私はこの星の名が《チキュー》である、と記した。

 最初の発見者は私ではない。

 私が到達した時には既に、情報網ネットワークにはこの星の環境や生態系、特徴的な鉱物資源の分布等の情報データが事細かくアップロードされていた。

 登録者レジスタラの名は、《タツミ=シズヒト》と記録されている。

 彼(それとも彼女? とりあえず、彼、ということにしておこう)がどんな思いを抱えてこの星を訪れ、そしてここまで綿密な調査を行ったのか、それを測り知ることはできない。情報データはただの情報データだ。


 だが、私はその思いの一端に触れた。

 少なくとも、触れてしまった、と感じた。


 今日(ややこしいことに、《エンティミシア》標準では既に昨日になるが、私がこの記録を記している現在いま、この惑星の太陽は沈んでまだ間もない)、私は彼の構築した構造物アーキテクチャを発見した。

 惑星の座標にして、北緯29度18分d秒、東経2度a分1c秒の地点。

 海にほど近い小高い丘の上に、その建物はあった。


 実際、到着した惑星で他の探究者エクスプロラが建設した基地ベース――と呼んで差し支えのないものから、言葉を選ばずに言えば、としか言いようのないものまで、様々ではあるけれど――を発見することは、けしてないことではない。

 いまや散り散りに宇宙に散らばった私たち探究者エクスプロラではあるが、生命居住可能領域ハビタブル・ゾーンに属する惑星は元々数が限られているし、暗礁宙域ダーク・ゾーンでの遭難等を避けるための航路ルートというものも自ずと絞られてくるから、気づけば多くの探究者エクスプロラが往来することになる惑星というものも出てくる。

 そこで利便性の観点から、複数の探究者エクスプロラたちによる共同の基地ベース建設事業が立ち上がり、見事に整備された活動拠点として機能している例も少なくない。


 ただ、そうした実益を備えた建設ばかり、とはいかないのが――これは知的生命体のさがとでも言えばいいのか――なんとも面白い所ではある。


 私たちの心強い相棒である多機能工作機マルチ・ツール建築コンストラクト機能も、当初は定型的な建物の部材――例えば、正方形の床材だったり、壁や天井のパーツ――を出力して設置できる程度の貧弱な物だったから、造れるものも言わば出来合いプリ・ファブのそれらのパーツを接続して作成する、融通の利かない、武骨なものでしかなかった。

 それが世代を経て多機能工作機マルチ・ツールが進化を重ねた現在いまとなれば、トリガーひとつで――ポン! 《ストラルヴァル》建築様式スタイルの最新型の邸宅が目の前に! 所有資材パーソナル・インベントリの中に材料さえ揃っていれば、私たちはついさっきまで未知だった――たったいま到着したばかりの――惑星の表面に居心地の良いコーズィ住居を構えることだってできる。

 だが、私たちの言わば創作欲クリエイティビティというヤツが、そんなものでは許してはくれない。

 多機能工作機マルチ・ツールのモードを変更――自由工作モードに。あとは思いのままに腕をふるえば……なんだろう、これは? ともかく《クラリネ》のかめの出来損ないみたいな前衛的アヴァンギャルド立体作品オブジェができたりする――残念、私に芸術的センスはあまりないらしい。

 ともかく、現在いま多機能工作機マルチ・ツール建築コンストラクト機能と言ったら、“できないことを見つけることができない”領域にまで進化してしまっていて、ちょっとした下拵したごしらえさえすれば、トリガーひとつでなんでも――文字通りなんでも――造り出すことができる。

 それを用いた放埓ほうらつな建築物造りというものは、究明の旅にんだ探究者エクスプロラが誰でも一度はかか麻疹はしかのようなもので、それはそれはいくつもの惑星の上で、現在いま奇怪ビザールな構造物が増殖し続けているというわけである。


 ところがそれが、一時の熱病に治まらない種類の探究者エクスプロラたち――彼らのことは最早建築家アーキテクトと呼ぶべきだろう――もまた、居る。


 実の所、多機能工作機マルチ・ツールがアップデートされ、建築コンストラクト機能が追加されたその最初期のころ――さっきも少し触れた、決まった辺の長さと厚さの板状のパーツしか出力できなかったようなころ――そんな条件下でも、斬新な建築作品を造り上げてしまう猛者アーティストとしか呼べない探究者エクスプロラは存在した(例えば《ユージェフ=ナイドラ》氏――彼の“作品アート”は現在いまでも鑑賞することができる。《ぼるかりをん》星系は第2惑星《アドナ・β》の、砂嵐吹き荒れる曠野こうやの只中に、四本の脚でしっかりと大地を踏みしめ、残る二本の脚を高々と振り上げた、雄大な六脚獣の似姿が、まだ形を保っているはずだ)。

 しかし、そのような物好きキュリオス探究者エクスプロラはやはり少数で、その活動もしばしば奇異の視線で以って迎えられた。


 “我らが使命――宇宙の果てをき止めること――を忘れたのか!”


 そのような非難も多くあった。

 だが、それでも彼らはめなかった。

 銀河と星系を渡り歩き、資材を集め、己の創作欲クリエイティビティのままに腕を奮わせ続けたのだ。


 やがて時代が下り、多機能工作機マルチ・ツールの機能が充分に拡張されると、環境の穏やかな惑星のひとつやふたつに居住性の良い拠点を造り、所有することは、探究者エクスプロラにとって当たり前のことになったし、時には息抜きがてら奇矯ききょうな建築物を造ってみることも、一種の“たしなみ”として徐々に広く受け入れられるようになった。

 だが、そうすると、ひとつ、興味深いことが起こる。


 みな建築作業に勤しむ一時期、まるで申し合わせたかのように、自らの母星にある有名な建造物アーキテクチャ模倣作イミテイションを造り始めるのだ。


 それはその星で一番高い建物だったり、歴史的価値を持つ文化遺産的な物だったり、何かのランドマークだったり――ともかく、“模造イミテイト”というものをする。

 だがしかし、世代交代や電脳用擬体の交換等によって、その固有の“たましい”とでも言うべきものはたしかに受け継がれているとはいっても、現在いまの彼ら(私も、おそらくは君も)はそれぞれの母星からこの星の大海に向けて初めて出立しゅったつした個体とは厳密には異なる個体だ。

 そういった者が、自身では直接訪れたこともない母星にある建物を、実物オリジナルからは遠く遠く離れた異星の土地の上に再現する――探究者エクスプロラたちをそんな行為へとき動かす情動を、一体、なんと名付ければいい?

 郷愁きょうしゅう? 実際に自分はその場所に立ったことすらないのに? それとも、最早帰る場所も、行き着く先も分からぬ我が身への慰めのためだろうか?

 分からない。私の建築コンストラクトへの情熱は、他の多くの探究者エクスプロラたちと同じく、一時的な熱病の域で治まってしまったし(ある惑星で、その惑星固有の、一定の条件を整えてあげると鉱物質の薄片が複雑に折り重なった、それは綺麗な花を咲かせてくれる珍しい植物を栽培するプラントが造れたので、それを時々手入れしに戻る程度のことが、私のささやかなたのしみとなっている)。

 ただ、ともかく行く先々のいくつもの惑星で、私は“新しく造られた故郷ふるさと”を、いくつも、いくつも目にしてきた。

 それは簡単に形態を真似ただけような稚拙なものから、可愛らしいミニチュアサイズのもの、そしておそらくは精密な設計図と、実物と同じ組成の素材マテリアルまで揃えて造り上げられた、精巧なものまで、いくつも――例えば、《うるずす・5c》銀河の《わるごのふ》星系は第2惑星《パラメダル・ボルカ》で、強度の宇宙線が苛烈に降り注ぐ環境を逃れて駆け込んだその建築物の荘厳さと言ったら、私はしばし茫然として、無意識にきゅるきゅると喉を鳴らしていた。

 巨大な真っ白いドーム状の外殻の中、規則正しく立ち並ぶ無数の黒曜石オブシディアンの柱列。その最奥にしつらえられた、びっしりと碑文の刻み込まれた祭壇。

 あとで情報網ネットワークのアーカイヴをさらってみて、それは《パラメダル・ボルカ》からなんとe2fa4a-u離れた、《あとべく・2e》銀河は《うだ》星系の第5惑星《ゲイズ》という星の、ある建物を模したものだということを、私は知った。

 その星でも――遺憾ながらも、ご多分に漏れず――昔、大きな、戦争があったのだという。

 その数多の犠牲者を悼むための、それは巨大な記念碑モニュメントで、私がその精密なの建物に立ち入った瞬間に受けた感慨も、君、あながち突拍子もないものではなかったと、そう思うと同時に、その中での自分の振る舞いがどうにも無礼な物であったように思えて、私は恥じ入るところでもあったよ。


 どうもまた話が迂遠うえんになってしまった。本題に戻ろう。


 今日、私がここ《チキュー》に到達して、上空からその建物を発見した時、それもまたその種の“偉大なる模造物グレイト・イミテイション”であることを、私は予感せずにはいられなかった。

 なにか間違いがあってはいけないから、私は《びいどるだむ》を少し離れた浜辺に着陸させる。

 大気圏外からの光学分析と、大気圏に突入して着陸するまでに実際の標本サンプルを採取して行った分析で、《びいどるだむ》はこの星の大気組成をすでに調べ終えている。

 おおよそ窒素ナイトロジェンが80%、酸素オクシジェンが20%の割合、それにいくつもの微量成分が混合している。典型的な《ラスツーダ》型の大気組成だ。生身の私でも短時間ならスーツのヘルメット無しで活動ができる――勿論もちろん、そんな無茶はしないけれど。

 私は惑星上での活動用擬体の一体を、船内から外部に転送トランスミット再構築リコンストラクトする(つまり、それがこの記録を書いている「私」だ)。

 浜辺の景色は美しかった。白い砂地の先に、あおい海。それが、あおい空と水平線で繋がっている。

 振り返れば、砂浜の先に灌木かんぼくが茂り、次第に樹木の背が高くなって、こんもりとした林になっている。

 その向こうに、それがある。

 私ははやる気持ちをなだめながら、スーツの携行型推進器ジェット・パックを作動させ、始めはゆっくりと浮揚ふようする。それから林の上を飛び越え、一気に飛翔する――近づいてくるその威容に確かな戦慄を覚えながら。

 モニタの光学観測にしておよそ2f-muの高さで屹立する巨大な尖塔が、頭上を圧するように迫ってくる。それを中心に、いくらか小振りな――それでもやはり堂々とした造りの――いくつもの尖塔が寄り集まり、しかし、明らかに美的エステティック感覚センスで以って緻密に配置されている。

 建物に接近した私はぐるりとその周囲を回りながら観察を続ける。

 表面は質素な砂岩の質感と色彩をそのままに残しているが、ある一方の壁面の全体には偏執的なまでの密度で彫刻が刻まれていた。その中には、ひとつの頭部と二本の前肢と二本の後肢を持つ、典型的な人型生命体ヒューマノイドの似姿とおぼしき物が多い。それ以外に、鳥や小動物、樹木の葉や果樹、蔦のモティーフ。その間を埋めるように様々な幾何学模様がびっしりと彫られ、それらが建築物の構造そのものと融合するように――いや、明らかに一体となって(葉や蔦の彫刻が、さりげなく構造を補強している部分がいくつも見受けられる)驚異的なひとつの形態を為している。

 かと思えば、反対側の側面では、装飾的な彫刻は一切排され、若干の抽象化を施された形態の人型生命体ヒューマノイドの彫像が、おそらく一種の説話を再現して、壁面に配置されていたりもする(反対の面とは明らかに美術様式スタイルが異なるのが興味深い)。

 さらに高度を上げる。すると、色彩が私の眼に飛び込んでくる。

 それぞれの尖塔の頂上には、おそらくは有色ガラスを砕いた、いびつな三角形や四角形の欠片を組み合わせて、色取り取りのモザイク模様で果実や穀物の穂を模した彫刻がいただかれている――まるで天に捧げる供物であるかのように。

 そして最も高くそびえる中央の大尖塔の頂は、様々な形態を持った他の尖塔とは対照的に何も配置されておらず、つるりとした石材の曲面を剥き出しにしている。大尖塔の雄大さだけでも十分と建築家は判断したのだろうか――取り敢えず、そう私は解釈する。

 そうして、ぐるぐるとその威容の周りを飛び回った後、私はひとまず元来た方向の地面に着陸する。

 建物にはいくつも扉で開閉する開口部らしき箇所があって、どこが本当の正面に当たるのか、私には判断できなかった。

 私がその時目の前にしていた壁面には、先述した人型の生命体ヒューマノイドの彫像(それもなにか象徴的シンボリックな意味を持って配置されているのだろう)と、それを取り巻く植物の形態に調和した、一面に葉の彫刻が刻まれた青銅ブロンズ製の扉が四箇所に設けられていた。

 私は多機能工作機マルチ・ツールを建物に向け、分析アナライズモードを起動させる。情報網ネットワークのアーカイヴとの照合が即座に為され、私のモニタに必要な情報が表示される。


 《建造物名:《null》》

 《建造者:《タツミ=シズヒト》》

 《共同建造者:《null》》

 《共同建造者:《null》》

 《共同建造者:《null》》


 予想通り、この建物を建造したのは、この惑星の情報を詳細に調べ上げ、情報網ネットワークに記録した《タツミ》氏その人だった。

 しかし、驚くべきは共同建造者の欄がすべて空欄ブランクであることだった。

 これほどの規模の構築物を、たったひとりで?

 一体どれほどの資材と、どれほどの時間、そして労力を掛けてこの事業が為されたのか。私は眩暈めまいがする思いだ。

 建造物名が無記銘なのも気になったが、そこに私は《タツミ》氏の何か強いこだわりを感じる。

 そして、施工期間。


 《施工開始年月日:04/11/EC:f0c》

 《施工終了年月日:《null》》

 《最終更新年月日:07/23/EC:f1e》


 18年間!

 18年間もかけて、氏はこの偉大なる建築物を、たったひとりでここまで造り上げたのだ。

 気がかりなのは施工終了年月日が記録されていないことだが、《タツミ》氏にはまだ建築を続ける意志があったのだろうか。それとも、のか?

 俄然がぜん、私は氏とこの建物に対する興味が膨れ上がってくるのを感じながら、数段の石段を昇る。

 門のひとつにそっと触れた。少し力を加えると、重厚な手応えを感じさせて、葉群の扉は内側に向けて両に開いた。

 外壁の彫像等を鑑みても、この建造物を造った《タツミ》氏の種族は、私の種族よりも若干小柄だったのだと思う。彼らにとってはおそらく堂々として大振りな扉も、私には丁度いいぐらいのサイズだった。

 建物に余計な傷を付けてしまわないよう、慎重に私はその中に足を踏み入れる。

 そして、エントランスのような空間を抜けると――きゅるきゅる。また喉が鳴った(これは私の種族が驚いたときや、感情を大きく動かされたときに出る、生理的な反応なんだ)。

 石造りの森、とでも言えばいいのか――それもただの森なんかじゃない、金銀玉蘭に彩られた、煌めくような――ああ、こんな時、自分の表現力の乏しさが恨めしいよ!

 内部は規則正しく配置された白い柱列が高い天井を支えて、広々とした空間を作り出していた。その柱の一本一本は良く見ると根元から十二角形、上方で二十四角形に断面を変化させ、球形の形態に接続されるとそこから二本、四本と枝分かれしながら完全な円形に近づきつつ天井へと接続する。幾何学的でありながら有機的なその造形が、高度に抽象化された樹木の並びを思わせるのだ。

 そして、その色彩。

 赤、橙、黄、緑、水色、青、紫――虹色のグラデーションを描く薔薇窓のグラスが、傾いた陽の光を透かして、堂内を極彩色に彩る。柱の微妙に角度を変える表面が、その色合いを一層幻惑的なものにする。

 私は茫然と歩を進めながら、酩酊したかのような感覚すら覚える。

 気づけば、整然と並べられたベンチ――外の彫刻で表されているサイズの感覚からすると、なるほどその種族が腰を下ろすのには丁度良いぐらいのもの――の列に行き当たった。

 どうやら私は建物の側面のファサードから足を踏み入れてしまったようだった。

 ベンチの列を挟んだ反対側にも、出入り口の扉が見える。


 そして私がふと右手にこうべを巡らすと、そこに“彼”がいた。


 私は二列に並んだベンチの横をぐるりと回って、列と列との間に慎重に足を踏み入れる。最前列にまで辿り着くと、さらに前方――石段の上で数段高い位置にある祭壇へと真っ直ぐに向かい合う、小さな背中があった。

 彫像と同じ、典型的な人型生命体ヒューマノイドの姿。

 さらに近づき、細心の注意を払いつつ前面を覗き見ると、俯けたヘルメットの前で両手の五指を互いに固く握り合わせ、ひざまずく、それは敬虔けいけんな祈りの姿勢だった。

 外面の彫刻群のどこか象徴的な配置や造形から、私はこれがとある宗教の聖堂か、それに類する建物だったのではないか、と類推していたが、ここにきてそれは疑いないもののように思えた。

 “彼”から一時眼を離して、その向かっている先に私も視線を遣ってみる。

 数段の石段を昇った先に祭壇がしつらえられ、その真上には磔刑たっけいに処された、痩せて傷ついた人型生命体ヒューマノイドの姿が天蓋から吊り下げられている……。

 これが、この宗教にける神の像なのだろうか。それとも、偉大なる殉教者のものか。

 しかし、それに向き合う“彼”の姿からは、この“彼”の行為そのものが、崇高なものである、という気配すら、私には感じられるようだった。

 だから、それからの私の行動は、いささか無粋な物だっただろう。

 多機能工作機マルチ・ツール分析アナライズモードにして、“彼”に向けてみる。

 結果は一瞬で私のモニタに表示された。


 《Com No.2c9d37p1974 《タツミ=シズヒト》》

 《状態ステイタス非活動ノン・アクティヴ


 予想したとおり、“彼”が、この惑星を発見し、《チキュー》と命名し、仔細しさいな調査を行い、そしてこの壮大な建築物を遺した《タツミ》氏に他ならなかった。


 《ねえ、君》


 私は心の中だけで呼び掛けてみる。


 《君はどうしてこんなところまでやってきたの?》


 そっと、ヘルメットに爪を這わせてみると、埃が払われた筋が、暗いバイザーの表面に残った。


 《どうしてこんな物まで?》


 返事はもちろん返ってこない。


 《タツミ》氏は電脳用擬体を用いなかったようで、外装から見てもかなり旧式(当時は最新型だったのかもしれないが)のスーツを自ら身に纏って活動していたようだった(電脳用擬体に更にスーツまで着せ、遠隔操作リモートで運用している私などは、氏に較べれば《カイダ》の肝臓だ)。

 群青色ネイヴィ・ブルーのスーツの塗装はぼろぼろに剥げていて、保全用の微細機械ナノマシンも不活性化してしまってから既にかなりの年月が経過していることが分かる。

 一瞬、このヘルメットを外せば、氏の素顔を拝むことができる――そういうよこしまな考えが心に浮かんだが、それは度し難い冒涜というものだろう。そんな向こう見ずなことをする稚気が、もう私に残っていないのは幸いだった。

 それでも最小限、氏のバックパックの外部ジャックに、私のバックパックから伸ばしたコードを接続して、氏の公開パブリックデータをコピーさせてもらう。

 事が終わると、私は改めて氏の亡骸に、私の種族なりのやり方で祈りを捧げると、また――ベンチをね飛ばしたりしてしまわないように慎重な脚捌きで――堂内の開けた場所まで戻り、元来たファサードから外へ出た。

 振り返れば、沈みゆく残光が尖塔の影を縁取り、建物全体を立ち昇る火焔かえんのように見せていた。

 私は思わず、またも祈りの姿勢を取っていたよ。

 それは明らかに、神の宿る光景だったから。


 そうして私は、聖堂がそびえている開けた草原が、林に変わる境目辺りにシェルターを設営して、現在いまこの記録を書いている。

 今日はここで筆をいて、早く睡眠を取ろうと思う。

 明日はおそらく終日、《タツミ=シズヒト》氏の情報と、彼が建造したこの偉大な建築物アーキテクチャの情報を求め、私は情報網ネットワークにダイヴして、無数のアーカイヴを引っ掻き回す作業に没頭ダイヴすることになるはずだ。


 ここまでこの手記を読んでくれて、ありがとう。

 出来れば、また次の記録で。


 真心を込めて――《メリダ=ティミス》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る