第24話 ~叶わぬ縁(えにし)、届けたい想い~

 一―夜明け。


 サリュナはゆっくりと目を覚ました。


 まるで悪夢の中に逆戻りしたような気分。

 いっそ夢ならどんなにか良かったろう。


 ――もう二度と目覚めなくても良かったのに…


 ただ、ただ、絶望感に苛まれる。


 と、その時。


 コンコン。


 扉をノックする音が聞こえ。


「サリュナ、起きたかい?」


「……」


 しばらくの沈黙。


「入ってもいいかな?」


「うん……」


 力なく答える。


「お腹、空いてない?」


 部屋に入るなり問うトーヴァンに、ふるふる、とサリュナは首を横に振る。

 今何かを食べても全て戻してしまいそうだ。


「そうか……」


 再び訪れた沈黙。そして――


 !


 突然抱きすくめられて驚くサリュナに、トーヴァンは優しく囁く。


「サリュナ……僕の話を聞いて」


 ゆっくり話し始めるトーヴァン。


 アルドローグ大陸では名の知れた豪商、グレイズ。その長男として生を受けたトーヴァン。


 幼い頃からお金の勘定などを叩き込まれ、勉学優秀。体格柄、武術は得意ではなかったけれど、華奢である分身軽で、運動自体は得意な少年だった。


 しかし、商売よりも歌ったり楽器を演奏したりする方が好きで、時々鍛錬をサボっては歌や竪琴の練習をしていた。


 成人した日。父に吟遊詩人となって各地をめぐりながら物語を紡ぎたい、と打ち明けた。

 父はそんなトーヴァンに、やってみろ、といった。

 それがお前の稼ぎ方なら、好きにしろ、と。その代わりしっかり稼いでこいよ!そう言って笑う。

 反対されるのを覚悟していただけに、拍子抜けした。


 各地を回りながら伝承を集め、各地の酒場で披露する毎日。


 稼ぎは可もなく不可もなく、と言ったところ。


 もっと上を目指したい!!もっと人々の心を打つ物語を紡ぎたい!!


 そう思っていた時だった。サリュナに出会ったのは。


 一目見て〝美しい〟と思った。


 この人の物語を紡げたら、高みを目指せそうだ。


 そんな邪な思いもあった。


 声をかけずにいられなかった。


 だけれど――


 一緒に日々を過ごすうち。

 サリュナの何気ない笑顔や眠そうな顔、時には怒った顔や、泣き顔さえも、見てきた。


 そのどれもが、とても大切だと気づいた。


「こんな時にこんな事言うのは卑怯かもしれない。だけど、卑怯だっていい。君がそばにいてくれるなら――」


 一呼吸置いて、遂に口にする。


「サリュナ、君を愛してる。」


 !!!


「でも…今の私は人間じゃ…」


 戸惑うサリュナに、トーヴァンは続けて畳み掛ける。


「獣人だろうと、人間だろうと変わらない。サリュナ、僕の妻に、なってくれないか。僕とずっと一緒にいてくれ!!」


 抱きしめる力が無意識に強くなる。


「トーヴァン、苦しい…」


「あ、ごめん」


 慌てて抱きしめる力を少し緩める。


「少し、独りにして。じっくり考えたいの」


「わかった」


 トーヴァンは抱きしめた手を解き、


「いい返事を待ってる」


 そう言って自分の部屋に戻って行った。


 ◇◇◇◇


 独りになって、改めてトーヴァンの言葉を噛み締める。


 彼が時折自分に向ける感情には、薄々勘づいていた、けれど。


 気付かないふりをした。見なかったことにしてきた。


 いつも助けてくれるトーヴァンに対して芽生えた感情も、だ。


 いけないことだと思った。自分には大切な人がいたのだから。


 けれど、カルハジェルはもういない。サリュナが誰かも知らない女性の所へ行ってしまった。


 そして、今の自分は獣人だ。人間のトーヴァンとは釣り合わない。


 ふと、部屋の隅の鏡に目をやる。


 トーヴァンが気を利かせて毎度布をかけてくれているのだが。


 おもむろに近づく。


 トーヴァンが愛してくれた自分とは、どんな姿なのか――


 目を閉じて、恐る恐る布を取り去る。


 ゆっくりと目を開けると――


 確かに、そのかおは美しかった。


 真上ではなく後ろにピンと伸びた長い耳。

 人間の時と変わらぬくっきりとした二重で切れ長の瞳。

 少し尖った獣寄りの鼻と口。

 色以外は人間の時のまま豊かに流れる長い髪。

 顔を覆い尽くす純白の毛皮。


 人間の面影を残した、美しき兎の獣人が、そこにいた。


 ――これが、私……


 カルハジェルに、気づいてさえ貰えなかった、私。

 トーヴァンが愛する、私。


 ――もう、いいじゃない。充分頑張ったわ


 たとえこのまま元の姿に戻れなくとも。

 こうして愛してくれる人がいる。


 ――それで、十分じゃない。


 例えそれが逃げだとしたって、構わない。


 私は――



 ◇◇◇◇


 もうとっぷりと日が暮れた。

 自室でサリュナの決断を待つ身のトーヴァンは、そわそわする心を必死に落ち着かせていた。


 後悔はしていない。


 サリュナがどういう結論を出そうと、受け止める。


 もし、拒絶されたなら、素直に去ろう。


 そう決めていた、けれど。


 何故こうも不安なんだろう。答えが出るまで待つというのは。


 独り悶々としていると――


 コン、コン。


「トーヴァン、入っていい?」


「どうぞ。」


 こころなしか緊張した面持ちのサリュナが部屋に入ってきた。


「答え、聞かせてもらえるのかな?」


 サリュナの緊張を解すように、少し冗談めかして問う。


「ええ。」


「そうか……。」


 しばしの沈黙。


「思えば今まで私、トーヴァンに頼りっきりで。困った時はいつも貴方が助けてくれた。いつもいつもお礼を言えてなかったけど、本当に感謝してる。ありがとう!」


 そこで一度言葉を区切り。トーヴァンのを見て続ける。


「だから、決めたの。私、貴方のことが好き。貴方を愛します」


「本当かい?!」


「ええ、決めたの。後悔はしないわ。」


「ありがとう」


 そう言うとトーヴァンはサリュナを優しく抱き寄せ、そっとくちづけた。


 そのくちづけはやがて濃厚なものへと変わり。


 ――その夜、2つの影が重なった。

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