第4話 女の子


 ここから離れようと、川と垂直な方向に歩き出す。


 だが、どうもおかしかった。


 進む度に後ろを振り返ると、いつまでも川と同じ距離を保っているのだ。

 まるで川が追いかけてきているかのよう。

 実は川の正体は先程の化け物で、自由に動くことが出来る、なんて言われても信じてしまいそうだ。


 そんな不気味な話があってたまるか、と言いたいところだが、生憎、先程から不気味な経験ばかりしている。

 もう、ちょっとやそっとの事で驚きはしない。



「……。」



 にしても、しつこい川だ。

 どうやら、相当魅入られたらしい。

 これが美女であったなら嬉しいこと限りないのだが、川…。



「…仕方ない。」



 川から離れようとすれば追われる。

 ならば、川に沿って行ってみようか。


 ミツキは姿を眩ませたから、巻き込む心配もない。

 まぁ、もうこの川に足を突っ込む勇気や度胸なんて持ち合わせていないが。


 ここに来ていつもの調子に戻り始めた手前は、口笛を拭きながら、川の流れに沿って道を下った。

 全くの無風の中、高音の口笛だけがやけに響く。

 川の流れる音も聞こえない。


 少し、濃い霧が出てきた。



「今度はなんだ…?」



 霧で視界が曇ると、足取りが重くなった。


 ここで迷子になる訳にもいくまい。

 いい歳こいて迷子だなんて、末代までの恥だ。


 手前が末代にならなければの話だが…。


 白く覆われた視界の片隅に、人影が映った。

 今日はよく人に会う。

 内のひとりは声のみで、ひとりは怪物だったが。



「君、ひとりかい?」



 見えた影から、それはきっと幼い子供だろう。

 もしかすると、手前の最後の記憶にある依頼人が言っていた子供かもしれない。

 もしそうなら、あの子を連れて帰れば一石二鳥。


 ひとまず声をかけてみた。



「やだ。こっち来ないで。」



 手前が近寄ろうとすれば、女の子にあからさまに拒絶された。



「君の、お父さんかお母さんはいるかい?」


「わたし、お姉ちゃんだから。

お母さんは、わたしが嫌いなんだ。」



 一定の距離を保ったまま話しかける。

 一体何の話をしているのかはわからないが、女の子ひとりをこの場に残して行けるわけはない。


 川だって近い。

 また怪物が出てくる可能性もある。



「なら、おじさんと一緒に行かないかい?」


「やだ。知らない人にはついて行っちゃだめだから。」


「はは、随分と賢い子だね…。」



 一定の距離を保っているから、女の子の顔も体も霧に覆われていて見えない。

 近寄るなと言われたが、やはりここに残すのは危険だろう。


 さて、どう説得するべきか…。



「おじさんは悪い人じゃないよ。」


「そういうの、はんざいって言うんだよ。

わたし、だからわかるもん!」



 先程からこの子はやけに、と言う単語を口にする。

 まるで、一種の呪縛のようだ。



「君には、兄弟姉妹がいるのかい?」


「知らない。妹なんていない!」



 なるほど、妹がいるのか。

 兄弟姉妹がいるのは羨ましい。

 家に独りは寂しかったからな。



「わたし、帰らなきゃ。」



 女の子はそう言うと、霧の中でこちらに背を向け、走り出した。


 その影がぼんやりと消えそうになった時、はっと我に返り、その小さな背中を慌てて追いかけた。



「ま、待ってくれ!

ここは危ないからさあ…!」



 あの子は川沿いに走っていった。

 ということは、怪物に遭遇する危険性がある。


 ひとりの少女と大人の男の走る速度が同じはずはなく、割と簡単に再会を果たすことが出来た。


 ただ、女の子の前にはまた、見慣れぬ影があった。


 遠目からだと、人には見えない。


 細すぎるのだ。


 腕や足が、女の子よりも断然細い。


 まるで…骸骨のような。



「全くどこに行っていたの。

貴方はなのよ?

妹の面倒をちゃんと見なさい。」


「ご…ごめんなさいっ…。」



 さっきとは違い、酷く脅えている様子のか細い声が耳に刺さる。

 ゆっくりと近付くにつれて、霧が少し晴れてきた。


 そしてはっきりと見えた、ふたつの影。



 ひとつは少女のものだ。


 その後ろ姿には少しの既視感を抱いた。

 どこかで会ったことがあるのだろうか。

 ここまで小さな知り合いなど、成長とともにいなくなった。


 今までこなしてきた依頼に関わる少女たちとは、姿格好が異なっている。

 あそこの少女たちは皆着物で、髪だって結い上げていた。


 誰だろう…。



 …もうひとつは、骸骨のもの。


 少し赤く汚れていたが、間違いなくあれは骸骨だ。



 目の前に繰り広げられる光景が中々に信じ難いもので、息を飲む。

 人の子と骸骨が同じ話題で話している様なんて、今後見ることは叶わないかもしれない。



「あのね、お母さん。

わたし、綺麗なお花拾ってきたの。」



 少女はそう言うと、ぎゅっと握りしめていた両手を広げた。

 何を持っているのか、遠目からはわからないが、発言を頼りにすれば綺麗な花なのだろう。



「…そんなことをしている暇があるなら、お手伝いかお勉強でもしなさい。」



 母と思わしき骸骨は、頭を抱えてため息を吐くと、その花を受け取らずに背を向けた。



「がんばって、探したのに…。」



 静かな河原に、少女の悔しげな声音が響いた。

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