現代百物語 第44話 駅Ⅲ コンコースにて

河野章

現代百物語 第44話 駅Ⅲ コンコースにて

「じゃあ最後は、俺か」

 藤崎柊輔はふふんと笑って、肘をテーブルへと着いた。

 藤崎の家で行われているのは夏最中の夜の百物語だった。しかし百物語と言っても参加者は三人だ。これで最終話だった。

「林とブレスレットってのが、被るんだけどなぁ……」

 そう言いかけて、ふと、むき出しの自身の右の手首を左手で指差した。

「これ、見えるか?」

 後輩二人、林基明は首を振り、谷本新也(アラヤ)は頷いた。

「いや、なんにも」

「見えますね」

 『え』と林は新也を振り返り、藤崎はニヤリと笑った。

「見えるか」

「見えます。赤い紐に鈴……のブレスレットですか?」

 言いながら、新也は嫌そうにを身を引いた。

「っていうかなんですかそれ。先輩、それ見えてないでしょう?」

「見えてないな」

 腕を下ろして、さも当然のように藤崎は頷いて畳へと手をついた。チリンと涼し気な音色が新也の耳に届いた。

 藤崎はニヤリと笑って話し始めた。


 俺は✕✕駅をよく利用するんだけど、あそこのコンコース、知ってるだろう? 広い広場風の、あの新幹線口につながってるところ。

 先週、俺は仕事の取材の帰りで、夕方だったかな。まだ外は明るかったけど、行き交う人でコンコースはごった返してた。

 前から人の波に逆行するように、走ってくる男が見えた。俺らと同年代くらいのワイシャツに背広姿の男で、後ろを振り返りながら血相を変えて走ってくるんだ。危ないと思って避けたんだけど、まあ、男が方向変換したのと絶妙にタイミングがマッチして……ぶつかったんだ。

 肩からタックル受けたようなもんだったよ。俺より少し小柄だったかな。つい受け止めちまった。

「おっと……」

「あ、あっ……すみません、すみませ……」

「いや、大丈夫ですか」

 そういう会話をしたと思う。それで立ち去るかなと思った男が妙なんだ。俺の前でそわそわし出して、いきなり『本当にすみません!』って俺の手を握るんだよ。

 男の顔は真っ青で、けれど首筋や額から吹き出すように汗をかいていた。しきりに後ろを気にしているみたいだった。

「え、あの」

「本当にっ! すみ、ません、これ、あのお願い……しますっ!」

 手首を掴まれて、ぐるっと何かを腕に引っ掛ける動作を男がした。そこで初めて鈴の音がしたのを覚えてる。チリンって小さい鈴の音だ。

「後は、お願いします! すみません……!」

 男は逃げるように去っていったよ。後には周囲からジロジロ見られる俺だけ。男に触れられた手首を見たけど何もなくって、ただ、手首を振るとチリチリと小さい鈴の音が聞こえた。

 

「それが、これだ」

 ぶらんと手首の力を抜いて、藤崎は二人の前に見せつけた。林の目には何も写らず、新也にはブレスレットが……ブレスレットと言うにはお粗末なほどの細い赤い糸と色の剥げかけた白い鈴が見えた。

「藤崎先輩にも見えないんですか?」

 林が首を傾げる。飲みかけたビールはテーブルの上に放置されていた。腕を持ち上げて藤崎も自身の右腕を見上げる。

「見えないんだよな。こう、腕を振るとチリンって音がするからなにか付いてるんだろう、男の仕草からブレスレット的なものかなってくらいで」

「それ、なんだか薄気味悪いですよ……音も、俺には人の話し声っていうか、ブツブツなにか低い声で言ってるように聞こえます」

 新也がちびりと缶チューハイを傾けた。

「そうか? 俺にはただの鈴の音に聞こえるけど。っていうか、今日はこれをついでにお前に見てほしくて──」

「や、だから、近寄せないでくださいよ……!」

「そんなお前、先輩に対して」

「だって、先輩がですよ!? 仮にも先輩ともあろう人が、見えてはなくても聞こえちゃってるじゃないですか。無視できてないじゃないですか? いつもの鈍感さはどうしたんですか?」

「聞こえるんだから仕方ないだろう!? 失礼なやつだな、お前」

「失礼でも怖いものは怖いです! だから言いますけど、これって実は相当ヤバい──」

 藤崎が腕を伸ばし、新也が防御しようと腕を振り上げ、二人が腕を交差させた時だった。

 新也の指先がブレスレットに触れた。

 ぷつりと、新也の目の前でブレスレットの赤い糸は切れた。チリンと一際大きな音がして、鈴も糸もかき消える。

 と、客間の明かりが消えてあたりは真っ暗になった。

「わぁ!」

 何もわからない林がいきなりの事に声を上げた。

 それに合わせるかのように今度は、ドオンッ! バタバタバタ! と、三人がいた客間の外壁を、大勢の何かが手のひらで叩く音がする。

「な、なんですかこれ!?」

 数秒で音は止んだが、真っ暗な中で林が言い立ち上がろうとし、新也はそんな林を制した。藤崎だけが立ち上がり、 

「今の、外からの音だったろ。ちょっと、外を見てくる」

 そう言って懐中電灯を手に縁側から庭へと出ていった。

 しばらくすると、二人を呼ぶ藤崎の声が外からした。どうも、床の間がある方の壁を外から見ているらしい。

「ちょっと見てみろよ。これ」

 恐る恐る玄関から庭へ出た二人は壁伝いにぐるりと回り込み、藤崎が照らし出した床の間の裏壁を見た。漆喰壁に赤の、大きさからは子供の手形と思われる跡が壁中に付いていた。

「壁、塗り替えだなこりゃ。……いや、ちょっとさ。実は俺だって気をつけてはいたんだ」

 呆れたような、途方に暮れたような声で藤崎が壁を照らしつつ続ける。林は新也のシャツの裾をギュッと握っていた。声も出ない様子だ。

「何を、気をつけていたんです?」

 どうにも嫌な予感がして、新也は静かに尋ねた。首筋がぞくぞくする。

「や、見えないけど何かが手首に付いてるなってのは音からわかるわけで。それで、背後を気にしてた男の様子から考えたら、音を頼りに何かが追ってくるのかなぁって」

「それで?」

「だから、家の外に出るとき、家に入るときは塩を肩に振ってたんだけど……」

「今は、してないですよね……?」

 新也が確認をすると申し訳無さそうに、うんと藤崎が頷いた。

 三人の間を沈黙とムッとした夏の熱さが漂った。いや、その中になんとも言えない臭気がする。生臭い、魚の腐ったような匂いだ。

「鈴も、消えちゃいましたけど……」

 新也が口を開いたときだった。

「ここにいたの。やっと、追いついた」

 暗闇から、朗らかな幼い声がした。

 三人は振り返ることが出来なかった。



【end】

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