第5話 氷砲(イーチェ・サノン)
変わらず驚いたままのパンプクを家に入れ、落ち着かせてから話を聞く。
「――魔導書っていうのは、とても貴重な―いやそれどころか、世界に数冊しか
存在していない、って言われてるものなんだ。」
そんな貴重なものなのか、と驚いてキュウを見る。
キュウは『どうだ』と言わんばかりに満足気に鼻を鳴らした。
「氷の魔導書なんて存在するかどうかも聞いたことが無い。おまけにそれが生きている龍になるだなんて・・・
あくまで、私が聞いた事がある範囲では、だけど」
少なくともマコトよりはこの世界に長くいるのは確実なパンプクの言うことなので、
まったくの出鱈目ではないだろう。
しかし、魔導書なんてものがあるのだとすれば、
「この世界には魔法がある、って事なんだな」
「そりゃあそうさ。ただ、生まれつき素質は必要らしいけど――
って、記憶喪失だからってそんな基本的な記憶まで無くすかね?暮らしていけないよ?」
パンプクがもはやお決まりとなった哀れみのセリフを口にする。
『あるいは――、元々魔法の知識が存在しない、のかもね』
キュウが、俺にしか聞こえないくらいの小さな声で、にやりと笑った。
こいつ――何か知っているのかもな。
マコトはメルシエスの次に問い詰めるべき相手を定めたのだった。
と、パンプクが閃いたように体を跳ねさせた。
「この魔導書の事だけどさ、あたしに譲ってくれないかな。ほら、元々私の袋から出てきたもんだし。王都で武器を売るついでに献上すれば、かなりの額の褒美がもらえるかもしれない」
パンプクの目が金貨のように輝いて見えた。
まあ、元々パンプクが拾った物だし、権利を主張するのは当然かもな。
何より、蒐集の神性すら正体がわかっていないのに、存在自体が謎の生きた魔導書と来た。
得体のしれない力を複数保持するのは――怖い。
そういうわけで、マコトは了承の返事をしようとしたのだが。
『ああ、それなら無駄だね。一度”呼ばれた”魔導書は、呼んだ本人しか使役出来ない。王都だろうがどこだろうが、他人の手の中じゃ宝の持ち腐れさ』
「「そ、そんなあ」」
『ちょっと、なに主さんまで落ち込んでるんだい。もうちょっと喜びなよ』
「とはいっても、謎ばかりでな。手放しに喜べるほど危機感が無いわけじゃないんだ」
『それなら、さっさと力を使えばいい。進歩の無い者はみな罪人さ』
キュウの右目がきらりと紫色に光った。
「この村の中で使え、って言ったって・・・まさか村人に向かってか?」
『私はそれでも構わないけどね』
「・・・やめておこう。無意味に人を傷つける趣味は無い」
『まあ、機会が来るさ――そう、遠くないうちにね』
意味深なキュウの言葉に引っかかりを覚えたものの、マコトはそれ以上追求しなかった。
「まあ、そういうことならしょうがないな。『商人は商品に惚れてはいけない』とも言うし、これが定めってことか」
パンプクは気持ちを切り替え、ゴルグに見てもらったのだろう武器を新たに小綺麗な箱へと移し替えていく。
あっという間に箱いっぱいの武器が揃った。
「さて、と。明日、王都までこいつらを売り出しに行くんだ。ゴルグによれば、久々に上物が手に入ったみたいだからね。マコトはどうする?」
「王都、か」
ここは王国の領土らしい。これから先のプランを立てるためにも、情報は必要だ。
王都なら、この辺鄙な村よりも何か手掛かりは多いはず。
「ついていってもいいかな」
「もちろん。…というか、記憶が無いままでここにいても手持ちぶさただろ?王都についてくれば何かわかるかもね」
なるほど…パンプクなりに気を利かせたのか。
自分よりも大分年下であろう少女に気遣いにやや申し訳ない気持ちになるが、マコトはお言葉に甘える事にした。
「さて。とは言っても出発は明日の朝だ。それまでは自由時間、ってことで。ただ…マコトの分の晩飯を用意する余裕が無くてね。ごめん」
そういうと、パンプクは振り返り厨房の方を指さす。
竈のある辺りに干し肉や干し野菜などの食材もまとめておいてあるが、明らかに一人暮らし用の量しかない。
当たり前だ。マコトがここにいるのは完全なアクシデントの結果なのだから、準備されているはずがない。
「まあ、一晩くらい食べなくても何とかなるだろ…なるよな?」
「マコトが我慢強ければ、ね」
申し訳なさそうに言うパンプクを尻目に、マコトは入口から外へ出て、村の中を散歩することにした。
特段やる事も無いまま一人でいるとやはり不安が自分の身を包んでいきそうだった。
元の世界にいたころも、職場の休憩時間には散歩を良くしていた。気分転換にはもってこいだったのだ。
青い空が広がり、まばらに民家が並ぶのどかな風景に、どこか懐かしい感覚を覚える。たまにすれ違う村人に、相変わらず怪訝な目をされながらも、マコトは村の中を歩き回った。
そうして幾刻か経っただろうか。
村のはずれの方まで来たマコトが周りを畑で囲まれた道を歩いていると、背の低い作物の中で何かがうごめいているのが視界に入った。
「ん…?なんだ、あれ」
マコトはよく見ようとそちら側へ足を踏み出した。
少しずつ近づくにつれて低い唸り声が聞こえる。どうやら獣の類のようだ。
「なるほど、作物を食い荒らしてるのか。どこの世界でも害獣ってのはいるもんなんだな…あ」
害獣、という悪口がまるで聞こえていたかのように、その何かは作物から首を出してこちらを睨みつけた。元の世界でも出没していた猪によく似ているが、明らかに違うのは―その革と体毛に当たる部分だった。銀色の尖った針のようなもので覆われており、殺傷能力を有する鋭さである。
名づけるならばハリイノシシ、とでもいうのだろうか。
「お、おいまさか」
マコトが恐れているのはこちらに敵意を向けているかどうかだが――
事態は悪い方へ振れるのが常。
先ほどの害獣の物言いに抗議でもするかのように、ハリイノシシはマコトに向かって走り始めた。
「マズいッ!」
マコトも危険を察知して踵を返して走り出すが、やはり野生の魔物はポテンシャルが違うのか、どんどん距離を詰められる。
(せっかく生き延びたってのにこのままだとまた死ぬ羽目になっちまう!)
『おや、主さん。いきなりの危機に陥ってるみたいだねえ』
「キュウ!」
どこに入っていたのか、キュウの声がした。
見ればスーツの尻ポケットから青いトカゲが顔を出している。
『ハリイノシシ、か。このままだと突進からの串刺しで一巻の終わり、って感じかな』
「冷静に解説してる場合かよ!」
『まあまあ、そう焦らず。何のために僕がポケットに入ってたと思ってるのさ』
「え?」
『魔導書は持ち主に読まれることで初めて真価を発揮する。今がその時ってこと』
そういうとキュウは、尻ポケットから出てあっという間にマコトの肩へと昇っていく。マコトは走り続けているのに器用なものだ。
『さあ、主さん。ハリイノシシと向き合うんだ。狙いを合わせよう』
「ほんとにッ、どうにかなるんだろうなッ」
『魔導書は嘘はつけないんだよ』
「・・・ええい、もうどうにでもなれ!」
そういうとマコトは足を止め、勢いよくハリイノシシの方へ向き直る。
ハリイノシシは構わずなおも距離を詰め、あと3秒もすれば激突するところまで来た。
『さあ、これから私が言う言葉を反復して』
そう言うと、キュウはマコトに耳打ちをする。
マコトの口がぎこちないながらも言葉を紡ぎ始めた。
「―透凍たる龍の息吹、敵の魂を穿ちて砕かん…”氷砲"(イーチェ・サノン)」
マコトの詠唱が終わると同時に、肩に乗ったキュウが口を大きく開けると、
その先の空中に巨大な円錐状の氷柱が形成されていく。その間、僅か1秒ほどだっただろうか。
驚く間もなく完成したその兵器は、一度ぴたりと静止したかと思うと、ハリイノシシに向かって高速で飛翔した。
ハリイノシシは突然現れた氷柱に対し、本能的に危機を感じて方向を転換しようとするが、躱すには相対速度が大きすぎた。
その鋭利な先端がハリイノシシの顔面に突き刺さり、そのまま体内を串刺しにして地面へ斜めに貫通する。
百舌のはやにえに似た姿となり、ハリイノシシは絶命して動きを止めた。
「――はぁっ、はぁっ」
マコトは詠唱を終えた後、止めていた息を一気に吐き出した。肺に入る空気は新鮮だが、目の前の死臭も運んでくる。もう少しで本当に激突するところだったのだ。
『どうだい、主さん。私のおかげで何とかなっただろ』
「…まあ、確かにな。お前がいなければ俺は死んでいた」
『これが魔導書を読む、ってことさ。次からは言わなくても思い出せるはずだよ』
確かに、先ほど詠唱した言葉はそこまで馴染みあるものではなかったが、マコトの脳内にすっと入ってくる感覚があった。
まるで昔から何度も言い慣れた早口言葉のように、滑らかに発声できる自信があった。
『とりあえず、目の前の危機は脱したことだし、ここらで』
「?」
『代償をいただくとしようかな』
「!…どういうこ――」
言い終わらないうちに、マコトの体はふわりと軽くなり、あおむけになって倒れこむ。いや、正確にはマコトが感じていた体の感覚がきれいさっぱり消失していると言うべきか。そのままマコトの意識も闇へと沈んでいった。
『魔導書は確かに嘘は言わない。でも本当の事を言わないことも出来るのさ』
気を失う前の最後の記憶は、キュウの口がにやりと歪むところだった。
捨神無尽ダストリア @pershey
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