第2話 不思議な娘


 少し濁っているのもあるのだろうが、川は底が見えなかった。


 河原の、そこら辺にあった石をひとつ、川に投げてみる。


 ぽちゃんと音がして水に沈んだきり、一向に浮かび上がってこない。



 …不気味だ。



 突如、二分の恐怖心が四分にまで膨れ上がって、手前の心をこの川のように濁した。


 投げたのは小さな石だ。


 すぐに浮かび上がってくるはずだろう。



 四分の好奇心は、この川を渡りたいと叫ぶが、その声は耳に届く前に霞む。



 その時、水面が揺れた。


 風は吹いていない。



 本当にこの川は、手前の心を映しているのではないか。


 そんな馬鹿げた思考を嘲笑い、履いていた足袋と草履を脱ぐ。


 着物の裾をたくしあげると、恐る恐る片足を川に浸けた。



「何を…しているのですか。」



 今度は後ろからはっきり、知らぬ女の声がした。


 振り返れば、見たことの無い着物を纏った、どこかあどけない雰囲気の娘がいた。


 その小さな顔には疑惑の念が浮かんでおり、何か悪いことをしたのかと、慌てて言い訳を探す。



「あ、足湯をしようかと…。」


「川の水で…?」


「さ、最近は市中でも流行ってるんだよ。」



 つっこんでいた足を引き上げると、手前に出来るだけの笑顔で振り返った。


 そうだ、この娘なら、ここが何処なのかわかるかもしれない。


 未だ不審な者を見るかのような目で手前を見つめる娘に問いかける。



「貴殿はここが何処であるかご存知か?」


「え?いえ…。」



 返ってきた答えに、自然と溜め息が溢れた。


 だが、それならば彼女も手前と同じ立場なのだろう。


 ここは、少しでも情報を共有して、互いに帰宅する方法を探すべきだ。


 きっとこの娘にも、家で待つ者がいる。


 子供もいるやもしれない。



「貴殿の名を聞きたい。」


「私…は、ミツキです。」



 ミツキ…聞いた名前を無意識に繰り返すと、顔を背けられた。


 …この胸の痛みはなんだろう。



「失礼、手前としては良い名だと思うが、知らぬ男に名を呼ばれるのは不快だろう。

ここは共に、知り得ることの共有でもしないかい?」



 大人の男っぽく、少しでもたくましく見えるように余裕そうな表情で足袋を履く。


 娘を怖がらせてはいけない。


 女、子供には優しく、男とは楽しく。


 それが手前の中に刻まれた約束。



「良い名前…?そんなこと…初めて…。

でも…私、自分の名前以外は何も知らないんです。」



 そう言う娘…ミツキの顔は、とても切なげだった。


 草履を履いて立ち上がると、冷えた足を前に出し、ミツキに近付く。


 そして、手前の体は河原へと打ちつけられた。

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