第14話

あそこは別世界だ。翔太は改めて思った。田口さんが属する世界。でも、高校生活だって田口さんが属する世界の一つだ。それも辞めてしまうと二度と戻れない世界。


 男前ギターにくっついて向かった先は近くのバーだった。自然な調子でドアを開けると、尻ごみする三人に「大丈夫だから入れよ」と言った。もちろんそんな店に来るのは初めてだった。


 緊張した面持ちですすめられるままにテーブル席に着くと、カウンターにいるマスターがちょっと眉をひそめたような気がした。


 壁にはモノクロの大きな写真が額に入れられてかけてあった。二人の男が煙草の火をつけている写真。有名なものかもしれないが、翔太にはそれが誰なのかも分からなかった。ただどぎまぎしながらビールを頼み、びくびくしながら一口飲んで、目の前の男前が煙草に火をつける様子を窺っているだけだった。


 それは斉藤と持田も同じだった。二人は男前ギターが何を言い出すのか息を凝らして、待っていた。

 三人のそんな空気が伝わったのか、男前ギターは、

「そう固くなるなよ」

 と笑った。


「君ら一年って言ったよな」

「はい」

「ぐっちゃんは……」

「田口さん、ダブってるから二年です」

「うん、知ってる。俺ら一緒にバンドやってもう三年になるから」


 男前ギターは煙草を吸いつけ、何か思案するように眉間に皺を寄せて長々と煙を吐き出した。


 翔太はこの店のビールはさっき飲んだ缶ビールより断然美味いと思い、これが本物の味なんだなと感心していた。


「ぐっちゃん、学校行ってないんだろ」

「……はあ」

「君らにはもともと関係ないことだから、あれなんだけど」

「……」

「ぐっちゃんを学校に戻してやってくれないかな」

「え?」

 翔太は耳を疑った。


「ダブったらやっぱり学校行きづらいと思うんだけどさ、ぐっちゃんの場合それだけが理由じゃないんだよ」

「……」

「大島から何も聞いてない?」

「はあ」

「ぐっちゃんのうち、ちょっと複雑なんだよ。こんな事言うの悪いかもしれないけど、母親って人が男にだらしないタイプでさ。今、ぐっちゃんにはまだちっさい弟がいるんだよ。で、そいつの面倒みてるから……」

「……ちっさいってどのぐらい……」

「何歳だったかな。保育園の年長かな」

「……」

「君らには分かんないかもしれないけどさ。母親、水商売で、毎晩男引っ張りこんで、浴びるように酒飲んでるような家なんだよ。なんていうか、ネグレクト? 的な? で、ぐっちゃんは弟の面倒見て、夜中に年誤魔化してバイトして生活費稼いでさ。そんな生活してたら学校行けないだろ」

「そのせいでダブったんですか」

「まあね」

「学校はそれ知ってんですか。大島とかは」

「大島は知ってるよ。でも、知ってるけど、あいつにどうにかできる問題じゃないじゃん。あいつ、まだぺーぺーの新米教師だろ。それにぐっちゃんが誰にも言うなって言ってたらしいし」

「……」

「このままいくと、ぐっちゃん学校辞めることになるだろ」

「はあ……」

「今どき高校ぐらいは出とかないとさ」

「……」

「あいつ、そんな頭悪くないんだよ。もし、チャンスがあるなら大学だっていけると思う」

「俺らの学校から……ですか」


 翔太がそう言うと、男前ギターはぎろっとこちらを睨んだ。


「君が言ったんじゃなかったっけ?」

「え」

「やってみもしないで、なんで分かるって」

「……」

「俺ら、ぐっちゃんにちゃんと学校行って欲しいんだよ」

「でもそんな事情あるんじゃあ、うっかりしたこと言えないし……」

「誘ってやってよ。もう一回。諦めないで。俺らメンバーもできる限りのことはフォローするつもりだから」

「それは、僕らよりも、そちらで話し合ってもらった方が……」


 男前ギターは煙草を灰皿にぎゅっと押しつけた。まるで翔太たちが異を唱えるのをねじ伏せるように。そして低い声で続けた。


「本当はさ、嬉しかったと思うんだよ。ぐっちゃんも。今、学校に居場所ないだろ。それを一緒にブラバンやろうって誘いに来てくれてさ。今ここで手を離したら、もう二度とぐっちゃんには学校に戻るチャンスない」

「……」

「君らだけがぐっちゃんを普通の高校生に戻してくれる。頼む。この通りだ」


 三人は返す言葉がなかった。想像していたのとまるで違う田口さんの事情になにも言えなくて、こんな子供相手に拝み手なんかされるのが申し訳なくて、逃げだしたいような気持ちだった。


 翔太は話を聞くまで田口さんは頭悪いかサボりすぎで留年した典型的な「ダブり野郎」だと思っていたし、運動部の連中から小銭巻き上げてるろくでなしだと思っていた。


「……分かりました」


 翔太の言葉に斉藤と持田はぎょっとした。二人はブラバンの為に必要だと思うからここまで付き合ってきただけで、そんな面倒なことにまで首を突っ込む気はさらさらなかったのだ。


 この熱血野郎。それが斉藤と持田の心の声だった。そんな安請け合いして、田口さんを学校に戻すなんてことが本当にできるのか。今日の時点であんなに怒らせておいて。


 持田が恨めしそうに翔太を睨んだが、翔太はそんな視線にはまるで気がつかないで、ビールを飲み干すと男前ギターから田口さんの家を聞きだしていた。斉藤にいたってはもう悲壮な顔つきで、ラーメン大盛りヤケ食いしないとやってられないぐらい荒んだ気持ちになっていた。


 そして翔太はというと、頭の中でさっき見ていたライブの演奏が片隅で鳴っていて、やっぱり田口さんと一緒にやりたい気持ちを無視することはできないと思っていた。

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