第50話

 瞠目した瑞貴は心底不思議そうに口を開いた。

 実際出会ったばかりと言える間柄だが、だからこそ分からなかったのだ。

 竜というものが殊の外誇り高い存在であることは知っていた。

 例にもれずこの竜も誇り高い。

 だというのに理由が分からなかったのだ。


「何故だ? そちらにメリットは無いだろうに。枷を外す手伝いならばする。瑠那を守る手段を教えてくれたのだからそれくらいは訳も無い。だが……態々また枷を嵌めようとする理由は?」


 竜は苦笑がもれる。

 特に理由らしい理由は無かったのだ。

 どうやら瑞貴が竜というモノを知っているらしいから、余計に頭を悩ませたのだろう事も分かっていたからこその苦笑。

 勿論贖罪ではある。

 けれど、けれどだ、最も大きい感情は――――


「『単純なモノじゃ。お主とお主の宝物を近くで見ておれば退屈はせんじゃろうからの』」


 実際竜は退屈していた。

 力があるからこそ寿命も無く、自らを害せる相手も限られる。

 他の竜と違い、戦いに熱を上げる性分でもなかったからこそ何もすることが思いつかなかった。

 おかげで竜は、自分をゆっくりとだが確実に腐らせ蝕む絶望的な退屈に襲われていたのだ。

 そこをとある糞ったれな輩に漬け込まれてしまう。

 あまりにも変わらぬ永遠に続く色褪せた日常に異物が入り込んだことで、警戒よりも興味が先走り罠に嵌った。

 同じ愚を繰り返すつもりもなく、であれば常に新鮮な脱力と愉しみをもたらす瑞貴と、その宝物らしい彼女を見物する権利は手放すつもりもないのだ。

 ――――おそらくだが瑞貴の寿命に終わりは無いだろう予測があったのと、であれば彼は、絶対に宝物を手放さず自分と同類にするだろう事は分かってしまったからでもある。

 つまりは永劫に退屈せずに済むだろう。


「物好きな話だ。だが嫌いではない」


 瑞貴は珍しく相貌を楽しそうに崩す。

 瑠那を利用するなり喰おうとするでもなく、瑞貴を取り込もうとするでもない竜の言葉が真実だと分かったからこそ。


「『そういえば気になったのじゃがな、お主、何故それ程彼女に執着しておるのじゃ?』」


 竜にしてみれば素朴な疑問だった。

 これから側に居るつもりなのだから後で聞いても良かったのかもしれない。

 けれど竜は、今聴きたいと思ったのだ。

 瑞貴の考えが知りたかった。

 永遠に付きまとう気が満々だったのだから。


「単純な話だ。砂漠で干乾び死にそうになっていた時、綺麗で澄んだ冷たい美味しい水を飲ませてもらったとする。ただでさえ美味しいその水は、他では代えられない特別になった。それだけの話だ。付け加えるのなら、例えこれから干乾びて死にそうになったとしても、その時に似て非なる水を飲ませてもらおうが、最初の干乾びていた時に飲んだ水には決して敵わないし、似て非なる水を飲ませてくれた存在はまったくもって必要ないということだな」


 瑞貴は今までに見た事が無い程温かで優し気な表情をしていた。

 どうやら彼女に初めて会った時の事を思い出して幸せに浸っているらしい。

 瑞貴にとっては他では代わりにならない宝物の記憶なのだからさもありなん。


「『つまり最初に出逢って水を飲ませてくれた事に意味があると?』」


 竜の言葉に瑞貴は訂正を加える。

 其処を間違っては困るというように。


「最初に出逢って殊の外美味しい水を飲ませてくれたことに意味がある。通常なら不味い水といえども餓えて干乾び死にそうならば美味く感じるかもしれんがな、俺は違う。わざわざ美味い水を飲ませてくれるその心遣いがより嬉しかった、と言えば分かるか? あくまでも、本当に努力してくれた場合だがな。不味くてもそれが精一杯だとただ言われたとしても、俺には響かない。不味い水しか飲ませられない相手は要らん。だが……たった一度、俺が欲しい水を何の見返りも無しにくれた相手。そんな奇跡のような相手がいたのだから、他は塵屑にしか見えんのだ。自分でも傲慢極まりないとは思うがな。俺はどうやら我儘らしいと諦めた」


 瑞貴は諦念をまとわせながら滔々と語る。

 彼にとってのとてもとても重要な事を。

 初めてというのが彼にとってはどうしようもなく特別なのだ。

 記憶が消えない瑞貴にとって、最初の衝撃に勝るものは真実無い。

 普通ならば全てはいずれ色褪せるのかもしれないが、瑞貴は違う。

 何もかもが同列に寸分たがわず憶えているからこそ、新しい似た記憶に意味はないというのが瑞貴の感覚だ。

 どうしても初めての体験に勝るものが無いのだ。

 同じ様な事に遭遇したとしても、模造品と判断するか既知感から飽き飽きするか。

 それが瑞貴の世界だったから。


 だから最初の水に勝るものは本当に無い。

 それが不味い水であれば上位互換も可能だっただろう。

 けれど瑞貴に与えられたのは、心遣いも申し分のない格別に美味しい水だったのだ。

 あれ以上は要らないと瑞貴は判断した。

 結果、彼女の互換品を瑞貴は求める事を止めてしまったのだ。

 だからこそ瑞貴は、彼女に対して執着というにはドス黒く粘着質な代物を向けている。

 愛執というより妄執、狂気の部類だろう。

 問題なのは彼女が瑞貴のそれに微塵も気がついてはいない点なのだ。

 ――――もし、彼女が自分の意思で瑞貴を拒絶し逃げたのならば……

 或いは瑞貴以外の誰かに、本当に心をすべて奪われたのだとしたら――――


 何が起こるのかは推して知るべし。


 竜はその日が来ない事を心底願い、息を深く吐いた。

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異世界へ行った話 卯月白華 @syoubu

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