第10話 もう一人の転生者

予定外の来訪者に対応すべく、ユリアはベッドでうつ伏せに寝転ぶ私の背中から手を離し、手に付いたオイルをタオルで拭いドアへ駆け寄った。


癒しの時間を邪魔された私は、部屋の扉に面会謝絶の札所でも掛けておけば良かったと憤るが、訪れた人物が誰であるか分かると、札所なんて生易しいものではなく物理的にバリケードを構築しておくべきであったと後悔する。


「っ! ソフィア様!」


ユリアは扉を開くと同時に来訪者の名前を声に出した。それは来訪者を私はに伝えるためではなく、純粋に驚きから飛び出てしまったものだろう。名前を聞いた私ですら「そんな馬鹿な。あの妹が私を訪ねて来る訳ない」と疑う。


きっと別のソフィアさんだろう。私の知らない、そう例えば近衛師団のソフィアさんとか、皇室庁のソフィアさんとか。上背があるユリアの影に隠れて廊下に立つ人物は見えないが、きっとそうに違いないとカーチャは高を括る。何故ならソフィアが自分を訪ねて私室に来たことなど、今まで一度も無かったからだ。


だが廊下から聞こえてくる「姉さまに話があるの。通してくれる?」と言う声は紛うことなき妹の声。もしや今朝の意地悪の仕返しに来たのではと震え上がる中、ユリアは「少々お待ち下さい」と伝え一旦扉を閉じた。


振り返ったユリアは口パクで「どうなさいますか?」と尋ねてくる。どうやらユリアもこれが中々の異常事態であると理解しているようで、冷静沈着が服を着て歩いているような麗人の顔が困惑に染まっていた。


私は止むを得ずベッドから起き上がると、体中に塗り込まれたオイルを拭き取ることもそこそこにガウンを纏う。殆ど裸みたいなものだったが、相手は男性ではなく妹だから気にすることもない。むしろ向こうが自分のプライベートの時間に割り込んで来たのだから、多少の非礼に文句を言われる筋合いもないというもの。


「通して差し上げて」と一言ユリアに伝えると、ここ最近は忠実だかなんだか疑わしい侍女は「畏まりました」と扉を開く。


そうして中に入ってきたのはやはりソフィアだった。ソフィアは私の前までやってくると、半裸でいるこの状況を見て「くつろいでいる最中にごめんなさい」と謝罪を述べた。


「あの妹が謝罪!? そんな馬鹿な」と私は内心で動揺した。部屋を訪れてきたこと事態が驚きだが、いつもの妹ならこんな姿でいるところを見れば「そんなみっともない姿を私に見せないで」くらいは言いそうなものだ。そうでなくとも嫌味の一つや二つは覚悟していただけに、妹の態度の変化には驚く他になかった。


「別に構わないわソーニャ。貴女は私の妹じゃない。いつでも訪ねてきていいのよ」


我ながら心にもない事を言ってしまったと思う。妹が嫌味を言ってくることを前提にこちらも嫌味で返してやろうと構えていたせいで、妹が嫌味を言わなかった場合のオプションを用意していなかった。これではまるで慈悲深い姉のようではないか。


それに対しソフィアは「……やっぱり間違いない。貴女は私のお姉さまなのですね」と意味深なことを呟く。何故今になって私を姉認定するのかはよく理解出来なかった。むしろこの愚妹は今まで私を姉とは思っていなかったのか。いや、それは十二分にあり得る話だ。彼女の12年の人生の中で私はただの愚かな隣人に過ぎないはずだった。


「今日は姉さまに大事な話があるのです。その……良ければ二人きりで」


そんなことを口にしながら、ソフィアはユリアを一瞥する。どうやら人払いをしろと言いたいらしいが、さてどうしたものかとカーチャは熟考する。


これまでの人生を振り返って、そういえば妹と部屋で二人きりになったことなど一度もないと思い出す。わざわざ人払いをするということは、誰にも聞かれたくない話をこれからするということだ。


だけどソフィアが持ってきたが如何なるものか、全く見当もつかなかった。


ただ一つ断言出来ることは、ソフィアはただ姉妹同士の親密な会話をしに来たのではないらしいということ。


「ユリア。外してくれるかしら」


「畏まりましたエカテリーナ様。それでは失礼致しますソフィア様」


ユリアは二人の皇女に恭しくお辞儀をする。特に意見を具申してこないところを見るに、この察しの良い侍女は何かに勘付いたのかもしれない。


「ああ、それと。何かございましたらベルでお呼び下さい。ドレッサーの引き出しの中身もどうぞお使いくださいませ」


そう言い残し部屋を去ったユリア。エカテリーナとソフィアの関係性をよく知っているからこそ、何かあればすぐに駆けつけてくれることを示唆してくれたが、流石に引き出しの中の物を使う気にはなれない。


ユリアが言ったドレッサーの引き出しの中には緊急時の護身用として小型の半自動拳銃が隠されている。つまりあの女ユリアは万が一があれば妹のソフィアを撃ち殺せと、暗にそう言ったのだ。いくら険悪な関係の妹とはいえ、相手に銃を向けるような展開になるとは到底思えない。


むしろそんなことを平気で言ってしまうユリアは侍女以前に近衛師団の一員としてどうなのか。形だけでも近衛師団は皇族を守る役回りを負っている部隊であるし、ソフィアは紛うことなき帝国第二皇女であるのに。


「今のは一体何のことですか?」と不審がるソフィアには「い、いいの、何でもない。気にしないで」という他なかった。


「それで大事な話というのは何かしら」


物騒な護衛もいなくなり、私はようやく本題を切り出せる。どうせソフィアのことだから冗長な前置きは不要だろう。


だがソフィアは一向に口を開こうとしなかった。ただじっと私を見つめては、時折もじもじと体をくねらせるばかり。何か言いたいことがあるようだが、中々踏ん切りがつかないといった感じであった。


これは珍しいこともあるものだと思う。今までのソフィアであれば、言いたいことがあれば直ぐに口にする性格であったはず。そんなソフィアが言い出しにくい話題であるのならば、やはりそれは良くない話題なのかもしれない。


警戒した私は少しだけ体をドレッサーの近くに寄せる。もしかしたら万が一があるかもしれない。四六時中万が一を想定している身であるからこそ、護衛がいない今の状況は油断は出来ない。


「もうだめ……我慢出来ない!」


ゆっくりと、そしてさりげなくドレッサーを背後にする位置に移動した直後、私は突如体当たりを敢行してきたソフィアの細い体を全身で受け止めることとなる。


「ちょっ! ちょっとソフィア!?」


遂に妹は険悪姉妹の関係性に終止符を打ちに来たのだろうか。ソフィアの渾身のタックルで私の体はドレッサーに押しつけられる。咄嗟に引き出しを引き、中に手を入れて拳銃を握りしめるべきか逡巡する。だけど私はそうしなかった。私はそこで躊躇してしまったからだ。


まさか本当にユリアが危惧していた事が起きようとしているとは。だがどうしたものか、このままソフィアを撃ってしまうべきだろうか。


ソフィアに対し妹としての情を私は待ち合わせていないし、危害を加えようとしてくる妹を正当防衛で撃ち殺すことに躊躇いはない。私が躊躇うのは、二人きりの密室で皇族を殺してしまった後のことだ。


それほど頭を使わなくとも、とても面倒くさいことになることは間違いなかった。上手くいけば正当防衛を認められるが、下手をすれば殺人犯として憲兵に拘束されてしまう。この国の皇族殺しは極刑と定められており、それは皇族も例外ではない。


捕まらずに逃げ切れれば、あるいは悲願である帝国からの脱出も叶うだろうが、市中引き回された挙句の銃殺刑は避けたいところ。


逆に考えればソフィアだって私を殺せば同じ運命が待っているというのに、彼女は恐れを知らないのだろうか。それともそこまで私を憎んでいたのかと考え背筋が寒くなるが、思考ばかりに気を取られ異変に気がつくのが遅くなった。


「う、うぅ……姉さまぁ……姉さまぁ……」


ソフィアは泣いていた。私の胸に顔を埋めて、目から滴を溢す。


「ソフィア……? 貴女ソフィアよね? どうしたのよ一体……」


何故妹が泣いているのか理解は出来ない。ただソフィアに殺意はないことだけは理解した私はソフィアの頭を撫でた。不仲であるとかを抜きにして、自分の胸で妹が涙を流していれば、慰めてあげようと思うのが人として、姉としての道理だろう。


賢い天才でありながら甘えん坊で、自分をよく慕ってくれていた前世の妹のことを思い出しながら、私はソフィアに紗香の面影を見ていた。


どんなに捻くれた子供でも誰かに甘えたくなる時はあるものだろう。それに天才というものは人を孤独にするらしい。自分の考えを理解しない周囲の人間に呆れ絶望し、常に孤独を抱いて幼少期を過ごしていた紗香のことを思えば、ソフィアのカーチャに対する尖った態度も今になれば理解出来るというもの。


「大丈夫。辛かったね」


カーチャは自分が千早であった頃、紗香に何度もそうしたように、妹を自分の胸に抱いたまま繰り返し頭を撫でた。そのうちに嗚咽が収まったソフィアは上目遣いに私を見る。


「姉さまにこうされるの、すごく久しぶりです」


「えっ……?」


思い起こせど過去にソフィアをこんな風に抱きしめた覚えがなかった。どういうことかと驚く私にソフィアはただ笑顔を向けている。まるで、もう分かるでしょと言わんばかりの表情。


「貴女……まさか、紗香なの?」


よくよく考えれば、自分のことを「姉さま」と呼ぶ人間をエカテリーナは、いや千早は一人しか知らなかった。


「ようやくお目覚めになられたんですねお姉さま。私、この日をどれほど焦がれていたことか」


そう言うとソフィアは屈託のない笑顔を見せた。千早の知る、妹の紗香によく似たその笑顔を。

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