第26話 人生最大の嘘

 文久三年八月二十日 朝四つ(午前10時頃)


 *明仁 side*


 壬生屯所

 近藤の部屋


「俺と、芹沢さん、新見さんとで話し合った。各々おのおの、異論は無いな」

 近藤さんが自分でしたためたであろう紙を前に、この場に集まった者達を交互に見た。

 集められたのは、俺と慎一郎以外に、土方副長、井上、山南、永倉、斎藤、原田、沖田、藤堂という近藤一派。そして、芹沢筆頭局長、新見、平山、平間、野口という芹沢一派だった。

 そんな中、近藤さんの隣にいる山南さんのみが、少し躊躇いながら禁令の意味を問う。

「士道に背きまじき事。と、いうのは、つまり武士らしい行いをせよ……と、いうことですね」

「そうだ。ここに定められた通り、勝手に金策することや隊を脱することは勿論、私闘も禁じる」


 一、士道ニ背キ間敷事

 一、局ヲ脱スルヲ不許

 一、勝手ニ金策致不可

 一、勝手ニ訴訟取扱不可

 

 と、書かれた後に、“ 右条々相背候者 切腹申付ベク候也 ” と、続いている。

 今のところ、局中法度という名称は無いものの、これらの禁令4ヶ条は紛れもなく、あの有名な『局中法度』であることに微かな震えを覚えた。

 これが。と、呟いてしまってから慌てて視線を泳がせる慎一郎に呆れ顔を返す。

「士道に背いた者は切腹。と、いうのは、いささか厳し過ぎやしないか?」

 そう切り出して、それぞれの顔色を窺う山南さんの隣、近藤さんだけは一点を見つめたまま無言を押し通している。

 俺はというと、まるで、“とうとうこの日が来ましたね ” と、目で訴えている慎一郎に、いつもの目配せをした。

 現代では、法を犯した者に対する審判は、死刑以外にも、無期懲役や終身刑などがある。人は、戦争で負けた者に対しても、捕虜としてだが生活の場を与えて来た。

 この時代では有り得ない考えかもしれないが、俺は後に作られる法律というものを利用して、出来る限り分かりやすく説明した。

 短い沈黙。佐之が少し面倒臭そうに言う。

「山南さんや、明仁の言っていることはよく分かる。けどよぉ、話し合いで決着がつかねぇから禁令こいつが出来たんだろ?」

 訝しげな表情のまま黙り込んでいる近藤さんの隣、これまで無言だった土方さんが、それぞれを見遣りながら静かに口を開いた。

「確かに、切腹というのは厳しすぎると俺も思う。だが、場合によってはそうせざるおえないことも事実……」

 と、厳かな表情半分、どこか悲しげな眼で芹沢を見つめる。

 それを受けた芹沢は、ニヤリと口角を上げ軽く言い放った。

「ま、そういうこった。てめぇら気をつけろよ」

 振られた新見も、その後方にいる平間、平山、野口らもきまり悪そうに紙を見遣っている。


(お前もな。芹沢……)


 いつだったか、山南さんが言っていたように、芹沢が死に場所を求めてここにいるのだとしたら、俺達の目指す思想や倫理とは大きく異なる。改めて、そんな心構えの奴らと共に力を合わせていけるはずがないと、いう結論に至ってしまう。

 と、気落ちした。その時、少し切羽詰まったように話し始める慎一郎の声に耳を傾けた。

「話は逸れてしまうんですが、僕は幼い頃から、正義の為に戦う英雄たちに憧れていました。だから、剣術にも夢中になってただひたすら、強くなろうと腕を磨いて来ました」

 こんな時に何を言っているんだ?と、本来ならばツッコミを入れるところだが、その続きを聞いて、俺はこれまでの慎一郎の想いを知った気がする。

「正直、常に死と隣り合わせな日々に疲れ果ててしまうこともあるし、これからどうなっていくのか不安でもあります。でも、両局長がいれば、新選組はどんな困難も乗り越えられる。そう、改めて思いました」

 その時の、慎一郎を見つめる二人の局長の眼が、一瞬、驚愕の色を浮かべたのを見逃さなかった。

「みんなが、同じ目的をもって動く。その為に禁令が必要なら、僕は素直に受け入れたいと思います」

「沖田の言う通りだ。俺も、力を合わせられる者を見極める為に、禁令これは必要だと思う」

 慎一郎の真向いにいる永倉も、腕組みをしながら答える。と、他のみんなも納得したような顔で一つ頷いた。

 あくまで、武士として生きていれば禁令に背くことはないはず。即ち、その覚悟が無い者は直ちにここを去ること。それが、慎一郎の意見だった。

「じゃあ、今日のうちに全員に報せる。明日から実行でいいな?」

「……承知」

 土方さんの言葉に芹沢がぶっきらぼうに、だが逸早く返答する。と、新見らもしぶしぶ頷き、去って行く芹沢の後に続いた。

 次第に、それぞれが部屋を後にするなか、同様に俺たちも部屋へ戻ろうとして、近藤さんから呼び止められる。

 自分も残る。と、言ってその場に座り直す総司を横目に、土方さんは縁側へと視線を泳がせた。

「お前ら、枡屋に奉公していたんだったよな」

「……はい」

 俺が答えると、土方さんは懐から紙を取り出し、それに目を通しながら続けた。

「枡屋に、長州やら土佐やらが出入りしているとの報せが届いたんだが」

 その一言で、自分達が疑われていることに気付く。いつかは、この日が来るだろうという危機感はあった。

 俺は、まだ何か言いたげな土方さんから視線を逸らし、

「確かに、俺達が世話になっていた頃から、浪士らしき姿を目にしていました。でも、それは馬具などといった器具も多数揃っていたからだと思います」

 近藤さん以外の視線を受け、俺は漏れ出る溜息を短めに抑えつつ、間髪入れずに返答した。

 だが、寺島が『藍』を辞め、枡屋を離れた理由も問われたことで、これまでにない緊張感が全身を駆け抜けてゆく。


(落ち着け……)


「もともと、当てが見つかるまでという約束だったこともありますが、寺田屋の女将の人柄に惚れたとかで。俺たち同様、寺島が枡屋を離れるのも目前だと思っていました」

 なるべく狼狽えないようにして伝える。と、土方さんと近藤さんは顔を見合わせた。そこで、すかさず自分たちが間者として疑われていたのかと問いかける俺に、近藤さんは薄らと微笑みながら一つ頷く。

「ああ。だが、やはり取り越し苦労だったようだな」

 と、その眼が、未だ何かを考えているかのように眉間に皺を寄せている土方さんへと向けられる。

 しばらくの沈黙。それを破ったのは、総司だった。

「まだ何か気になることが?」

「いや。だが、もし枡屋が長州らと手を組んでいるとしたら」

 土方さんの、厳かな視線が一点に集中している。

 その先に何を見据えているのか、速くなる鼓動と共に微かな息苦しさを覚えた。次の瞬間、総司が楽しげに言った。

「その時はその時でしょう。枡屋が敵の巣窟だと判明したら、捕らえれば良いだけの話し」


(正論だが、相変わらずというか何というか……)


 いつだったか、慎一郎に連れられて枡屋と『藍』を訪れた際、偶然、来店した総司たちと枡屋は対面している。それだけでなく、会話までしてしまっていた。が、その後の相互干渉が無いとするならば、まだ改善の余地はある。

「枡屋は、根っからの商人です」

 ここまでは、全て真実である。

 だが、こっから先は俺の勝手な言い分であり、人生最大の嘘──

「枡屋は潔白だ」

 一瞬だったが、慎一郎の、少し不安げな瞳と目が合う。

 不思議と、嘘をついてしまったことへの後悔はなかった。

 現在いまの俺の主張が、どれだけ有効なのか分からないし、疑いが晴れたとも思えない。不安は尽きないが、寺島を悲しませない為にも、俺達に恩情を与えてくれた枡屋を救わなければならない。

 俺のアドバイス通りに枡屋が動いてくれなければ、ついた嘘も無駄になってしまうわけだが。同時に、それだけ近藤さんたちにとって、俺たちが主要人物となり得ていたことを実感したのだった。



 それから、禁令はすぐに全隊士へと告げられた。

 それによって反応は様々だったが、誰一人として隊を抜ける者はいなかった。

 慎一郎が、総司らと共に見廻りへと繰り出すなか、俺は非番を利用して伏見を目指した。枡屋のことも気がかりだったが、あの日以来、何の連絡も取れなくなっていた寺島と会って話しておきたかったからだ。

 寺田屋は有名だが、訪れたことはない。その為、幾度となく道を尋ねながら一路、南を目指す。途中、川を挟み、左側に伏見桃山城が見えて来たら、あと僅かであるということを頼りに歩き続けた。

 その結果、なんとか伏見に入り、寺田屋へと辿り着いた時にはもう、正午を過ぎていた。


(本当に御所とは反対に真っ直ぐ南だったな……)


「おこしやす」

 寺田屋前で佇む俺に声を掛けて来たのは、見知らぬ女性だった。

 四十代後半くらいだろうか。客を迎え入れる時のように話しかけてきたということは、ここの女中かそれとも、女将か。

「お泊りどすか?」

「いえ、今日は友人に会いに伺いました」

 寺島の名を口にした途端、女性の顔がいっそう明るくなる。

「京香ちゃんやったら、もうじきお使いから戻って来る頃や思います。今、お部屋をご用意しますさかい、どうぞこちらへ」

 上品な装い、身嗜みや歯切れの良い話し方。この女性がお登勢と親しまれた人物だろうか。誘われるままに二階へと向かう。と、閉じられた襖の向こうから、薩摩弁らしき言葉で話す男達の笑い声がして、思わず足を止めた。

「こちらどすえ」

 一番奥の部屋へと通されたのだが、そこは思った以上に広く、開放感と清潔感に溢れている。

「今、お茶と菓子を用意させますさかい。どうぞごゆっくり」

 丁寧に挨拶を済ませ、笑顔で去ってゆく女性を見送り、爽やかな風の吹き込んで来る窓辺から外を見下ろした。

 久しぶりの解放感を得たのもつかの間。雑踏の中に使いから戻って来た寺島の姿を見つけ、息をつく。

 暫くした後、お茶と和菓子を乗せた盆を手に、やって来た寺島を迎え入れたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る