第25話 恋敵

 伏見 寺田屋


 *京香 side*


「ふぅ、なんだかんだやってるうちにもう深夜になっちゃった……」

 疲れからか、思わず座布団の上に腰を下ろし息をついた。

 あれから、すぐに枡屋を発ってここ、寺田屋でお世話になることになった私は、四畳くらいの一室を香坂悠こうさかゆうという名前の女中さんとシェアすることとなった。

 と、そこへ丁度お風呂から戻って来たお悠さんを迎え入れる。

「今ならいとるさかい。お京ちゃんも入って来たら?」

「あ、じゃあ行って来ますね!」 私より二つ年上で、偶然だろうけれど、雰囲気も

性格も、枡屋でお世話になっていたお遥さんと似ている。だからか、初対面にも関わらず、私達はすぐに仲良くなれた。

 入浴の支度をし、窓辺で内輪を片手に仰いでいるお悠さんに見送られながら、お風呂場を目指す。

 ここは、あの有名な坂本龍馬や新選組は勿論のこと、薩摩や長州、土佐藩士たちが通ったと言われている寺田屋だ。お登勢さんの下、私の様な女中さんや番頭さんを含め、七名で切り盛りしている。

 着いて早々、お登勢さんに楢崎龍のことを尋ねて、赤っ恥をかいてしまった。てっきり、もう寺田屋の看板娘としてここにいるものだと思い込んでいたから。

 そして、もう一つ。龍馬さんも、この頃はまだ寺田屋を訪れてはいないことが判明した。よく考えてみたら、坂本龍馬と楢崎龍がいつどこで、どんなふうに出会ったのかを知らなかったことに気付かされる。

 ドラマなどでは、池田屋事件前には出会っている設定になっていたり、土佐藩士の住処のような場所にお龍さんが出入りするようになったことで、龍馬さんと知り合うようになったとか。いくつか説があったけれど、どれが真実なのかまでは定かではない。

 いずれにせよ、いつかはここを訪れるようになるに違いない。


(ほんとだ、誰もいない。お客さんも少な目だし、この時間なら誰もいないか)


 辿り着いたお風呂場は、枡屋と同じような形式の鉄砲風呂で、さすが旅籠屋だけあって大人二人が一緒に入れるほどの広さを有している。

 便利だと感じるのは宿であること。賄いは勿論のこと、夜遅くなるとはいえ、毎日のようにお風呂に入れるようになったことが嬉しい。ただ、心配なのは枡屋さんや今日、送り出したばかりの中村さんのこと。そして、八月十八日の貢献以来、会津候から新選組の名を賜ったであろう近藤さんたちや、慎一郎さんたちのことだ。

 みんな元気だろうか。沖田さんはまだ体の不調を訴えてはいないだろうかと、考え始めたらきりがない。

 それに、もうじき何らかの方法で新見さんが切腹することになり、芹沢さん暗殺事件が起こってしまう。

 自分で選んだ道に後悔はないものの。会いに行きたい気持ちは消えてくれない。

 着物と襦袢を脱ぎ、浴槽とほぼ一緒になっている脱衣所からすぐの湯船へと向かい、備え付けの桶でぬるめの湯を浴びる。うどん粉や卵の白味で髪を洗う行為も、月に二回くらいだったのだけれど、夏に入ってからは一週間に一度は髪の毛を洗うようにしていた。

 湯に浸かって間もなく、後方からの気配に視線を向けた。

「誰もおらへんかと思いきや、おった」

 笑顔でいうお登勢さんに、私は少し緊張したまま頷く。

「あ、すぐに出ますから」

「気を遣わんでもええんよ」

 私は、早々に湯から出て、脱衣所に置いておいた手拭いで湯を拭った。

「桂さんから、くれぐれもあんさんのこと頼むゆわれて、どないな子が来るかと思っといやしたが。京香ちゃんのような器量良い、明るい子で一安心や」

「そう言って貰えると、私も嬉しいです」

 そういうお登勢さんの方こそ、年齢の割にはとても若々しくて、日本のお母さんというイメージもあれば、細めの眼差しがとても色っぽくて素敵だと思える。

 どこか、あの有名な寺田屋のお登勢さんなのだと思えば思うほど畏まってしまうのだけれど、そんな私にお登勢さんは、湯船に浸かりながら「まぁた、そないな顔して」と、言って少し怒ったような微笑みを浮かべる。

「わてのこと、実の母のように思うてくれて構へんゆうたやろ? そん代わり、いろいろ覚えて貰わなあかんこともあるさかい。覚悟しいや」

 今度は悪戯っぽく微笑うお登勢さんに、私も同様に頷き返す。

「はいっ」

 互いに笑い合って、新しい襦袢に着替え終えた。次いで、声を掛けてその場を後にしようとして、お登勢さんに呼び止められる。

「なぁ、京香ちゃん」

「はい?」

「お客さまの中には、特別なお仕事を担った方も来られるやもしれまへん。そん度に、気苦労を掛けるやもしれへんけど。これから、頼みましたえ」

「心得ております」

 いずれ、ここは佐幕派も倒幕派も関係なく大勢の志士たちで賑わうようになる。その時、私なりの持て成し方で彼らを支えていけたらと、お風呂場を後にしながら、そんな事を考えていた。



 やがて、戻った部屋には二人分の布団が敷かれていて、片方ではもう既にお悠さんがぐっすりと眠っている。私は、彼女を起こさないように部屋の隅に置かれていた行燈の灯りを消し、自らも布団に横になった。途端、すーっと全身から力が抜けていくのを感じる。

 微睡みながらも、ふと思い出すのは──


(会いたいなぁ。慎一郎さんに……)


「……っ……」

 何の気なしに心の中で思い描いたのは、慎一郎さんの笑顔だった。いつも傍にあったからだろうか、またいつか会えると思いながらも、寂しさと不安とでいっぱいになってゆき。それと同時に気付かされた。

 誰よりも、慎一郎さんのことを想っていることに。


 *

 *

 *


 八木家 新選組屯所 


 *慎一郎 side*


「新選組、か」

 京香さんの言っていた通り、壬生浪士組は御所の警護を務めたその日に、会津候より新選組という名前を賜った。

 心機一転したものの、これから起こるであろう事件のことを思い浮かべると、溜息をつかずにはいられなかった。

 と、その時、

「こんなところにいた。探しましたよ」

 縁側で涼んでいる僕に声を掛けて来たのは、青い着流し姿の沖田さんだった。団扇で仰ぎながら悠々とこちらへ歩いて来ると、沖田さんは僕の隣に胡坐をかいて夜空を見遣った。

「満月かな。綺麗だね」

「そうですね」

 雲一つない夜空に、大きな真ん丸の月が控えめながらも輝きを放っている。

「それに、今夜は幾分涼しいからよく寝られそうだ」

「確かに。でも蚊に起こされて、結局、睡眠不足は変わらないんですけどね」

 月明かりだけなので、その表情までははっきりと窺い知れないのだけれど、「そうかもね」と、言いながらこちらに笑いかけているであろう沖田さんに、何か用があるのかと尋ねる。と、沖田さんは夜空を仰いだまま囁くように言った。

「見廻りの最中、偶然会った『藍』のお凛さんから聞いたのですが、京香さんが伏見の寺田屋という旅籠屋へ奉公に出たとか」

「そう、なんですか?」

 昨夜のうちに明仁さんから京香さんの所在地と、その理由を聞いていたのだけれど、僕はあえて知らないふりをした。

 壬生寺での会話を最後に、京香さんとは会えないまま。本当は、すぐにでも会って話の続きをしたいと思っていた。でも、そういう時に限って身動き取れないほど忙しくなり、未だに会う約束さえも出来ていない。

「恋仲なのに、知らなかったの?」

 微笑み半分の、どこか厳かに細められたような視線とかち合う。


(やっぱ、誤解されたままだったか)


 こういう時、どう言い返せば良いか戸惑ってしまう。あの時、口にした京香さんへの想いは嘘ではないものの、京香さんが好きなのは、今目の前にいるこの人であり───

「その、僕の片思いってやつで……」

「かたおもい?」

 首を傾げる沖田さんに、“ 一方的な恋 ” とか、“ 報われない恋 ” であることを伝えた。すると、沖田さんは一瞬、きょとんとした後、どこか安堵したような吐息を零した。

「では、京香さんは……」

「僕が思うに、沖田さんのことが好きなんじゃないかと」

「わ、私を?!」

 驚きながらも嬉しそうに微笑んでいる沖田さんに、僕は苦笑気味に大きく頷いた。

「沖田さんも見てたでしょう? 僕が告白……じゃなくて、想いを告げた時、京香さんは沖田さんの前だったから何も言い返せなかったんですよ。きっと」

 そうとしか思えなかった。もともと、新選組に憧れていて、特に沖田総司に会いたいと言っていたのだから。

「それに、沖田さんも京香さんのことを想っているんでしょう?」

 この際だからと、今まで感じていたことを伝えてみる。沖田さんは沈黙した後、無言で頷いた。

「じつは、一目で惚れてしまったようです。その後、会いたいという想いは次第に大きくなり、自分のものにしたいと思うようになっていった」

 沖田さんからも、「信頼している」と、言われたようなもので、納得出来た訳ではないけれど、これで良かったのだと、改めて思うようにした。

 明仁さんの言う通り、京香さんを守ること。京香さんが幸せになることが僕らにとって、一番なのだから、と。

「私達は、恋敵というやつだね」

 不意にそう言われ、僕は慌てて否定した。

「いや、だから……最初から僕のことは……」

「まだ分からないじゃないか」

「え?」

「京香さんからはっきり聞くまでは」

 そう言って、先に部屋へ戻るという沖田さんを見送り、再び夜空の星々を見遣りながら、僕は京香さんの笑顔を思い浮かべた。


(あの沖田総司が恋敵、か。勝てそうもないし、決着はもうついている)


 それよりも、京香さんが言っていた新見さん切腹の件や、芹沢さんたちを暗殺するという件を何とかしなければならない。ただ、芹沢一派を排除せずに新選組が成り立つのかと問われれば、首を縦に振ることは出来ない。だからと言って、粛清や暗殺でしか解決出来ないのはおかしいとも思う。

「どうしたらいいんだ……」

 と、呟いた。その時、またもや後方から歩み寄って来る足音がして、僕は再び振り返った。

「こんなところで何してる」

「あ、その……ちょっと眠れなくて」

 噂をすれば。黒めの着流し姿で現れた芹沢さんを目の前にして、微かに動揺しながら答える。次いで、自分と同様に涼みに来たのかと尋ねたところ、「厠」とだけ返された。

「あ、そっすか」

「飲み過ぎたようだ。しかし、今宵の月は見事だな」

「ですよね」

 さっきも、沖田さんに同じような言葉を返したと思った。刹那、芹沢さんが低く鋭い声で呟いた。

「月光は人を惑わせる」

「……え?」

 芹沢さんは、立ち尽くしたまま僕を見おろし、不敵な笑みを浮かべる。

 次に、おやすみ。と、棒読みっぽく言われ、僕も厠へと向かう芹沢さんに就寝の挨拶を返した。

「月光は人を惑わせる、か」

 その言葉が何を意味するのか。気付くまでに、そう時間は掛からなかった。

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