第3話

 その日の晩御飯が終わった後、バクヒロは母から話があると言われた。


 間違いなく、昼間の戦いのことだろう。


「危ないから、スーパーヒーローショーを見に行ってはいけない」

 なんて言う世間一般で言われているようなお説教ではないことは確かだ。


 家族揃っての食事が終わり、緊張感のある沈黙が訪れる。

 キッチンで父が洗い物をする音だけがリビングに響いていた。


「ママね、バクちゃんに隠してたことがあるの――」


 テーブルに手を付き前に乗り出した母にビビって、バクヒロは身体を後ろに逸らしてしまう。

 椅子の背もたれの軋む音が、ツバを飲み込むゴクリという音を打ち消した。


「――実はママ、魅惑の花天女フローラルキティンだったの!」


 バクヒロはバランスを失った椅子と一緒に後方へ倒れた。


「驚いたでしょ? 今まで隠しててごめんね」

「知ってたよ、そんなの」


 バクヒロが起き上がってそう答えると、今度は母が両手を上げ椅子ごと後ろに倒れた。


「なんで知ってるのよ」

 母はバネ仕掛けの人形みたいに、倒れた時と同じ速さで起き上がってきた。


「隠してたって知らなかった。ボクだってもう15歳だよ? 母親が普通じゃなかったら気づくよ。父さんだって専業主夫だし」


 バクヒロの言葉を聞いて母はキッチンの父を振り返る。

 後ろで結いた長い髪が揺れる。


 父は素知らぬ顔で洗い物を続けていた。


「それにフローラルキティンには何度も会ってるし、さすがに間近で見たらわかる。親子なんだから」

「じゃ、ずっと正体わかってたの?」

「だって顔、ほとんど丸出しだもん……」

「やだぁ、もう! 本当はママなのに格好つけちゃって、ニクいね。コノコノ! とか思ってたんだ」

「いや、だから隠してると思わなかったから。普通に母さんいつも頑張ってるなぁ、って」

「ショック~! もう、すごい恥ずかしい~」


 母はテーブルに突っ伏して足をバタバタと鳴らす。

 結った髪がリズミカルに踊った。


 しばらく泣き真似をした後、ガバっと顔を上げギラついた瞳で見つめてきた。


「でね、ママそろそろ引退しようと思ってるの」

「なんで?」


 さすがに近所迷惑なので椅子ごと後ろに倒れるのはこらえたけど、声が上ずってしまった。


「だって、あのスーツ。ちょっと露出が激しいじゃない? 困るのよねー、若いころは良かったけど、そろそろお肌だって曲がり角だし、体型を維持するのも大変なのよ」

「気にすることないよ。変なこと言ってるのは一部の人だけだから」

「変なことって?」


 バクヒロが言葉に詰まっていると、父がテーブルに湯のみを置いた。


 母は湯のみに入った牛乳入りコーヒーをクッと飲んで再び切り出した。


「でね、後継者のことなんだけど……」

「えっ!? いや、待ってよ。急にそんなこと言われても心の準備がさ……」


 口ではそう言いながらも、この瞬間のバクヒロの胸の高鳴りは凄まじかった。


 大きな鐘がリンゴーンと鳴り響き、天使がラッパを吹いて「おめでとう!」と口々に祝ってくれている。

 ついに来たのだ、この日が。


「バクちゃん、早くお嫁さん連れてきて!」


 今までで一番勢いのある音を立てて、バクヒロは椅子と一緒にすっ転んだ。

 床の冷たさが背中から伝わってくる。


「意味がわからないんだけど」

「お嫁さん。できれば若くて可愛い子。性格もいい方がいいなぁ」

「なんで急にそんな話に? ボクが後継ぐ話しでしょ」

「何言ってるの? バクちゃんにそんなことできるわけないじゃない」


 その言葉にバクヒロは立ち上がってテーブルを叩く。


「なんでさ! 自分で言うのもなんだけど、ボクはスーパーヒーローのことなら誰にも負けないよ。そりゃ、背だってそんなに高くないし、筋肉だってまだ少ないけど、生身の状態なら母さんにだって負けてると思わない。もちろん、これからちゃんと鍛えていくつもりだし、何よりボクには信念がある。正義の心を持ってる」


 母はくっきりとした瞳をパチパチと瞬きしながら聞き、花が咲くように笑った。


「うれしぃ~! パパ聞いた? やっぱり、バクちゃんは私の子よね。正義の熱い血が流れてるの。だから、早く可愛いお嫁さんもらってきてよ」


「だからボクがやればいいだろ!」

「やだ。あんたそういうのが好きなの?」

「好きだよ! そういうのって、母さんもやってるじゃないか」

「私はいいじゃない」

「だったら、ボクだっていいじゃないか!」

「よくないわよ。バクちゃん、女の子になりたいの? それならまた別の問題で話し合わなきゃ」

「え……」

「フローラルキティンは魅惑の花天女なのよ」


 母さんは上半身だけフローラルキティンの決めポーズする。


「いや、そういうのってなんか上手いこと変わったりするんでしょ? 一応、コンセプトとか考えてあるんだ。植物がモチーフなのを活かして、ブルームバイソンって。あ、コスチュームも軽く考えてあるんだ。ちょっと見てよ?」

「何言ってるのよ。フローラルキティンの後継が、そんな関係ないのになるわけじゃないじゃない」

「……そうなの?」

「そうよ。うちは代々フローラルキティンの家系なんだから」

「代々だったの?」

「おばあちゃんもフローラルキティンよ」

「知らなかった」


「だからあなたも、フローラルキティンになるお嫁さんを探して欲しいの」

「ボクはどうなるの?」

「どうって、あなたはフローラルキティンの旦那さんでしょ。家事とかがんばればいいじゃない。パパみたいに」


 父を見ると親指を立ててニッと笑っていた。


「一刻も早く!」

「そんなこと急に言われても……」

「ママのお肌が曲がりきる前に!」


 バクヒロはショックで動けなくなった。

 自分がスーパーヒーローになれるものだとばっかり思い込んでいたからだ。

 それがスーパーヒロインの旦那にすぎないなんて。

 ショックもショックなのに、嫁を探せなんて言われても困る。


「結婚て言っても18歳にならないとできないじゃん」

「籍を入れるのは18になってからでいいじゃない。それまで結婚を前提にフローラルキティンやってもらえば」


 そんな前提でやるもんなのか、スーパーヒロインって。

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