第17話 疑心暗鬼

「エカテリーナ第一皇女殿下に敬礼!!」


従僕によって重厚な宮殿の扉が開かれると、そこで私を待ち受けていたのは、戦闘服に身を包んだ百数十名もの兵士達であった。


兵士達はズラリと宮殿の正面玄関に整列し、私の姿を捉えると一糸乱れぬ動作とその速度で私に敬礼をしてみせた。


私は突然かつ予想外の出迎えに、こめかみのあたりがひくひくと僅かに痙攣する感覚を覚えた。


通常、宮殿の正面玄関には警護の近衛兵が数人、人の出入りの度に、旧世紀的など派手な軍服で銃を掲げて見せる程度のものでしかない。


ところが私の眼前に並ぶ兵士達を見れば、皆一様に実戦仕様の完全武装。花が咲き乱れ、来た者見た者を癒やす宮殿の庭園において、整然と規律正しく整列する戦闘服の彼らは酷く醜く、そして異質であった。


まさかいよいよ併合派の将兵らが私に対して何か行動を起こしに来たのではないかと私は警戒するが、彼らの肩に縫い付けられている部隊章を見て一応は安堵する。


「お久しぶりでございます、皇女殿下。変わらぬお姿拝見し、小官は安堵しました。いえ、以前よりお美しくなられて、驚きさえしております」


一団の長、居並ぶ彼らの中では最上位である大佐の階級章を襟首に着けた老齢の男が私の前に歩み寄ると、再び敬礼をしてみせる。


「おじ様は少しお痩せになられましたか? ご多忙とのことユリアから聞き及んでおりますが、あまり無理をなさいますと、奥様が悲しまれますよ?」


「私めになんと勿体ないお言葉! 小官だけでなく家内の心配までしてくださるとは! なんとお優しいことか……小官は感動致しました! 小官の全身全霊を以て、殿下をお守りするこの任を果たす所存です!」


私の何気ない、言わばただの軽い挨拶のような言葉に感激し、目尻に涙を浮かべて決意を新たにするこの軍人の名前はイワン・イオアキモヴィチ・コーネフ大佐。近衛第一師団所属の505連隊戦闘団連隊長、かつて皇宮騎士団と呼ばれていた帝国屈指の戦闘部隊を率いる部隊長だ。


かつては帝国最強の名を欲しいままにし、帝国に騎士団ありとまで言われていたが、時代の移り変わりに取り残され、また政治の権力闘争にも破れたコーネフ大佐と皇宮騎士団は、今では帝都郊外の駐屯地に追いやられている。


かつて宮殿の警護は騎士団の仕事であった。今でも騎士団は近衛師団の所属ではあるが、宮殿からは遠ざけられている。伝統的に親皇室派である騎士団が、今や併合派の巣窟と化している近衛師団に疎まれている事情を鑑みれば、それはおかしなことではない。むしろ今のこの場……宮殿に彼らがいることの方が不自然だった。


いや、不自然云々うんぬんの前にコーネフ大佐の言っていた言葉が気にかかる。



「あの……おじ様? その任とやらは一体何のことでしょうか……」


そもそもおかしな事態なのだ。コーネフ大佐は近衛師団であるけれど併合派に取ってみれば政治的な敵である。帝都郊外に追いやられているどころか、宮殿に近づくことさえあまり良しとされてはいなかった。


にも関わらず大佐とその部下達はここにいた。しかも完全武装で、だ。事の次第によってはクーデターとも捉えられない珍事であるとも言えた。


皇室主体派の重鎮が部隊を率いて攻め込んで来た。そう見られてもおかしくはない。


だがそうではないのは、周りの近衛兵の様子を見れば分かる。近衛兵の表情を見れば、あまり気持ちの良い心情ではないことは読み取れるが、だがそれだけだった。決して取り押さえようとも追い出そうともしていない。彼らはいつもと同じ様にの警備に精を出していた。


「おや、ニコリスカヤ大尉から聞いておりませんか。大尉が不在の間、我々騎士団選抜中隊が殿下の警護に務めさせて頂きます」


そんな話聞いてない!! ……喉まで出掛かったその言葉をぐっと飲み込んで「そうなのですか。それではしばらくの間、よろしくお願いいたします。大佐がいれば何も恐れるものはありませんね」と言葉を捻り出した。


心にもないお世辞だったがコーネフ大佐は気をよくしたようで、満足げに「お任せあれ」と意気込んだ。


正直何も任せたくないし、よろしくお願いしたくもない。私にとって最悪の事実だ。


エカテリーナにとってコーネフ大佐は軍人としての憧れであり、目指すべき姿であった。


長らく職業軍人として国家に身を捧げ、部下に慕われ国民からも尊敬される大佐は、政治的な立ち回りさえ上手なら、本来なら今頃将軍職に就いていても不思議ではない程の人物だ。


実際のところは立場に固執するあまり、半ば自ら昇進を蹴飛ばしてきた頑固者。騎士団に対する偏執的なこだわりが彼の立場を微妙にしてきた。


しかしそんな頑固者だったから、エカテリーナとしての私は尊敬していたとも言える。軍上層部から嫌われながらも、愚直なまでの国家への忠誠で一本の筋道を通す軍人としての姿は、自分が幼い頃より憧れていた。


……あくまで軍人としてだけで、大佐の親しい親戚のような振る舞いはやや苦手。軍人としては憧れているが、出来れば面と向かって会いたはくなかった。


いや、個人的な感情もそうであるが、今の私の微妙な立場――ソフィアの計画を知った上で見過ごしている状態である以上、皇族主体派の重鎮が自分の護衛に着くというのは面白くない。


私自らが何か事を起こすことはないにせよ、私の監視が任務のユリアが不在と思いきやこれだ。


護衛が不穏な併合派の巣窟である近衛師団のユリアから、近衛師団だが主体派であるコーネフ大佐とその部下達になったのは良しとする。直接的に殺害される可能性が大きく減るからだ。


何もユリアが直接私を殺そうするとは思っていないが、その背後にいる近衛師団は不穏極まりない。ユリアの侍女という立場を用いれば刺客を私の居室に送り込むなど造作もないことだし、それほど近衛師団という組織を信用できなかった。


だがらといって皇族主体派である彼らに守られていれば、さあ安心という話でもない。


彼らは彼らで皇帝とその一族に絶対忠誠を誓っている。その忠誠は国家というシステムにも及んでおり、例え皇族であろうと、国家に仇なす者と判断すれば容赦なく滅ぼすことであろう。


かつてこの国にと呼ばれる事件が起きた際も、それを制圧したのは当時の皇宮騎士団であった。


今、かつての皇女事変に匹敵する計画を抱えている現状、彼らが側にいるというのは別の意味で不安だ。


計画の首謀者ではないものの、計画を知っているということが判明すれば共犯者として吊るされかねない。もし山岳行軍訓練の最中に計画が実行されれば、少なからず疑いの目は私にも向けられて……いや、違う! そういうことか!


思考を張り巡らせてようやく気がついた私は目が覚めた思いだった。


不安はない。大佐や騎士団が私を疑うことなんてあり得ないことに気がついたから。


私はエカテリーナでありながら、千早としての理論ロジックに囚われていた。企み事をし過ぎて疑心暗鬼に陥っていたと言っても良い。


何故なら私はなのだから。

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枯女が異世界転生したら妹が皇帝として君臨したせいで国を追われた私は亡命した国でのんびりスローライフ……のはずが、戦争に巻き込まれ女騎士団長になってしまったので自由を取り戻すために妹と戦うことにした。 江藤公房 @masakigochi

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