仮ヶ音ミドリコの物語ったこと(2)③

 

 

 

 大きなプロセスが想定されていて、それを前に進める動体アクターのひとつがわたし。

 ……そう思うと、暗闇のなかキラキラと輝くルーブ・ゴールドバーグ・マシンが現れる。

 転がるボール、倒れるドミノ、回転するレコードプレイヤーが動力を伝える。それは古い絵本で見たイメージ。


『なるほど、ピタゴラ装置だね』


 精霊のように透き通った少女が、わたしのそばに姿を見せる。

 その子の名は知らない。

 小学生の夜の校舎以来、わたしのなかにいるのです。


『でも一回限りで終わりじゃ退屈だね。構造が持続するには……』


 少女がわたしのイメージに手を加えると、一連のしかけが複雑化し継ぎ足され、わたしをぐるりと取り巻く。

 ループ構造。

 暗がりに照らし出されるその円環が、エッシャーの滝のように永遠に巡り続ける。ずっと変わることのない閉じた輪……。


『それじゃ、再帰性を組み込もう』


 少女がそう言うと、しかけのひとつひとつが変化しました。

 反動で跳ね返ったボールが別のしかけにぶつかる。

 倒れたドミノはふたつに割れ、新たなしかけの一部になる。

 個々の動体アクターは動力を伝えるたびに動きを、色形を変え、ときに分裂し、融合する。

 巨大なルーブ・ゴールドバーグ・マシンのなかに、相互に変化させ合う複雑な動きが生まれていました。

 それは立体の万華鏡でした。

 そのごく一部、活発な一群の動体アクターに目が止まりました。ビリヤードのブレイクショットのように目まぐるしくぶつかり合う小さなガラス玉たち……。


『あのひとつが……たとえばキミなんだね』


 その紅く光るガラス玉は、周囲のガラス玉同士、また周りからときどきやってくるハンマーや水流やピンポン玉にぶつかって、絶えずその動きを変えていました。


『そしてもしかすると、あれがボクだ』


 遠くからライトグリーンに輝くガラス玉が飛んでくる。ふたつのガラス玉がぶつかる。きんと澄んだ、硬質の音とともにふたつは砕けました。

 その瞬間、色とりどりの動体アクターたちがそこから飛び出し、あっという間に周囲と混じり合う。

 互いに変化を与え合う、数えきれないわたしたちになる――。




「リコ、やっぱりここにいた」


 すっかり夜になった公園。

 車道からかすかに届くクリスマスソング。

 駅を利用するひとたちがぱらぱらと行き交う通りから少し離れて、かさねがわたしを見つめていました。

 かさねの後ろには公園の池が暗く広がり、水面に街灯が反射していました。


「コートを着なきゃ。ほら」


 かさねがわたしのスクールコートを広げて、おいで、と笑いかける。

 ほっと安心してしまうわたし。

 身体の一部が戻ってきた。その感覚に逆らえない。そこに身をゆだねれば、かさねと溶け合えば、わたしの焦りも消えてなくなるのでしょう。

 いや、そもそもそんなものはなかったのかも。


「かさねはわたし……なの」


 わたしの言葉を、かさねはいつもの微笑を浮かべて不思議そうに聞いている。もちろん。そうさ。答えるまでもないこと。

 でも、そうだとしたら。

 わたしはなにを望んだのでしょう。何に苛立っていたのでしょう。

 かさねの涼しげな眼差しが優しく語る。

 さあ、一緒に戻ろう。

 物理現実マテリアルなんて関係ないよ――。




『……の』


 聞こえました。


『誰か、いないの……』


 声が響いたのです。

 クラマ山の闇で、吐き出すような声が。

 小さな、異形のわたしが、ずっと叫んでいた言葉。わたしの求めていたこと――。


「かさね」


 衝動のまま、わたしはかさねにぶつかる。

 かさねの唇に唇が重なる。

 勢いあまって歯と歯ががちんと鳴って。

 危うく倒れそうになったかさねが、わたしのコートを地面に落とす。

 周りからは、中学生同士の揉めごとのように見えたでしょうか。


「……リコ」


 うつむいたかさねの口元から白い吐息が漏れる。

 わたしは大きく息を吐く。

 空気が白く染まる。

 わたしは。

 わたしは、かさねじゃない。


「かさね……あなたは誰なの」

「ははは……」


 顔をあげたかさねは、天使のような空っぽの笑みを浮かべていました。

 その唇には血がにじんでいる。わたしの歯とかさねの歯が裂いた皮膚。流れる血。――物理現実マテリアルのもの。


「……ボクにはわからないんだ。自分ってものがある、そのことがね。だってこうして話したり、笑ったり怒ったりする人格、それは単独じゃ成立しない。この身体が、環境が、触れ合うひとたちが……そのすべてを含む大きなシステムがたまたまボクをつくりだしている。そして次の瞬間にはすべてを変化させるだろう。誰もが変わって、やがて溶け合ってしまう。そこに境界なんてない。だからボクはキミで、キミはボクじゃないか」


 わたしは自分のコートを拾い上げ、土汚れを払って袖を通す。


「わたしは……そんなのは嫌」


 唇が熱をもっているのがわかりました。たぶん、わたしの皮膚もまた血を流している。


「確かにわたしたちはこの世界で変わり続ける。ぶつかりあって、色も形も変わる。でも、そのゆらぎのなかでも……わたしたちらしさ・・・・・・・・はあると思う。だって……」


 街の音楽やイルミネーションの残響が、公園の闇と静けさをそっと包んでいました。


「だってかさねはこんなにも……変わった存在だから。それは周りの誰とも違う。あのとき、ここにいたんだって思った。この世界には誰もいないと思ってたのに、ほかのひとが存在したんだって……そのことが嬉しかったんだよ」


 自分の言葉が奔流となり、かたちになって、はじめてわたしは自分の考えを自覚しました。

 生まれてからずっと感じていた苛立ちの正体を知りました。


「ああ……そうか」


 じっとわたしを見つめていたかさねが、思い出したように微笑む。いつもの涼しげな表情で、なんの躊躇もなく距離をつめる。

 かさねの吐息の温かさが頬に伝わる。


「溶け合いたい。同時に、境界をひいて互いの固有性を確認したい、それがつまり」


 唇が、重ねられる。

 ちり、と痺れるような感覚。その一瞬、互いの血の味を確かめるように。


「……好きってことなんだね」


 身体をひいたかさねが、静かにささやきました。

 わたしは妙な解放感を憶えていました。

 そうか。わたしはかさねが好きだったのか。

 なんだかおかしくなって、かさねの、イリオモテヤマネコのような瞳を見つめる。

 その好奇心と警戒心を湛えた瞳は、ただじっと、誰にも手の届かない彼方を凝視していました。


「そうか……これが必要だったんだ」


 ひとり呟きながら、いましがたの感触を記憶するように、かさねの指はそっとその唇をなぞっていました。




 ◆ ◆ ◆




 その翌日、かさねのアパートは空っぽになりました。

 ふたりで月を仰いだあの部屋は、そのあとすぐに見知らぬ会社員が住むようになりました。

 中等科の卒業を待つこともなく消えたかさねがどこにいったのか、わたしにはわかりません。


「存在するには、消失を得なくちゃいけない」


 わたしはふとかさねの言葉を思い出します。

 最後の日、PCから流れた曲は、その年の秋に“消失”した初音ミクについて歌ったものでした。

 2007年10月17日。その日からGoogleをはじめとする画像検索サービスが初音ミクを表示しなくなった原因不明の事態は“初音ミクの失踪”などと呼ばれ、状況が元に戻ったあともしばらくネットの一部を騒がせました。もともと実在しない彼女がソフトウェア発売後2ヶ月もせずに“消失”したことには、どのような意味があったのでしょう。

 あの出来事はもしかすると、彼女がいつかは消えてしまうということ――電子情報であっても……いえ、だからこそあっけなく消去される、流行の終焉とともにいなくなってしまうことを、多くのユーザに意識づけたのかも。そしてそのことが、ユーザ同士の創作の連鎖を加速させ……彼女をより強固に存在させた――。


「いつか消えるとわかっているから、ボクたちはそれを実在させようとやっきになる。相互作用する複雑なネットワークのなかに生じる人格……それは幽霊のようにはかないものだけれど、ボクたちはそれを存在させることができる。そしてそのことによってのみ、ボクたち自身も存在できるんだよ。その幽霊たちは自然に生じるのか、それとも待っているだけでは永遠に生まれることなく消えてしまうのか、ボクにはわからなかった。だから……自分でやることにしたんだ」


 かさねの動画は毎月投稿され続け、禍砂音かさねミトリシリーズとして奇妙で壮大な物語世界を拡張していました。誰かがその膨大な“元ネタ”を解説するサイトを立ち上げ、多くのファンが動画のコメントやファンサイトを通じて禍砂音かさねミトリの世界を楽しむようになりました。

 わたしは、どこにいるのか知れないかさねの存在を、ただそうした動画やブログで確かめていました。

 かさねの言うとおり、物理現実マテリアルの距離はもう関係なかった。わたしはかさねに対する感情を自覚し、かさねはわたしとは別の人間としてわたしの前から姿を消した。

 だからきっと、また現れるはず。

 なぜなら、相互作用のなかから“生まれる”ために――そのために必要なことはなにか、あの夜かさねは知ったのですから。

 あとは再現性のある方法を学べばいい。その試行錯誤が、かさねをあのゲームへと導いたのです。ダークサイドへ――。

 

 

 

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