仮ヶ音ミドリコの物語ったこと(1)③

 

 

 

【仮ヶ音ミドリコの日記/2003年4月27日(日)】

かさね:パラメータが人格キャラクターを駆動させるんだ

化野あだしの:そのキャラクターが多すぎるんだけど

かさね:多いほどいい

かさね:やり過ぎるくらいでなきゃ

とこやみ:でもでも……

とこやみ:あたしのパラメータやっぱちょっとひどいと思うんだけど……

化野:あんたまだ言ってるの?

とこやみ:すぐ死んじゃうよお……

化野:だからアイテム多めに持たせてるでしょ

迎火むかえび:大丈夫! とこやみちゃんはうちが守るから

とこやみ:うう~

かさね:じゃ、昨夜の続きからね

かさね:追憶の暗室で分断された一行は……




 日記を見直していたら、当時のチャットのコピーが一部残っていて、小学5年生のわたしの健気な自演ぶりを確認できます。

 どんな衝動がそうさせたのか……わたしは“リコ”を除いた32のアカウントのすべてに能力値パラメータを設定し、かさねのシナリオに沿って言葉を連ねました。ほとんど毎晩です。

 テーブルトークという遊び方を知ったのは後のことですが、当時のわたしたちにはルールブックすらありませんでした。憶えているのは、迷いがなかったこと。溢れるように言葉が打ち出される。わたしはたぶん、生まれてはじめてなにかに夢中でした。


 それは秘密のリハーサルでした。

 教室では、わたしたちは言葉を交わさない。

 そこでは誰もかさねの異質さを気にかけない。群れに紛れた稀少動物――クラス委員としてのわたしは、ときに騒ぎに発展するかさねの異端さを糾弾することすらありましたが、会話することはない。

 ですが、放課後は。

 授業が終わると、わたしとかさねはたまたま・・・・階段や校庭の隅、下校する児童たちの声が聞こえる渡り廊下で出会いました。

 軽やかな歩行、遠くを眺める微笑、リコと呼びかける鉱物の反響みたいな声、すれ違いざまに触れる手の冷ややかな体温、それらの情報がわたしのなかにかさねを形づくるのです。


 夏休みが始まってすぐ、本番を迎えました。

 夕方から教室に隠れてやり過ごし、深夜の誰もいない学校で、わたしとかさねはふたりきりでした。


「いよいよだねリコ。すべての人格キャラクターが集う到達点だ」


 ふたりコンビニで買い込んだお菓子を食べながら(わたしはその日はじめてコンビニで買い物をしました)、かさねが笑う。

 あの日機械山でかさねは言ったのです。この世界がボクたちにひとつ・・・であれと要求しても、ボクたちは無数のままでいよう。そうして、ここよりずっと広いその領域で呼吸し続けよう。

 わたしはその言葉の奥に、ほんとうのこと・・・・・・・を感じていました。家でも学校でも見聞きしないこと。


「かさねちゃん……これまでたくさんの人格キャラクターで遊んで、あたし楽しかった」


 月の光が差し込む廊下を歩きながら、わたしはかさねに語りかける。


「それで思ったんだけど、もしかすると誰もが、仲間たちと一緒にがんばるっていう……そういうゲームを、ただやりたがってるだけなのかな」

「……うん、そうだね。きっとそれが……ヒトという種を生き残らせたから」


 先を歩くかさねは、きっとあの涼しげな微笑みを浮かべていたはずです。


「たとえばさ、ヒトはむかしネズミみたいな小動物で、天敵に襲われたら迷うことなくすぐ逃げなきゃならなかった。だから一部の個体に恐怖という感情が生まれ、恐怖が迅速な逃走を実現させたとき、その個体のほうが生き延びたんだろうね。だからボクたちはいま、恐怖とともに生きている。仲間とがんばる気持ちだって同じ。そのコンセプトをもつ方が、生き残るために有利だったんだ……だけどそれは、これまではそうだったというだけのこと」

「かさねちゃんは……恐怖も……仲間も要らないの」

「ボクは……その領域で呼吸しなきゃいけない。その領域で……いまも数えきれないほどたくさんのボクが死に続けてるそこで、生きたいんだ。だから欲しいのは、そのために必要なものだけ」

「……それはなに」

「そうだね……たとえば人格キャラクター……ここじゃ目に見えないけど、生き生きと脈打つような無数の力。その領域とつながる経路を通ってやってくる力……」


 廊下の先で、かさねがわたしを振り返る。

 月がその顔を斜めに切り取っていました。


「さあ、今夜これから、その力を駆動させよう。ルールは……」

「……最後のひとりになるまで」


 わたしがうなずく。

 そしてわたしは化野に、とこやみに、迎火になる。

 真っ暗な教室を、廊下をさまよいながら、かさねの言葉は奇怪な生き物を召喚し、階段を異界へ通じさせる。

 その混沌に放り込まれた32人の少女たちは、生き残るために死力を尽くしました。

 あの夜かさねとわたしはたくさんの存在になって、世界を見たのです。

 ずっと後になって、2012年にダークサイドが「stories」機能を実装したとき、わたしが最初に書きなぐった長編、あれは月霊學園の物語ではなかった。その9年もむかし……2003年の夏、あの夜かさねと見た世界だったんです。




【月のウラガワ stories_ad_022-54(抜粋)】

「ああ……ごめん……迎火ちゃん……」


 べっとりついた血が前髪をなでつけ、とこやみの怯えるように見開かれた目がはっきり見えた。

 迎火は痛みを感じないかのように笑い、へたり込むとこやみのひたいをゆっくりなでる。


「あは、とこやみちゃんの顔はじめてはっきり見た」

「あうう……」


 前のめりに倒れる迎火の鮮血に染まったからだを、とこやみがおどおどと抱き抱える。

 その様子を眺めてサナギが笑った。


「うふふふふ……とこやみちゃん……やっぱりあなたは味方、あなたとミツキだけがそうだったよ」

「……サナギちゃん。違うよぉ、でも、あたしどうしたらよかったの」

「うざったい化野はとっくに消えて、迎火も死んじゃったね。だからこれでいいの」


 長い黒髪を揺らしながらサナギがとこやみへ近づき、右手の裏夢想ダークロッドが振り上げられる。


「最後にぜんぶ見届けるのがあたしの役割だから……」

「……そうでもないよ」


 迎火の声だった。倒れたまま絞り出した最後の言葉。


「迎火ちゃん⁉」

「なんなのこれ……」


 サナギが戸惑うように右手の裏夢想ダークロッドを見つめる。それは紅く発光していた。 


『だからルールを決めたんだ。あんたが傷つかないように』


 とこやみの脳裏に、化野の言葉が浮かんだ。

 迎火がかすかに頷く。


「化野の……誓約⁉ あいつ……最後までぇ……」


 必死に手放そうとしながら果たせず、裏夢想ダークロッドの光に全身を覆われるサナギ。その絶叫が響くなか、迎火はとこやみに向けてもう一度微笑んだ。


「ああ……迎火ちゃん……サナギちゃん……」


 迎火がこと切れたとき、炭化するほど焼き焦げたサナギも床に崩れ、ロッドだけががらんと転がった。

 31人の生徒の死。

 薄暗がりの廊下で、とこやみがひとり生き延びていた。


「……終わったね」


 どれほど時間が経ったのか、迎火を抱えたまま虚脱したとこやみの頭に言葉が響いた。


「……だれ」

「ボクだよ。ずっと待ってたんだ」


 廊下の奥から人影が近づいてくる。

 同い年くらいの少女。

 涼しげに、そして優しそうな笑みでとこやみを見つめ、その手をとって立ち上げる。


「いまこの学校は領域につながった。キミたちがそれを確かな現実としたんだ。ほら」


 少女に手をひかれて歩くうち、廊下の異様な奥ゆきが伝わってきた。無数の窓、無数の教室がずっと先まで連なっている。


「こ……これなに」

「これまで認識できなかった、だけどずっと存在していた領域さ。ほら、もっと見上げてみよう」


 とこやみは、ふと自分が校舎の屋上にいることに気づく。いや、足元だけは屋上に接しているものの、周囲は学校のどこでもない場所だった。

 ただ暗闇が際限なく広がっていた。

 恐ろしいほどの奥ゆき。ビルの展望台からの眺望などとはまったく異質な広がり。たとえるなら130億光年先の既知宇宙の果てを直接知覚したような。

 圧倒的な深遠へ墜ちてしまいそうで、おもわず隣の少女の手にしがみつく。


「イルカやクジラ……進化のうちに陸から海に戻ったものたちは、地上の平面移動から海中の三次元移動に切り替わって……いわば棲まう次元をひとつ増やして、どう感じただろう」


 隣の少女は嬉しそうに奥ゆきを眺める。

 その視線を追うと、それまでただ闇としか感じられなかったなかに、星々のような無数の光が見えた。そのひとつひとつから、太陽がチリに思えるほど大きく重い存在を感じる。

 それらは互いに輝きを――ライトグリーンとして知覚される光を交わしている。それが会話なのか、攻撃なのか、生理学的循環のようなものなのかはわからない。


「海は故郷でもある。人間がみる空飛ぶ夢というのは、はるかむかし……海のなかを泳いでいたころの太古の遺伝子の記憶なんだ、なんてロマンティックな話を聞いたことある? ボクにとっては……この領域がふるさとだ。さあ……」


 手を握ったまま、少女がとこやみをじっと見つめていた。


「行こう。扉は開いたんだ」




 あの夜以降、わたしは二度とチャットルームに入りませんでした。

 かさねと決めたとおり、チャットのログもみんなのパラメータの記録も全部消してしまったし、化野にも、とこやみにも、32人の誰にもなることはなかった。

 その代わり、新しい人格キャラクターが宿ったのです。

 月の光に照らされて廊下に立つ少女。

 彼女の存在を、わたしは誰にも言わず、どこに書きませんでしたが、その少女は精霊のようにわたしのそばに居続けました。

 

 

 

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