27. それは無理だ

 気が付けば、夕方だった。カーテンで閉め切られた部屋はぼんやりとした闇で満たされつつあり、所々にカーテンの隙間からの赤い光が差し込んでいる。口元の涎を拭って部屋を見渡すと、イーライがいない。客室三つを繋げた部屋を渡り歩いてみても、機械達とゴミが所狭しと並んでいるだけで、人の姿が見当たらない。ふと天井を見上げると、相変わらずモニターがぶら下がっているが、そのほとんどの電源がオフになっているらしい。先程までは、何やら様子のおかしい画面ばかりが映されていたが……。もう電気すら止められているのだろうか?

 ともかく、イーライはどこに行ったのだろう。外出は絶対に有り得ない。普段ですら有り得ないのに、こんな状況なら尚更だ。ならばこの廃墟のどこかにいる筈だが、そうなると食堂一択。ここで移動しようと思う所といえば、そこしかない。時間も時間だろうし、飯を食いに行ったんだろう。俺も後に続くべく、早速三階へ向かった。

 エレベーターを降りると、三階の廊下のセンサー式ライトが既に照らされている。俺よりも前に誰かがここを通った証拠だ。

 食堂に入ると、夕暮れの光に満たされた窓際の席にやっぱり人がいる――四人も。一番こちらに早く気が付いたのは、他の三人より斜め後ろの席に座っていたネイビー――エドだった。不満気に頬杖を突きながら、こちらに軽く手を振って見せる。よく見ると、サングラスをかけていないその顔の口元に、殴られたようなあざが出来ていた。状況が呑み込めない俺は、吸い寄せられるようにエドの隣に腰かける。

「何でここにいるんだ?」

 俺の問いには何も答えず、まず前方を指し示す。イーライと、今にもはち切れそうなスーツを身にまとった男――ジャックが、小さな声でぼそぼそと喋りながらお互い神妙な顔つきで睨み合っている。最終決戦だ。俺は咄嗟にそう思った。

「あんたら、とんでもない事してくれたね」

 エドが相変わらず不満気に眉を潜めながら、呆れたように笑いを浮かべた。その言葉に心当たりは、ある。恐らく、俺とイーライによる丹精込めた贈り物が功を成したのだろう。その結果が、「とんでもない」という訳だ。それから、エドが事の経緯を語ってくれた。

 俺が注文したロボットはその直後に搬送され、易々とキュイハン社内に侵入出来たらしい。社の人間にそれが本当に会社が注文した物なのか、それとも身元不明の不審物なのかが調査されるよりも早く、それは自身のチップの指令に従って動き出したと考えられているようだ。なんせ誰も見ていないのだから、そう憶測するより仕方が無い。エド曰く、まだ世間には明るみに出ていないものの、ロボットの暗躍はキュイハン社内で、既に大混乱を引き起こしているようだ。

 お陰でコンピューターはまともに動かず、機械を製造している工場でも全行程がストップしてしまったりと、とにかくまともに仕事が出来る状態では無いようだ。間もなくして、イーライが一枚噛んでいる可能性をいち早く見出したのがジャック。ここまで推測出来ると、後は足跡を辿っていくようなもので、簡単にこの騒ぎが俺達の仕返しの賜物だと理解出来た。その過程で、ネイビーの正体や、俺達に一瞬協力した事もバレてしまい、そのままここへ連れて来られたようだ。かくしてジャックは、エドと壊れたロボットという証拠を引っ提げて、騒ぎの犯人の元へと実際に乗り込んできたのだ。

「お陰様で俺、拳骨食らったんだぜ」

 エドは忌々しげに口元のあざを指さした。

 向かい合う二人のそのまた向こうにぐったりと座っているのは、見るも無残な姿になったロボットだ。俺が注文したにも関わらず、まさか壊れてしまってから初対面を迎える事になるとは思わなかった。目元のディスプレイは真っ黒で、引き裂かれた腹からはいくつもの電線や基盤がはみ出ている。

 エドの側を離れ、向かい合う二人を正面から眺められる位置に移動する。それでも二人は気付くことなく、睨み合いを続けている。二人の間のテーブルの上には、あのチップが置かれていた。

「イーライ。いい加減にしろ。仮とはいえ、この廃墟のシステムを安定させてやったじゃないか」

「仮じゃあ困る。本当に復旧してくれんと」

「だから、時間が無いんだ。このまま事態が大きくなれば、国際問題にも発展しかねないんだぞ」

「俺如きのイタズラすら防ぐ事が出来なかったそっちに非がある」

 両者一歩も引かない。お互いに水掛け論を展開し合うあまり、どちらもびしょ濡れだ。その内ジャックが苛立たしげに溜息をつく。

「そういう話じゃないんだよ。だから言ってるだろ。君が会社をどうにかしてくれたら、君ん家のシステムも完全に修復してあげるって」

「ふん。キュイハン社に勤めるエリート共が束になりゃあ、あんなもん一発で元通りだろうさ」

「だから!事を明るみに出す訳にはいかない……僕一人でどうにかしなきゃならないんだよ」

「大好きな会社からクビを突き付けられるのが怖いのか」

 性悪な笑みを浮かべるイーライと、「クビ」という言葉を聞いて顔を引きつらせるジャック。まるでどっちが悪者か分かりやしない――いや、この勝負に悪者は存在しない。両方に是と非があるからだ。二人が揃って「二人だけの問題」と言ってのける程だから、本当はこれは、単なる意地の張り合いに過ぎない。ただ、ちょっと規模と犠牲が大きいというだけで。

 ……待てよ、そういえばそこで不貞腐れているエドこそ、「キュイハン」その人じゃないか。ひょっとすると、こいつの力でこの場を丸く収められたりするかもしれない。

「エド、お前、キュイハン氏をどうにか言いくるめられないのか?」

 エドは退屈そうにキューブをいじっていたが、億劫そうに顔を上げた。その顔が「もう一回言ってくれる?」と催促している。

「だから、こう、お前が父ちゃんと話し合って、この混乱を収められないのか?」

そこでジャックが勢い良く立ち上がった。

「な……どういう事だ?ネイビー――エドモンド、君は一体何者なんだ……?」

 顔がどんどん青ざめ、開いた口がわなわなと震えている。今まで金を餌に好き勝手操っていた人間が、自分の奉仕する会社の御曹司と知れば、誰だってそうなるだろう。

 エドはエドで、彼にとって退屈なこの状況を切り抜けられる案を得て、顔が一瞬きらめいたが、またすぐに元通り気だるそうな顔に戻る。

「あー、ごめん、それは無理だ」

「なんでよ?」「何故?」

 ジャックと俺の声がきれいに重なった。エドは気まずそうに目を伏せる。

「……だって、俺、もう縁を切ったんだもん」

「何、キュイハン氏とか?」

 エドが頷くのと同時に、ジャックは膝の力が抜けたかのように再び椅子に腰を下ろした。その巨体を椅子が悲鳴を上げて受け止める。なるほど、もうエドはキュイハンの人間では無かった訳だ。だから家や親父の仕事を手伝うでも無く、こんな怪しい仕事に勤しんでいたのか……。

「なっ、違うぞ。俺から縁を切ってやったんだ。切られたんじゃないからな」

「そんな話してないだろ」

 イーライですら溜息交じりにぼやいた。……俺達が三人お互いにそれぞれの事情を把握しておくには、少し時間が経ちすぎていたらしい。

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