5. そんな風って、どんな風

「ハイ。コーヒー二つに、サンドイッチね」

 ようやく注文の品がテーブルに置かれた。なんと運んできたのも店主だった。髪の毛はもうすぐで白が占拠するといった塩梅で、ロボットも使わずに大した爺さんだ。

「このサンドイッチは俺が食ってもいいんだよな」

 出来立てのサンドイッチを掴みつつ、既にコーヒーを手にしているネイビーに尋ねると、黙ってこくりと頷いた。そのままサンドイッチにかぶりつく。なるほど、おすすめの理由が分かったような気がする。レタスは新鮮な感じだし、卵はふわふわだしで、その辺のショップに売ってる物よりはるかにましだ。そういえばここ最近、レトルト食品ばっかりで、まともな料理を食っていなかった。

 食っている間、ネイビーはずっとこちらに顔を向けていた。大きなサングラスを頑なに外そうとしないので、どこを見ているかは相変わらず分からない。落ち着きはしなかったが、あっという間に平らげてしまった。やがて女が口を開く。

「……昔、まだほんのガキんちょだった頃、そんな風にものを食べる友達がいたのよ」

「そんな風って、どんな風」

「今食べてるものがこの世で一番おいしいみたいな顔して、意地汚くがっつく風」

 俺の食べ方は子供の頃から貫いてきたスタイルなので、今更変えることは出来ない。だからそう言われるのも慣れっこだ。

 それを皮切りに、ネイビーは昔話を展開し始めた。得体の知れない奴がする昔話なんだから、得体が知れない物な筈なのに、そいつの語る情景に妙な馴染みを感じる。気の合う友人と三人で冒険ごっこに出かけた事。その内の一人は普段はなかなか遊べなかったから、遊べる事になった日は本当に楽しかった事。やがて自分は家の都合で引っ越してしまい、それからは連絡も取れていなかった事。俺は小さい頃の記憶という物がほとんど無いが、まるで、俺自身の思い出をこいつが代わりに語っているかのようだ。

「なんでそんな事、俺に話すんだよ」

 ネイビーは小首を傾げ、しばらくの間考えている風だった。

「……そうねえ、あなた、キルロイでは無いんでしょ」

 キルロイ。同居人のもう一つの名前だ。恐らく、依頼主から聞かされたんだろう。赤い口の端を少し吊り上げ、その大きなサングラスでどんな表情をしているのかはよく分からないが、なんとなく馬鹿にされてるような気がして不愉快だ。恐らくその名前は依頼主から聞いたんだろう。

「ノーコメント」

 俺はなるべく何も思っていないように装って答えた。下手に反応して、ほんの少しでも相手に個人情報のかけらを察せられるのは、まずい。

「そう。俺はあんたを知ってるのに」

 いきなり女の声が低くなった。いや、低くなったというより、これは――男の声だ。しかし見た目所は相変わらず女のままで、脳が混乱を起こしている。この状況を飲み込むまで、少し待って欲しい。

「な――なんだよ。俺を馬鹿にしてんのか」

「いや、違う。俺、残念だなあ、って」

 そう言って目の前の人間は、赤い唇を奇妙な形に捻じ曲げた。口だけ見れば、まるで悔しがっているような、泣くのを堪えているような、そんな形だ。何だろう。この喋り方、どこかで聞いた事があるような気がする――それとも目の前のこいつがあんな思い出話をするから、それに影響されているだけなのだろうか。

 やがて目の前の女男は、漸くその大きなサングラスを外し――そこには、今にも零れそうな涙で濡れた、灰色の瞳。ネイビーはまつ毛の形が崩れないように、自身の涙を指先でそっとぬぐった。あっ、と声が出そうになった。それと、原因のよく分からない罪悪感。もしかして、俺とこいつは本当に、どこかで会った事があるのだろうか。

 放心していると、ネイビーは例の茶封筒、それとくしゃくしゃの札を取り出しテーブルの上に置いた。それから再びサングラスをかけ、席を立つ。

「付き合ってもらって悪かったわね、もう帰るから」

 またあの胡散臭いハスキーボイスに戻り、先ほどの灰色の瞳の人物は消え去ってしまった。

「えっ。ちょ、ちょっと待てよ――」

 何故かは分からない。ただ、俺は咄嗟にネイビーを引き留めようとした。しかしそいつは、これ以上ここに留まる気は無いらしい。


「また会えるといいね、ジョン」


 そいつはさっと身をひるがえし、黒いコートをなびかせてさっさと店を出て行ってしまった。最後の一言に打ちのめされ、後を追う気も起きなかった。ジョン。何故あいつは、俺の名前を知っていたんだ?あいつの依頼主は、俺の存在まで把握していたというのか?そしてそれをわざわざネイビーにまで伝えていたのだろうか。……チップ修理の件に、何にも関係していないというのに?

 ネイビーの思い出話が、耳の奥に残っている。なんだかひどく懐かしくて、ここ数年、思い出すことすら忘れていた、今は過ぎ去った時代の街の匂いが蘇ってくるかのような、そんな感じ――。

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