第5話 蜘蛛


「え!?蜘蛛???」


「酷いものだねぇ。あれだけ嬉々としてたくさん蜘蛛を殺してたってのに。」


「あ・・・」


私は垂れ落ちていく白い糸を思い出した。小学校高学年の頃、確かに興味本位でたくさんの蜘蛛を殺してしまっていた。


「で、でも虫なんて、、、わ、私だけじゃなく、みんなだって虫を殺したり、駆除したりしてますよね??どうして私だけ??」


私は狼狽えていた。出来る事なら再び襲われるであろうあの苦しみから逃れたかった。


「『お前さんだけ』だなんて一言も言ってないさね。さっきまでそこにいた医者だった男も遊びで瓶に虫を入れてたくさん殺してたよ。当然その報いを受けていたけどねぇ。」


「そ、、、そんな。どうしたら、、、どうしたら、、、」


「『そんな』じゃないさね。それにお前さんも駆除とかの理由じゃなく遊びで殺してたじゃないか。それで殺された方は堪ったもんじゃ無いさねぇ?」


私の言い逃れは全く通用しなかった。


「あああ!でも、そんな理不尽な・・・」


「理不尽??お前さんに『面白いから』『楽しいから』と、理不尽に殺された蜘蛛たちもそう思ったさねぇ。」


「いやああああああああ・・。」


私は恐怖と不安でいっぱいになり正気を失い、壁を這うようにして老婆から必死に逃れようとしたけど、白い靄からは逃れられはずがなかった。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!」


私はまた視界を靄に奪われて発狂した。


靄の中、、、再びあの大きな円柱の影が下から現れた。


前回と異なっていたのは円柱の脇から大きな顔が見えていた事だった。

私はその顔が誰なのか老婆との会話から分かってはいた。


「うぅ・・・。」


分かってはいたけど、あの頃の私が目をキラキラ輝かせて「いた!いたぁーー!」と楽し気な声を上げながら、下から覗いてくる姿はとても異様で恐ろしいものがあった。



「やめて・・・やめてよ!やめてぇぇぇーーーーーーーーーーー!!」






シューーーーーーーーーーーーーーーー!!



私の叫び声は、私に届くはずはなく無情に毒を噴きかけられ、再びもがき苦しんだ、、、、、、、




「わぁ!やっぱりおもしろーい!!」




呼吸が出来ず意識を失っていく最中、キャッキャとはしゃぐあの頃私の声が聞こえた・・・



****




私は虫が苦手だった。


なかでも特に蜘蛛が苦手・・・・嫌いだった。


あのフォルムや色合いが嫌いだ。とくに黄色と黒のやつ、、、、ああ!!ゾワゾワする。あと蜘蛛の巣も嫌いだ。公園で遊具をくぐったりして走り回って遊んでいると、何故かピンポイントで頭に巣が引っかかったりする。もう!!なんであんな位置に巣を貼るのよ!!あとあと、、、ああ!!もうとにかく蜘蛛が嫌いだった。


その頃の私の朝一番の仕事は、外のポストにある父の新聞を取りにいくことだった。しかし困った事に玄関を出るとあいつらはだいたい玄関ポーチの天井と壁の角に巣を作っては真ん中でじっとしている。そしてこっちをジーっと見ているようにも思えた。まずい。緊急事態だ。


「おかあさーーん!!また蜘蛛が巣作ってるーーーーーー。早く取ってーーー!!」


もう!と玄関に戻りキッチンに向かって大声で知らせると「はいはい」と母が仕方なさそうにホウキを持ってパタパタとスリッパを鳴らしながら来てくれる。母が玄関ドアを開けて外に出ていく姿を見ると私はホッと胸を撫で下ろすのだった。


そして、あれは小学校5年生か6年生だったかな??いつものようにキッチンに向かって緊急事態を大声で知らせるが、その日は珍しくお母さんが二度寝をしてしまったようだった。バタバタと慌ただしくお弁当や朝食の準備をしていた。


「ごめーん!聖、自分でやってちょうだい」


キッチンからお母さんが顔をのぞかせると、下駄箱を指さしてすぐキッチンに消えていった。


私はお母さんの指さした辺りを見てみると、下駄箱の脇にホウキが掛かってあった。


「えええ!!無理ぃ・・。」


ムリムリムリムリ!ホウキでなんて怖いよぉ。無理に決まっている。


「他に何かないかなぁ?」


唇を尖らせながら下駄箱の収納を次々開くと中棚に『5mまで届く!!最強!!!一発撃退!!』と強烈感をアピールする書体で、そうでかでかと書いてあるスプレー缶を見つけた。


殺虫スプレーだ!!


まさに『てれれてってれーーー!!』である。


「これなら大丈夫かも・・・。」


私は殺虫スプレーを手に取り、若干怯えながらも「えい!!」と巣の中心目掛けてスプレーを噴射した。


スプレーを噴射された蜘蛛は少し悶え苦しんだ後、ピタっと動きを止め、おしりから糸を伸ばしながら真っ逆さまにスーーーッと地面に落ちていった。


初めて自分で蜘蛛を撃退した興奮と、予想外の光景に私のテンションは上がりまくった。


「おもしろーーーい!!」


学校で友達に今朝の事をテンション高めに教えたら・・・あれ?結構引かれてしまった。


あれれぇぇ???面白いのになぁ・・・。言うんじゃなかったなぁ。


まさしく後悔は先に立たない。昼休みには男子から流行っていたモンスターを狩るゲームにちなんで「蜘蛛ハン」という不名誉なあだ名を付けれてしまった。


でも泣いて嫌がるとあだ名は取り下げてくれた。てへっ。


学校が終わり家に帰ってきて玄関ポーチの角を見るとそこには蜘蛛の巣は無かった。


「今朝やっつけたから当たり前か・・・。」そう呟くと何だかむずむずしてきた。


走って庭に周ってみたけど、セミが一生懸命に鳴いている声は聞こえるけど、そこにも蜘蛛の巣は見当たらなかった。


「あの、スーーーって落ちてくの・・・不思議だったな・・・。」


私の胸は変わらず疼いていた。


「またあのスーーーってのが見たい!!!」


そう思うともう居ても立ってもいられない。玄関ドアを開けホールにランドセルを置くと、下駄箱の棚に戻しておいたスプレーを手に取り、私は今までとは逆に蜘蛛の巣を探しに公園に向かって走っていった。




シューーーーーーーーーー!!




聖が玄関を飛び出してからしばらくすると、母親が廊下に置きっぱなしのランドセルを見つけた。

「自分の机に戻してから遊びに行きなさい!」と何度叱っても、なかなか直さない自分の娘に呆れながら、庭に干していた洗濯物を取り込むため外に出た。



「まったく、、公園にでも遊びに行ったのかしら?」



シューーーーーーーーーー!!



そして母親が洗濯物を取り込んでいる頃、公園では命を繋ぐために精一杯鳴くセミの声と裏腹に、スプレーが何度も何度も蜘蛛に死を告げる音を上げていた。




シューーーーーーーーーー!!







セミが鳴く夏の青空に、一筋の白い糸が垂れ落ちていく。



****



「うぅぅぅぅぅうっっ、、うぅぅぅぅぅう・・・」


私は声を詰まらせながら泣いていた。

勿論、何回も毒で殺される事はとても苦しかったけど、毎回キラキラした瞳で覗き込んでくるあの頃の自分が憎たらしくなってしまっていた。



「ううっっ、、うええええええええぇぇぇ・・・」



この部屋に来て意識を取り戻すのはもう何回目になるのだろうか・・・。

普通、こんな事を繰り返されたら精神が壊れてしまっていると思う。


だけどこの部屋はそれを許してくれないみたいだった。

記憶には、、靄の中での出来事はしっかり記憶には残っているのに・・痛くて、辛くて、苦しい記憶だけがどんどんどんどん積み重なっていくのに、、、、、、、、、壊れておかしくなりそうになると、、、、何とか自分を保てていられるような、、、そんな精神状態に(耐えれたならそのまんま)戻させられているような・・・上手く言葉に出来ないけど、、そんな感覚があった。


体も壊れる事を許してくれない。どんな怪我をしても、毒に侵され苦しんでも、目が覚めると最初にこの部屋に来た時と同じ状態に戻されている。ただ、体力だけは徐々に奪われているようで気怠さだけが積み重なっていった。


その後も何度も私は私に殺された蜘蛛になった。


こんな事を繰り返されては、否が応でも反省してしまう。


「こんなに、、、苦しかったなんて、、、少しも、、、考えなかった。」


そう思うと、自分と同じように一様にバタバタともがいて苦しんでいたあの蜘蛛たちに申し訳なくなり、いつの間にか私は謝っていた。


「うう、、、ごめん。。ごめんね。。。ごめんなさい・・・ごめんなさい。」


ポロポロと涙を流しながら謝罪している途中でスプレーをまた噴きかけられてしまった、、、、けど



今度は苦しさが和らぎ、意識を失う事なく靄から解放されたようだった。




「ごめんなさい・・・ごめん・・・な・・さ・・・」




スプレーの毒で死ぬことはなかった私だったけど、疲れ果ててしまいゆっくりと瞼を閉じた。

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