城壁之町

文月

第一章 城下町①

 見上げた灰色の空から、ぽつんと水滴が落ちてきた。

 左右にある背の高い家々に切り取られた見慣れた長方形の空は、アイの帰宅を待つことなく泣き始めてしまった。

 きゅっと口を結び、アイは背負っていた鞄を持ち直し、勢いよく地面を蹴った。

 涙の跡はきっともう消えている。

 両親に余計な詮索をされなくてすむだろう。


 今日は学校で発表会のリハーサルがあった。

 自分たちの住んでいるこの城下町について、文化や歴史、特産品などについて調べ、1週間後の授業参観で発表するのだ。

 アイのグループは歴史について調べることになっている。

 町のおこりから始まり現在にいたるまで、どのようなことがあったのか教科書や資料集、図書館にある年表をもとに調べていった。

 町の今と昔を比較した写真などを載せた模造紙は、まだ下書きの状態ではあったがまあまあの出来だ。

 あとは口頭での説明をつけていけば充分だろう。


 充分だった。

 ……充分だと思っていた。

 まず指摘されたのは役割分担ができていないこと。

 アイのグループは全員で5人のメンバーがいたが、誰がどこを説明するのか曖昧だった。

 発表の最中にばたばたしてしまい、上手くまとまらなかったのだ。

 まぁこれは、どこのグループも同じようなことを指摘されていたので仕方がない(と思うことにした。)

 2つ目は、字が汚いこと。

 グループの中で、調べものが苦手だという男子がいる。

 調べるのはやりたくないとごねたので、模造紙の記入を担当してもらったのだ。

 なるべく丁寧に書くよう伝えていたし、仕上がりについてはアイも及第点をだしていた。

 が、クラスメイトたち(特にアイと折り合いの悪い男子たち)は、「汚くて読めない」「バランスが悪い」と散々に言われてしまった。

 だがこれは、アイが直接書いたものではないので自分には関係ない(と思うことにした。)

 そして3つ目。なによりも屈辱的だったこと。

 内容がつまらない、と言われた。(指摘してきたのはアイが苦手意識を持っていた女子だ。)

 模造紙に載せた写真は、誰もが一度は目にしたことのあるものだった。

 内容も、幼い頃から何度も繰り返し語られてきたもので、目新しくなかった。

 担任はよくまとめられている、と評価してくれたが、クラスメイトたちはこぞって「知っているのばかり」「つまらない」「見たことある」と言って、途中からくすくす笑いが教室を満たしていった。


 学校では耐えた。

 人前で涙を流すなんてありえない。

 しかし門を出て1人になりとぼとぼ歩いていると、言葉にできないものがこみ上げてきた。

 今もまた、喉の奥をしめつけるようなものが湧き上がってきている。

 涙が溢れているのかもしれないが、この雨だ。

 頬を濡らすのが雨なのか涙なのか、アイにもわからなくなっていた。


 お気に入りのシャツもスカートもびしょ濡れになり、靴の中も沁みてしまい、おそらく鞄の中の教科書もすっかり濡れてしまう頃、アイは自宅に着いた。

「ただいまー」

 玄関を開けて、いつものように声をかける。

 すぐに母が大きなタオルを持って出迎えた。

「おかえり、大変だったね。寒いでしょう」

 少しごわごわする、でも良い匂いのタオルで、母は頭と顔を拭いてくれた。

「ここで脱いじゃいなさい。そのままお風呂行って」

 母に言われるまま、玄関で服を脱ぐ。(後ろで玄関の鍵を母が閉めた。)

 受け取ったタオルで軽く体を拭き、最後に靴を脱いだ。

 靴下も脱ぎ捨て、足を拭いてから室内にあがる。

 鞄はひとまずたたきに下ろしておいた。

「ほら、早くお風呂行きなさい」

 促され、アイは脱衣所を通って浴室に入った。

「パジャマ置いておくからね」

「わかった」

 浴室の外からかけられた声に返事をしてから、アイは自分の喉を締め付けていたものが無くなっているのに気付いた。


 普段は夕食のあとに入浴するので、パジャマ姿で食事を摂るのは不思議な感覚だった。

 夕食のあと、他愛もない会話を両親と交わして、アイは自室に向かう。

 床には、雨に濡れてシワの寄った教科書やノートが並んでいた。

 鞄も同じように並んでいて、母が広げてくれていたのだとわかる。

(明日までに乾かなかったら、学校行かなくてもいいかな……。)

 どうにかして登校しないですむ方法はないものかと思案しながら、それでも体は、教科書の上に乾いたタオルを置いて、ぎゅっと押付けるようにして乾かしていく。

 黙々と作業をしていると、扉をノックする音がした。

「ユウコちゃんから連絡だよ」

 父が扉の隙間から顔をのぞかせ、子機を持った手を突き出してきた。

「うん」

 受け取って、興味深そうにしている父にあっちへ行け、と手振りで示した。

『アイ?』

「うん、どうした?」

『今日のリハさ、どうよ?ってか、あれどうするよ』

 ユウコは授業参観の同グループメンバーで、アイとよく似た考え方をする。

 普段から、話していてとてもラクな相手だ。

「どうすうもこうするもないんだけどさ……」

『そうなんだよねぇ。他に出来ることってなんだろう』

 ユウコに問われ、ふと浮かんだアイディアを言ってみる。

「インタビューはしてないんだよね、うちらのグループ」

『あー、インタビューね。でもさ、インタビューって言ってもねぇ』

 そうなのだ。ユウコが何を気にしているのか、アイにもよくわかっている。

 町の歴史についてどの大人に訊いても、おそらく返ってくる内容は同じだろう。

 この町のおこりから現在にいたるまでの歴史は、昔話としてもう何度も語られてきた。

「とりあえずさ」

 アイはまだ濡れている自分の髪を指で弄びつつ、足元にある乾いたタオル(つまりはその下にある教科書)を踏みつけながら話を続ける。

「他のメンバーとも相談してみる?このままいくか、いちようインタビューしてみるか。もしくは他のアイディアがあるのか、とか」

『そうだねぇ。あと1週間あるから、明日インタビューしてまとめて模造紙に付け足すとすると、けっこうギリのような気もするけど』

「なんとかなるでしょ、たぶん」

『んじゃ、明日ちょっと話してみよっか』

「うん」

 また明日、おやすみ、と定番の挨拶をして、アイは子機を机に置いた。

 ため息をついて、踏みつけていた教科書を見下ろす。

(休めなくなった。)

 ユウコとの約束を反故にするわけにはいなかい。

 アイは諦めて、明日に備えてベッドに潜り込んだ。

 外ではまだ雨が降っている。

 少し穏やかになったその雨音は、アイを心地よい眠りに誘ってくれた。

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