6. 俺の古くからの友人であるように

 廃墟に戻った俺はまずベレスフォードの部屋に戻る――訳が無く、食堂へ直行した。元リゾート一等地のビジネスホテルなだけあって、非常に広々としている。何といっても、二階のフロアのほとんどがこの空間の為に割かれているのだから当然だ。厨房のスペースを除けば、空腹を満たす為に訪れた人々の為の席が端から端まで用意されている。俺とベレスフォードではさすがにその全てを使いこなす事はかなわない。

 入ってすぐに目に入るのはガラスで出来た一面の壁で、そこから見える海がまるでこの食堂全体を彩っているかのようだ。当時の見世物用の海は底の無い美しいマリンブルーで、人々はその景色にロマンチックさを見出していたのかもしれないが、しかし今となっては、残念ながら灰色の波が退屈そうにうねっているだけ。ある意味で、パッとしない俺達にぴったりと言えるかもしれない。

 別に、何かを食う為にここへ立ち寄ったのでは無い。単に疲れすぎて、五階の自室へ戻るのが面倒だったのだ。たった数時間の間だというのに、いろんなことが起こりすぎだ。ここで休憩を取らなければ、間もなく俺の頭はパンクするだろう。その原因のほとんどが、あのネイビーによるものだ。あいつは一体だれなんだ?俺はあいつを知っているのか?もしそうなら、俺はあいつを思い出すべきなのか――

 次に目を覚ました時には既に、二時を回っていた。しばらくテーブルに突っ伏していたが、眠気が徐々に晴れていくのと同時に体を起こす。今日は久しぶりに早起きしたせいか、えらく一日が長い。だんだんと蘇って来た午前中の出来事をぼんやり思い出しながら、ネイビーを思い出せない事に対する妙な焦燥感は既に消え去っていた。あの思い出話も単なる人違いなだけで、俺にとって深い意味は無く、今頃、向こうもそれに気が付いている筈だ。

 そんな事より、何か大切な事を忘れている気がする――俺、何のために外へ出たんだ?

「チップ!」

「うわっびっくりしたあ」

 がばっと身を起こすと、長机一つ挟んだ斜め向かいに座っていたベレスフォードが身を縮ませていた。両手に持ったハンバーガーの具材が今にも零れ落ちそうだ。どうやら昼食をとっている所らしい。大きな口を開けてかぶりつき、もぐもぐしながらベレスフォードは例の茶封筒をひらひらさせる。

「ジョン、チップならもう受け取ったぜ」

「なんだよ、脅かすなよ……」

 とにかく、チップがベレスフォードの元へ無事に渡ったというのなら、俺の仕事は終わった訳だ。後はあいつがいつものように、好き勝手やるんだろう。しばらくここで休憩を取った事で気分もだいぶ軽くなったし、とりあえず部屋に戻って一服でもしようと、席を立った。そこで急に新品のタバコ数箱、ライターが飛んできた。

「報酬だ」

「あー、サンキュ」

 相変わらず手が早くて助かる。かつてタバコが嗜好品の一つとして親しまれていた時代には、様々な味やパッケージが存在していたらしいが、俺の知っているタバコは、この素っ気ない白いパッケージの物のみだ。かつての栄光の時代を生きたタバコにも興味はあるが、これはこれで別に楽しく頂けるから満足している。俺は早速包装紙を剥いで、喫煙に取り掛かった。今日の内で初めて吸うタバコはやはり美味い。

「代理人ってどんな奴だった?」

昼食を終えたらしいベレスフォードは、今度はデザートのホイップクリーム乗せプリンに取り掛かっていた。

「んー、ネイビーって名乗ってた。女ぽかったけど。いや、やっぱ男かな。俺の事知ってんだってさ、そいつ」

 そしてそのまま、ネイビーが俺に語って聞かせた昔話をベレスフォードにも繰り返した。話している間も、やっぱりあの既視感がほんのりと湧き上がって来る。赤の他人の思い出である筈なのに、まるで自分自身の体験を話しているような、そんな変な感覚に酔いそうにすらなった。

 ベレスフォードはベレスフォードで、暫くの間はプリンを食うがてらに何となく聞いていただけだったが、スプーンを口に運ぶ動作が段々と遅くなり、最終的にはまるでプリンの存在を忘れてしまったかのように真剣な顔つきで俺の話を聞いていた。

「ジョン、お前、それを聞いてどう思った?」

 俺の話を聞き終えたベレスフォードは、自身の伸び放題の金髪をいじりながら、誰にも聞かれてはならない秘密話でもするかのような口調で囁く。

「どうって……まあ、懐かしいなあって」

 何だか様子のおかしい同居人は、俺が何かしら発言を続けるのを待ち構えていたが、こちらは別にそれ以上に感じた事は無い。やがて向こうもそれを察し、長い溜息を吐いてどっかりと背もたれに身を預ける。まるで、ネイビーの昔話に対する俺の感想が、不足しすぎているとでも言わんばかりの態度だ。「懐かしいと感じた」事だって、立派な感想に成りうるだろうに。

「……ともかく。そんなよく分からん奴を代理に立てるたぁ、依頼人もいい度胸してるな」

 これ以上昔話について俺と議論するのを諦めたようだ。しかし、それはそれとして、ネイビーに対し不穏に思う所があるらしい。ベレスフォードもまた、依頼人と同じく決して合法とは言い難い立ち位置に身を置いているので、こういった些細な事にも非常に敏感だ。

「俺はあんな気味悪い奴、これまでで一回も知り合ったことねえし、人違いだろうよ。だからそんな怖い顔すんなって」

 ベレスフォードは不満そうに口をとがらせながらも、しぶしぶプリンをつつく作業を再開させた。俺の言った事が完全に憶測にすぎないのは、自分でも分かっている。でも小さな不安で立ち止まってばかりいたら、結局は何も成す事が出来なくなるというのも、また事実だ。もしそれが後々別件に繋がってしまったのなら、それはその時に対処すればいいと思う。

「ジョンって童顔だからなあ、別人と勘違いされても仕方ないかもな」

 プリンを全て平らげたベレスフォードが、如何にも「大きすぎる独り言」という風に呟いた。

「はあ?喧嘩売ってるのか」

「だってお前、顔昔っから変わってねえじゃん」

 こちらに向けられた同居人の顔は、隠そうにも隠し切れないにやにやがへばり付いている。

 まただ。ベレスフォードの「昔から」。俺自身は、この機械オタクとは、ここ数年の付き合いだとばかり思っているが、時折こいつはまるで、俺の古くからの友人であるように振舞う事がある。何故そうするのか詳しい話を聞き出そうとしても、大抵は軽くお茶濁しされるか、煙に巻かれるかのどちらかで、最近はこれ以上この件に介入しようとするのを諦めている。だから今回も何も反論しないでいると、悦に入ったように呟いた。

「だから一瞬でお前を見つける事が出来たしな」

 ……やっぱり、自分だけが知っている事実で俺を弄んでいるに違いない。たまに秘密主義者めいた行動をとる事がある同居人にはよくある話だ。その最たる例が、俺になかなか打ち明けようとしないこいつ自身の過去について。しかし、俺だってもう分別ある立派な大人だから、それに関して下手に追求するような真似はしない。もしそうするなら、もう少し入念に準備してからじゃないと気が済まない。

 短くなったタバコをぎりぎりまで吸いながら特に反応を返さずにいると、やがてベレスフォードの方が立ち上がった。ハンバーガーが置かれていた皿とプリンのカップを厨房の中の流しの方まで運んでから、いつものようにふらふらと出入り口へ向かっていく。食堂を出る前に俺を振り返った。

「俺、また部屋にいるから」

 つまり、如何なる用事があろうとも一切受け付けないという事だ。こいつが仕事に取り掛かる前の常套句である。

 ベレスフォードを乗せたエレベーターの音が小さくなっていくと、すっきりしないもやもやと共に再び俺は一人になった。指を火傷しそうなくらいまで小さくなったタバコを薄汚れたカーペットの上でもみ消す。妙な苛立たしさが治まらないので、俺はやむを得ずタバコをもう一本取り出した。

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