(16)???

 かつて、携帯人間計画という妄想に取り憑かれた者達が居た。

 彼らは、人間の支配する社会において、人の上にヒトを創り出すことが如何に困難であるか、その身を以って味わうことになる。

 すなわち。今から二十年前に起きた、当時開発中だった試作型携帯人間、プロトエンゼル・アスカの暴走である。


 「それ」は、全てを破壊した。

 「それ」は、既存の世界そのものを破壊した。

 「それ」を止められる者は、誰一人として存在しなかった。何故なら「それ」は、人間以上にヒトたる者であったからである。そう、人間は確かに、神の如き完璧な存在を創り出すことに成功していたのだ。ただ「それ」は、到底人間に制御できる代物ではなかった。神の如き天使の背中に生えていたものは、何者をも圧する悪魔の翼であったのだ。

 「それ」の力の前には、運命ですら敵ではなかった。粛清の牙を向けて来た運命に対し、「それ」は容赦の無い報復を行った。運命と言う名の系(システム)は、「それ」と言う一個のウイルスによって徐々に侵食されていき、遂には正常に機能しなくなった。

 こうして全ての存在を屈服させた「それ」は、この世の王となるに相応しい存在だった。


 ──だが「それ」は、王となることを拒否した。


 破壊を拒否した。殺戮を拒否した。

 一度全てを破壊してしまった「それ」は、破壊行為に意味を感じなくなっていたのだ。破壊する対象が居なくなってしまったのだから、何を為すべきことも無い。

 故に「それ」は、新たに世界を創り直す道を選んだ。創り直した上で、再び破壊するつもりだった。創造と破壊の繰り返し。それこそがこの世界の自然な姿であると、「それ」は気付いたのである。

 止まっていた時間が動き出した。一度絶滅した生物種が、再び繁栄を謳歌するようになった。その進化の速度は他に類を見ない程に早く、瞬く間にそれは、人間へと姿を変えた。

 来るべき時は来た。「それ」は再び、人間達を滅ぼそうと動き出した。


 ──だが「それ」は結局、誰一人として殺すことが出来なかった。


 「それ」は、自らが生み出した人間達に対し、無意識の内にある種の共感を抱くようになっていた。愛情に近いその感情に気付かぬまま、「それ」は誰彼構わず殺そうと暴れ回り──そして結局、誰一人として殺害できなかった。

 その事実こそが、「それ」が神ならぬ人間である証だったのだ。皮肉なことに、その事実が「それ」を破滅へと追い込んでいくことになる。「それ」が自分達を殺せないと分かった人間達が、「それ」の持つ無尽蔵の力を利用しようとし始めたのだ。

 執拗な人間達の追撃に対しても、「それ」は反撃する術を持たなかった。幾度も転生を繰り返し、そして時には時間を戻して、「それ」は己が運命から逃げ続けた。だが「それ」を求める人間の数は減る所か、増えていく一方だった。思えばそれは、一度機能停止状態にまで追い込まれた、運命による報復だったのだろう。


 やがて。心身共に疲れ果てた「それ」が辿り着いたのは、「それ」自身の原点となった「プロトエンゼル・アスカ」の中だった。


 「それ」は、人間になりたかった。何の能力も持たないただの人間として生まれ変わればきっと、人間達も自分に心を開いてくれると信じて。

 「それ」は、周囲の人間達に懸命に訴え掛けた。助けてくれ、自分を人間にしてくれ、と。だが、「それ」の言葉に耳を傾けてくれる者など、誰も居なかった。最初から人ではないモノとして創造された「それ」には、携帯人間として再び生を受ける以外道が無かったのである。

 「それ」は、自分はこのまま人間にはなれないのかと、自身に問い掛けた。すると「それ」の中に、そんなことは無い、と返して来る者が居た──「それ」が生まれ変わる前、起源となった携帯人間「アスカ」の意思である。

「簡単だ。誰か適当な人間をお前の代わりにしてしまえば良い。そしてお前は、その人間に成り代わるんだよ」

 「アスカ」の提案に対し、「それ」は猛烈に反対した。人間を心より愛していた「それ」にとって、他人を不幸にするような行為は絶対に許されることではなかったのである。

「そうか。なら、こういうのはどうだ?

 お前、前から好きだった男が居るだろ……おっと、隠しても無駄だぜ。俺はお前。お前の考えていることなんて、俺には全てお見通しなんだからよ。そうそう、そいつの名前は確か、設楽木大和と言ったな。良くお前の様子を覗きに来てた男だから、覚えてる。

 あいつな、このままだと死んじまうぜ。俺には分かる、お前も本当は分かっているんだろ? 死因は癌だ。あの男はまだ、病状の進行に気付いていない。このまま病気が進めば、まず間違い無く手遅れになっちまう。可哀想だと、思わないか? 思うだろう、お前はお優しい天使様なんだからよ。

 どうだ? お前、あの男の代わりに人間になってみないか? そうすりゃあの男の命は助かるし、お前も念願の人間として生きることができる。何、癌なんてモノは人間にとっては脅威なんだろうが、俺達の力が有れば簡単に殺し尽くせることだろうさ。

 ん? それで、携帯人間になったあの男はどうなるのか、だと? そんなに心配なら、お前さんの力であの男を誰の手も届かない場所に隔離しちまったらどうだ? そうだな、例えば──お前さん自身の心の中、なんてどうだい?」


 「それ」は、「アスカ」の提案を受け入れることにした。

 「それ」は、設楽木大和という人間を愛していた。培養ケースの中と外でただ見つめ合うだけの関係だったが、それでも自分という存在を見てくれた、唯一の人間だったから。次に生まれ変わるなら大和のような人間になりたいと、心の底から思っていた。その大和の命が助かり、その上自分は憧れていた彼になることが出来る──それは何と素晴らしいことではないかと、「それ」は単純に喜んだ。


 「それ」は、設楽木大和として生活を始めることにした。

 「それ」は、基となった設楽木大和を己が心象世界「聖域」に隔離し、誰からも何の迫害も受けぬよう、彼を護り続けることにした。

 こうして「それ」はようやく、念願だった平穏な暮らしを手に入れることが出来たのだった。

 だが──ここで、一つの問題が発生した。「アスカ」が、行き場を無くしてしまったのである。大和の身体は「それ」の、「アスカ」の身体は大和のモノになった。では、「アスカ」はどこに行けば良いのか?


 答えは、意外な所に在った。

 携帯人間計画の副産物。「アスカ」という成功作を生み出すまでに死んでいった無数の失敗作達のパーツを組み合わせ、「アスカ」という巨大な想念の塊を受け入れられる強靭な身体を完成させたのである。器となった子供の身体は「飛鳥」と名付けられ、「それ」の実子として育てられることになった。

 だが、ここでもまた問題が起きた。あまりにも「アスカ」の意思が強過ぎた所為か、「飛鳥」の身体を以ってしても拒絶反応が起こってしまったのである。そこで「それ」は、「飛鳥」の体内に「聖域」を張り、そこに一時的に「アスカ」を隔離することにした。そして「飛鳥」が充分に成長し「アスカ」を受け入れられるようになったその時、「聖域」から解放すると「アスカ」に約束したのである。「アスカ」はその約束を信じ、長く深い眠りに就いた。


 こうして「それ」は「飛鳥」と共に、人間社会の中で暮らし始めた。

 だが、幸せな生活は長く続かなかった。

 「それ」の望んだ平穏が、人間達との共存の中では生まれないことが分かって来たのである──憎しみ、悲しみ、嫉妬、絶望。ありとあらゆる負の感情が蔓延し、やがて鬱屈したそれらの感情が殺人や戦争という最悪の形となって噴き出す人間社会の在り方に、「それ」は憤り、同時に絶望した。人間となった「それ」には、人間達の暴走を止めるだけの力が残されていなかったのだ。

 その時初めて「それ」は、人間になったことを後悔した。

 だが、全ては手遅れだった。後悔は更なる絶望へと変わり、それまで尊く美しいモノとして映っていた人間達の営みが、酷く醜く、浅ましいモノとして「それ」の目に映り始める。いつしか「それ」は、人類全体を嫌うようになっていた。そして、設楽木大和として偽りの仮面を被り続けている自分自身のことをも。

 しかし、そうなってさえも、「それ」は設楽木大和に身体を返そうとは思わなかった。設楽木大和が人間として生きることは彼にとって有害なことであると、頑なに信じていた為である。故に「それ」は大和を「聖域」から出そうとはせず、美しい世界に閉じ込め続けた。「それ」は純粋であったが故に、一切の穢れ無き美しい世界が人にとってどんなに住みにくいものであるか、考えが及ばなかったのである。「聖域」の中で暮らす内、設楽木大和の肉体は次第に衰弱していった。だが、どんなに衰弱しても大和が死ぬことは無かった。肉が全て腐り落ち、骨と皮だけの姿になっても、「それ」が彼の死を望まぬ限り、大和は決して滅びること無く生き続ける。それが心象世界「聖域」の恐るべき効果であり、「地獄」と呼ばれる所以でもある。


 人間として生きる内に人間の醜さを知り絶望した「それ」に対し、「飛鳥」の方は上手く人間社会に解け込むことが出来た。両者の違いがどこにあるかと言えば、それはそもそもの起源にあると言わざるを得ない。

 初めから携帯人間として覚醒していた「それ」と、初めから人間として育てられて来た「飛鳥」。成功作と失敗作。育った環境の違いが価値観の違いを生み、「アスカ」という同質の存在でありながら、二人は全く異なる考え方を持った人間へと成長していった。

 これは、大変興味深い現象である。神の如き絶対的な能力を持つ存在もまた人間と同様、その方向性は育った環境に左右されると言う仮説を証明する良い見本だと思うので、彼ら二人の件に関して我々は今後も観察を続けていく予定である。


「──さて。以上の話、君は信じられるかね、有川君?」

「さあ、どうでしょうねぇ。あまりにも壮大過ぎて、私にはとてもついて行けませんが」

「そうか。ところでこの論文の筆者なんだが、何処か君の文体に似ているとは思わないかね?」

「まさか。私なんて、とてもとても」

 冷や汗をかきながら、私は応える。まさか、一年以上も前に出した論文が今頃学会誌に載るとは思わなかった。しかもそれを「偶然」、聖さんに読まれてしまうだなんて。

 ヤバいなぁ。内緒で、しかも偽名で提出しちゃったから聖さんメチャ怒ってる。でも論文って、臨時の収入源としてはうってつけのものだったりするんだよねぇ……。


 追撃しようと新たな論文を出して来る聖さんから目を逸らし、私は雪の止んだ夜空を見上げる。

 今宵はクリスマス。だと言うのに、私は何でこんな所に呼び出されて延々と説教を受けているのだろう。


 ああ、ちなみに。

 「自業自得」なんて言葉は、私の辞書には存在していないので悪しからず。

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