働きたくないダンジョンマスター~三食昼寝付のためなら魔王様も勇者も関係ない~

佐藤アスタ

第1話

 今日も今日とてクロエは独りつぶやく。 


「あーー、早く勇者来てくれないかなーー」


 魔王や魔王軍の幹部に聞かれれば即刻処刑されそうな危険極まりない発言である。それもそのはず、やる気ゼロと断言できる彼もまた、元は人間の善の最高神ゼウスの神殿騎士でありながら、魔王軍に三食昼寝付きでスカウトされてあっさり人類を裏切った魔王軍の幹部であり、最重要防衛拠点であるこの地下50階のダンジョンマスター・クロエなのだから。


 しかし、どう見ても勇者に肩入れしているとしか言いようのないクロエの態度も真っ当な理由があってのことだった。


 事の始まりは一週間前にさかのぼる。






「やっぱり冷暖房完備の部屋での昼寝は気持ちいいなーーー・・・ぐぅ」


 今日も今日とてダンジョン最奥のプライベートルームでだらけ切った生活を行っていたクロエだったが、至福の時であるはずの夢の中でクロエの日常は完膚なきまでに破壊されることになる。




「我は魔神アスラ。魔王軍幹部クロエよ、心して聞くがいい」


 浅瀬の海を浮き輪をつけてプカプカ浮いている、夢の中でも最上級にユルい夢を見ていたかと思ったのも束の間、クロエが気付いた時には辺り一面火の海の煉獄と呼ぶにふさわしい光景に一瞬で様変わりしていた。


 そしてクロエの目の前にいる声の主は紅蓮のローブに蒼炎の髪、紫炎のオーラを纏った超常の存在だった。


「ははあぁ!」


 あおむけで寝ころんだ姿勢から一瞬で飛び上がり、見事なジャンピング土下座を決めたクロエ。今でこそダンジョン防衛を言い訳にして引きこもり生活を続けているが、元は人類の中でもごく一握りの者しかなることのできない最高神の神殿騎士に、若干15の最年少でで抜擢された天才だ。


 しかしその類稀なる才能を、全力でジャンピング土下座に使用するという残念な男でもあった。基本的に長いものに巻かれる性格である。


「つい先ほどお前の主である魔王ゼダンが、この我の加護の宿った像に言葉にするのも憚られる内容の落書きをした挙句、人間の間で流行っているというボーリングとやらのピン代わりにして魔鋼鉄の球で遊んで破壊した。挙句の果てに部下に命じて魔王城近くの火山の火口に捨ておった。」


 魔神アスラは怒りを思い出したのか、纏っている紫炎のオーラが深い闇色に変化していく。神殿騎士であったクロエにとって神気は馴染みの深いものであり、恐ろしく思うと共に、これがただの夢でないことを改めて確信した。


「えぇーー、魔王様、何してくれちゃってるんですか~」


 魔神様の御前だというのに全く緊張の様子のないクロエである。長いものには巻かれても、あくまでまったり日常が最優先の強心臓である。


「神器である像が破壊されたことを感知した我はすぐさま魔王のもとに降臨し、神罰として死を宣告した。魔王の奴め、我の降臨が数千年なかったから魔神の神器である像のことを知らなかったと失禁しながら謝罪しおったが後の祭りよ。神を侮辱したことに対する罰は決して変わることはない」


 ちなみにこの世界の半分を掌握する魔王なので、当然鑑定魔法の使い手が部下にいるし、神気を感知する貴重な魔道具も魔王城の宝物庫に所蔵されている。間違いなくこの先の書物に、魔王ゼダンの名には空前絶後のおっちょこちょい魔王というかつてない蔑称が加えられることになるだろう。


 しかし、と魔神アスラは話を続ける。


「もちろん魔神の一柱たる我の力を以ってすれば下界の魔王ごとき滅ぼすことは容易い。だが神々の盟約によって神の下界への干渉は厳しく制限されている。いかに神器が破壊されたとはいえ、降臨して怒りを示す程度が限界だ。そこで我は旧知の善神に頼み勇者に魔王を討伐させることにした」


「魔神アスラ様、発言をお許しいただけるでしょうか~?」


「うむ、なんだ元神殿騎士クロエよ」


「ここまでのお話はよく分かりましたし、いくらこの生活のお世話になったとはいえ、魔王様が勇者に討たれるのは神意ですから仕方がないかなとは思いますが、一つ重大な問題があります」


「お前の言いたいことはわかっているが許す、言ってみよ」


「はい、今の魔王ゼダン様が魔王位に就かれてからすでに五百年、伝聞や書物でしか知りませんがこれまでに魔王討伐に動いた勇者の数は最低でも50人以上。中には当時の魔王軍の大幹部すら一蹴するほどの強者もいたと言われていますが、すべて魔王様に倒されていますよね?」


「その通りだクロエよ。本来勇者とは聖剣に選ばれし、魔王を倒す力を与えられた者。どれだけ強力な魔王とて五百年もの長き時を勝ち残り続けることは不可能だ。だがそこには歴代の魔王にはなかった今代の魔王ゼダンの秘密が隠されているのだ」


「ちょ~っとお待ちを魔神アスラ様。私は今の生活に満足しておりまして、別に魔王軍のトップシークレットなど知りたくな」


「魔王の核たる心臓は聖剣でしかダメージを与えられぬ。だが魔王ゼダンの心臓は二つある。つまり二振りの聖剣がなければ魔王を倒すことなどできないのだ」


「えぇーー」


 クロエの制止もどこ吹く風、魔神アスラはあっさりとこの五百年、人類の誰もが探求し、誰も知りえなかった魔王の秘密を、かけらも興味のない数少ない例外であろうクロエにぶっちゃけたのだった。


 激しく動揺しているはずのクロエだが、表情には全く出ていない。半分はまったり引きこもり生活が培った反応の鈍さの賜物である。もう半分はもともとの性格だが。




「さて、魔王軍幹部にして怠惰のダンジョンのダンジョンマスターであるクロエよ。ここまで聞けばお前には思い当たることがあるのではないか?」


「さ、さて、なななんのこちょ、ことやら、ぴゅ~ふふゅ~~」


「魔王ゼダンのの秘密すら知りうる我に向かって、その態度でごまかしきれると思っているお前の強心臓にはある意味感心するが、しっかりと答えよ」


「はああぁぁ・・・、アレのことですね」


「そうだ、いつしか伝承すら失われて人類側には知る者もいなくなってしまったが、魔王ゼダン即位前に奴が本来の持ち主から奪い、この五百年怠惰のダンジョンに隠し続けてきた二振り目の聖剣、デュランダルのことよ」


「あちゃー、悪い予感が当たったか」とつぶやくクロエ。


 クロエが生活するこの怠惰のダンジョンには、必須アイテムともいえる財宝が全くない。


 そのため、勇者を始めとする人類に目を付けられることなくひっそりと存在していたが、クロエの暮らすプライベートルームと同じ最下層にある宝物庫には唯一の宝と言える聖剣デュランダルが秘蔵されているのだった。三食昼寝付きのクロエの厚遇も、いざというときにデュランダルを守るためである。


「一振り目の聖剣、エクスカリバーの現在の持ち主である勇者ライエルには、知己の善神を通じてデュランダルの在処をお前と同じように夢の啓示として伝えてある。おそらく一週間後には三人の仲間とともにこのダンジョンへ到着するだろう。そこでクロエよ、お前には勇者一行を疲弊させることなく怠惰のダンジョン最奥部まで導き、聖剣デュランダルを何の障害もなく入手できるように手配してもらう」


「えぇーー・・・」


「最後まで話を聞け。当然、何の策もなくそのような所業に出れば、確実に魔王ゼダンの知るところになりお前の立場も危うくなるだろう。だが安心しろ、勇者ライエル一行が怠惰のダンジョンに到着するのと同時に神結界を張り、聖剣デュランダルが勇者の手に渡るまで魔王からの干渉を完全に遮断する。この程度の神の干渉なら、勇者を支援するという名目で可能だからな」


「いえ、魔王様が激怒しようがどうでもいいのですが、それでは私の快適な生活が終了してしまいます。それだけは困ります」


「・・・さすがの我も、魔王軍の幹部から魔王をないがしろにする発言が飛び出すとは思わなかったぞ。一宿一飯の恩義はどこへ行ったのだ?」


「・・・まったり生活を守るためには全力を出しますよ」


 一瞬であるが、クロエの眠そうな瞳に獰猛な光が宿ったのを魔神アスラは見逃さなかった。魔神の降臨にビビりまくり、その後で下半身だけ御着替えをしていた魔王ゼダンとは大違いである。


「そ、そうか、まあ、やる気を出すというのなら何も言うことはない。それに先ほどの生活の保障についても問題ない。事が済むまでの間、我の力が結界として顕現するのだ。魔族にとっては聖地と呼ぶべき場所になる。クロエよ、お前は新たに魔神アスラの神殿となるであろうこのダンジョンで総司祭にでもなるがいい。雑事は勝手に立候補してくるであろう配下の者に任せれば、これまで以上に生活の保障がなされるだろう」


「お膳立てはすでに完了しているというわけですね。さすがは我が主にございます」


「うむ、魔王ゼダンが討たれた際は我が魔界中に啓示を与えるので万全だ。・・・しかしクロエよ、お前の変わり身の早さは・・・いや、いい、忘れてくれ。それでは魔王軍幹部クロエよ、今日より一週間後、勇者ライエル一行を怠惰のダンジョン最奥部に密かに招き、聖剣デュランダルを譲渡する使命を与える」


「ははあぁーー」


 こうして魔神アスラによる魔王ゼダンへ神罰として勇者に討伐させる計画がスタートしたのだった。


 だが、ゼダンへの怒りで計画のカギである怠惰のダンジョンの主、クロエに対しての調査を怠った魔神アスラはこれから身を以て知ることになる。


 なぜ、三食昼寝付きに惹かれて裏切ったはずの人類勢力から追手が掛かっていないのか、なぜ、魔王ゼダンは最重要防衛拠点である怠惰のダンジョンをクロエに任せながら、他の仕事を一切やらせようとしなかったのか。


 もっとも、その事実を知った時にはすでに手遅れ、魔王ですら一瞬で屈服させる力を持つ魔神アスラが下唇をかみしめた悪鬼の形相で観ているしかない状況に陥ってしまうのだが。




「えぇーー、おっかしいなー、簡単にここまで来られるはずなのになー」


 怠惰のダンジョンのプライベートルームで何度も首をかしげているクロエ。その目の前には空中に投射された一枚のライブ映像があった。


 ダンジョンマスター固有の能力の中のひとつに、ダンジョンの内部と外周の様子を自由に見ることができる「遠隔視」がある。クロエは勇者到着予定日の前日から、ダンジョンの魔導センサーに引っかかった時点で自動的に映像が見られるように「遠隔視」を設定していた。ちなみに映像のみなので音声は受信できないし、こちらから声を届けることもできない。


 そして勇者一行が到着して以降、時にソファに寝ころびながら、時に絨毯の上で寝ころびながら、さらにはベッドの上で寝ころびながら、監視だけは怠ることなく勇者ライエルを見続けてきたのだが、なぜか勇者一行は怠惰のダンジョンの入り口付近をうろうろした後引き返し、そのまま3時間ほどダンジョン周辺の魔物と戦い続けた後、全力疾走で撤退し始めたのである。


「あーあー、行っちゃった。ここにデュランダルがあることは知っているはずだし、ここまで来る以外の選択肢はないはずなんだけどなー」


 ちなみにダンジョンマスターだからと言ってクロエが外に出られないわけではない。ずっと不在にすることは防衛上の理由とダンジョンの要たるダンジョンコアとのリンクの問題で事実上不可能なのだが、それでも一週間くらいなら外出も可能だ。


 だが、現時点で魔王ゼダンへの裏切りを絶対に悟られるわけにはいかない以上、外に出ることも勇者ライエルに友好的に接することもできるわけがなかった。


「おっかしいなー。ちゃんとダンジョンに配置していた魔物もトラップも全部撤去したのになーー」






 時は勇者ライエルが怠惰のダンジョンの入り口に到着した頃に遡る。


「ここが善神様からの啓示にあった怠惰のダンジョンか。本当にあるとは・・・」


「ライエル、その言葉は神への冒涜にあたります。訂正して神に謝罪するのです」


「いやクラウス、言っちゃ悪いけどあたしも実際にこの目で見るまでは半信半疑だったわよ」


「まあまあ、見つかったんだからいいじゃないっすか。じゃあちょっと行ってくるっすよ」


「ああ、偵察は任せたぞ」


 そう話すのは勇者ライエル、神官クラウス、魔導士セーラ、スカウト兼軽戦士のルードの四人で構成された勇者パーティである。いずれもそれぞれの分野では一二を争う実力者であり、現在の人類勢力の最高戦力となっている。


「すまんクラウス、しかしここまで来るのに払ったコストを考えると、空振りでなくてよかったとほっとしたところだ。なにせ森に入ってからここに至るまでにグレイファントムやレッドオーガが群れで現れ、果ては大型の蛇竜まで登場する始末だ。すでに持ち込んだ回復アイテムを含めた物資は八割を切っている。これでダンジョンが見つかっていなかったらとんだ大損になるところだった」


 現在ライエルの一行が足を踏み入れているのは、羅刹の森と言われる魔の領域の中でも飛びぬけて危険な魔物が生息していると言われているS級禁足区域である。


 これまで勇者ライエルたち以外に侵入した人間はおらず、マッピングもゼロからの作成であるため、森の中央部にあると啓示のあった怠惰のダンジョンの入り口を発見する道程で命がけの戦いになったのだ。普通の魔物相手なら一人一人が文字通り一騎当千の強者ぞろいの彼らですら、大量に用意したはずの万能ポーションも少なくない数を使用せざるを得ない状況に陥っていた。


 クラウスもライエルとは昨日今日の付き合いではない。彼が本気で啓示を疑っているわけではないことくらい察していた。


「まったく、いつもなら説教の時間を取らねばなりませんが、今回ばかりは私も同意です。神の啓示など一生に一度聞けただけでもまれな幸運ですし、この羅刹の森へ入る危険は魔王城へ向かうことと大差ありませんからね」


 少し場が和んだところへセーラから注意が入る。


「無駄話はそれくらいにしてよね。いつまた森から魔物が飛び出してくるかわからない状況なんだから」


「そうだな、油断せずに行こう。しかしルードの奴遅いな、ちょっとダンジョン内部の魔物の様子を見てくるだけだと言っていたんだが」


 勇者パーティにおけるルードの役割はスカウトの本分である偵察やトラップの探知だけでなく、パーティの資金の管理や物資の買い付け、情報収集など多岐に渡る。もちろん軽戦士としても超一流の二刀使いであり、他のメンバーに引けを取らない実力でクラウスとセーラの詠唱の時間を稼ぐ、パーティの縁の下の力持ちであり要である。だがすでにルードが偵察に出てから15分が経とうとしていた。


「いや、ライエル。噂をすれば影のようですよ」


 クラウスに言われたライエルがダンジョン入り口の長い通路の方に目を向けると、ルードが小走りにこちらに駆け寄ってきた。


 怠惰のダンジョン内部は、魔導技術によって通路の天井の辺りから薄暗い照明が等間隔で並んでいるため戦闘には影響がない程度に光源は確保されているが、仲間の表情を確認するには数メートル以内に近づかなくてはならない暗さだった。


 だから偵察から帰ってきたルードの顔色が真っ青なのをライエルたちは合流するまで気づかなかった。




「やばいやばいやばいやばい、このダンジョンはやばいっす!!」


 これまで経験した危機は数あれど、詳しい状況を話さずに危険のみを知らせてくるルードの初めての姿にライエルも驚きを隠せなかった。


「落ち着けルード、何があったんだ」


「ああ、ライエル、オイラたちはとんでもないところに来ちまったっすよ。これならまだ羅刹の森のバケモノ共の方が百倍マシっす!!」


「ルード、ライエルはなにがあったのか、と聞いているのですよ」


「そうよ、ちょっと落ち着きなって」


 尋常ではないルードの言葉に面食らいつつもクラウスとセーラもルードをなだめようとする。


「なにがあったって?ああ、教えてやるっすよ・・・・・・・・・逆っす・・・」


「え?何だって?」


「逆っすよ、ライエル、なにもなかったんすよ。凶悪な羅刹の森の中心にあって、内部には多くの魔物やトラップがひしめいているはずだったこの怠惰のダンジョンには、落とし穴どころかゴブリン一匹すら見当たらなかったんすよ!!」


「はは、まさか、冗談・・・いや、悪かった。お前はこんなときには決して冗談を言ったことはなかったな、すまない。このダンジョンが異常なのはわかった。しかし何もないことがやばいというのはちょっと話が繋がらない。ルード、どういうことだ?」


「考えてもみるっす、ここはS級禁足区域の羅刹の森なんすよ。森の中にはあれだけ強い魔物がゴロゴロしていたのに、どういう手品を使えばこのダンジョンだけが獣一匹いないなんて状態になるっすか?決まってるっす、この中にはこの辺の魔物なんかメじゃないほどヤバい奴がいるってことっすよ!!」


「「「あ、」」」


 言われてみれば確かにそうだ、いや、それしか考えられない、と、ようやく三人も事の重大さに気づく。


「で、でもルードが偵察して何も発見できなかったんでしょ?やっぱり思い過ごしじゃあ・・・」


「馬鹿っすかセーラ!?ここらの魔物の強さを実際に体験しておきながら、なんでオイラの偵察能力を欺ける方法を敵が持っていないと言い切れるっすか!?」


「う、だ、だって・・・」


 楽観的な意見で場の緊張を和らげようとするセーラに対して、完全に平常心を失ったルードがまくし立てる。


「そこまでだ、ルードの推測が当たっているとすれば本当に議論している場合ではないぞ。それとルード、言い過ぎだ」


 かつてない危機的状況でもさすがは勇者、ライエルは二人に落ち着くよう促す。


「す、すまんっすライエル。それとセーラ、言い過ぎたっす」


「いいわよ、あたしもちょっと危機感が足りなかったわ。でもこれからどうするのライエル?」


「ルードの偵察のおかげでダンジョンに正面から乗り込むのは危険だとわかった今、見つかるかどうかは賭けだが別の入り口を探すしかないだろうな」


「わかりました」「了解っす」「それしかなさそうね」


 こうして入り口からの侵入をあきらめた一行は改めて周辺の探索を行うのだが、怠惰のダンジョンの入り口以外に目立った発見はなく、また羅刹の森の強力な魔物との連戦で帰還せねばならないリミットが刻一刻と迫ってきた。


 その様子を見ている者が怠惰のダンジョン最下層に一人、そして大いなる神界から一柱、いるとも知らずに。




「な、な、な、なんすかあれ!?」


 その上空の現象に一番先に気づいたのは戦闘中にも常に周囲への警戒を怠らないルードだった。


「空が・・・」「燃えているのですか!?」「何よあれ!?」


 遅れてライエルたちも空を見上げ、一様に絶句する。


 先ほどまできれいな青空だった羅刹の森の上空が、突如として色とりどりの炎に覆われ、凄まじいオーラを発し始めたのだ。


 先ほどまで襲い掛かってきていたはずの魔物と言えば、逃げることすらできずにその場でうずくまり、ブルブル震えている。


 かろうじてその場に留まっていたライエルたちだったが、炎から発したと思われる次の現象で完全に精神を打ち砕かれた。


『ヴォヴァヴェヴァヴィィィィィッ!!!!グルヴルグルヴァアアアァァァ』


「「「「ギャアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ!!!!」」」」


 地獄の番犬も裸足で逃げだすだろうすさまじい唸り声を聞いた勇者ライエルの一行は超一流の冒険者パーティの名に恥じぬ反応速度でお互いの意思を統一し、かつてないほどの全力疾走で羅刹の森から逃げ出したのだった。




 それから5分後、


 羅刹の森の上空で燃え続けていた炎が、人の形をした炎の化身へと徐々に変化していった。


 そう、炎の正体は魔神アスラである。


「くっ、やはり神結界の中では我の姿を見せるのみで精一杯か、それも時間がかかってしまったな。む、先ほどまでいたはずの勇者どもがおらぬ。ただ声を掛けただけだというのに逃げ出しおったか。いかに我の神格を畏れたとはいえ、無礼ではないか」




 後ほど、中途半端に投影された自分の姿が勇者たちを恐怖のどん底に陥れ撤退させた直接の原因だと気づいた魔神アスラだったが、さすがに今回の黒幕である自分がライエルたちに釈明するわけにもいかず、仕方なく再び知り合いの善神に依頼してあの炎に害がないことを啓示で伝えてもらい、再度怠惰のダンジョンへ向かわせるように仕向けたのだった。






「さて、クロエよ、先日は偶然が重なった結果とはいえ、我の降臨が勇者一行の撤退を促してしまったが、本来、今回の計画に我が関わっていることは伏せておきたい秘密だ。この先我が二度と勇者の前に姿を現すことはない故、安心して事を進めるがよい」


「ははあぁーー」


 勇者ライエル一行の怠惰のダンジョンへの出発を神界から見届けた魔神アスラは、再びクロエの夢の中に現れ一切謝ることなく話を進めた。


 いや、これでも謝っているつもりなのかもしれない、神だから。自身のまったり生活以外に興味はないので、一切問いただそうとしないクロエもクロエだが。


「ではクロエ、頼んだぞ」


「ははあぁーー」


 アスラに対して同じセリフしか言わないクロエである。忠誠心が高いのか、ただ単に面倒くさいのか、意見が分かれるところである。


 その後、いつもの不規則な睡眠から目覚めたクロエはぼんやりと勇者ライエルたちをここまで迎え入れるにはどうすればいいか考え始め、やがてまったりと仕掛けを思いついた。


「そうだ、ダンジョンに何もないのは寂しいから、適当に弱い魔物を置いておこうかな」


 もう一度言おう。魔王軍幹部クロエは歴代最年少で最高神の神殿騎士にまでなった天才である。そんな逸材を人類、魔王軍双方からある意味いらない子扱いされているのは、それ相応の理由があったのである。魔神アスラがその事実を知るのは事が決してしまった後のこととなる。






「ちくしょう!なんてふざけたダンジョンだ!?」


 一週間後、折れそうな心を何とか立て直して再び怠惰のダンジョンの入り口まで戻ってきた勇者ライエルと三人の仲間たち。


 羅刹の森の中のルートはマッピング済みだったため、ここまでの道のりも前回よりははるかに短縮できた。また、ここ以外にダンジョンへの出入り口も発見できなかったので、罠であることも覚悟しつつ探知役のルードを先頭に、意を決して全員でダンジョン内部へと足を進めた。


「ん、何だスライムか」


 怠惰のダンジョンでの初遭遇の相手は何の変哲もないスライムだった。比較的平和な地域でしかお目に掛かれないと誤解されがちな魔物だが、実際には瘴気さえあれば世界中どこにでも沸く。精々大して痛くもない体当たりくらいしかしてこないため、一般人でも倒すことが可能だ。


 それでも放置し続ければ周囲の瘴気を集めてしまい他の魔物を呼び寄せる危険があるため、冒険者にはできる限り討伐する義務があった。当然ライエルたちも万が一の事態を防ぐために目の前のスライムたちを瞬殺していく。


 異常に気づいたのは最初の遭遇から10メートルも進まないうちのことだった。


「ねえ、ちょっとスライムの数が多くない?」


「確かに、普通はここまで増える前にもっと強力な魔物が発生してスライムが繁殖する余地がなくなってしまうはずっす」


「普通のダンジョンとは違うことは初めからわかっていたことだ。気を引き締めて進むぞ」


「「「了解」」」


 スライム相手にも微塵の隙も見せないライエルたちは10、20と、一度に出てくる数が次第に増えてきたスライムに若干の足止めを食らいながら、怠惰のダンジョンの最初の大部屋へとたどり着いた。


 いや、正確にはたどり着けなかった。


「は?」


 薄暗い照明の中、通路に照らし出されたのは、地面から3メートルはあるだろう天井に至るまでびっしりと埋め尽くされたスライムの壁だった。


 いや、壁という表現も適切ではない。さらに奥では同じように鮨詰めにされた無数のスライムが蠢いており、この先もこの光景が続いていることを容易に予感させた。


「ちょっと待ってください、何をどうしたらこんなことになるのですか!?」


 仲間の命を預かる回復役であるクラウスは四人の中で最も冷静沈着な性格なのだが、魔物の生態系を完全に無視した前回を超える不気味な事態に大声を上げざるを得なかった。


「おそらくだけど、ダンジョン内全ての瘴気を均一に保ってスライムが発生するギリギリのラインまで濃度を調整して一斉に召喚したとしか考えられない。だけどそんな繊細かつ大規模な瘴気のコントロールなんて、ダンジョンマスターどころか魔王にだってできるとは思えない!!」


 魔術と瘴気の研究でも第一人者であるセーラも、自分の言葉が紡ぐあり得ない状況に次第に恐怖を覚え始めた。


 念のためスライムを倒しながら通路を進み最初の大部屋を目指したが予想は最悪の形で的中し、大部屋付近でスライムが奥から無数に出現するようになり、ライエル達は止む無くダンジョン入り口付近まで撤退、作戦を練ることになった。


 結局、一点突破しようにも天井まで埋まっているスライムが降ってくるからダメ、大規模攻撃は天井崩落の危険があるからダメ、と有効な手段が出なかった。幸いこちらが受けるダメージがゼロに近いため回復や防御にリソースを割く必要がないので、ダンジョンの構造にダメージを与えないギリギリの火力でのゴリ押しの正面突破で行くことに決まった。


「はああぁぁっセイクリッドスラッシュ!!」「ライトブラスト!!」「小さき氷槍よ敵を穿て、アイスニードルシャワー!!」「飛燕重奏連!!」


 さすがに一度覚悟を決めるとそこは最強パーティの呼び声高い勇者ライエル一行。それぞれの貫通力の高い中規模スキルで瞬く間に通路を踏破、大部屋でも快進撃は止まることなく、すでに通行に邪魔なスライムはほぼ駆逐していた。


「よし、これで道が開けた。すぐに次に進むぞ。ルード、異常はないか?」


「・・・いや、ライエル、アレは、どう見ても異常ありっす。セ、セーラ、オイラにはアレがヤバいもんにしか見えないんすけど」


「何よいった・・・あ、あれは・・・」


 ルードが指をさした上方をセーラが見上げてみると、そこには先ほどまで10メートルほど上に見えていた天井ではなく、分厚い真っ黒な雲が一面に渦巻いていたのだった。そして渦の中心から今最も見覚えのある、それでいて最も見たくない魔物、スライムの大群が雪崩打って落下してきた。


「てってったぁーーーーーい!!!!」


 ライエルの悲鳴のような指示よりも早く、またしても最高の連携を見せて全力逃走を開始した三人が通路まで戻ったのを確認したライエルは、なりふり構わず天井の黒い渦に向かって最強の必殺技「聖剣開放!!エクスグローリーブリンガアアァァーー!!」を放った後、自らも通路に飛び込み、仲間の後を追って全力ダッシュを始めた。






「どういうことだクロエよ。言い分があるなら聞こうではないか」


 どうやら怒りの度合いによって体から常に発しているオーラの色が黒く染まっていくらしい魔神アスラの姿は今やどす黒い闇が自ら燃えているようにしか見えず、とてつもなく怒っていることだけはさすがのクロエにも分かった。これまでのような夢の中ではなく、現実のクロエのプライベートルームに姿を現していることからも魔神アスラの余裕のなさが分かる。


「ええーとですね、スライムなら勇者も死ぬことはないかな~と思って召喚したんですが、さすがに簡単過ぎるかな~と思ってダンジョンを満杯にしてみました」


「なんだその極端な選択肢は!?そんなことのためにあれほど緻密な瘴気のコントロールを行ったとでもいうのか!?・・・まあそれはいい、それよりも勇者たちがスライムを倒した後に出現したあの黒い渦はなんだ!?やられた先からあの速度でスライムを生み出すなど絶対にあり得んはずだ!答えよクロエ!!」


「ああ、あれですか。いやぁ~、スライムでダンジョンを満杯にしようとしたら途中で瘴気が足りなくなりまして。しょうがないのでこのダンジョンにある転移システムをチョチョイといじって、瘴気の余っている不足分を引っ張ってきたんですよ」


「なっっ!?・・・・・・・・・クロエよ、お前は自分が何をしたのかわかっているのか!?」


「やっぱりスライムだけしか配置しなかったのはまずかったですか?ちょっとは思ったんですが、まあ面倒くさいし、いっかな、と思って」


(違うわ!!いや、それよりもこやつ・・・)


 もちろん魔神アスラもクロエが言っていた転移装置のことは知っているし、別の世界へアクセスする能力のことも知っている。だが、両者は似ているようで全く違う概念で構成された、それこそ神の領域に踏み込んだ者しか到達しえなかった技術であり、この時代においては完全なロストテクノロジーである。


 それをこの目の前の男は見当違いのアプローチであっさり成功させてしまったという。さすがの魔神アスラも驚愕を隠すことはできなかった。


 それと同時に魔神アスラはようやく気付いた。


 人類を裏切ったクロエに対して追手が一度として掛かっていないことも、魔王軍幹部として迎えられつつも事実上の放置状態となっていることも、決してクロエのやる気のなさが原因ではない。そのやる気のなさであり得ない奇跡を起こすアンバランスな実力を恐れてのことなのだと。


 そのくせあり得ないレベルでミスをやらかすのだから始末に負えない。下手をすればクロエのおっちょこちょいのせいでうっかり文明が滅びそうな気さえしてくる。


 図らずも人類と魔王軍の思惑が一致した結果、クロエのまったり生活が成り立っていたのだ。


「ま、まあ過ぎてしまったことをいつまでも引きずっていても仕方がない。それよりも、これ以上の計画の遅延は我の威信に関わる。もはや手段を選んでいる時間はない。クロエよ、何としても一刻も早く勇者ライエルにデュランダルを手に入れさせるのだ!!」


「え、いいんですか?じゃあ、行ってきますね~」


 ヒュンッ


「なっ!?何処へ行ったクロエッ!?これはまさか・・・・・・間違いない、勇者一行のいる宿場町か!?馬鹿な、何の詠唱も魔道具の助けもなしにこれほどの距離の転移魔法を成功させたというのか!?」


 因みに怠惰のダンジョンから勇者ライエルの現在位置までは直線距離で片道三日は裕にかかる。本来転移魔法には出発地点と転移地点の双方にマーカーと魔力補助の為の大掛かりな魔導装置が必要なのだが、クロエはこの世界の限界とも言える諸々をすべて無視して転移して見せた。


 これが他の者なら幻覚魔法を疑うところだが、目撃者は神の一柱である魔神アスラ、遠く離れた場所の情報を知ることなど児戯に等しいため、またしても起こった奇跡に何の疑いも持たなかった。


 ある意味置いてけぼりにされた魔神アスラであったが、命令したことは事実なのでクロエに文句も言いづらく、あまり長時間下界に居続けるのも都合が悪いので一人寂しく一旦神界へと戻っていった。





「こん」「わああぁぁ!?な、何だお前は!?」「にち」「その顔、まさか数年前に行方不明となった神殿騎士クロエ殿!?」「わ~」「今、どうやって入ってきたっすか!?」「ちょっと」「わずかな空間と魔力の揺らぎ、まさか転移魔法なの!?」「お時間いいですか~」


 勇者ライエルの宿泊する宿屋の部屋に転移したクロエだったが、四人それぞれが好き勝手に発言しながらも一斉に武器を向けてきたため、全く話を聞いてもらえず、珍しくちょっとだけ困っていた。


「しょうがないな、えいっ」


「ぐっ」「武器が!?」「重っ」「それに魔力が乱されてる、なんなのこれ!?」


「えいっ」が簡略化した詠唱だったのか否かは議論の分かれるところだが、ともかくピンポイントでライエル達四人の武器だけに重力魔法が発動、さらに魔法組のクラウスとセーラには謎の魔法陣が張り付き詠唱を一時的に封じられ、完全に無力化されてしまった。


「あ、エクスカリバーだけは持って行かないと、はい、いいですよ」


「あ、ありがとう、じゃなくて!!お前はいったい」


「じゃあ皆さん、本当はライエルさんだけでいいんですけど、面倒なので他の皆さんも連れていきますね~」


「ちょ、ま」


 ヒュンッ





「ようこそ、僕の家へ~。早速ですけどお渡しするものがあるのでちょっと待っててくださいね」


 勇者一行拉致という世界規模の大事件を起こしたにもかかわらず、全く自覚した様子のないクロエはさっさと目的を果たそうと宝物庫へ向かった。


 後に残されたのは戦闘のための装備はおろか、相棒である武器すらライエル一人が持つのみの勇者パーティ、という戦おうにも戦えない状況では、謎の部屋(彼らは知る由もないが目的地である怠惰のダンジョンの最奥部である)でただクロエが帰ってくるのを待つしか方法がなかった。




「お、お前、そそそそ」「せ、聖剣!?いや、まさかここは怠惰のダンジョン!?あり得ません!!」「で、でもあんな神々しいオーラの剣、そうとしか思えないっす!!」「・・・もうやだ、おうちかえりたい、ぐすっ」


 待つこと数分、戻ってきたクロエにライエルたちは驚愕した。彼が手に持っているのは、今やライエルたちの唯一の希望というべき、エクスカリバーに勝るとも劣らない力を持った聖剣デュランダルだったのだから。


 あまりの急展開に全員の思考が追い付いていないばかりか、一名に関しては幼児退行まで起こしている。


「おおおお、お前!?その聖剣を、いや、その聖剣で俺たちをどうするつもりだ!?どれだけ力の差があろうとも俺たちは」


「違いますって~。僕の役目はこれをライエルさんにお渡しすることですから。戦う気なんて今のところは全くないですよ、ハハハ」


「ハハハ、じゃないっ!!ここが本当に怠惰のダンジョンならお前は魔王軍に属しているということだろう!?何をどうしたらこんな展開になるんだ!?」


「それはもちろん命令されて、あ、いらっしゃいましたよ」


「何を言って・・・こ、このオーラは!?」


 クロエの転移魔法とは似ているようでまるで違う、最初からそこにいたのではと錯覚するほど唐突にそれは現れた。しかしライエルには、人間の矮小な力では決して推し量ることのできない凄まじい炎のオーラを纏った規格外のその存在に見覚えがあった。


(クソッ!うかつにもほどがある!!ここが怠惰のダンジョンなら一度目に見たアレとまた遭遇する可能性も十分にあったというのに!!)


 ふと仲間の方を見渡すと、度重なる衝撃と前回あのオーラの存在を見た時の恐怖が蘇っておそらく精神が耐え切れなかったのだろう、三人とも気絶していた。


 絶望すら生ぬるい事態に一歩も動けないライエルを尻目に、一人と一柱の会話が始まった。


「・・・遅かったなクロエよ」


「お待たせしましたアスラ様。今ちょうど勇者ライエルにデュランダルを渡すところでして」


「・・・・・・違う、そういう意味で言ったのではない・・・」


「え、何とおっしゃられましたか?」


「・・・すでに、倒すべき魔王が、いなくなったから!手遅れだと!!言ったのだあああぁぁぁアアアァァァァァァ!!!!!!」


 グウウーーヴォウウウゥゥゥ「え゛え゛ぇぇーー」ヲオオオウウウゥゥゥ!!!


 凄まじい風の音を響かせながらこれまで以上に真っ黒なオーラに包まれた魔神アスラは、正に魔神と呼ぶにふさわしい憤怒の表情で、地獄の鬼も子犬に思えてくるほどの、聞く者全てに恐怖と絶望を抱かせる雄叫びを上げた。


 そんな中でもクロエはマイペースを崩さずに、強風でちょっとだけビブラートを利かせてはいるものの、いつもの反応を見せながら魔神アスラに疑問をぶつけた。


「わが主よ。一応私には事情を知る権利があると思うのですが、お教え願えませんでしょうか?」


「グルルルル、フゥーー、フゥーー・・・良かろう、お前には特別に教えてやろう。簡単なことだ、魔王ゼダンめ、あろうことか500年守り続けてきた魔王位から退位しおったのよ!!既にお前を除く幹部全員の前で魔法誓約での手続きを済ませた!だからと言ってゼダンの罪が消えるわけではない。無論我が神罰を下すことも可能だ。だが!!魔王でない者に勇者を討伐に向かわせることは人類からすれば何の益もない。ゼダン討伐という我の計画は完全に破綻した!!」


「えぇーー・・・」


 さすがのクロエもここ最近の苦労(?)が水の泡になったと聞かされれば少しは堪えるのだろう、これまでないと思われていた声の張りが若干なくなっていた。


 勇者ライエルに至ってはさらなる事態の急展開に頭が追い付いていないらしく、目と口が完全に開ききったアホな子としか呼べない表情になっていた。


 しかし、魔神アスラの次の言葉が二人の目を完全に覚まさせた。


「こうなればもはや神々の盟約など知ったことか!!ただの魔族のゼダンを我直々に周囲ごと消し炭にした後、この怒りが静まるまで世界を火の海にしてくれるわ!!我の神意を虚仮にした報いを受けるがいい!!!!」


「えぇーー、魔神アスラ様、この通り謝りますので許していただけませんか?フェニックスの羽根で作られたマイ枕を一日貸しますから」


「もう遅いわ!既に神意は下された!!」


「そこを何とか、今ならフェンリルの毛皮の掛布団とアトラク=ナクアの糸で編んだ敷布団もつけますから」


「くどい!!というよりなぜ我がそのような代物に心を動かされると思ったのか!?というか、なんだ!?その無駄にあり得ないほど豪華な布団一式は!?どこで手に入れた!?神でも持っていないぞ!?」


「えぇーー、そうですか、これでもダメですか、じゃあもう逃げ場はないかな、じゃあ、」





                  




 パアアアアアアァァァァァァ


「な、なんだこの光は!?クロエ、貴様何をした!?」


「いやー、これからあなたを倒させてもらおうかと思いまして」


「何を世迷言を!矮小な人間ごときに魔神である我が倒せるはずが」


「まあ、普通ならそうなんですがね、今なら本気を出しちゃえば何とかなるようなので」


「一つ、今あなたは外部からの干渉を拒絶する神結界を張っているそうですが、無駄に強力な結界のようですね。魔神たるあなたが著しく弱体化するほどに。その証拠に最初にライエルさんたちの前に降臨した時、うまく姿を構築できなかったじゃないですか」


「二つ、この光ですが善の最高神、ゼウス様の加護の一つである神結界の一種です。悪神の一柱であるあなたにはよく効くのでないですか?」


 これに驚いたのはこの場の唯一の目撃者、勇者ライエルである。


「バカな!?クロエ、お前は人類を裏切って魔王軍の幹部になったのだろう!?今のお前にゼウス様が加護を授けるはずがない!!」


「ところがですねライエルさん、僕は幼少期に孤児院にいた頃も、神殿騎士をやっていた頃も信仰心はまるっきりなかったんですよ。ただ生まれつきゼウス様の加護をいただいてたという理由だけで神殿騎士に任命されてしまったわけなんでです」


「なっ!?」


「それに魔王軍に入ってからも人を殺したことは一度もなかったですしね。さすがに魔神アスラ様の加護を受けていたらどうなっていたかわかりませんがね。まあ、使えるに越したことはないので発動してよかったです」


 ただ所持していたから神結界を使った、使えなければそれはそれで構わなかった、とでも言うように、クロエは何の感慨もなくライエルに説明した。


「三つ、ライエルさん、仲間たちの命と世界を救いたければ、そのお持ちになっているエクスカリバーを貸していただきたいんですが」


「あ、ああ、わかった」


 これまでの展開に完全に毒気を抜かれたせいか、それとも飄々としていながらもどこか有無を言わせぬクロエの言葉に引き込まれたか、ライエルは素直にエクスカリバーをクロエに手渡した。


 その行動に魔神アスラが初めて動揺を隠さずに叫んだ。


「き、貴様まさか!?有り得ん!!」


「さて、今回二振りの聖剣を使って二つの心臓を持つ元魔王のゼダン様を討とうとしたわけですが、じつはこの二振りには本来の使い方が存在します。エクスカリバーで絶対の防御を誇る神のオーラを切り裂き、デュランダルで本来捉えることのできるはずのない神の実体を滅する、今でこそ別々の名で呼ばれていますがこの二振りの聖剣は本来二つで一つ、神殺しの剣なのです」


「ききききキキキサマアアアァァァああああああ!!!!!!!!!その秘密はも神のみぞ知る禁忌!どうやって知ったあああァァァ!!」


「簡単なことですよ。何年もの間、デュランダルは僕の手元にあったんですから、時間をかけて剣の記憶をたどれば誰だって手に入れられる知識です」


「!!!!!!」


 もちろん簡単なはずはない。クロエの独り言に近い告白はまたしても超えてはならない領域を易々と飛び越えてしまったようだ。


 さすがの魔神アスラも、自身の弱体化に相性の悪い善神ゼウスの加護、さらには神殺しの剣まで用意されては分が悪い。


「く・・・・・・認めよう、この場では我の方が不利であると。だがクロエよ、いくらゼウスの加護があるとはいえ、我を拘束しておくにはお前があと四人程足りなかったようだな。口惜しいがここは退かせてもらおう。憶えておれ、次こそは必ず」


「いやいや、次なんてありませんって。四つ、僕があと四人足りないのなら連れて来ればいいだけの話ですよ」


 魔神アスラは気づかなかった。いや気づけなかった。いくら世界のすべての事象を見通す眼力を持つ神とはいえ、見つけようがない。


 気づいた時にはすでに手遅れ、アスラの四方を、二振りの聖剣を構える青年と全く同じ形をした影が四つ、完全包囲していた。


「こ、こんなバカな、我は魔神、すべてを焼き尽くす魔神アスラなるぞ!!」


 必死に逃げようとする魔神アスラだったが四人のクロエが作り上げた光の牢獄に囚われ身動き一つできない。


「ご存じだとは思いますが、どの世界線の僕も大変な面倒くさがりなのでね、一撃で終わらせますよ」


 そう言うとクロエは左手のエクスカリバーを真っすぐ構え、右手のデュランダルを肩に担ぐと、地震の魔力を全開にし、聖剣の完全開放のの詠唱を開始する。


「完全開放、エクスグロウリーブリンガー、他一本、ワールドエンド、ええーと、何とかスラッシュ」


「待て!!頼むから殺すならちゃんとしたやり方で!!こんな適当な神殺しがあるかあああぁぁぁぎゃあああああああああぁぁぁぁぁっぁ!!!!」













 結論から言うとクロエは魔神アスラを殺さなかった。いくら暴虐な魔神でもこの世界を構成する神の一柱だし、世界のバランスが崩れたらまったり生活どころではないな、とデュランダルが魔神アスラを滅ぼす直前で思い直したのである。とはいえ、無傷で帰すのも報復が面倒くさいので、最低100年ほどは悪さができない程度に神としての力を削いでおいた。どこまでも自分に無関係ならどうでもいいらしい。


 魔王ゼダンの退位と魔神アスラの弱体化はすべて唯一の目撃者である勇者ライエルに手柄を押し付けた。自分には荷が重いとかクロエ様帰って来てくれとか五月蠅かったので、面倒くさくなってボコボコにして黙らせた。結果、魔王と死闘を繰り広げたようないい感じのいで立ちになったので、気絶していた三人の仲間に対しても説得力が出てちょうどよかったようだ。


 元々ライエルが所持していたエクスカリバーは持って帰ってもらったが、デュランダルの方も渡してしまうと神殺しの剣として面倒くさいことになりそうなので、脱出の際に無くしてしまったとか適当に口裏を合わせることにした。まあ、ここまで入って来れる者が勇者一行くらいなのだ、人類側にバレることはないだろう。


 魔王軍の方は一向に音沙汰がない。怠惰のダンジョンに魔神アスラが降臨していたくらいは掴んでいるだろうから、恐ろしくて近寄れないのだろう。クロエにとっては好都合である。物資の供給の方も魔王軍幹部とは直接関係のない魔族が次々と貢物を持ってくるため万々歳だ。


 最後に、魔神アスラの時と同じように今度は善の最高神ゼウスがクロエの夢の中に現れ、神殺しだのゼウスの代行者だのの称号を与えようとした。神結界を使うために加護を利用した手前、最初は適当にあしらっていたクロエだったが、次第に面倒くさくなったのか「実はエクスカリバーなしでも神殺しの力を出せたりするんですが」と言うと、あっさりゼウスは帰っていった。加護は相変わらず使えるようだが、今のところゼウスが再び夢の中に現れたことはない。


 なんだか面倒くさいという単語がいくつも踊ってしまったが、まったり生活を妨げるものは全力で排除するクロエなのだから仕方ない。


 今日も今日とて、人類、魔王軍、神々から畏れられながら、クロエはまったり生活を満喫している。


「ちょっと、そこのナレーション、うるさいよー、眠れないじゃないか」


 あっ、はい、すみません。

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働きたくないダンジョンマスター~三食昼寝付のためなら魔王様も勇者も関係ない~ 佐藤アスタ @asuta310

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