第四領域という信仰

 

 

 

■第四領域という信仰




 トナリ――つまり“かさね”は既知世界を超えた“領域”を信じ、そこへ至ろうと願った。仮ヶ音さんの語るかさねのエピソードとダークサイドの文化を安易に結びつけるべきではないかも知れないけれど、かさねの切実で奇妙な衝動に、僕はのちのダークサイドで生まれた諸概念の萌芽を見る。それは一種の信仰のように、ゲーム世界を超えて広がっていったのだ。


 ダークサイドのプレイヤーが「時空交叉」を追求したのは、あくまで遊びの範疇だったはずだ。ところが2013年のはじめころから、ゲームを通じて現実認識を変容させようという目的意識が前景化しはじめる(これはおそらく、当時ダークサイドで行われた「躰乖祭たいかいさい」と呼ばれるイベントと関係がある)。

 やがてその志向は「仮想人格救済論」という用語タームを核とした思想へ体系化されていくのだが、互いに矛盾する主張も多く、その内容は要約し難しい(そもそも「仮想人格」が何を指すかすら一定しない)。

 僕の印象では、多くのプレイヤーにとってそれはやはり“ネタ”だった。けれど、だとしてもそこでは、現実を超えた広大な領域を仮定し、これを認識しようとする意志が共有されていた。彼らはそこを「第四領域」と呼んだのだ。




▼第四領域(だいよんりょういき)【非公式】/2013年1月13日/登録者:ソラリスクラート


 物理現実を超越して存在する広大な世界で、そこでは人間の囚われる物理的、心理的、社会的な制約から解放されているとされる。「時空交叉」によって接続される世界。また、こうした世界を認識できる存在自体を第四領域と呼ぶことがある。この場合「人間にはない認識力を有した、人間ではない別種の存在」といったニュアンスで使われることが多い。

 名称の由来は諸説あり、ユークリッド空間の3つの次元に4つ目を加えたいわゆる4次元空間のことだとするもの、人間の脳がもつ3つの機能(本能、感情、意識などが挙げられる)に加えられる4つ目の機能によって認識できる世界のことだとするもの、などがある。


《来歴》

 2012年から翌年にかけての躰乖祭のなかで生まれたと思われ、当時から明神みあらか、逆神ナラカなどの霊獣躰ワードメモリに登録されていたことが確認できる。


《関連用語》

 第四形態、時空交叉、仮想人格救済論、仮想人格解放戦線




 この概念はネットミームとして拡散され、より先鋭的に捉えられるようになっていく(*1)。ここで具体的に、「第四領域」を紹介する典型的な個人ブログを引用してみよう。




 ◆ ◆ ◆




ゲームから生まれた「逆転の視点」第四領域

    ――――そのみど「深海のスタンフォード」(http://www.geocities.co.jp/Eusthenopteron/3952/Sonomido.html、2016/2/23公開、2017年10月2日閲覧)




 俺は考える。

 初めて陸へ這い上がった魚は、苦しいと思っただろうか?

 むしろ、陸の酸素を取り込める器官を持ちながら水中から離れられない肉体的制約に、生き苦しさを覚えたんじゃないだろうか?

 深夜にモニタの向こう側で呼吸する俺たちが、物理存在としての生理的欲求を煩わしがるように。


 水中にしか世界を持たない存在を魚と呼ぶなら、魚にとって陸へ這い上がることなど狂気以外の何物でもない。

 そうでなくて、どうして存在しない世界を目指すだろう?

 だが肺呼吸を覚え、陸上世界を見出した魚は、もはや魚ではない。それは別形態の存在だ。

 彼らからすれば、水中に留まることこそが狂気ではないだろうか。


 ここに、世界を眺める視点の逆転がある。この視点のもと、本ブログではグノーシス、偽ディオニシウス、龍樹、ニーチェ、グルジェフ、シオランらの思想に触れてきた。

 その流れの先に、今日はネットの海で生まれたひとつの概念を取り上げる。

 それは「第四領域」と呼ばれる。

 同人ゲーム「月のウラガワ」で生まれた概念とされるが、それはある種のミームとして受容体レセプターを同じくするものたちに広まっている。あなたがいまこのページに辿り着いたように。

 多くのネットミームと同様その製作者はクレジットされないが、その概念を明確に伝える次のような宣言が知られている。


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 私たちはそれ・・を第四領域と呼んでいます。

 地球上のあらゆる生物を分類する最上位区分である<領域ドメイン>――すなわち「細菌」「古細菌」「真核生物」に次ぐ4つめの<領域>として分類されるべき、既知のいかなる生物とも違った存在という意味です。

 またこの名称には、あらゆる生命体のもつ「本能」、高等生物が備える「情動」、人類に生じた「意識」という3つの重なり合った精神領域を生きる私たちにとって4つ目の領域という意味合いがかけられています。

 便宜上、私たちは「第四領域」以外の存在/世界をまとめて「表層領域」(または「原初領域」)と呼んでいます。


 「第四領域」という名称をあてがってはいますが、それ・・を表層領域の記号体系によって具体的に表現/認識することはほとんど不可能です。

 ただ三次元物体が平面に落とす影のように、表層領域で部分的に認識できる「第四領域」とはどのようなものか、次のように指し示すことはできるでしょう。


【1】融解性 /第四領域は、自他の明確な境界をもたない。第四領域においては、表層領域における世界と個人、他者と自己、現実と妄想といった区別、およびそれらの区別から生じる誤謬、憎悪、愛は融解する。

【2】変化  /第四領域は、【1】であるがゆえに、表層領域において変わり続ける。第四領域においては、表層領域のあらゆるものはその同一性を担保できない。

【3】非従属性/第四領域は、【2】であるがゆえに、表層領域のいかなるものにも従属しない。第四領域においては、表層領域のあらゆる規定、制約、法は失効する。


 私たちは、第四領域を認識します。

 ゆえに私たちは、表層領域におけるあらゆる境界の融解を志向し、あらゆる変化を肯定し、あらゆる従属を否定します。


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 ……抽象的でわけのわからない宣言だろうか?

 俺もそう思う。

 ここ――表層領域にいる俺は。


 あらためてこの宣言を読んで思うが、冒頭の喩えはある意味で間違いだった。

 これは魚類から両生類への進化や、ホモ・エレクトゥスがホモ・サピエンスへ分岐するといった、表層領域の認識では捉えられない話なのだから。


 あなたは朝になると服を着替え、食事を摂り、家を出る。家族の、組織の、国家の一員として承認され、規定されて生きている。

 だがその全ては、第四領域のあなたをなにひとつ規定しない。


 第四領域のあなたを認識できるのは、第四領域のあなたなのだ。

 第四領域を認識しろ。第四領域のあなたを駆動しろ。

 それは狂気ではない。

 その領域を認識できるなら、この世界に留まることが狂気なのだ。




 ◆ ◆ ◆ 




 以上のテキストがネタか本気かの判断には立ち入らない。ただゲームのように特定メンバーが囲い込まれた場と違い、個人ブログやSNSではその区別はつけにくくなるだろう。

 インターネットは多様な“現実”を層状に重ねており、そこに染み出した「第四領域」もまたひとつの現実になったのかも知れない。実にさまざまな(疑似)科学的、オカルト的、哲学的解釈が「第四領域」を説明してきたが、僕のみる限りふたつのアプローチが一定の存在感を示していたようだ。


 ひとつは、「世界の外部を仮定する」というもの。

 数学が数学自身の正しさを証明できないように、有限世界の内部を観測する科学はその世界の外部を観測できず、それは仮定するしかない。精霊や神の世界が仮定されたように「第四領域」は仮定され、そして現実として認識される。なぜなら、人間にとって“世界の外部”は常に想像によって現実となるからだ。

 テーブルに並ぶ野菜をつくった誰か。地球規模で循環する大気や水。天体の運動。そうした日常生活の外部は想像によって捉えられ、多くのひとにその想像が共有されるがゆえに現実となる。科学的・論理的に証明されるものだろうと、仮定だろうと、本質的な差異はない。

 この考え方は、物理的な現実を「リアル」とは呼ばず「物理現実マテリアル」と呼ぶ一部のネットコミュニティ文化に親和性があり、実際にダークサイド周辺でもマテリアルという言葉がよく使われた。つまり現実とは物理的な現実だけではなく、情報技術のつくりだす現実も、心象や想像が生みだす現実もあるのだと相対化するわけだ。仮定された「第四領域」もまたひとつの現実となる……。


 一方で、もっとラディカルな考え方を示すひとびともいた。

 たとえば1660年にエドム・マリオットが発見して以来、人間の視覚には「盲点」と呼ばれる情報欠落部位があることはよく知られるが、夜空の月が約17個入るというその大きな欠落を人間は普段意識しない。人間の脳が欠落部分の視野を創造・・し、補うためだ。そもそも人間の目は視野の中心を外れればすりガラス越し程度のぼやけた解像度しか持っておらず、脳は視覚情報のサンプルを集約して鮮明な視野を「構成」しているに過ぎない。

 彼らはこのような生物学的特徴から敷衍ふえんし、人類は「世界失認」の状態にあるとする。ここで踏まえられているのは、症状が明らかなのにそのことを本人が自覚できない「病態失認」という神経心理学用語だ。バビンスキー型として知られるその状態にある患者は、左半身が麻痺し、そのことを指摘され、実際に左腕が動かないことが確かめられてもなお、麻痺を自認できない。脳が麻痺のない身体だと認識しているため、当人の現実においては麻痺という不自由さが存在しないのだという。

 我々が生物学的構造上、世界を部分的にしか認識できておらず、その欠落に気づくこと自体が不可能であると考えるのは自然であり、そして事実なのだ。「第四領域」とはそのように人間の認識を超えたところに実在する世界である。それを認識するには“失認状態”から脱する跳躍、すなわち人間としての生物学的制限を超えることが要請される……。


 こうした考えは、一部のネットコミュニティで様々な思考実験を推し進めた。そして、当初はネタだったはずのそれが真剣なものとしてダークサイドに逆輸入されると、それは「実践」可能なものとなった。ダークサイドの舞台である「月霊學園」は、プレイヤーの創りだす設定のフィードバックを受けて変化するからだ。

 次節より仮ヶ音さんの語ったエピソードに立ち戻るが、そこで中学生になった“かさね”はまさに、インターネットの構造を用いていかに「第四領域」への道筋をつくるかという“実践”を考え続けていた。

 

 

 

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*1 娯楽やネタとして生まれたミームが、様々なコミュニティへ拡散するうちに真剣に扱われるようになる事例は、インターネットでもよく見られる。たとえば英語圏ネット掲示板4chanで“負け組”の自嘲的アイコンだった“カエルのペペ”は、2015年頃から反エスタブリッシュメントや移民排斥の文脈を帯びはじめ、やがてオルタナ右翼の願う世界実現を約束する神的存在、あるいはヘイトの象徴となるに至った。また、日本のマンガやアニメが海外において権力への抵抗運動の象徴になることは少なくない(最近では2019年から2020年の香港民主化運動など)。ここにはアニメやマンガが他国文化の流入経路であるという別の事情もあるが、その真剣さはオリジンから離れた場所だからこそ成立したように僕には思える。

 

 

 

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