第45話

 宇宙という何もない空間。


 空気も温度も音も、あらゆる情緒というものが奪われた場所。

 それはクールであるということを突き詰めたものだとハンド・メルト・マイトは思う。


 地球から絶望的な連絡が入った。


 すぐ目の前で起こっていた事実であるにも関わらず、それを知るのは遠くからの通信というのがなんだかおかしくも感じる。


 人類の最後の希望は、ハンド・メルト・マイトが見守っている中、音もなく消え失せてしまった。


「幸いガメス丸には帰還用の燃料がありますであります。まだ地球からの決定はありませんが、帰還の準備をするであります」


 操作系統を一任されているコバヤが表情を一ミリも変えずに堅苦しい言葉でそう言い放つ。


「チッチッチ。俺は待ったほうがいいと考えるぜ。なにか、裏をかけるかもしれない」


 ハンド・メルト・マイトがそう言うと、コバヤはロボットの固まった関節のようなギクシャクした動きでこっちを見る。

 細いリムの丸い眼鏡に薄い唇、細くつり上がった眉毛、感情をあまり感じさせない女だ。


「お言葉でありますが、決断は急を要するであります。現在ガメス丸は慣性航行により、隕石に向かってるであります。つまり、止まっているのではなく地球からの距離はどんどん離れているであります。帰還の確実性を考えるのならば、少なくとも慣性スピードを落とし、状況を伺うほうが良いと考えるであります」


 サンシャイン・ダイナが船内をクルクルと回りながら横切った。


 彼女は宇宙に来たことで開放的になったのか、水着姿ですごしている。


 初めはハンド・メルト・マイトも目のやり場に困ったが、しばらくすれば見慣れる。

 そして水着姿はこの環境で過ごすには極めて効率的だということを悟り、ハンド・メルト・マイトも短パンにタンクトップというトレーニング用の姿になっていた。


 そんな中でコバヤはきちんと支給された日常生活用のアストロスーツを着込んでいる。

 まるで水と油のように正反対の二人だ。


 サンシャイン・ダイナは器用に宙を舞いながらコバヤの前に行く。


「んなことよりさー。シマちゃん、ちゃんと寝たの?」

「はい。規定の時間は目をつむっていたであります」

「目をつむるとかじゃなくて寝ないと。寝ないと人間バカになるんだよ」

「そのような言説は初めて耳にしたであります。どのようなエビデンスがあるでありますか?」

「エビとかウケる。知らないけど。あーし、寝ないとバカになるから」


 一見相性の悪そうな二人だが、コミュニケーションは成立している。


 サンシャイン・ダイナが誰とでもフレンドリーに振る舞うせいかもしれないが。


 コバヤはメガネをずらして目元を親指と人差指でキュッとつまむ。

 彼女にしては人間らしい行動だった。


わたくしは、ここまでこれただけで満足であります。ハンド・メルト・マイトさんとサンシャイン・ダイナさんと共に宇宙を旅する。人生で二番目に叶えたい夢でありました」


 恐らくリップ・サービスもかなり入っているだろうが、こう言われて悪い気はしない。


 自分たちのするべき任務は何もなくなってしまったのだ。

 それに対して絶望し、汚い言葉を吐くような人間もいるだろう。


 コバヤは一見して人間味に欠けるが、その実かなり人間としての強さを持ち合わせている。

 そうでなければ、このような状況で宇宙を旅する者として選ばれることもなかったはずだ。


「一番目の夢は?」

「恥ずかしながら、わたくしの一番目の夢は、巨大ロボットを操縦することであります。アニメーションに出てきたような体長20メートル以上のロボットを思うままに操るのであります。補足させていただくならば、現在の科学はロボットを小型化させることばかりに注力をし、嘆かわしい限りであります。兵器としての運用しか考えない狭量な者たちのせいであります。巨大なロボットは言わば人智を超えた存在、神の象徴であり、アミニズムの視点からも人種、国家を超えた人々に希望をもたらすものとして挑まなければならない課題であります。もちろん多くの問題は山積しているであります。自重を支えきるだけの物質の開発も急務でありますし、そうなるとフォルム、デザインの問題も出てくるであります」

「シマちゃん。すっごい。ウケるー。めっちゃしゃべるじゃん」

「あ、これはいささか取り乱したであります」


 そう言ってコバヤはハンカチで額を拭った。


 なんだかそのしゃべりはどこかで見たような気がする。


 ここ数日一緒だったが、任務に対する緊張感からあまり彼女の存在に注目していなかったのだ。


「どこかで会ったか?」

「は? マイちゃん何言ってんの? 木大角豆きささげ研究所で一緒に戦ったじゃない」


 サンシャイン・ダイナがクルクル前転をしながら身体をぶつけてきた。


 その言葉でハンド・メルト・マイトの頭に映像が蘇った。


 あの時にいた。

 ……ような気もする。


 ぼんやりと覆っていた霧が晴れたようで心なしかすっきりした。


 そうか、あの時にいた研究員の一人だったか。


 そう思ってコバヤを見ると、彼女の目からは水が玉となってメガネの内側を浮遊していた。


「覚えていてくれたのでありますか」

「え? なんで忘れるの? 会った時から久しぶりで嬉しかったに決まってるし。あーし、みんなわかってると思ったけど?」

「わたしくは……もちろん一緒に戦ったなどおこがましいでありますが、あの時のスタイル・カウント・ファイブさんの戦いに感動したであります。小さなロボットたちを容赦なく潰していく勇ましさ。お二人と共に宇宙に行けることが決まり、再会を勝手に喜んでいたのであります」


 コバヤの目から出る水の玉はメガネの内側を溢れ顔全体に広がっていた。


 そこに地球から通信が入り、帰還するように命令が降った。


 涙を拭い操縦を再開するコバヤ。

 その手にハンド・メルト・マイトは自分の手を重ねた。


「フッ……。そいつはちょっと待ってくれ。俺に考えがあるぜ。ここは一つ、裏をかいてやろうじゃないか」

「いいねー。マイちゃんの閃きのおかげで、今まであーしたちすごい面白くなってたんだから」

「そうなのでありますか。さすがハンド・メルト・マイトさんであります」


 それほど大した考えがあるわけじゃなかった。


 しかし、そう期待されると嬉しくなってくる。


 このまま地球に帰還するのはさすがに癪だった。

 どの道、このまま隕石が衝突すれば人類は滅亡する。

 結局何もできないままに。


 しかし、何かできるとしたら、最前線にいるのは自分たちだ。

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