不可視の魔物編

第1話 電話

 浅川千紗は自分のデスクの目の前で鳴っている電話を取った。


「はい、SSTL。冴木科技験(※)です」


「所長ハイルカ」


 明らかに合成された低い音声が浅川の耳に刺さる。とっさに録音ボタンに手を伸ばす。


「録音シタラ切ル」


 まるで浅川の行動をどこかで見ているかのような言葉に背筋が凍る。ボタンを押す手を止め周りに判るように大きく振る。野球談議に花を咲かせていた他の所員たちは浅川の青ざめた面持ちに気付き周りを固めた。

 浅川は電話をオンフックモードに変えた。何かを察した一人の所員がスマートフォンで録音しようとする。


「あいにく所長は外出しておりまして――」


「嘘ヲ吐クナ。車ガ止マッテイタ」


「……」


 所内の全員が絶句した。ここで二番目の職位にある溝呂木チーフが足音もなく所長室へ向かう。


「モウイイ、時間ヲ引キ延バサレテモツマラン。イイカ――」


 声の主は一呼吸置いたようだった。


「アルゲンマスクヲ調ベロ」


 唐突に電話は切られた。


 それとほぼ同時に溝呂木に案内されて冴木所長が現れる。年の頃30代後半、もじゃもじゃの黒髪、無精ひげ、鋭い目つきで藪睨やぶにらみに見えてどこか甘いマスクの彼こそ誰あろう冴木科学技術試験所の所長冴木ほまれその人である。


「それで、不審な電話というのは? 千紗君」


 最初に電話を取った浅川に声をかけた。


「は、はい。電話の声はおそらくボイスチェンジャーを通したものだと思います。録音をしたら切ると言うので、オンフックにしてからスマートフォンで録音を」


 それを聞くとこの中では一番若い、まだ大学生の大島たけるが手際よくスマートフォンから音声を再生する。


「キキキーッ! ギギギーギャッ! キーッキーキッキキーッ! ギギッ!」


 冴木を含む全員が顔をしかめて耳を塞ぐほどの騒音がけたたましく流れた。


「おっ、お前何やってんだ」


 不快かつ呆れた顔で所内ナンバー3の檜山ひやまが大島の頭を軽くはたく。


「いてっ、おっかしいなあ……」


 バツの悪い顔でスマホをいじり回す大島だがやはり不快な音が出るばかりで、また皆で耳を塞ぐ。


「いや、大島君もういい。君が悪いんじゃないよ。こうなるように細工された音声を使用したのだろう。難しいができない事じゃあない。電話機の録音機能ではきちんと録音できる仕掛けなので、録音したら切ると言ったのだろうね」


 苦笑いをしながら冴木所長が大島の肩を叩いて慰める。可哀想に大島はすっかりしょげ返っていたのだ。


「それで? 浅川君その電話の内容は?」


「はい。『アルゲンマスクヲ調ベロ』とだけ」


 周囲もそれに頷く。


「アルゲンマスク? あの?」


「はい、間違いありません」


 怪訝そうな所長の様子に浅川は淡々と答える。


「一体どういうことだ…… アルゲンマスクを調べろ、とは……」


 手をあごに当て不思議そうな表情で一人呟く冴木同様、皆一様に腕組みをして考え込む。


「ウィルス防除の救世主、アルゲンマスクに何かがある、とでも言うのか?」


 冴木は遠くを見つめながら険しい表情で更にひとちた。



▼用語

※ SSTL:

 Saeki Science and Technology Laboratory 冴木科学技術試験所(冴木科技験)

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