氷姫と鳥魔術師

 誰かを待ち伏せするなら、鳥に"変身"すれば良い。

 小さな鳥が枝の上で羽休めをしていても、誰も気にしない。隠れる場所はたくさんあるし、もしばれたら飛んで逃げてしまえば良いのだ。

 メルのお気に入りは、黒い鴉だ。黒は夜の色で、メルの色だ。

 小さな足音を耳にして、そちらを見る。

 城の中庭。大理石でできた道の上を歩く、薄紫のドレス姿があった。

 羽を広げて、風を掴む。枝を蹴って、ふわりと浮かび上がった。

 薄紫のドレスの正面まで移動して、"変身"を解く。黒い鴉は、黒いローブの女になった。

「やあ、ライラ! ご機嫌いかが?」

 すぐ目の前で鴉が女に変わっても、ライラの表情は動かない。白く透き通った肌に熱はなく、瞳の奥は凍りついている。

「宮廷魔術師の仕事はどうしたの、メル」

「酷いなあ。今まさに仕事中じゃない。第一王女のご、え、い!」

 今年で二十三歳になるライラは、同性のメルの目から見ても美しかった。

 月の色の髪をきっちりと結い上げて、銀の髪飾りで留めている。余計な装飾品は身につけず、今日身につけている紫のドレスはフリルやリボンがないシンプルなものだ。

 年頃の王女を妻に欲しいと、国内の貴族や他国の王子がこぞって求婚していると聞く。だが、その全てを、ライラはばっさりと切り捨てた。

 どんな贈り物や愛の言葉にも揺るがない。滅多に笑わない王女。いつの間にか、ライラは『氷姫こおりひめ』と呼ばれるようになった。

「で、どうだったの? 今日の会議。新しい孤児院と学校、作るんでしょ」

「庶民に教育なんかしてどうするって言われたわ。それに、予算がないって」

「あらま」

「こんな有様だから、反乱軍なんかに好き放題やられるのよ」

 この国は、長い間ひどい男尊女卑が続いていた。

 女は家畜。男の持ち物。王族でも庶民でも変わらない。

 今の王の時代になって、ようやく男女平等が叫ばれるようになった。

 王の子供が王女ばかりというのも大きい。王には八人の王妃がいるが、産まれるのは娘ばかりだった。

 王妃や王女が会議に出席し、意見を述べることを許される。第一王女であるライラを、女王にしようという動きがあった。

「反乱軍かあ…………マイア様、なんでそっちに行っちゃったのかなあ」

「知らないわ。どうせあの男に適当なこと吹き込まれて、その気になったんでしょ」

 国王陛下は偉大な方だ。卑しい女にも情けを掛けてくださる。

 人々はそう讃えたが、実際は男女平等とは程遠い。

 会議に出席することは許されたが、女が意見をすれば男達は大きく目を見開き、口を開け、まともに耳を傾けることなく否定する。

 長い間、『男の持ち物』として生きてきた老婆達は、男に意見する若い娘を見て顔をしかめ、最近の娘は躾がなっていないとため息をつく。

 王女を女王にという話は、第八王妃が第一王子を産んだことで立ち消えになった。

 第八王妃は、ライラと同じ二十三歳だ。

「この国には教育が足りないのよ。だから反乱軍の言う自由や平等に惹かれるの。連中が何をしているのか知らないで、とにかく王族が悪いってことにすれば、何も考えなくて良い」

 第一王子が生まれた後、反乱軍を名乗る者が現れた。

 彼らは自由と平等を求めて、この腐った国を打ち倒し、新たな国を作るのだと言う。

 立派な思想だが、実際にはただの強盗だ。手近な貴族の屋敷を襲って、財産を根こそぎ奪う。貧民の痛みを知れと叫びながら見せしめのように嬲り殺し、泣き叫ぶ令嬢を怪しげな人買いに売り飛ばす。

 庶民には、それが悪の貴族を成敗したように見えるらしい。奪った財産を貧民にばら撒き、腐った王家を倒して自由と平等を手に入れようと叫ぶ反乱軍は、一部の者から英雄のように扱われていた。

 その反乱軍に、第七王女であるマイアが加わってしまったのである。

 上半身には男のように革鎧をまとい、短いスカートを翻して戦うマイアは、瞬く間に人気者になった。

 『剣姫けんひめ』という二つ名までついている。

「でも確かに予算は問題だよねえ。何かを作るにはお金がかかるし」

「ええ。だから、王女に関する行事は止めましょうって提案したわ」

 メルは目を見開いた。ライラの表情は変わらない。

「それはまた…………反対されるだろうねえ」

「何も全部止めろとは言ってないわ。一月経てばドレスの丈が足りなくなるようなメイアやアイナならともかく、私みたいにもう身長が伸びない王女がお茶会のたびに新しいドレスを作る必要なんてないでしょ」

「楽しみにしてる子もいるだろうに」

「誕生日に一着作れば十分よ」

 ライラの口元に、うっすらと笑みが浮かぶ。

「男の行事を削れって言ったら誰も耳を傾けないでしょうけど、これは女の行事ですもの。男どもは喜んで賛成してくれたわよ」




 

 半年後に、王都に新しい孤児院が三つ、学校は二つ作られた。

 孤児院の食事は一日三回、行事の際にはおやつが出る。

 学校は庶民のためのもので、十五歳までの子供達に簡単な読み書きや計算、歴史などを教えていた。

 建設に深く関わったライラは、たびたび視察に訪れ、氷姫こおりひめとは思えないほどの優しい笑顔を振りまいていたという。

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