ラテンダンサー

まゆし

パソ・ド・ブレ

 君は憎々にくにくしく俺のことを今にも殴りかかる勢いで、ギラリと睨む。負けじと俺も「やれるものならやってみろよ!」と静かに、ジロリと睨み返す。


 突然鳴り響いたのは、ゴングの音ではなく。「いくぞ!」という相手に掴みかかる声でもなく。

 勢いのある堂々とした勇ましい曲だ。


 互いを睨み付けたまま、威嚇するように対峙しては、君が重厚な布のように寄り添う。

 君がしなやかに身体を反らし、俺がそれを誰にも触らせまいと空間を陣取るようにして、支える。

 すっと距離を置いては、鏡のように一糸乱れず二人で同じ動きをする。

 アペル。靴についた砂を払うかのように、カッと二人でかかとを床につける。一瞬の静止。

 そしてまた、すぐさま動き出す。何かを睨み、時には互いを睨む、死闘。


 そう、これはパソドブレ。


 俺は闘牛士。君は闘牛。ここはコロシアム。


 俺は傷つけられまいとし、君は俺に重い一発でも食らわせたいと挑みかかる。


 俺は闘牛士。君はカポーテ。ここはコロシアム。


 俺は傷つけられまいとし、君は情熱の色を全身にまといその身体をひるがえして、俺達は一心同体となる。


 何があろうが、俺達は瞳に込める情熱を決して絶やさない。


 曲が終わる。


 割れるような拍手を身体に浴びて、丁寧に挨拶をして退場する。


     ♪


 高校で馬鹿にされたこともある。


「なんだよ、社交ダンスって。マジウケる」

「あぁ、あれ?『僕と踊ってくれませんか?』って気取って言うやつ?」

「なんか、ピチピチの服着て踊るんだろ?恥ずかしくねぇの?」

「え?タキシード、着るんじゃなかったっけか?」

「髪の毛とかさ、なんかテカテカしてたりな!」


 同級生は、野球にバスケやサッカーという女子に人気のスポーツにしか興味を示さないからそんなことをいうわけだが。


 幼少期から親にダンスを叩き込まれていた俺にとって、同級生から奇異の目を向けられることに慣れている。


 そして同級生達は、かわいい女子生徒がいると彼女が何をやっていようが、好感を持つわけで。


「2組の笹原、いいよなー!」

「わかる!なんか、こうモデルみたいでさー」

「新体操部だっけ?」

「いいよなー、レオタード姿!」

「なんか見ちゃうよな!身体のラインとかな!」


 まぁ、色々興味を持つ多感な年頃ってやつの俺達は結局そういう目で、女子を見てしまう。


「そういや、笹原も社交ダンス?やってるんだってよ」


 同級生の一人が言った。


「え!マジで!?」

「俺、ダンス教室から出てくるところ見たんだわ」

「ヒラヒラの服とか、すげぇ似合いそう!」

「透けてたら、なお良しって感じな?」

「それは大事だな!」


 おいおい、同じ社交ダンスってものをやっているのに、扱いが雲泥うんでいの差じゃんか。

 それも、まぁ慣れているんだけどな。


 ちなみに、お前達の言う『社交ダンス』とやらは、俺達にとっては『競技ダンス』なんだよ。


 言ってなかったけどな。

 俺の両親、プロダンサーだったんだわ。


 笹原が出てきたダンス教室は、俺の両親がやってるところなんだよ。


 この先、言うつもりもないけどな。



 俺はモダンともいわれる、スタンダードが嫌いなんだ。

 両親は世界大会のモダン部門で三位だったが、日本人でのラテン部門はそれはそれは狭き門で、入賞するので精一杯。


 ワルツはゆったりと優雅にフロアにたくさんの花を咲かせるが、どうにも堅苦しく感じてしまう。

 タンゴやクイックステップなんかは、曲のテンポが少し早いから、まぁいいけど。

 スローフォックス・トロットでは目が半分閉じ始めるし、ヴェーニーズ・ワルツは型にはめられて窮屈。

 なんとなく、一通りはできるけどさ。

 さすがに親が親だから。


 その点、ラテンはいい。

「俺達、幸せなんだ……」というような穏やかな笑顔ではなくて、「俺達、楽しくてしかたがない!」という弾ける笑顔で踊るんだ。

 踊れば自然と出てくる笑顔は、俺をステップに集中させてくれるんだ。


 難点は、ルンバかな……男女を表現、大人の愛。

 切なく見つめ合い、すれ違いそうになりながらも、引き止めて、お互いの存在を大切に想う。


 はい、理解不能。

 とりあえず、技術的に問題がなければ他の種目でカバーできるから、気長に待っててくれ。ルンバさんよ。


 そんなことを思うわけだが、実のところ、一番好きなのは笑顔を全く見せることのない、死闘を繰り広げるパソドブレだ。


 ラテン種目の中で唯一、男が主役だから。

 単純だろ?



 競技ダンスで、男は『リーダー』、女は『パートナー』といわれる。笹原は俺のパートナー。


 中学校で彼女の存在を認知した時には、すでに競技ダンスの生徒でもあった。

 生まれつきスリムな体型なのか、手足が細く長くて身体の中心に一本柔軟な芯があって、ダンス向きだった。

 くっきりした二重に長い睫毛。ふっくらした唇は、大人になったらさぞ美人になるんだろうと思わせた。


 年も同じ、並んだときの身長のバランスも良い。

 と、すぐに俺達はペアになった。


 ラテン種目に力を入れたいと話すと、「いいよ」と即答。

 笹原の意思はないのか?

 競技ダンスが、好きなわけではないのか?

 親に嫌々やらされているクチなのか?

 けど、俺の意思を尊重してくれるならいいや。


 毎日、教室に来ては二人でひたすら踊る。

 休日、俺が寝坊して教室に入ると、先にシャドー練習をしていた。


 部活で新体操をしているのは、柔軟の基礎練習を兼ねているという。指先からつま先まで美しく見せる技術を学ぶには確かに良さそうだ。


 ある時、ルンバを合わせていたときだった。


 流れる曲に合わせ、笹原は愛おしそうに俺を見つめて寄り添うと、伏し目がちに目を逸らして、遠い空を見るような目をして離れようとし、それからまた俺を切なそうに見てから、ゆったりと身体を預ける。


 彼女の瞳の奥に、ぞくっとする何かを感じる。


 俺はその視線に凍りつきそうになりながらも、彼女をリードする。技術だけではダメだという限界が近づく。


 大人になることを急ぎたくないのに、急がなければいけないという環境がもうすぐそこにある。


 その環境に飛び込めという圧力、その環境に早くたどり着けと、追い込むように、何かがヒタヒタと俺を尾行しているような感覚。


 尾行しているのは誰だ?


 振り向くと、小首を傾げた、笹原が見ている。


     ♪


 そう、これはパソドブレ。

 さあ、死闘を始めよう。


 俺は闘牛士。君は闘牛。ここはコロシアム。


 笹原が両親の教室に通い始めたのは、俺の存在があったからで。


 俺は闘牛士。君はカポーテ。ここはコロシアム。


 笹原が早く俺についてこれるレベルになりたくて、努力に努力を重ね続けた日々を過ごして。


 俺は闘牛士。君は……俺のフラメンコダンサー。ここはコロシアム。の、はずだ。


 笹原が俺の為に、俺だけの為に踊り続けて、壁にぶつかっても諦めずに踊り続けて。


 好意に全く気が付かない俺を、毎日悲しそうに見つめていたのなら……


 ──スタンバイ。


 俺は、君を全身全霊で睨み付ける。


 俺のことを、ずっと見てきてずっと好きで、触れたくて触れたくて恋い焦がれて。

 最高のダンスパートナーになるべく、毎日身体作りやステップの基礎練習を欠かさず。

 何度も諦めそうになりながら、それでも努力を続けてくれていたというのなら。


 悔しさも苦しみも悲しみも、心だけではなく、身体の隅から隅まで行き渡らせて。


 至近距離で睨み付ける俺に、


 狂気に満ちたその愛を、今。


 ぶつけてくれないか。

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