第15話 信頼と疑心の間

 * 京香 side *


「えっと、ここを左で。後は真っ直ぐ行けばいつもの通りに出るかな」

 吉田屋の御主人に書いて貰った地図を胸元へしまい込む。

 高杉さんと別れ、小さめだけれど女将さんから草履までお借りした私は、風呂敷で包まれた元の着物を手に四条通りを目指した。

 その間、今後の身の振り方を考えると同時に、知り得る限りの史実を思い出していた。


(確か、力士と乱闘事件を起こしてしまうのは六月だったような。ということは、来月だったりする?! )


 壬生浪士組と名乗って悪事を働いている人たちを取り締まる為に、大阪の町奉行から依頼されて向かうことになるはずなのだけれど、正確な日付までは分からない。

 ある史実によれば、とある宿屋に身を置いていた彼らは、舟遊びをしに何とかって川に出かけることになり。その最中、腹痛を訴えた斎藤さんを手当てする為に岸へ上陸してみたものの、道に迷ってしまう。

 乱闘事件を起こしてしまうのはその直後だったはず。その時は、ただの殴り合いだけで終わるのだけれど、斎藤さんの手当てをする為に入った宿に押し入って来た力士たちと、今度こそ斬り合いになる。そして、数名の力士が重傷を負い、そのうち一人が亡くなってしまうのだ。


(何とか、そんな不幸な争いだけは避けたい。何より、その場にいたとされる沖田総司おきたさんにも刀を抜いて貰いたくない。)


 大まかな史実なら、沖田さんと土方さんにも伝えてあるけれど、もう一度、しっかりと伝えておかなければという思いから、私はお使いを後回しにして屯所を目指した。



 日の傾きからして、午後1時くらいだろうか。屯所に来るのは、初めて沖田さんたちと訪ねて以来だった。

 門に辿り着くと、丁度、見廻りから戻って来たであろう藤堂さんを先頭に、こちらへ歩いて来る羽織姿の壬生浪士たちを見かける。

「お勤めご苦労さまです!」

 お辞儀をしながら迎えると、私に気付いた沖田さんが逸早く駆け寄って来てくれた。

「あれ、どうしたんですか?」

「今日はちょっと、史実について話しておきたいことがあって来ちゃいました」

「分かりました。すぐに着替えて来ますね」

 そう言って、駆け足で中へと戻っていく沖田さんを見送り、私に一礼しながら中へ入って行く藤堂さんたちに何度も挨拶を返した。最後、籠手を外しながらこちらへ歩いて来る土方さんにも労いの言葉を掛ける。

「今日もお疲れ様でした」

「何かあったのか?」

 土方さんは、外し終えた籠手を胸元にしまい込んだ。

「今、沖田さんにも伝えたんですが、これから起こり得る史実をもう一度しっかりと伝えておきたくて」

「分かった」

「ここで待っていますね」

 足早に去り行く土方さんも見送り、お二人が出て来るのを待っていると、背後から声を掛けられた。声の主は沖田総司さんで、また壬生寺へでも遊びに行っていたのか、両隣には為三郎くんと勇之助くんがいる。

「こんなところで何をしてらっしゃるんです?」

「あ、その。ちょっと沖田さんと土方さんに用事があって……」

「私と土方さんに? 何でしょう」

 嬉しそうに微笑む沖田さんを前に、思わず俯いてしまう。

「違うんです。あの、沖田慎一郎さんと、土方明仁さんのことで……」

「……そうでしたか。やっぱり紛らわしいなぁ」

 苦笑する沖田さんに、為三郎くんが得意げに言う。

「ほなら、こないしたらどないどす?」

 それは、後から入隊した沖田さんと土方さんの名前を呼ぶようにする。と、いうものだった。単純だけれど、私も名案だと思えた。

「そりゃあいい。考えたなぁ、為三郎」

 為三郎くんを見下ろしながら、沖田さんがにっこりと微笑む。すると、今度は勇之助くんが、「わてもそないに考えとった」と、笑顔で頷いた。

 沖田さんは、しゃがみこむと勇之助くんの肩を抱き寄せ、「本当にそう思っていたのか?」と、ちゃかすようにして両手で勇之助くんの脇腹を擽り始める。

「あっははは、くすぐったいからあかんゆうとるやろー!」

 言いながら、勇之助くんは必死に抑え込もうとしている沖田さんの手を払いのけ、玄関の方へと走ってゆく。それを見ていた為三郎くんも、期待の目で沖田さんを見つめていて、沖田さんはそれを裏切ることなく同様に擽り攻撃を仕掛けた。

 すると、逃げていた勇之助くんも戻って来て、今度は沖田さんの脇腹を擽り始める。

「兄上、今や逃げい!」

「勇之助! 待った、私が悪かった!」

 ぞれぞれの楽しそうな笑い声が賑やかに響き渡る。まるで、本当の兄弟のように接している彼らが微笑ましくて、何よりも沖田総司は子供が好きだという史実通りの展開が嬉しかった。

 そのうち、沖田さんと為三郎くんが勇之助くん一人を擽り出し、また玄関の方へ逃げる勇之助くんを為三郎くんが追いかける。

つまづかないように気を付けろよ!」

 庭の方へ駆けてゆく彼らに声を掛け、沖田さんは乱れた襟元を正した。

「こんなところではなんですから、中へどうぞ」

「いえ、ここで待っていると、お二人に伝えてしまったので」

「これから、彼らと何処かへお出掛けになられるのですか?」

「あ、はい! 多分、そうなるかと……」

 私は苦笑しながらも、訝しげに眉を顰める沖田さんから視線を逸らした。


(行くとしたら、また壬生寺だろうか。)


 困り果てて何度かちらちらと沖田さんを見遣っていた。その時、「お待たせしました」と、言う慎一郎さんの声がすると同時に、いつもの袴姿で戻って来たお二人を迎え入れる。

 何となく気まずくて、私はすぐに慎一郎さんと明仁さんの腕を取り、未だこちらを見続けている沖田さんを横目に、私たちはぎこちない足取りで壬生寺を目指した。



 やがて、辿り着いた壬生寺の本堂裏で、私はまず先程の沖田さんとのやり取りを説明した。

「と、いう訳で、あまり屯所へ行くことは無いと思うんですけど、これから沖田さんのことは慎一郎さん。土方さんのことは明仁さんって呼ばせて貰ってもいいですか?」

「全然構いませんよ。ね、さん」

 慎一郎さんは本堂の手すりに片肘を付きながら、隣にいる明仁さんに悪戯っぽい眼差しを向ける。明仁さんの方はというと、本堂の手すりに背を預け、大きな溜息を零した。

「俺も、その件に関しては気にしていなかった訳じゃないが」

「土方さんは、僕のことを名前で呼んでくれていたから苦労は無いだろうけど、僕はずっと土方さんって呼んで来たからなぁ」

 慎一郎さんも溜息交じりに言う。それでも、壬生浪士組として活動していくにはそれが一番の得策だという結論に至り、最後は納得してくれたのだった。

「それよりも、俺達に話したいことっていうのは?」

「前に話した力士乱闘事件なんですけど、来月のどこかだったと思うんです」

 私がそう言うと、明仁さんと慎一郎さんは顔を見合わせた。

 以前、ざっとこれから起こり得る史実を話したことがあったけれど、改めてその乱闘事件のことを話そうとした私に、明仁さんは「それに関しては任せろ」と、呟いた。

 その史実を知ってから、明仁さんは怪しまれないように事を進めていたそうで、私が説明した通り、壬生浪士組の名を語って悪行を働いている者たちを取り締まる為に大阪へ行くという近藤さんに同伴を求めていたという。

「そんなことが言えたのも、副長助勤となったからだと思うんだが、俺だけ何とか加えて貰えることになった」

「さすがです」

 思わず、安堵の息を漏らす。次いで、大阪でどんなことが起こるのかを大まかに話して聴かせると、明仁さんは何度か小さく頷いた。

 力士乱闘事件だけに限らず、これまでも、そしてこれからも、壬生浪士組は少なからず問題を起こし続ける。それら全てを防ぐことは出来ないだろうけれど、分かっている史実だけでも変えることが出来たらと思っていた。

「私達が彼らと関わることで確実に歴史は変わってしまいました。でも、やっぱり何かしないといけない気がして……」

「もしかしたら、誰かの未来を変えてしまうことになるかもしれないけれど」

 と、慎一郎さんは一点を見つめながら言った。

 例えば、暗殺されるはずの芹沢さんとお梅さんを助けることが出来たとしたら、どうなるのだろう?お梅さんとの間に子供が生まれ、その子が育ち、芹沢さんの意思を受け継ぐ者となっていくとしたら。

 切腹したとされる山南さんを思い留まるように説得出来たとしたら、どうなるのだろう?明里さんが存在したとして、彼女と結ばれたとしたら。

 そして、龍馬さんの暗殺を未然に防ぐことが出来たとしたら。

「慎一郎さんの言う通り、誰かの未来を変えてしまうかもしれないんですよね」

「俺達の未来もな」


(……っ……)


 私の言葉に付け足すように、明仁さんがぽつりと呟いた。

「歴史の傍観者であるべきか。それとも、この現実を受け止め、攘夷ってやつを成し遂げる為に命を懸けて戦うべきか。正直、迷うこともあった」

 続いた明仁さんの言葉にハッとなって、私は逸らしていた視線を上げた。慎一郎さんも、同様に明仁さんを真剣な眼差しで見つめている。

「だが、今は迷いの全てを吹っ切った。ここでの俺の天命は壬生浪士として、いや新選組隊士として、この国を守ることだと思っている」

 一瞬、心臓がトクンと大きく跳ねた。

「この世界に限らず、常にあらゆる面で信頼されていなければ、自分という人間を認めて貰うことは出来ないからな」

「……そう、ですよね」

 最もな意見だ。と、思うと同時に、お二人が高杉さんや龍馬さんにとって、完全に敵対してしまっている。と、いう事実を思い知らされる。

 本当は、今日一日のことを包み隠さず報告するつもりだったのだけれど、明仁さんの覚悟の眼差しの前に、私はそれが出来ずにいた。



 それから、先に屯所へ戻るという明仁さんを見送り、枡屋まで送ってくれるという慎一郎さんに付き添われながら、壬生寺を後にした。

 その間、何となくぎこちない雰囲気を変えたくて、枡屋さんの友人であり、お遥さんの幼馴染でもある中村隼人さんと、お遥さんの妹の晴乃さんが結婚したという話を持ち掛けてみた。

「だから、早くお遥さんが大阪から戻って来ないかなって思ってるんですけどね」

「京香さん」

「はい?」

「やっぱり何かあったんじゃ……」

 なるべく楽しい話題で気を紛らわそうとしていたのだけれど、そうすればするほど、慎一郎さんには私が無理をしているように見えたらしい。

 この人に嘘はつけない。そう思って、私は躊躇いながらもこれまでのことを打ち明けることにした。

「あの、沖田さん……」

「はい」

「じつは、沖田さんたちが見廻りをしていた頃、私は高杉晋作と一緒だったんです」

「えぇっ?!」

 立ち止まり、私を見つめる慎一郎さんの、驚愕の視線を受け止めた。

「……どうして黙っていたんですか?」

「本当は、そのことも伝えようと思っていたんです。でも、土方さんの話を聞いていたら……なぜか、言えなくなっちゃって」

 明仁さんと慎一郎さんは、枡屋さんを説得しようとしたように、近藤さんや芹沢さんたちにも働きかけてくれている。だから、高杉さんや龍馬さんのことを話しても大丈夫だと思っていた。

 あの場で話せなくなってしまったのは、明仁さんから、“ 新選組隊士として生きる ” と、いう決意を聞いてしまったからだと思う。

「お使いの最中、追われていた高杉さんと出会って……その後、高杉さんに連れられて行った料亭で、偶然、龍馬さんとも再会したんです。」

「坂本龍馬とも……」

 私は、訝し気に眉を顰める慎一郎さんに頷いた。

 龍馬さんが追われることになるのは、もう少し先だけれど倒幕論者としていずれは新選組の標的となってしまう。

「新選組の内部を変えていければいいって、土方さんは言ってくれましたけど、いざとなったら、隊の為、幕府の為に動かなければならなくなる訳で……あの場で、高杉さんや龍馬さんのことを話したら、私を信頼して色んな話をしてくれた龍馬さんたちに申し訳ないって、思ってしまったんです」

 俯いていた顔を上げると、慎一郎さんも私から視線を逸らしていた。そして、何かを考えるかのように今度は空を仰ぎ瞳を細めた。

「その気持ちは分かります。僕も同じ立場だったら、そうしていたと思うし、それに僕らが入隊した時点で、京香さんには複雑な思いをさせてしまうだろうと思っていたから。でも……」

 今度は、慎一郎さんが言いにくそうに視線を泳がせ始める。

「信頼して貰っていると思っていたので……なんか、ちょっと寂しかったかなって」

「あ……」

 思わず、喉から微かな音が漏れる。

 慎一郎さんは微かに笑みを浮かべながらも、どこか怒っているようにも見えて、初めて目にするその表情を前に、ドキドキと鼓動が速まっていく。

「ご、ごめんなさい! お二人のこと、疑っている訳じゃ…」

「なんていうか、僕のほうこそすみません。ちょっと余裕がなくて」

 いつものように微笑むその表情が悲しげに歪んで見える。

 私は、誰よりも寄り添い続けてくれた慎一郎さんや明仁さんの想いよりも、出会ったばかりの高杉さんや龍馬さんの想いの方を優先させていた?

「というか、結局はで呼ばれてたなぁ」

「そ、そうでしたね……」

 行きましょう。と、言って何事も無かったかのように歩き出す慎一郎さんの背中を見つめながら、私もゆっくりとその後をついて歩く。

 慎一郎さんの方が私なんかよりずっと大変なのに。それに、お二人を信じて着いて行くって、そう決めていたのに。

 枡屋までの道程が、やけに長く感じた。

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