一致で可決された。

 が、山南さんの、総司と平助は外したほうがいいのではないかという意見に、当の本人たちはあっけらかんとしたような目で言い返す。

「いやだなぁ。いつまで子供扱いするつもりですか。ねぇ、平助」

「正直、気は進みませんが、私たちこそ適任なのでは?」

 総司と平助の、真っ直ぐな眼差しを受け、近藤さんは瞳に動揺の色を浮かべながら、短く吐息をついた。

「相手は、神道無念流免許皆伝だぞ」

「こちらは、北辰一刀流に天然理心流ですよ。近藤周助先生の内弟子として、また塾頭として腕を磨いて来た私が負けるはずがない。新選組の明日みらいの為になら、私はどんなことでも遣り遂げてみせる」


(これこそが、壬生の狼と言われたまことの沖田総司)


 改めてそう思うと同時に、冷やかながら自信ある眼差しを目にして、一瞬だが、微かな震えが俺の全身を駆け抜けていった。

 引き続き、土方さんと山南さんより説明が成されるなか、俺は初めて新選組をメインとしたドラマを観た日のことを思い返していた。

 中学一年の秋頃だったか。親父と二人で子供ながらに暗殺された芹沢と、刺客にならざるおえなかった近藤さんたちの、苦悩と悲しみを改めて感じた。

「ということで、刺客は俺と山南、藤堂、沖田、土方の五名とする。異論はないか?」

 土方さんからの問いかけに、俺以外の三人がほぼ同時に返答するなか、自分の名を呼ばれたことに対する驚きを隠せないまま、俺は少し遅れて土方さんに頷き返した。

「いいか、決して仕損じるなよ」

 鬼の副長とはよく言ったものだ。

 俺を島原へ誘っては芸妓たちと戯れていた土方さんのそれとは違い、時折、つらりと揺れる蝋燭の灯りに照らされた本気の表情かおは、まるで獅子のように雄々しく、恐ろしく見える。


(こうなったら、マジで刃向かい続けてやろうじゃねぇか。)


 まさかの展開に多少の動揺はあるが、自らが刺客として立ち会えることで、何かを変えられるかもしれないという期待を込めた。

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