第6話

「いいですか?」


 名乗りを上げたのは、山菓やまが埴香はにか

 人呼んで『バッテンでか丸』だ。


 ちなみにこれもボクの心の中で勝手につけた通称なので、そんな風に読んでる人は一人もいない。


 その存在感に教室内はざわついた。


 耳に手を付けるようにまっすぐに伸ばした挙手をして、山菓は立ち上がった。

 立つと、女子ながらその背の高さに目を見張る。


 170cmは超えてるだろう身長に加え、姿勢がいいものだからより大きく感じる。

 短く刈り込み、後ろがはねた薄茶色の髪。

 そんなスポーティな感じを裏切ることなく、バレーボール部に所属し、活躍をしている生徒だ。


 健全なスポーツウーマンの習い通り、女子からとか男子からという特定の人気ではなく、満遍なくみんなから好印象を持たれている。


 大きくたれた瞳に長いまつげ。

 それに反して吊り上がった眉で、ボクはいつも表情がXで構成される顔文字を思い出してしまう。


 あんまり話したことはないがボクは彼女に、いい印象を持っていた。

 特に強く何かを主張するようなことはないものの、誰かが困っていたら自然と手を差し伸べているのを見ているからだ。


 どういう育ち方をしたのか、他の人がやりたがらないような損な役回りを進んでするタイプ。


 運動が得意だから頭が悪い、という偏見は馬鹿げたものだ。

 しかし山菓はそんな偏見に対して何も言えないほどに成績がよくない。


 追試や居残りなどに名を連ねていて、「部活に遅れる」と愚痴をこぼしていたのを何度も見てる。


「私、裁判官になりたいんです」


 唐突なその宣言に教室内は静まった。

 山菓はその空気を物ともしない頑強な精神で続ける。


「私はみんなが知ってる通りバカです。だからこんなの夢、誰にも言えなかった。無理だって笑われるし、そんな風に言われたら立ち直れないもん。でも愛泉手さんは違ったのね。正直、私に彼女の気持ちは理解できないけど、でもすごく勇気がいったことはわかる。そんな姿に勇気を貰ったの」


 そう言って山菓が照れて目を細めると、まさに表情はXといった感じになった。


「裁判官は裁判をする人なんだけど、テレビドラマや映画で有名なのは弁護士や検事で、あんまり目立たないの。誰かのためとか真実の追求とか、そんな弁護士とか検事の華やかさはない。でも私がしびれるのは、責任のもとに公平にジャッジをするってこと。裁判官の裁き一つで、一人の人間の人生がまったく変わってしまうこともある。そんな重い責任を伴うことが私は好きで好きでたまんないの。三枚のブロックの隙から……あ、バレーじゃわからないか。えーと、楽しいとか嬉しいとかじゃなくて、なんだかキューっと胸が痛くなって頭が高速で回転する感じ。自分の命以上のものが自分の身体に宿る感じ。わからないかもしれないけど、私はそれがたまらないの。だから、私は将来、裁判官になりたいんです。そのために、私はこの話し合いの議長に立候補します。いいでしょうか?」


 いいでしょうか、と問われて反対意見などでるわけがなかった。

 そもそも、乗り気の人間の少ない話し合いではある。

 それに、普通の人間は不必要な責任からは逃れたいものだ。


 山菓は反対意見がないのを見守ると、教壇に上がる。

 薄く意志の強そうな唇の両端が持ち上げた。


「では、今後は私が議長を務めるということで、話し合いのルールを整理します。と言っても一つだけ、意見をいう時には理由を言うこと」


 山菓の言葉をボクは黒板に板書した。


 それを見て山菓が頭を下げた。


 教室の前の一段高くなった教壇には、山菓とボクと愛泉手が並んでいて、なんだかそれが当然の流れに思えたのだ。


「これは議論の最低限のルールです。話し合いは民主主義です。そして誤解してる人も多いのですが、民主主義とは数の多ければ勝つという単純なものではありません。好き嫌い、とか良い悪い、は意見ではありません。それはただの気分です。それを民主主義と言っては数の多いバカがすべてを決めてしまいます。議論されるべきは意見であり、気分ではないのです。だから自分の気持ちとは違っていても、意見としてそれが正しいと思えば賛成する。反対するならば、その意見が好きとか嫌いではなく賛成と思えない理由を言わなくてはなりません。逆に言えば、自分と同じ賛成だったとしても、意見として正しいと思えなければ、その意見には立ち向かわければなりません。気持ち悪いというのは意見ではありません。ただの感情です。なぜ嫌悪感を抱いてしまうのか、他の人が納得の行くだけの理由を述べた時にだけ、それは意見になります」


 ボクは思わず山菓に見入ってしまった。


 斜め後ろから見る山菓は柔らかそうな短い髪をした背の高い普通の女子だ。

 いままでちょっとバカだとすら思っていた山菓がこんな発言をしたことに衝撃を受けていたのだ。


 それは、クラスメイトの顔を見てもわかる。


 なんだかこの学級会はこのクラスにとってとんでもないエポックになるような、どうなるかわからない扉を開けてしまったんじゃないかという妙な不安と期待が押し寄せてきた。

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