鹿翁館の秘密

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鹿翁館の秘密

「ねぇ、これ何て読むんだっけ?」

 絵美えみは後部座席から前の二人に訊く。

「『ろくおうかん』だよ。鹿しかおきな鹿翁ろくおう

 助手席の太一たいちが応える。

「なんでも鹿の首の剥製が大量に飾ってあるっていういかにも怪しい館だ」

「しかし、鹿の王で鹿王ろくおうなら分かるけど鹿の翁ってのは、なんかしょぼい感じするよな」

 運転している光輝こうきがそこに加わる。

「そうか? 威厳があってかっこいいと思うよ、僕は」

「翁? 竹取の翁のこと?」

 絵美は話題に置いて行かれないよう必死に質問する。

「そう。まあ要するに鹿の爺さんってことだな」

「へぇ……」

「お前分かってんのかよ?」

 光輝が茶化し、終始和やかな雰囲気で彼らはその館へ車を走らせた。

 しばらく山道を走ると、森へ入る。一応舗装されているが悪路が続くのを真っ直ぐに進むと館は見えてくる。

 彼ら某私立大学ミステリー同好会一向が目指す鹿翁館とはこの地では名のある資産家である讃岐さぬきという人物の邸宅である。人目をはばかるように山奥に建っているというその館にはかねてよりミステリー小説の舞台にすべく取材を申し込んでいたが全て断られていた。しかし、この夏なぜか向こうから取材に来てほしいというオファーを受けたのだ。

 きっかけは同好会で出した同人誌らしい。取材を頼む際、同人誌を郵送したのだが、これを読んだ讃岐氏が特に気に入った三つの作品の著者のみを呼んだのが今回の取材だ。ただし、この三人以外にそれを知る者はいない。内密にしろというのが讃岐氏の出した条件だった。

 そうこうしているうち、車は館の前まで到着した。指定の駐車スペースに止めると三人は門まで歩いた。

 三人は門の前に立つとその影に圧倒された。生茂る木々が夕陽を遮っているのに加え、建物の外壁一面がくすんだ灰色をしているため重厚感と無機質さが剥き出しになっている。

「すごーい、てゆーかちょっと怖い」

「まあ、古い建物だから雰囲気はあるよね……おっ、開いてる」

 太一が門の鍵が開いていることを確認すると、体ひとつ分開き、体を滑り込ませる。後の二人も続く。

 すると頃合を見計らったように正面玄関の扉が開き一人の中年女性が出てくる。

「お待ちしておりました」

「どうも、××大学ミステリー同好会です。本日はお招き頂き光栄です」

 太一が簡単に挨拶をし、三人は館の中へ案内される。

 入ってすぐ来訪者を待ちかねたかのように鹿の首から上の剥製が真っ直ぐ彼らを見つめていた。

「さすがだな、鹿の館」

 光輝は半笑いで剥製に目をやる。

「まずはそれぞれのお部屋にご案内した後、主人にお会いして頂きます。こちらへどうぞ」

 女性に促され廊下へ出るとそこの壁にもいくつもの鹿の剥製が壁に掛かっていた。

「はあ、これは素晴らしい」

 剥製自体見るのは初めてだが素直にそんな感想が太一の口から漏れた。絵美も同様にため息を吐き、光輝は先ほどの表情からは一変し、関心を示しているようだった。



 それぞれの部屋に荷物を置いた後、応接間に通された三人の前に一人の恰幅のいい老人が登場した。年齢は六十代後半のように見える。

「やあ、みなさんよくおいで下さいました」

 館の主人は和やかな表情で一同を迎える。

「私はこの館の主、讃岐正造さぬきしょうぞうと言います。先ほど皆さんを案内しましたのは家内の玲子れいこです」

 横に控えている女はちょこんと一礼した。

「さて、まずは夕食にしますか。その時に色々とお話でも」

 同好会三人と正造、玲子は場を食堂に移した。その移動の間も太一たちは鹿の剥製に釘付けだった。



「しかし、今回はミステリー同好会の取材に協力して頂きありがとうございます」

 全員の自己紹介の後、夕食の席で太一は正造に礼を述べた。

「いやいや、オファーしたのはこちらですから。なにぶん我々夫婦には子供が居なくてね。こうして皆さんをお迎え出来て嬉しい」

 正造は変わらぬ笑顔で一同を見回す。

「で、この館はどうですか? 何かいい題材にはなりそうで?」

「ええ、かなり雰囲気もありますし、それにあの剥製は圧巻ですね。いくつあるんですか?」

「ざっと百はありますね」

「へぇ」

 その後、太一に代わり、光輝は食い気味に剥製について質問していた。

「あの剥製はどこで手に入れたんですか?」

「馴染みの店で買ってるんですよ」

「結構お値段は張りますか?」

「まああれだけ集めるとね」

「ああいうのってハンターが収集してるイメージだけど、やっぱ買うものなんですね」

「そうですね、

 そう言うと正造は不敵な笑みを浮かべた。

 その後も色々と館についての話、同好会の活動などの話をしていたが、正造氏はえらく絵美が気に入ったらしく、後半はほとんど絵美と正造との会話だった。その間も無口な玲子はひたすら皆の会話に相槌を打っていた。

 夕食を終えると讃岐夫妻は早々と席を立った。

「すみませんね、私たちはもう休みますがどうぞご自由に。あと、くれぐれも剥製やその他備品についても触らぬように」

 正造はそう釘を刺すと、玲子と共に食堂を後にした。

「意外と話好きな爺さんだな」

 光輝が煙草をふかしながら言う。

「ああ、絵美にご執心って感じだったけど」

「やめてよ、ちょっと」

 二人から弄られ絵美は怪訝な顔をする。

「いや、しかし子供のいない夫婦、大量の鹿の首となればあの爺さんは首取りの翁というところか」

「おい、やめろよ。そんな言い方」

 いつもの調子に戻った光輝を太一が叱りつける。

「悪かったよ。でも絵美、気を付けた方がいい。あの爺さんお前のことかぐや姫だとか思ってるかもよ」

「まさか、そんな」

「結構ヤバイと思うよ、あの爺さん。鳥獣保護法なんて露知らずの翁かもよ」

 それは夕食の際の会話で太一も感じてたことだ。剥製の入手先について、基本的には購入していると言っていた。ではあのコレクションの中に例外があると言うのだろうか。そんな疑問を感じていた。だとしたら猟銃や剥製を作成する諸々の道具も……

「あ、絵美、後で部屋行っていい?」

「うん、いいよ」

 光輝が訊くと絵美は笑顔でそう返した。

 このやり取りに太一はうんざりした。今回は取材であって旅行ではない。小説の題材にしてもいいという許可を貰ったうえ、それぞれが執筆に没頭出来るよう部屋も用意してもらった。それを浮ついた気持ちでいるのが太一は許せなかった。

 絵美と光輝は同好会の中でも親密な関係にあるためやむを得ないと言えるが、太一はこの疎外感が嫌で仕方なかった。こうなるんなら絵美に断って光輝と二人にさせてもらおうかと思った。

「かぐや姫なら、お前の名前の方が合ってるけどな」

 絵美が先に部屋に戻るとそう太一は皮肉った。

「バカ、どーみてもお姫様にはほど遠いだろ」

 太一と光輝は二人きりになると互いに憎まれ口を叩き合う仲だ。まあいいさと太一は思うのであった。

 光輝の顔立ちは整っており、スタイルもいい。別の学部、サークルなどからも人気で超モテる。

 光輝目当ての同好会メンバーも多く、そんな浮ついた連中にミステリーを語られたくないと太一は普段から思っていたが、彼が光輝に憧れているのも事実だった。



 その後、結局一人で煙草をふかす光輝を置いて太一も部屋に戻った。用意された部屋でベッドに横になる太一、今回の目的でもある小説の執筆でもと思ったが慣れない環境のせいか集中できなかった。原因の一つには光輝と絵美が気がかりであるのも事実であった。

 シャワーは部屋にあるが明日の朝でいい、部屋に用意してあったウィスキーを寝酒に就寝することにした。


 *


 太一を微睡みから目覚めさせたのは激しく扉をノックする音だった。眠たい目を擦り扉を開けると、そこには光輝がいたのだが様子がおかしい。何かに怯えてるようだ。

「絵美の部屋に行ったけど……アイツいなくてさ」

 やはりおかしい。目も泳いでいる。

「風呂とか入ってんじゃない?」

「風呂にもいない。……それに……廊下に血が」

 なんだと!?

 その時正造の不敵な笑みが脳裏を横切った。

「まさか、あの夫婦に連れ去られたって言うのか?」

「分からない、でも廊下の鹿が……」

 鹿がどうしたっていうんだ、そう言うと太一は部屋を飛び出し廊下に出る。すると廊下には血が数滴滴っていた。

 その時、廊下の鹿の目が嫌に不気味に感じた。なるほど光輝も怯えるわけだ。

 呆然としている光輝に部屋にいるよう促し、太一は一人、館内を息を殺して散策した。



 しばらく散策したところで太一はあることに気付いた。この館には極端に部屋が少ないということだ。

 建物の外観には圧倒されたのだが廊下には部屋に繋がる扉はほとんど見られず、たまに見つけても明かりが漏れている様子はなく、鍵も掛けられている。住人が二人であれば十分ということか。

 扉があってもいいような場所には全て鹿の剥製が掛けられている壁があるのみ。

 しかし、夜に見ると不気味なものだと太一は感じた。そうしてスマートフォンのライトで鹿の一つ一つをよく見ようと照らしているとある異変に気付いた。一つの鹿の剥製がわずかに壁から浮いているのだ。

 それは些細なことなのかもしれない。これだけの数があれば全てをきちんと掛けるのは難しいのだろう。しかし、どうもその一つが気にかかった。

 近づいて見ると、壁と剥製は完全には密着しておらず、間にはわずかな隙間があった。そこから腕を入れれそうだ。正造から触らないようにという警告を受けていたがそんなことには構わず、太一は腕を隙間に突っ込んだ。

 腕を壁に沿わせると取ってのような物が掴めた。右回りにひねれるようであったため、そのままひねるとカチッという小さな音と共に壁が手前に開いた。

 隠し部屋だ。太一はそう直感した。目の前には上へ登る階段が続いている。周りに誰もいないことを確認しおそるおそる階段を登っていく。

 階段を登り切ったところで大きな空間に出た。それは他の部屋とは明らかに趣が異なっていた。

 洋館には似つかわしくない畳張りの部屋。太一は靴を脱いで上がる。

 目の前には大きな御簾みすがあり、その前には正方形の展示台が五つ並べてある。展示台にはそれぞれ異なる物が置かれていた。左端には鉢が置かれていた。部屋の明かりを受け眩しく輝いているように見える。その隣には木の枝のような装飾品があった。銀色の根、金色の茎、その先には真珠が散りばめられている。真ん中の展示台には布が、動物の毛皮のようだ。その右隣には大きな球状の宝石、そして右端には貝が置かれていた。

 これらを見て太一はあまりにも有名な日本の昔話に思い当たった。

「竹取物語」

 思わずそう呟いていた。

 この五つの品は竹取物語において、かぐや姫に求婚した者達がそれぞれ持ってくるよう命じられた品だ。

 仏の御石の鉢ほとけのみいしのはち

 蓬莱の玉の枝ほうらいのたまのえ

 火鼠の皮衣ひねずみのかわごろも

 龍の首の珠たつのくびのたま

 燕の子安貝つばめのこやすがい

 そしてそれを待ち構える御簾。この中にかぐや姫が……

 そう思い御簾の中を覗くが何もない、しかし明らかに誰かがそこに鎮座するのであろう空間があった。

 ここに置かれるのはかぐや姫……まさか、絵美が……

 そんな想像を振り払い、太一は隠し部屋を後にした。壁は強く押せば元通り閉まった。

 かぐや姫を隠すための鹿達。翁が捕らえ、それを外部から、月の住人から娘を守り、監視することに従事させられている獣達か。そんな考えが太一の頭を横切った。



 その後も絵美の捜索を続けたが何も見つからない。きっと全部自分の妄想だ。そう思い、太一が引き返そうとした時、どこかの部屋から物音が聞こえた。見ると前方に扉があった。

 聞き耳を立て、その部屋に近づくと明かりが灯っていることに気づいた。

 この中か、太一は震える手でドアノブを掴むとゆっくり回し、中を覗いた。

「遂に、来てくれたぞ。私たちの最愛の娘」

「ええ、私は最初からピンと来てましたわ」

 中では正造と玲子が何やら話をしている。おそらく絵美のことだろう。やはり連れ去ったのか。

 太一は会話の内容から次のようなことを考察した。讃岐夫婦は子供に恵まれなかった。そしてこの館を訪れた若者三人のうち一人をえらく気に入り娘にしてやろうと考えているのだろう。竹取の翁のように、彼らもかぐや姫を見つけたというわけか。あの隠し部屋の御簾の中に絵美を縛り付ける気だ。お飾りのように。

 確かに絵美は童顔で愛らしい顔をしている。それに愛嬌もある。子供を望んだ彼らにはさぞ可愛く映ったであろう。

 しばらく様子を窺ったがいつ気付かれるとも思わなかった。一旦引き上げよう。そう思い扉を閉めようとした所で思わぬものが太一の目に飛び込んだ。

 正造と玲子が話をしている部屋の真ん中、そこには絵美が、いや、絵美の顔があった。恐怖の表情を浮かべたその真横、本来あるべき場所ではない所に胴体が転がっている。

 まさか! 殺されている。絵美が

 やはり、かぐや姫の首をも剥製に……いや違う!

 このままではまずい。そう思ったのも束の間。目の前に黒い影が現れた。瞬間、頭を硬いもので殴られた。

 痛む部分を手で抑え、扉から後退ったが体が思い通りに動かない。

「おや、太一君。のこのこ一人でやって来ましたか」

 絵美の死体に気を取られていたため、近づいて来る正造に気付かなかった。どうやら猟銃の銃床の部分で殴られたらしい。

 正造は右手に持っていた猟銃を下ろし、代わりに斧に持ち替えていた。

「かぐや姫はもらうぞ」

 ふざけるな、やはりそうか。同人誌の著者名と顔写真を見て……かぐや姫は絵美じゃない。そしてあの血は僕を誘導してあいつから離すため。

 斧が振り下ろされる瞬間、太一は最後の力を振り絞り叫んだ。

「光輝、逃げろ!」

 光輝——こそがかぐや姫だ。

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