第18話

翌日すぐに、常山が誰とも口をきかないのは昨日今日のことではないことを、翔太は常山と同じ中学出身の奴から聞き出した。


 放課後、翔太は常山が鞄を抱えて逃げるように教室を出て行くのを見送り、同じ中学だったという山田をつかまえていろいろと尋ねたところ、翔太が想像していた通り常山は中学時代もずいぶんいじめられていたことが判明した。


 山田の話は次のようなものだった。


「ツネさあ、もともとおとなしいじゃん。それでも中学ん時はまだ似たような奴と一緒にいて、友達もいたんだけどさ。何がきっかけかっていうと、まあ、あれかな、ツネと一番仲良かった奴が事故で死んだんだよ。そんで、ツネちょっと学校来てない時期あって。うーん、一学期まるまるぐらい? ほんと、あいつ学校全然来なくなったんだよ。そりゃショックもあるだろうし、ほら、ツネっていっつも本読んでてさ、頭もいいじゃん。こういうのなんて言うんだっけ? 繊細? そんな感じ。そんで先生とかの説得もあったのか知らんけど、久々に学校来たらいきなり始まった……みたいな。そっからかな。友達? いないだろ。その、死んだ奴一人だけじゃないの? 教科書隠されたり、体操服水びたしとかもうしょっちゅうだよ。ボコにされたりもあったみたいだな。だからさあ、中三なんてあいつほとんど学校来てないよ。もう完全引きこもり。不登校。だからだろ、こんな高校来てんの。あとさ、これはたぶん想像なんだけど、俺らの中学からここ遠いじゃん? ツネ、地元から離れたかったんだと思うんだよね。中学ん時の奴と離れたいっていうか。あんないじめとかなかったらツネもっと進学校とか行ってるはずだったと思うよ。そう考えたらかわいそうだよな。しかし、石井もなんなんだろうな、あれ。ツネいじめてもしょうがないじゃん。しょうもないよな」


 山田の話を聞けば聞くほど、翔太はやりきれない気持になっていた。


 ずっと一人だったのだ。過去から逃れたくて自分の殻に閉じこもって身を守ろうとして、それで今も一人でいるのだ。そんな悲しいことってあるだろうか。


 そっとしておいてやれば本人は平穏で幸せかもしれない。なのにそれをぶち壊そうとする奴がいる。自ら戦える奴なら、いい。でも、常山は違う。言い返すこともできず、無言で青くなって震えているだけだ。


 翔太はそれを「弱さ」だとは思いたくなかった。誰だって「性格」というものがある。争いたくない、おとなしい性質。常山がそれだ。もし弱さがあるとしても、それが攻撃される理由になるなんてことは絶対にない。


 かといって翔太は自分が常山を守ってやるなんてことは、到底できないような気がした。今日のようにかばうことはできても、守るなんて大仰なこと一体なにをどうすればいいのか見当もつかない。どうすることが常山を守ることになるのかも。だから翔太は常山をブラバンにいれようと考えたのだった。

 翔太は部活へ行く前に図書室へ足を向けた。図書委員は各学年各クラスにいるはずなのに、そこにいるのは常山だけだった。


 たぶん常山はそれを苦痛には感じていないだろう。むしろその静けさに安堵しているだろう。それが常山の望む生活ならそれでいいと思う。でもこれから先、三年間誰ともろくに口をきかないでやっていくのがいいことだとは思えなかった。


 図書室の引き戸を開けると常山はさっと顔をあげた。そして翔太の姿を認めると「あ」という形に口を開けて、言葉を探しているようだった。


「ツネちゃん、俺も本借りたいんだけど」

「……え……」

「えーとね、俺でも読めそうななんかお勧めとかあると教えてくんないかな」

「……お勧め……」


 翔太がカウンターの前まで来ると常山はちょっと思案して、それから立ち上がりカウンターの中から出てきた。


 目の前に立っている常山は本当に痩せている。首など特に白くて細くて、儚いような危うさがある。こんな奴をいじめようってんだから、ひどい話だ。翔太はそう思った。


 常山はちょっと無言で考え込んでいたかと思うと、すうっと本棚の方へ歩いて行き、一冊取り出してはぱらっと捲り、棚に戻し、また別な本を取ってはぱらっと捲って中身を改め始めた。


 翔太はカウンターの前に立ったままその様子を見守っていた。するとしばらくして常山が顔をこちらに向け、細い手で手招きをした。


 翔太が隣りに行くと常山は棚から本を抜き出して、

「これ……」

 と差し出した。


 翔太は本を受け取るとタイトルを読んだ。楽隊のうさぎ。

「……ブラバンの話だから……」

「へえ! そうなんだ! ブラバンの小説なんてあんのかあ。俺、考えたこともなかったよ。ははははは」

「……藤井くん」

「ん?」

「……ブラバンできるようになってよかったね……」

 常山はそう言ってはにかむようにちょっと笑った。


 その顔を見た瞬間、翔太は胸を衝かれた。こいつは誰とも口ききたくないんじゃない。一人でいたいんじゃない。どうしていいのか分からないだけなんだ。


 翔太はなんだか泣きたいような気持ちになり、

「うん、ありがと。田口先輩も来てくれるようになったし、なんとか練習できてるよ」

「……大島先生も褒めてたから……」

「大島が?」

「藤井くんが頑張ってくれてるって……」

「マジで。なんだよー、大島のやつ部室では結構俺のことボロクソ言ってんのに。あいつひどいんだよ。俺のこと熱血野郎でウザいとか暑苦しいとかさ。斉藤のこともデブって呼んでるし、もっちーにも下手クソとか言うし」

 翔太が冗談めかしてぼやくと常山は俯き加減でふふと小さく笑った。


 笑ってくれた! 翔太はそれがまた嬉しくて、

「田口先輩って弟の面倒見たりしてて結構苦労人なんだよ。だから大島より断然田口先輩の方が大人でさあ。大島って、飽きっぽいんだよな。基礎練習とかしてるとすぐ「お前ら適当にやっとけ」ってぷいっといなくなっちゃうし。教える気あるんだか、ないんだか。そしたら田口先輩がさ、注意すんだよ。大島に。ちゃんと付き合ってくれないと部室に来てる意味ないだろって。笑うよな。大島、言われてちょっと焦ったりしてんの」

 と、ぺらぺら喋り、常山がやっぱり俯いてひっそり笑うのに喜びを覚えた。


 二人でそうして立っていると、図書室の扉が開いた。常山は一瞬ぎくりと体を強張らせたが、入って来たのは生徒会長だった。


 生徒会長は本棚の前に立っている常山と翔太を見ると、急に怖い顔になりつかつかとこちらへやって来た。


「お前、なにやってんだ」

 会長はまったく唐突に翔太に詰め寄った。

「えっ?」

「こんなとこでなにやってる」

「な、なにって……」


 翔太は会長が何を怒っているのか訳が分からなくて、手にしていた本を弄びながらおろおろしていた。


「なにやってんのか、聞いてんだよ」


 会長はますます怖い顔で翔太を睨んだ。


「本、借りに来たんですけど……」

「本? お前が? お前、本なんか読むのか」

「読みますよ! なに、それ、どういう意味っすか。失敬だなあ」


 翔太は会長の緊迫した様子を緩和しようとあはあは笑って見せた。


「……そうなのか? 本当に? 大丈夫だよ、心配しなくても。本当のこと言っていいんだよ」


 会長は傍らに立っている常山を翔太から引き離すようにして、こんな態度もできるのかと驚くほど世にも優しく語りかけた。


 それで翔太ははっと気が付いた。会長は、翔太が常山にカツアゲでもしているのではと疑っているのだ。


「ちょっと、会長! 誤解っすよ! 俺、別にツネちゃんいじめたりしてないから!」

「お前に聞いてない」


 会長は刃物のように鋭く翔太を睨んだ。


「お前、あっち行ってろ」

「会長~」

「常山くん、もう大丈夫だから。こいつに何されたのか正直に言ってよ。何も心配することないんだから」


 ダメだ。翔太はがっくり項垂れた。完全に悪者扱いされてんじゃん、と。


 すると、常山が顔をあげて、声は小さかったもののしっかりした口調で言った。


「藤井くんにお勧めの本を教えてたんです。僕は藤井くんブラバンだから、音楽とかブラバンとかが登場するような本がいいだろうと思って、楽隊のうさぎを勧めてたんです」

「……本当に?」


 常山は最後にしっかりと頷いた。


「ほらあ! もう、会長、頼むよ。マジで。なんで俺がいじめっこみたいになってんすか。俺、そんなことしないよ」

「……図書室に誰か来るなんてこの学校では異常事態だからな」


 会長は詫びることもなく、鼻先でふんというとそっぽを向いた。


 異常事態って。自分は利用しに来てるくせに。翔太は何か言いたいような気もしたが、会長に勝てる気がまったくしないので拗ねたように唇を尖らせた。


「ツネちゃん、これ、借りるよ」


 常山は頷くと先にカウンターへ戻って行った。


「おい」

 会長が翔太に声をかけた。

「ブラバンは順調にやってんのか」

「はあ、おかげさまで」

「活動予定は決まったのか」

「いえ、それはまだ……」

「部員は今何人になった」

「四人っす」

「まだ四人か」

「はあ」

「……まあ、せいぜい勧誘するんだな」


 そんなこと分かってますよ。翔太はそう言いたかったが、会長はもう奥の本棚へ向かっていた。


 翔太はカウンターへ行くと、常山が用意した貸出カードに名前を記入し、小声で、

「会長、何しに来たんだろうな」

「……レポートとか……」

「それにしても失礼だよな。俺がいじめなんて、冗談じゃないっての」

「そうだね」

「……ツネちゃん、あのさ、もし石井とかに何かされたりしたら、俺に言ってよ。困ったこととかあったら、俺に言ってよ。石井たちも暇なんだよな。だから人にちょっかい出すんだよ。ツネちゃんが悪いとかじゃないから。だから、気にしなくていいから」

「……」


 常山は貸出日のところに日付のハンコを押し、本を翔太に差し出した。そして無言で頷いた。


「じゃあ、俺、部活行くわ」


 翔太は本を片手に図書室を後にした。扉を閉める時、一度振り向いてカウンターの常山に手を振った。常山も小さく手を振り返してくれた。


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